018 レアリーさん、シリアスモードにシフトする
宙にいくつかの魔法陣を同時展開させ、光る指でそれらを操る。
白い文字が回り、形を変え、消えていく。
「ほへ―。すごい……」
ふふん、もっと見るがいい。褒めてくれてもいいんだぞ。
こんな尊敬のまなざしで見つめられたことは、二百年ぶりくらいだろうか。おっと、いかんいかん。にやけてる場合ではない、集中せねば。
私が唱えていたのは、遅延型の防御魔法。
相手のテリトリーに入る前の、最低限の礼儀だ。
全ての魔法陣の光が消えたのを確認し、ゆっくりと池に足を踏み入れる。
「私の後ろをゆっくりついて来てくれ。決して離れるな」
「うわ、浮いてる。これも魔法?」
ときわも蛍も、生まれたてのターパンのように、身を寄せ合ってぷるぷるしている。
どうやら水面の上に立つことに、慣れないらしい。
足にマナを集めて水面を歩いているだけだ。マナ操作の基本だぞ。
池の奥は思ったよりも長かった。立ち止まり、目を細めて観察する。
「横穴があるな……」
私はゆっくりと指先を伸ばす。
数センチ先に、風の流れがある。
これは……幻術による結界か。ここの壁は偽装されているな。ふむ、この術式は、ティルナノーグで使われているものに似ている気がするが。
キイキイと小さな鳴き声。
おっと。
突然、何もない場所からコウモリが飛び出してきた。ついと避けると、隙を作らないようにかまえ直す。
「きゃあ!」
「うっひゃあ!」
……お前ら。
慌てたときわが手をぶんぶん振り回し、よろけた。あ、ばか、こっちに来るな。
私はときわを抱きとめるような格好になり、拍子で足を一歩、結界側へと踏み込んだ。
まずい。 背筋が凍った。
結界に触れた直後、暗闇が私たちを包んだ。
私は蛍が立っていた場所へと手を伸ばす。――いた! 体に触れ、安堵の息を漏らす。
今度は蛍をしっかり腕に抱え、私は叫んだ。
「多重詠唱!」
≪灯火≫、≪魔力阻害≫、≪魔力障壁≫。各種の阻害呪文が同時に発動し、暗闇を即座に打ち消す。複数の魔力が混じり合い、天井を細い魔力光が走る。
それはすぐに収まり、私たちは仄暗いフロアに立っていた。
目の前に、何かがしゃがんでいた。
足元の水は既に無く、床は磨かれた黒曜石のようなタイルが敷かれていた。
壁は見えない。天井も。まるで砂漠か海のど真ん中に放置されたようだった。
なにかは、私たちに気付くと、ゆっくりと顔をあげた。
「だれだ、お前たちは…… ここへ何をしにきた……」
妙齢の女性の声。なにかは、ゆっくりと立ち上がる。
漆黒の布に包まれた、雪のように白い肌。ネグリジェのように頼りない布は、女性らしい肉体の曲線を強調していた。
――敵だな。あの大きさは敵だ。蛍よりでかい。
私は苛つきながら、そう判断した。
「人に名前を聞く時は、まずそちらから名乗るものだぞ」
後ろで蛍がつぶやいた。うわー、自分から侵入してきたわりには態度でかいわねー。
うっさい、お前らのためなんだぞ!
こうして時間を稼いでいる間に、必死でバフだのデバフだのを準備しているというのに。
「ふむ、まあいい。私はダグザ。ティルナノーグで冥王と呼ばれていた」
――ぴくり。 冥王、ダグザ?
私は、その言葉を聞いて、カっと体が熱くなる。
「貴様、その名はお前ごときが軽々しく口にしていい名前ではない」
「……なに?」
女は聞き返してきた。会話をするのも嫌だったが、仕方がない。
「その名は、ティルナノーグで最後まで孤独に戦い抜いた、誇り高き戦士の名だ。お前ごときが語るな!」
「何を怒っているのかわからんが、本当のことだ。私のことを知っているというのなら、これも知っていよう?」
やめろ。それ以上私を怒らせるな。
私をあざ笑うかのように、女は斧を取り出した。羽を広げた蝶のような大柄の両刃斧。
「……もういい」
「どうした? 信じてくれたのか?」
「もういいと言ったんだ。女、あの男の名をかたるくらいなら、せめて妻とでも言うべきだったな!」
限界だった。
青白く光る両手を女に向け、ヒョウのようなしなやかさをもって、女に飛びかかった。




