007 蛍さん、体を狙われる
「来いよ、不運と踊りたいんだろ?」
私はそう言うと手のひらを上に向け、指先をくいくいあげて挑発した。
不良はぽかんとした顔でこちらを見る。
あれ、聞こえなかったか? それとも発音が違ってた?
私は繰り返す。
「来いよ、不運と――」
「2回言わんでええ!」
後ろにいる蛍に遮られてしまった。
不良も嫌そうな顔で私を見る。嫌そうというか、心底めんどくさそうな顔だ。
「女の前でかっこつけたいのはわかったから、どっか行けよ」
「ね、青海、行こ」
蛍が私の腕を引っ張る。
なんだこの空気。私だけが仲間外れみたいではないか。
「しかし――」
「いいから!」
私はそのまま強引に蛍に引きずられ、校舎裏を後にした。
「大丈夫か、蛍。ケガはないな?」
「ああ、うん。それは大丈夫だけど」
少しの沈黙があった。蛍は口の中で、言葉を転がしているようだった。
あのっ、ええと、とつっかえながら前置きをして、深呼吸を一つ。蛍はこちらの顔を覗き込むようにして聞いてきた。
「ねえ、二見さんとはどういう関係? あ、いや、深くは言わなくていいんだけど。 その、付き合ってたり……するの?」
ときわ? なんでここでときわの話が出てくるのかわからんが。
そうだな、同士なのは間違いないが、弟子というほどたいしたことをしてやったわけではない。今の私たちの関係というのなら、
「そうだな、今はまだ、ただの生徒というか……」
「まだ? じゃあ、初めてとか言ってたのはなんなのよ」
蛍がやけに顔を近づけてくる。鼻息も荒いし。なんだこいつ。
「あれはほら、魔術を教えてやったら、ときわのやつが失敗したのだ。こんなふうに」
私は≪火炎≫の呪文を唱えた。ぽんとオレンジ色の火球が空中に浮かぶ。
また髪の毛や服を焦がしてしまったら怒られるからな。私はそれをすぐに消す。
「あー、手品か。初めてってそういう」
これで前髪を燃やしたのだ。そう説明すると、蛍は納得してくれたようだ。
「でもすごいじゃん、青海がこんなことできるなんて知らなかったよ。あ、もしかして最近なんか変なのって、そのせい?」
「え、何か変だったか?」
「変だよ、ぶち(*)変。その喋り方とか、性格とか。急に中身が変わっちゃったみたい」
ほう、なかなか勘の鋭い女だ。
変装や幻術ならまだしも、使用したのは転生術だ。完全にこの世界の人間になっているというのに、疑っていたとは。
私は驚き、感心した。ときわもそうだったが、蛍に対しても、評価を上向きに修正しなければならないと思った。
「そうだな、本当の私を取り戻したとでもいうか。心配するな、お前と付き合ってきた長門青海という本質はそのままだ」
「なにそれ、付き合ってなんかないし!」
蛍の頬が赤くなる。
「……ねえ、もう一ついい?」
「なんだ?」
「さっきのアレ、どういう意味?」
さっきの? 何のことかわからずに困っていると、蛍は続けた。
「ほら、お前が手を出していい存在じゃないとかなんとか」
「ああ、あれか? お前の体は私のもの……が、げふん、いや、なんでもない! なんでも!」
なんでもないなんでもない!
今度は私が真っ赤になる番だった。
油断していた、これが誘導尋問というやつか!
私は転生に失敗した。
もう一度転生し直せばいいだけなのだが、そのための転生魔法陣の再現は非常に難しい。
次元転移を行いティルナノーグに帰還する手もあるが、それはそれで時間の位相を同時に考慮しなければならなかったりと、なかなか問題も多い。
そんないくつかの解決策の一つのうち、実は豊田蛍の体を奪うというプランもあった。
私だって好き好んで蛍の体になりたいわけではないが、仕方ないのだ。蛍は近所だし一番よく知っている女だし、乗っ取るには一番都合がいいのだから。
そう、あのうらやま――、じゃなく忌々しい胸部装甲は戦闘に不利なので、私だってできれば別の体がいいのだ。
「ふーん」
蛍は完全にこちらを疑っていた。じとっとした上目遣いで、刺すような視線を送ってくる。
「あ、あの、蛍さん? ほんとうになんでもないからね?」
「まあいいけどー、へー。そんなこと考えてたんだー」
しまったぁぁぁ、絶対バレてる! なんとかごまかさないと、なんとか!
「行こ、授業始まっちゃうよ」
「あ、うん」
「守ってくれて、ありがと。ちょっとカッコよかったよ」
蛍はやけにまぶしい笑顔を浮かべると、そのまま私の手を取り、教室へと戻る。
妙に浮かれているようで、飛び跳ねるような足取りだった。
※ぶち……「非常に」という意味の方言。使いやすいこともあり、若年層にも広く浸透している。