016 Like a bridge over troubled water
――ばたり、ぐうぐう。すやすや。
「さて、そろそろ行くか」
消灯時間を過ぎ、なおも枕を投げ続ける西山や山中らを眠らせた私は、静かに部屋の戸を開けた。
「あ、やっときた」
「師匠、遅いですよ」
あれ? お前ら何してるんだ、こんなところで。
廊下で待ち伏せていたのは、蛍とときわの二人。ジャージ姿はそのままに、クツを履き替え、すっかり出かける準備ができていた。
「何してるんだは、こっちのセリフよ。あんた、抜け出して外に行く気でしょ」
どっきり。しっかりバレているとは、相変わらず鋭い女だ。
しかし一体なぜバレたんだ?
「ときわから聞いたわよ。あんた最近、よく夜中に家を抜け出してるんでしょ」
「蛍から聞きました。師匠の様子が、バスからおかしかったって。何かあったんでしょ、その、敵がいたとか」
ああ、そういうことね。なんだ、二人ともいいコンビじゃないか。
しかし、今回はいつぞやの病院での邂逅とはわけが違う。
「バレたのは仕方ないが……、今回は、連れて行かないぞ。二人とも部屋に戻るんだ」
「なんでですか! 私だって魔法が使えます! 連れてってください!」
「うわばか、声が大きい」
私は慌てて蛍の口をふさいだ。あいた、噛むな。あ、よだれがついた。ばっちい。
騒いでいると、廊下の先でがたりと戸を開ける音がした。あの先はたしか先生用の部屋だ。
まずいな、今は見つかるわけにはいかん。
「とりあえず隠れるぞ」
幸いここは一階だ。窓を開ける。かららと軽い音がして、涼しい風が吹き込んできた。
アルミのサッシに足をかけ、さっと外へと飛び降りる。
ほとんど入れ替わりに、こつこつと松下先生の足音が響いた。私たちは窓の外にしゃがみ、息を殺して通り過ぎるのを待つ。
一応認識阻害の呪文を唱えておいたので、見つかることはないだろう。
足音が遠ざかるのを確認して、私たちは目の前に広がる雑木林へと移動した。
さて。
「あのな、ときわ。お前のためにきちんと言っておく。今回はマジでやばい。
だいたい魔術が使えるったって、私の魔力結晶があってのことだろ。今回の敵は、おそらく本物の魔術師だ。それもたぶん、この世界の奴じゃない。マナの質と量が違う。
言いたくはないが、その、――死ぬぞ、ついてきたら」
しかし、ときわは私以上に真剣だった。
「かまわない! 師匠は魔法が使えるから、私の気持ちなんてわからんのよ!」
ときわは泣いていた。
「あのとき、私は本当に見たのに、誰も信じてくれなかった。友達も親も。馬鹿にされたり、いじめられたり。それで、もうだめで、魔法なんてないってやっと思い始めてた。
でも、でも、師匠に出会って、すべてが変わったんだ。……ううん、魔法だけじゃない。蛍だって仲良くしてくれて、嬉しかった。だから、だから……」
「だから、死んでもいい。連れて行って。お願い」
ときわの言葉は、私の脊髄を乱暴につかみ、揺さぶった。
ときわは、私だ。呪いをかけられたころの、私だ。
親に捨てられ、友達も離れていき、そして、みんなみんな、先に死んでいった。
「ときわ――」
「あのー、感動してるところ、ちょっといい?」
蛍が非常に申し訳なさそうに、片手をあげて発言する。
なんだ、今いいところなのに。
「魔法とか敵とか、何のこと? 抜け出してちょっと遊んでくるだけじゃないの?」
え? 説明、そこから?
どう話したものかと困っていたら、ときわが袖をぐじぐじにしながら、ってあーもう、鼻水が垂れてる!
ほら、ティッシュやるから!
