019 レアリーさん、思い出す(しかし思い出せなかった)
大斧が弧を描く。子供の落書きのような乱暴さだ。
身をかわす私の背後で、魔力の軌跡が分厚い刃にぶった切られる。
器用に戻ってくる刃を、とっさに作り出した≪剣≫でいなす。
がちんと嫌な音がした。腕に鈍い痺れが絡みついた。
斧を奪い取るつもりだったのだが、それどころではない。振り回される刃をかわし、弾き、私は思わず距離を取った。
こいつ、意外にやるじゃないか。
女は細腕で軽々と大斧を使いこなしていた。しかし、その戦い方にはどこか違和感がある。
武器のせいではない。体のほうが戦い方についてきていないような、ちぐはぐな感じがした。
女が斧を振りかぶる。一瞬、シルエットがかすんで見えた。直後、その影がいくつもにぶれる。
私は反射的にその場から飛びのく。長年の戦いのカンというやつだ。
ほぼ同時に右から本物が振り下ろされる。
床の黒曜石が砕け散った。斧はまるで沼地に突き立てられたように、硬い黒曜石に沈んでいた。
「≪生命創造≫」
静かに魔法陣にマナを注ぐ。げてもの太郎を呼び出すわけではない。今回は本気だ。
黒い瘴気とともに、うねる触手を召喚する。
触手は多方から掴みかかり、足を、腕を、束縛しようと追いすがる。
女の姿がぶんとかき消え、数メートル離れた位置に移動した。まるで蜃気楼を掴むように、触手が空を切る。
幻術か。
こいつ、戦い方まで似ている。
普通に戦っても戦士として相当の技量があるダグザだが、幻術の使い手としても一流だった。
幻術で相手の意識をからめとり、止まったところへ大斧による暴力的な一撃を喰らわせる。それが本来のダグザの戦い方だ。
広範囲を一気にせん滅するような派手さはないが、白兵戦で彼に勝てる戦士を、私は知らない。
女が刃に魔力を込め、ぶんぶんと振り回す。分厚い衝撃波が発生し、あたりを無差別に襲う。
女自身も斧をかまえて地面を蹴る。衝撃波の後を追うように飛び掛かってくる。
まずい、この角度では――
避けることはできない。弾くしかない。
普段の私なら、後ろに守る相手が例え女王様だろうが、淡々と防御呪文を発動して、何事も無く戦闘を続けただろう。
しかしその瞬間、私の脳裏には二人の笑顔が浮かんだ。初めての経験だった。
私はぞくりとした。失敗できない。その恐怖が、皮肉にも一瞬の遅れを生んだ。
「蒼穹防御環っっ!」
ときわの声が響いた。低くうなるような音がして、私の眼前に青緑の光の壁が現れた。
女の足が一瞬止まる。
私は我にかえると、ぶんと右手を振る。
今まで何千回と使ってきた技だ。
無詠唱どころか、ほとんど無意識のうちに構築、展開される複数の魔法陣。
いくつかは私の身を守り、またいくつかは女の手足に絡みついた。
「たあぁぁっ!!」
背後から、赤い風が吹き抜けた。
「蛍っ! 無理はするな!」
女は左腕を無理やり振りほどいた。切りかかった蛍の刀を素手で掴み、不機嫌そうに、力任せに投げ捨てた。
「うそっ!」
っと、あぶな。
私は右手で蛍を抱きとめた。
術は、既に完成している。
こみ上げてくる熱い想いを脳の片隅に押し込めて、私は唱えた。
「≪溶鉄の雨≫っ!」
「ぐっ、この、術は……!」
複数の魔法陣が女を拘束し、魔力障壁を削いでいく。頭上に赤い塊が生まれ、そこから無数のつぶてが降り注ぐ。火炎なんて生易しいものではない。赤熱した、質量を持つ固まりだ。
女の魔力が一気に放出されるのが見えた。私の術を強引に相殺しようとしたのだ。
熱と異臭を含んだ白煙が周囲を埋め尽くした。
蒸気の風がやっと収まった時、女はぐったりと倒れていた。
服はところどころ焦げていて、魔力はほぼ尽きていた。もはや斧をふるう力はないだろう。
「タフだな。まさかアレで決められないとは」
やはりこの世界に来て、この体になって、マナ不足が響いているようだ。
女はゆっくりと上半身を起こす。
「今の術……、もしかしてお前は、レアリー・ホワイトウェルか?」
あん? 貴様、私の名前も騙っていたのか。
「やはりそうか、間違いない」
女は私の顔をまじまじと見つめ、一人で納得している。
間違いだ。
こんなけしからん体に会ったことがあるなら、とっくに殺して奪っている。
とどめを刺そうと一歩踏み出した私に、女は言った。
「待て、これを見ろ」
取り出したのは、一つの魔力結晶。
……あれ、これ、私のだ。
覚えてるぞ、これ。確かにダグザを封印した時のやつだ。ちょっと特殊な術式をこめてあるので、間違いない。
私は恐る恐る、女の魔力の波動を探ってみた。……うん、これは、覚えがある気がする。
もしかして――
「もしかしてお前は、本当に冥王ダグザなのか?」
「だから、最初からそう言っている」
女は、ほとほと呆れたように、深いため息を吐いた。




