幕間 月がきれいですね
お昼休み、油谷先生は特別教室棟をふらふらと歩いていた。
「あら、こんなとこまでヒビが入ってるのねー。こりゃー、直すのも大変そうだー」
油谷の頭に浮かんだのは、例の異星人たちのこと。
あいつら、うまくやっているだろうか。もとはと言えばあいつらのせいでこうなっているのだ。落ち着いたら費用を請求してやるか、もしくは直接修理させてやる。
そんなことを考えながらふと窓から下を見ると、校舎の陰に赤い髪の毛が見えた。
「あら、ほたるちゃんじゃない」
蛍は一人の男子生徒と話していた。
マナを集中し、耳をすませる。
「ええと、ごめんなさい、付き合えないわ」
「そうか、やっぱり長門と付き合ってるの?」
「そういうわけじゃないけど、うん、あいつのこと好きだから」
「わかった。ごめん」
「ううん、こっちこそ」
とぼとぼと男子生徒は去り、一人残される蛍。
まるで自分がふられたかのように、がっくり肩を落としている。
油谷はばっと窓から飛び降りると、2回ほど校舎の壁を蹴る。ほわんと物理法則を無視して不自然にスピードを殺すと、スカートを抑えてすとんと蛍の横に降り立った。
「おわ、ダグザじゃん。いきなりびっくりさせないでよ」
「あら、ここでは油谷先生って呼んでよねー。それよりいいの? 彼のことふっちゃって」
「見てたの? 趣味悪いわね」
油谷がまあまあと蛍をなだめる。
実際、そんなに怒っているわけではない。怒る気力もないということもあるが、誰かに話を聞いて欲しかったのだ。相手としては、ちょうどいい。
「レアリーちゃんのことで、悩んでるんでしょ?」
「そうよ。あいつが何を考えてるのか、わかんなくなっちゃって」
ぶすっとした口調で答える。
「昔の青海くんのことは知らないけど、今のレアリーちゃんには、ほたるちゃんに対する恋愛感情はないんじゃないかな。もしかしたら、残滓くらいは残っているかもしれないけど」
わかっていたこととはいえ、そんなにはっきり言われると、ぐさりとくる。
青海が蛍をないがしろにしているわけではない。むしろ態度でいうと、以前よりも大切に扱われているだろう。
しかしそれは友情であり、蛍が望んでいるのは恋愛感情だ。自分だけの特別扱いなのだ。
蛍は聞く。
「やっぱり、レアリーとかいう魔術師のせい?」
「まあ、ねえ。レアリーちゃんも、もとはお嫁さんにあこがれる、普通の女の子だから」
ぴしり、と蛍の表情が固まった。
「はえ?」
蛍は素っ頓狂な声を出す。女の子? 聞き間違いだろうか。詳しく話せと油谷にせっつく。
「あれ、言わなかったかしら。 レアリー・ホワイトウェルは、女の子よ?」
衝撃の事実に、蛍は混乱する。
聞いていない。そういえば名前は聞いたけれど、性別まで聞いてはいない。というより、性別が違うなんてことを考えたこともなかった。
「あら、こっちの世界の人たちだって、性別を変えることができるじゃない」
油谷はさらりと言う。
「はあ。……私、バカみたい。ときわにまで、やきもち妬いたりしてたのに」
「ごめんねー、とっくに知ってると思ってたわ」
「もしかして青海も、男の子のほうが好きなのかな?
普段クラスで騒いでいるときの青海を思い出す。山根や山村とバカ騒ぎをしていることはあるが、とても恋愛感情を持って近づいているようには見えない。
「んー、年上の意見として言わせてもらうけど、あの子はまだ好きとかよくわかっていない感じね。恋愛に憧れてはいても、実際に好きだとか付き合うとかは先のことじゃないかしら」
「なんだか、小学生みたい」
「そう思ってて間違いないわ」
呪いについては説明しなかった。あれだけ強固に肉体を縛る呪いが、精神を縛らないわけがない。
レアリーは、迫害されつつも必死で生き延びてきた。魔術もそうだし、子供だと舐められないように、背伸びをして虚勢を張ったことも何度もあっただろう。
そんな日々の努力の中で、残念ながら恋愛面の成長は後回しにされ、いつのまにかこぼれ落ちてしまったのだろう。
「でも、ずっとこのままってことは、ないよね?」
「わかんないけど、肉体が精神に引っ張られるように、精神も肉体に引っ張られるものよ。そのうち、普通の男の子みたいに、ほたるちゃんのことを意識するようになるわ」
「……ありがと」
蛍は、ふと思いついて、聞いてみる。
「もしかして、ダグザも男なの?」
「んー、私は少し違うわね。魔族には男も女もないから」
返ってきた答えは、予想していないものだった。
「どういうこと?」
「んー、私は魔族って呼ばれてる種族の王様だったんだけど、魔族っていうのは概念の存在なの。王様ってこんなもんなんだ、みたいな気持ちが、私を形作るの。確かにあのころは、肉体的には男っぽかったから、レアリーちゃんは勘違いしてるみたいだけどねー」
「戦うときと、キャラが違いすぎるってよく言われない?」
「あら、半分はあなたたちのせいなのよ? みんなの、お姉さんってこんな感じー、って概念が元になって、私がいるの」
「……よくわかんない」
「よくわからない存在なんだから、よくわかんなくていいのよ」
油谷はにっこりとほほ笑んだ




