025 レアリーさん、人生に迷う
深夜、私はそっと窓を開けた。木造の枠がきしまないよう、ゆっくりと体重をかける。
「≪飛行≫」
すっと水のなかに潜ったような浮遊感が体を包む。
とん、と屋根を蹴ると、私はそのまま空中を滑るように飛行した。
冷たい夜風が心地よかった。
下を見ると、鹿が群れになり、草を食んでいた。
気紛れの散歩だ。目的もあてもない。
街中ではこの時間も夕暮れ時のように明るいと聞いたことがあるが、幸いこの地域はそんなことはない。
とはいえ、面倒ごとに巻き込まれるのもごめんなので、一応は山の方へと進んでいく。
考えるのは、未来のこと。
不安ではない。数百年一人で生きてきたのだ、たいていのトラブルはどうにかできる自信がある。
ただ、道に迷ってしまったのだ。いや、それよりも悪いか。
迷子でも、目的地くらいは持っている。私は、自分がいったいどこへ行きたいのかもわからずに悩んでいるのだから。
代り映えしない未来に疲れ切って転生したというのに、成長するようになった今、先の見えぬ未来に困っているというのも皮肉なものだ。
眼下に広い湖が見えた。豊田湖(*)だ。
私はふよふよとその上をさまよう。
中央付近まで来ると、私は≪飛行≫を解く。
支えを失った体が数メートルの高さから落下し、ばっちゃんとはでな水しぶきをあげた。
暗闇は上下の感覚を奪う。脱力し、なるがままに任せた。水は予想よりも冷たく、脊髄までも凍らせる。脳みそが真っ白になった。
よしっ!
たっぷりと肺の空気を吐き出したあと、私は水面に立ち上がった。ぼたぼたと裾から水が垂れるが、軽くしぼるだけでそのままにしておいた。
顔を拭い、髪をかきあげる。
ぱんぱんと顔を叩く。
いつまでもこんな調子でいるのは性に合わない。
私は誰だ? 魔女とまで呼ばれた大魔術師、レアリー・ホワイトウェルだろう。
考えろ。何がしたい? 何をすべきだ?
困ったときはいつもそうしてきた。物事をシンプルに考えるのだ。
私は目を閉じると、集中する。マナが体を巡る感覚を思い出す。
自由気ままに術式を組み立てる。今の気分を吹っ飛ばすような、派手ですっきりするような奴だ。
「≪永久氷晶≫っ!!」
私は大声で叫んだ。別に叫ぶ必要はないが、ストレス解消というやつだ。
パキパキときしむようなざわめきが広がった。ざわめきはじきに小さくなり、キイキイとネズミが鳴くように耳に残る。それも最後には、風音に変わった。
私の足元を中心に、絨毯を広げるように円形の氷床が広がった。
「姿が代わろうが、結局私は私でしかない。私にしかなれない。でも、それも私だ」
私は満足し、氷塊を蹴り、宙に飛び上がった。
「――帰るか」
私は、――へくちっ、さむ、さっむ! ちょっ!
調子に乗っていた、まだ夜風は冷た……ひくちぅ。 濡れた体に、げほっ、さ、さぶっ
私は湖畔に降りると、とりあえず≪火炎≫で暖を取り、服を乾かしてから帰ることにした。
※豊田湖……木屋川ダムのダム湖。西市高校ボート部が練習をしている。




