036 フラグ in the 狗留孫山
カタナをふるう蛍は、自分の体の感覚に戸惑っていた。
あの森での時も体が羽のように軽かったけれど、今はそれ以上だ。というより、動き過ぎて気持ちが悪い。
それだけではなく、殺気が、狙われている場所がわかる。複数の兵士に狙われているのに、同時にだ。右腕や左のわき腹がぞわぞわし、体を逸らした次の瞬間には、その空間を弾丸が通り過ぎるのだ。
とはいえ、カタナはどこまでいってもカタナである。射程距離の問題はどうにもならないし、よけているだけでは相手の攻撃も緩まない。
本当に切りかかる勇気まではなかったが、上昇した身体能力を生かしてできることを考える。
フェイントを入れつつ一気に踏み込み、前を固める兵士の一人に蹴りを入れる。
蹴られた兵士は、踊るようにたたらを踏み、バイロンへもたれこむようにぶつかる。同時に、蛍自身もバイロンにとびかかった。
兵士たちに銃口を向けられつつも、肌がひりつく感覚は来ない。同士打ちになるのを恐れてか、撃つのを迷っているのだろう。
バイロンが兵士の体を押しのけ、後ろへ下がる。蛍は追って腕を狙う。
蛍の目には、すべてがスローモーションのように映っていた。バイロンの避ける先に、カタナを置いた。
きいん。
高い音がして、水晶がはじけ飛んだ。バイロンは反射的にかがんで、それを拾おうとする。
――遅いなあ。
蛍は、先ほどまでの緊張感をどこかへ忘れてしまったかのように、バイロンを見下ろしていた。
銀色の手が水晶に触れる寸前で、こつんと水晶をけっとばしてやる。
それはバウンドして、ときわの、
がつんっ。「あぐっ!」
ときわの額に当たった。
ときわは涙目になりながら、呪文を唱える。
「えっ、永遠闇地獄っっ!!」
「ぐわぁっ!」
ぼうんと音を上げて炎が広がる。炎は複数の兵士を包み込み、視界も奪う。
と、そんなドタバタの最中、急に床の一部が光り始めた。
暖かい光は輪を作り出す。意味なんてまるでわからないが、円形に筆で書きなぐったような文字が次々と書き込まれていく。
ひときわ強い発光の後、魔法陣の中には、紺色のローブをまとった魔術師が立っていた。
「青海!」
「遅くなったな。さあ、残りは私が相手をしてやる。さっさと帰るぞ」
魔術師も傷付き疲れ果ててはいたけれど、兵士を軽くあしらうことくらいは、わけもなかった。
屋上では、船への帰還準備を進めていた兵士たちが、あわただしく動いていた。
白く発行する魔法陣が現れ、レアリーら三人が帰還した時も、少し手を止めるだけで、またすぐに作業に戻った。
ダグザは斧を手に、その様子を監視していた。
彼らは屋上へとけが人を運び込んでいた。悪夢を見ているようにうなされたり痛がったりしていたが、ひとまず死者はいないようだった。
一番ひどかったのは、最初にレアリーに蹴り落された者かもしれない。
「ただいま。ダグザ、こっちはどうなったの?」
レアリーは聞いた。
「見ての通りだ、片付いた。今、退却の準備を進めているところだ」
ダグザは優しい笑顔で言った。
デイルとの話は、ダグザが既にまとめていた。ダグザは全員にことの顛末を説明した。
異星人たちは、移住先を探している漂流者だった。襲ってきた兵士たちは、テロリストではなく軍隊。狙っていたのも、学校ではなく、レアリーたち魔術師やマナという力だったということも。
「こいつらか、私の学校をめちゃくちゃにしやがってっ! 師匠、許せません、全員お仕置きしましょうっ」
おっと、そうか、こいつらは戦争にあんまり慣れていなかったな。
ときわは獣のように高ぶっている。蛍も毛虫でも見つけた時のように、苦い顔をしていた。
「うちらは、死人もケガ人も出なかった。こいつらも、ケガ人は出たけど、死んだやつはいない。お互い、全員無事だ」
「……っ、でもっ!」
