045 RED(Return of the Exiled Demon)
日が落ちるのを待って、私たちはいなか町の集会所へと集まった。今は使われていないし、山野の事件現場からも近い。ちょうどいい。
「ねえ、本当に家のほうは大丈夫なの?」
はむはむと菓子パンとを食べつつ、蛍が言った。
「ああ、大丈夫だ」
あんぱんを頬張る。いいなあ、こっちの世界って。おいしい食べ物がいっぱいだあ。
家には魔法道具の一つ、催眠香というやつを置いてきた。意識がもうろうとして、特定の催眠状態に――今回は、私たちがいなくても気にならなく――なるというやつだ。
この世界にも似たようなものがあるらしいのだが、高くて手に入らない。というか、注文の仕方すら良く分からなかった。
ケイタイやネットに詳しい蛍に聞いてみたけれど、青い顔をして絶対にやめろとキツく怒られてしまった。なんでも依存性がどうとか。
容量もきちんと明示されているし、注射器だの火であぶるだのしっかりとした使用法も確立されているようなのだが。ま、違法ということだし、あきらめるか。
そんなやりとりもあり、昨夜は3つ分も催眠香を自作することになった。こっちの世界の器具で作るのは、結構骨が折れた。
「師匠、あたりを一回りしてきたけど、まだ何の気配もないよ!」
ときわがたったか駆けてきた。立ち止まるときに、ナナメの前髪がさらりと揺れる。この弟子は本当にいつも元気だな。
「うん、わかった。じゃあ、本格的に索敵を開始するか」
「「はーい」」
パンの包み紙を武器に持ち替える。
私はホワイトオークの杖、ときわは水晶。そして蛍はカタナだ。
武器は単なる戦いの道具ではない。マナの流量が増えれば身体能力もあがるので、戦いにならずとも山歩きをするには有効だ。
まずは山野が襲われたという道路を調査する。
「あれ、なんかマナが変な感じがする?」
「うん、残滓が残ってる。よく気づいたな、ときわ」
「えへへー」
照れ笑いをするときわ。
私は弟子の成長に少し、いや、かなり驚いた。
この世界ではもともとのマナが薄いためか、マナだまりとも言うべき残滓が長く残りやすい。風が弱ければ落ち葉が飛ばされにくいのと同じようなものだ。
とはいえ、残滓は残滓。かすれるほどのわずかな変化をよく見つけたものだ。
私は道路に膝をつき、じっとアスファルトを見つめる。
「なにかわかる?」
蛍が聞いてくる。
「あっちに続いている。けれど、どんな奴かなどは、さっぱりわからん」
戦いの後ならともかく、これだけでは手掛かりには少なすぎた。けど、このマナの波長は、何かに似ている気がする。
「師匠、やっぱりマズイですよ」
「ん、なにが?」
「マナが残っているってことは、敵は魔法使いですよね。山口県猟友会の皆さんが、イノシシ狩りの準備をしていると聞きました。もし鉢合わせしたら、返り討ちに合うのでは?」
あ、そうか。
私の感覚では獣だろうがマナを使えるのは当たり前のことだが、この世界では違う。
しぶしぶやってきた獣狩りだったけれど、どうやら一人の魔術師として、見て見ぬふりはできない状況へといつの間にか陥っていたようだ。
「頭を切り替えるか。少しやる気を出さないと、まずいかもしれないな」
「しっかりしてよね、あんたが頼りなんだから」
私たちは夜の森を進んでいく。≪灯火≫を唱え、ふわふわと浮かぶ光を先行させる。
がさがさと草木をかきわけ、獣道を歩いていく。
本当なら危ないので良い子にはまねをさせられないが、山遊びに慣れている二人はすいすいとついてくる。
さすがだな。いくらマナによる補助があったとしても、貴族の子供達ではこうはいかないだろう。
少しずつマナの足跡が濃くなっている。そろそろ近いか。
そう思っていると、パッと開けた場所に出る。≪灯火≫を解除する。ここは、果樹園か。柑橘系の樹木が立ち並んでいる。
先ほどと似たマナの波動。
近いな。私はそう言うと、手近な木にするすると登り、暗闇に目を凝らす。
遠くに動く影が見えた。
「いた」
遅れて二人も登ってくる。
「ここからだと、よく見えないね」
「でも、確かにイノシシにしては形がおかしい気がするわ」
そのまま、樹上から鹿よけのネットを跳び越して、果樹園へと侵入する。
気を付けろよ。
隠密系の呪文は唱えてあるが、いつでも一番の敵は過信や油断なのだ。
私たちは互いにフォローできる距離を保ちながら、ゆっくりと近づいていく。取り逃がすのを防ぐのなら三方から囲むべきだが、安全のほうが優先だ。
武器を構えなおし、ゆっくりと歩く。
奴は青々と茂る葉を食んでいた。木の陰で、その姿はよく見えない。
捕縛の為の魔法陣を起動するか。いや、まだ早いな。
がさり、と足元で音がする。
ぴたりと、奴の動きが止まった。私たちもその場で凍ったように動きを止める。
消音の魔法は当然かけてあるし、奴が探知呪文の類を使った様子もない。
野生の勘というやつか。
ふしゅるるーという鼻息に混じって、じゅるじゅるという粘ついた音が聞こえた。
不快さを押し殺して、杖を構える。
奴がゆっくりと木の陰から姿を現す。
あ。
愚かな私は、そこでやっと気付いた。気付いてしまった。
このマナの波長は、――というか、あれだ。これは、私のマナだ。
さっと血の気が引いた。脊椎が冷えていく。
やべえ、やっべえ、超やっばい!
横の二人を見る。緊張した面持ちで敵に向かい合っている。
よし、大丈夫、まだ気付いていない。大急ぎで作戦を立てる。
まずはこの場を切り抜けなければ。
一番警戒すべきなのは、やはり勘のいいときわだろう。
悟られないように、ゆっくりとマナを垂れ流し、威圧感を与えていく。
奴はびくりと引きつったような表情を……って、どこが顔かもわからんぶっさいくなやつだなー、ほんと。
とにかく、奴はこちらに気付いた。
「ときわ、気付かれた、先制攻撃をっ!」
こっそり消音を解除していた私は、わざと大きな声を出す。
「え、わたしっ? そんな急に、あええと! えたーなるー」
言い終わる前に、奴は踵を返して走り出していた。
「あ、逃げた!」
「あー、逃げるな―!」
「待てときわ、深追いはするな!」
私は一人で走り出そうとするときわを必死で止める。
「だめです、今しかありません! 追いましょ、早く! まだ私、呪文唱えてませんからっ!」
こいつめ、なんでそんなに好戦的なんだよ。
「いや、今日はもうやめておこう。あいつ、見た目よりもずっと強いぞ。まずは出直して準備を整えよう」
「でも、今逃がしたら、次にいつ会えるかわかりません!」
ぐっ、しぶとい。私はめっちゃ早口で説得する。
「大丈夫だ、奴のマナの波長は覚えた。追跡はいつでもできる、まず出直して準備を整えよう」
えー、でもー。
ぶつくさ文句を言うときわの横で、蛍はがっくりとうなだれていた。
「なにあれ。はー怖かったよう。また行くの? やだなあ……」
危機は去ったのだ。私は少しだけ申し訳なく思いつつも、安堵していた。




