056 輝けるむかつく(*1)の海
徐福と楊貴妃は、きっちりとスイカを平らげた後、二人してどこかへ消えてしまった。
言い合いはしていたけれど、元は同郷の二人だ。この遠い山口県の地で、対立が友情に変わったとしても不思議ではない。
うん、仲良いことは良いことだ。
「あれ、青海。ダグザたちは?」
「ああ、肉を採りに行っている。さて蛍、そろそろ私たちも場所を移すぞ。ここはバーベキュー禁止だからな」
「え、もしかして夕飯って、バーベキューなの? やった!」
何か手伝うことある? ウキウキしながら聞いてくる蛍。
気持ちはありがたいが、蛍にはいつも世話になってるからな。今日は私がホスト役だ。
「大丈夫だ、解体くらい一人でできる」
「ふーん、……かい、たい?」
蛍の笑顔がぴきりと固まった。
あれ、また私、何かやっちゃったんだろうか?
「ダグザって、何の肉を取りに行ったの?」
「ニホンイノシシを狩りに行った」
「へー。イノシシ……。 イノ、シシ?」
「そうだ、うまいぞ、好き嫌いはよくない
「そういう問題じゃないでしょーが! 普通は牛とか豚とかチキンを、買ってくるのよっ、丸和(*2)とかでっ!」
そこへ、ときわがなにやら大きな袋を抱えてやってきた。海からあがったばかりなのだろう、ぼたぼたと黒髪からは水をしたたらせている。
「師匠、見て見てー、ほら、サザエにアワビ!」
「おお、よくやったときわ!」
「あんたもっ! ここ、釣り禁止って書いてあったでしょーがっ!」
蛍は横にある看板を指さした。その拍子に、真っ赤な髪の毛がくるくると揺れる。
「でもほら、他に人もいないし、黙ってればバレないぞ」
「だめですっ!」
「ははは、蛍、おかーさんみたいなこと言ってるな」
言い合う二人の弟子を見つつ、私はケタケタと声をあげて笑う。何がおかしいのよっ! と、蛍がどすのきいた声で威嚇する。
「あら蛍ちゃん、大声だしてどーしたのー?」
がさりと茂みを揺らし、ダグザも合流だ。
背中に担いだ斧には、丸く太ったイノシシを括り付けて担いでいる。
「うまそーだなー」
「当たり前だ、私が採ったんだからな。……向こうでさばいてくるぞ。おいレアリー」
「ほい、≪刀剣精製≫っと。刃はもう少し大きい方がいい?」
「いや、十分だ。」
「もうやだ……」
崩れ落ちる蛍にときわが近寄り、ウニを差し出す。
「うまいぞ蛍、食え。」
ウニは石でたたき割られたのだろうか、ガードレール色(*3)をしたはらわたをさらしていた。
日が暮れ、ぱちぱちと焚き木のはぜる音がする。
ときわと蛍は、焚火の向こうで、二人そろって楽しそうに談笑していた。
その様子をぼんやりとみていると、ダグザが隣に腰を下ろす。手にはどこから持ってきたのか、茶色い酒瓶を握っていた。
「いいところだな、この世界は」
「ところだけじゃないよ、みんな、いいやつばっかりだ」
ダグザは何も言わなかったけれど、微笑んでいたのはわかった。
「レアリー、飲むか?」
ダグザが酒瓶をこちらに突き出してくる。立ち上るアルコールが鼻孔をくすぐる。
「欲しいけどー、この体になってからは飲んでないな」
「たまにはよかろう」
返事も聞かず、ダグザは私の紙コップに酒を注ぐ。
琥珀色の液体が、ゆっくりと回りながら流れ込む。
舌にねっとりとからみつき、喉を焼きながら流れ落ちる。
こほっ、と小さくむせ、熱い吐息を漏らした。
「うまいな」
「だろ?」
ダグザはにっと笑顔を浮かべた。酒のせいか頬は赤く染まっており、とろんと眠たそうな瞳が変に蠱惑的に見えた。
ふと目を落とすと、深い谷間が見え、私は慌てて目をそらした。
ごまかすようにグラスを一気に空にする。
「あれ?」
くらくらする、あ、やばい。よいざましの、じゅつを、けほっ。
ばたんきゅー
「おい、まさかもう酔ったのか? 仕方ないな、私がテントに運んでやろう」
ダグザの声が、やけに遠くに聞こえた。
その夜。――時間は定かではないけど、たぶん夜だと思う。涼しかったし。よくわかんないけど。
最初は、飼い猫のプラザがベッドの上に乗ってきたのだと思った。
すぐに思い直す。ああ、ここは海だった。合宿中だ。
まどろみながらそう考えているうちに、私の唇に、柔らかい何かが押し当てられた。
少しだけぎょっとして目を開けたが、暗闇で何も見えなかった。
ゆっくりと、体が圧迫されるのを感じる。
つるりと温かい何かが、口の中に入ってくる。
それは、温かく、ぬるぬると口腔内をはいずりまわる。
酔いのせいか、私はひどく喉が渇いていた。本能のままに舌でおいかけると、それは受け止めるかのように絡みついてくる。
まるで溶けてしまいそうなくらい、柔らかい。乳飲み子のように吸い付くと、ほんのり甘い蜜が垂れてくる。
ごくり、と喉をならして、数度にわけて飲み下した。
また酔いが回ってきたようだ。
どくどくと、脳の奥で血流を感じる。
横になっているのにくらくらとめまいがして、私は再び目をつむる。どうせ変わらぬ暗闇の中だ。
ふと、唐突に口内の何かがいなくなった。体が軽くなる。
ずりずりと布の擦れる音がしたあと、ぱたぱたと急ぎ逃げるような足音が聞こえた。
私は横たわったままで、小さくなる足音を聞いていた。
※1向津具半島……山口県北西部にある地名。角島と元乃隅稲荷のちょうど中間あたり。変な名前で有名。
※2丸和……山口、福岡を中心に展開するスーパーマーケットチェーン。
※3ガードレール色……山口県県道のガードレールはオレンジ色である。夏みかんから取られており、ウニからではない。