レアリーは、ときわの肩にポンと手を置いて言った。
「別に奴らも私たちに恨みがあったわけじゃない。やつらも戦士だし、それが仕事だ」
「ん……、わかったけど。でも、悔しいよ」
レアリーは、抜けるような青い空を見上げて、悲しそうに言った。
「いいんだよ。戦争って、そんなもんだ」
一番ケガのひどかったレアリーに言われては、ときわも矛を収めるしかなかった。
ダグザは最後までデイルと何やら話し込んでいた。
空に銀色の軌跡を残し、異星人たちは去った。
「さて、後始末だな。レアリー、拡大魔法陣を展開できるか?」
「えー、もうしんどいんだけど」
「さっさとしろ。このままというわけにもいくまい」
レアリーの起動した拡大魔法陣で、ダグザの幻術が拡大、強化される。
学校の傷跡は、みるみる修復されていく。幻術だと知っている蛍たちから見ても、さっぱりわからない。触感や匂いに至るまで。
仕上げに、全員の記憶も操作する。
「すっげー! 師匠、うちの秘密基地にも使ってもらえませんか!」
「でも幻術ってことは、これって根本的な解決になっていないんじゃ」
冷静な突っ込みが蛍から飛んでくる。
「まあ、もともと古い校舎だしな。あとは私の方で校長を騙しつつ、定期的に修復していこう」
やっと終わったと安堵したレアリーは、背伸びをして大あくびをする。ふと横を見ると、蛍がもじもじしながらこちらを見ていた。
「大丈夫か、蛍。悪かったな、怖い思いをさせて」
頑張った蛍へのご褒美に、頭をぽんぽんと優しく撫でてやる。
「なんでケガしてるあんたのほうが心配してるのよ、ばか!」
必死で抑えていた涙は、限界だった。蛍は青海の胸に顔をうずめると、ひとしきり泣いた。
その夜。
デイルはとある山の中腹に一本の旗を突き立て、宣言した。
『我々はこの付近一帯を一時的な領土とし、補給のための基地を建設する』
一度や二度負けた程度で、立ち止まってはいられない。我々には、故郷の復興という大切な任務があるのだ。
ダグザと名乗った女は、以前、魔王と呼ばれていたらしい。
本人は「今は領土なき王だ」と自嘲していたが、王と名乗るだけあり、法に詳しかった。
女は、ある山を指さし、色々と教えてくれた。
山の名は狗留孫山(*)。容易には人の目が届かぬ地だった。
女は言った。まずは役所に行けと。
住居に関しては、空き家対策説明会というものもある。役所で申し込め。
戸籍さえ偽造してしまえば、あとは楽なものだ。
農業振興課という部署では、土地の借用手続きができる。農地として申請するといい。
税金などいくらかの問題はあるが、お前たちなら何とでもなるだろう。
こうして異星人たち一行は、ひとまず安寧の住処を手に入れた。
深い山々に埋もれれば、いくら電子の目が厳しいと言えども、そう簡単には見つかるまい。科学技術自体は、異星人側の方が上なのだ。
『デイル隊長、いつまでここに潜むつもりですか?』
部下に聞かれて初めて気付く。
そういえばあの女、貸出期間については何も言わなかったな。むしろ、もらったアドバイスは定住についての方法ばかりだ。
好きなだけいればいい、ただし迷惑はかけるな。きっとそういうメッセージだろう。
『さあな、意外とここが第二の故郷になるかもしれんぞ。……居候の身だ、あまり先輩たちに迷惑をかけないようにな』
『『『はいっ』』』
ふん、貸しということか。原始人のくせに粋なことをする。
デイルは頬をゆがませた。細長い顔に、笑みがこぼれた。
あなたが山で銀色の服を着た農民を見かけても、知らんふりをすることだ。
生まれこそ違えど、彼らだって同じ山口県に生きる仲間なのだから。
※狗留孫山……変わった響きの名前は、仏教用語に由来する。山口市と下関市、2か所に同じ地名があるので、訪れる際は勘違いのないように。