ぐずっ、ずびー。ときわは鼻をかみ、赤い目で蛍に言った。
「蛍、これは本当に本当のことなんだけど、師匠は魔法使いだ。手品ではなく、本当に」
いやいやいや。蛍は右手を振りつつ、否定した。
「何言ってんのよ。昔からいっしょだったけど、青海は普通の子よ。そりゃあ趣味はオタクくさいのが多いし、最近ちょっといろいろ変な感じだけどさー」
こいつめ。蛍は今まで見せてきた私の魔術を何だと思っていたのだ。
まあいい、ここできちんと説得しておかないと、大ケガの元だ。
私は肩に手を置き、瞳を見つめ、真剣に訴えた。
「本当だ、蛍。どうすれば信じてくれる? 炎を見せようか? それとも、空を飛ぶとか?」
蛍は顔を赤くすると、恥ずかしそうに私の瞳を見つめ返し、ゆっくりと言った。
「うん。 ……だいじょうぶ、信じるよ、青海」
ありがとう、蛍。私もお前を信じていた。
私は、蛍をぎゅっと抱きしめた。
「あ、ちょ、心の準備が……」
その様子を食い入るように観察するときわ。
蛍は慌てて私の体を引きはがし、ジャージの胸元をパタパタしながら、必死で顔を仰いでいた。
何をそんなに慌てている。しかも顔が赤いぞ、熱でもあるんじゃないか?
「わかった、わかったわ。うん。青海が魔法使いだっていうのは信じる。 ……だけど、今の話に何か関係あるの? さっぱりわかんないけど」
「大正洞だ。その前を通ったときに、やばいマナを感じた。冷たくてどす黒いやつだ。気になるから、調べておきたい」
マナ? 魔力のことです。
弟子が私の説明を補足する。
「それって、危ないんでしょ? 私も行くわ。心配だし」
絶対言うと思った。
私はもう、反対しなかった。する気も失せて、どうにでもなれという感じだ。
悪い気はしなかった。
私の何十分の一しか生きていないような子供たちから、未だ教えてもらうことがあったとはな。
「やれやれ、自分の身は自分で守ってもらうぞ」
私は優しく微笑み、言った。
一人守るも二人守るも、同じことだ。それにこいつらは何をするかわかんないからな。目の届くところにいてくれないと、かえって不安で仕方ない。
覚悟は決まった。虚空に手を差し込み、ばっとマントを取り出した。
こちらに来てから作っておいた、唯一の魔法道具。たいした性能ではないのだが、魔術師たるもの、戦いに臨むのにローブ姿はゆずれない。
ときわめ、「かっこいい……」などと。声が漏れているぞ! こ・え・が! うへへー。
いやあもう、仕方ないなー。そのうち弟子にも作ってやるかー。
「ときわ、以前に病院で見せてくれた水晶は持っているか?」
「はい」
ときわは腰の巾着をごそごそ探り、魔力結晶を取り出した。
「えーと、ここをこうして。えいやっと」
手のひらに簡易魔法陣を展開すると、水晶は淡い光に包まれる。
もともとこの魔力結晶は、私が結界術などを使うときに愛用していたものだ。魔力の純度こそ高いものの、このままでは扱いが難しいからな。ときわ用に簡単に調整を施しておく。
「うわ、すご。青海、本当に魔法使いだったんだ」
聞こえているぞ。だから最初からそう言っているではないか。
「できたぞ、ほら。この水晶の設定をいじった。これで、この水晶でも魔術が使えるはずだ」
おおお、と目を輝かせるときわ
ただし。
「この水晶は大きい分、出力もでかい。ついでにいうと結界術専用だ。お前はマナのコントロールがまだ下手だ、できれば守りにしか使うな。バリヤーだ、バリヤー」
わかりましたー。と、不服そうなときわ。
おい、私にはわかっているぞ、お前は最大出力で攻撃呪文をぶっぱなしたいんだろ。
「蛍を守ってやってくれ、頼むぞ」
小声で囁くと、ときわの表情がみるみる引き締まり、甘さが消えていった。
さて、次は蛍だ。
≪刀剣精製≫で作り出した剣を、蛍に渡す。いつもより丁寧なやつだ。
「うえっ、カタナ? これ、どこから出したん?」
「今作った。剣の心得があるんだろ? 魔術も付与してあるから、持っているだけで身体能力も強化されるはずだ」
この地方でメジャーな日本刀タイプ。柄や鞘はサービスした。
本当ならティルナノーグ時代にかき集めた魔法道具を渡したかったのだが、次元門がつながらず取り出せない。
平和な世界だと油断せずに、事前に調べておくべきだった。後悔先に立たずとは、この世界のことわざだったか。
ともかく、準備はできた。
では、行くか。
※Bridge over troubled water……サイモン&ガーファンクルの曲。
ときわさんがお気に入りだという方がいれば、よろしければ歌詞の和訳もご覧になってください。