041 「そっか。私、青海のことならなんでも知ってるって思ってたんだ」
「五重塔って言われてもねえ。ときわ、何か思いつく?」
「ううん、さっぱりだ。でも、答えは私の中にあるとも言われた。ありがとう蛍、あとは自分で考えてみるよ」
ときわはそういうと、どかりと近くの岩の上にあぐらをかく。目をつぶってああでもないこうでもないと考える。
蛍はどちらかというと、パンツが見えないかの方が気になった。
まあいいや、あたりに人気もないし、とりあえずほっとくか。
「で、お前は何をしに来たんだにゃー?」
マルは、今度は蛍に声をかける。
「えっと、ときわの付き添いで」
「ただの付き添いが、そんなふうにカツオブシを横取りされたような顔をしているもんかにゃー」
マルは蛍の悩みを見透かしたように言う。
蛍は観念して、正直に答えた。
「わかんない。何か変わりたくて、変わるかなって思って来たんだけど、ときわみたいに具体的にこうするってことが思いつかないの」
ふと思いつき、マルに聞いてみる。
「ねえ、私には、禅問答ってしてくれないの?」
「んー、お前はちょっと違うな。問答は、自分で立って歩くものに対する道しるべだ。そこの黒い少女のようにな。お前のように、座り込んで立てぬものに与えるものではない」
そっか。そう言われると、素直に納得できる。
手近な石に腰をかけ、誰にということも無く、つぶやく。
「青海が原因なのは、わかってる。でも、青海にどうなって欲しいのかが、わかんない。自分がどうしたいのかも、わかんない。でも、このままっていうのはなんとなくイヤ」
「ふむ。重症だな。」
そう思うなら毛づくろいを止めて、もっと真剣に聞いてくれ。
「猫に心配されるようじゃ、本当にだめだめね、私」
顔を抑える。思わず、涙がこみ上げる。何の涙か、自分でもわからなかった。
「心配するな。立ち上がれぬものに杖を与えるのも、住職の役目だ」
え?
蛍は赤くなりかけた顔を上げた。
「なにを呆けた顔をしてるにゃー。駆け込み寺とか寺子屋とか、聞いたことないかにゃ? むしろお寺としては、お前のような人生の迷子こそがお客様だぞ」
これは慰められているのだろうか。
相手がいくら自称住職だとしても、猫に恋愛相談というのはちょっと。
蛍の別の悩みを無視して、マルは聞いてくる。
「お前はどうしたいのだ?」
「え、えと、青海っていう人とずっと一緒に、付き合ったり結婚したりしたい、かな」
「ふむ。ではお前は、そのためにどうすればいい?」
「……青海の、近くにいる?」
「なら、それでいいのではないか?」
蛍は、そんなもんだろうかと考えた。確かに離れるよりは近くにいたいけれど、今の悩みの原因は、そいつの中身が変わったことなのではないだろうか。
「そいつがどんな奴か知らんが、お前はそいつのことを一から十まで知っていたのか?」
「そんなわけないじゃない」
「では例えば中身が別人のように変わったとして、お前はそいつを嫌うのか?」
どきりとした。そんなこと一言も話していないのに。
マルはじっと蛍の目を見つめている。金色の瞳に吸い込まれるような感覚がした。マルの言葉が頭の中をぐあんぐあんと鐘の音のように反響した。
あ、そうか。
唐突に、蛍の心の中で、何かがはじけた。
やっとわかった。私が今の青海に感じているイライラの元は、私自身だったんだ。
私は、青海のことを全部知ってるつもりだったんだ。そんなわけないのに。
それなのに知らないところを見ちゃったから、今までの私を否定された気がして。
そして――レアリーというわかりやすい存在に、嫉妬してたんだ。
蛍は、マルの質問にゆっくりと答える。
「……そんなことないよ、私が好きなのは、青海の心だ」
「じゃあ、それでいいではないか。考えるのは、相手ではなく自分のことにしろ。近くにいたいのなら、自分がどうすればいいかを考えろ」
「あ、はい……」
マルは、すでにぷいとときわの方を向いていた。
蛍の気は、少しだけ軽くなった。何も変わっていないのかもしれない。どうすればいいかは相変わらず、わかんないままだ。
でも、わからないなりに、悩みの範囲は狭くなった気はした。
ありがとうございました。住職。今度来るときには、カツオブシを持ってきます。
蛍は姿勢を正し、マル住職に深々とお辞儀をした。




