014 バスと魔術と鍾乳洞(バストとかけている)
バスの中は、まるでゴブリンの巣穴のようにぎゃあぎゃあとやかましかった。
今回に限っては、私もその中の一匹である。
「うおお、このバス、でかい! 早い!」
「おい長門、耳元で騒ぐな!」
前の席の山村が怒鳴った。ふん、知ったことか。
「ちょっと青海、あんたはしゃぎすぎ。静かにしなよ」
「師匠、窓から顔出したら危ないですよ!」
「山村ー、ほらほら、白い岩がいっぱいだぞ! やーまーむーらー!」
「うるせえったら」
バカを言いつつも、山村だって本気で怒っているわけではない。
今日は、高校生活最初の一大イベント、校外学習の日だ。目的地は秋吉台、石灰岩の転がるカルストの地。
ここで私たちいなか高校一年生は、一泊二日の研修を行うのです!
実を言うと、昨夜はほとんど寝ていない。私は学校を出た直後から、初めて乗る大型バスに興奮しきりだった。
そう、初めてなのだ。小学校のころのクラスの人数は、わずか10名ぽっち。もちろん修学旅行にも行ったことはあるけれど、こんな大きなバスなんて初めて乗るのだ!
それにやっぱり、記憶と現実は違うからな。興奮するのも当たり前だ。
すごいぞ、エンジンとかいうやつ。こんなでっかい鉄の塊がペダル一つで動くなんて。
蒸気機関を発明したワットとかいう錬金術師は、すさまじい頭脳を持っていたのだなー。そんなことを蛍に言うと、これは蒸気機関じゃないわと返された。
ふむふむ、本当にこの世界は面白い。
「さて、着きましたよー。皆、順番に降りて―」
「「「はーーい」」」
ついに目的地に到着したのだ! 私は一番に降りようと飛び出して、引率の松下先生にじろりとにらまれる。
例の一件以来、少し距離が近づいた気もしていたが、そんなことは全然なかった。
「みなさーん、足元に気を付けてくださいねー。落ちると死にますよー」
秋芳洞(*1)。縦に大きく口を広げた入り口からは、冷たい空気とともに豊富なマナが流れ出していた。素晴らしい。
私たち魔研部はついに、この地で最大級のダンジョンへと足を踏み入れたのだった!
「蛍! 早く奥に行こう、早くー!」
「わかったわかった」
「あー師匠に蛍、待ってー」
自然と足も軽くなる。クラスメイトを追い越して、地底の大河が流れる横をとたとたと早歩きで進むと、目の前に広がるのは百枚皿。今回の一番のお目当てだ。
おおおー。他の生徒たちからも、感嘆の声が漏れていた。
「うおお、すげええぇぇ! マナもたくさん溜まってるー!」
ティルナノーグよりは少ないが、この世界に来て初めて感じる多量のマナ。
私は思いきり深呼吸を繰り返す。やはりあるところにはあるものなのだ。
後ろで、蛍とときわが話しているのが聞こえた。
「ねえ蛍、師匠はここに来るの、初めてなの?」
「うーん、そうみたいね。青海とは保育園から一緒だけど、少なくとも学校の旅行じゃあ来たことないわ」
「へー。あんなに楽しそうな師匠は初めて見るなー」
お前ら、私の後姿なんか凝視しなくていいから、こっちを見とけ。大自然の神秘だぞ。そんな姿勢じゃ立派な魔術師にはなれないぞ。
「あれ?」
ひとしきりはしゃいだ後、私は奇妙な気配を感じて立ち止まる。
「わあ、急に立ち止まらないでください、師匠」
「ああ、すまない。ちょっと気になることがあって」
立ち止まり、耳を澄ます。
よくわからないので、探知魔法もかけてみる。うーむ。
「どしたの、青海? なんか難しい顔して」
いや、私にもよくわかんないんだが。とりあえず、暗闇の向こうを指さして説明する。
「たぶんあっちの方だと思うんだけどさ、なんかマナの流れが変な気がするんだよね」
ときわはおでこにしわを寄せ、闇の中を必死でにらむ。当たり前だが何も見えはしなかった。
「豊田、あいつ何言ってるんだ?」
「さあ。最近あいつ、よくわかんないときがあるんだよねー」
山村の問いに、蛍は困った顔をして答えた。
洞窟を出たあと、皆は再びバスへ乗り込む。
カルストロードとやらを走るバスの中で、私は窓の外をずっと見つめていた。
よっぽどむっつりした顔をしていたのか、蛍が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫? 酔っちゃった?」
「ん、 ああ、大丈夫。さっきのことを考えていたんだけど――」
その時、こっそり広げていた≪魔力探知≫に反応があった。
私は即座に警戒態勢に入ると、両手にマナを集める。窓の外をキッと睨みつけ、腕をあげて蛍を守る。
『大正洞(*2)』
バスの窓から、でかでかと書かれた看板が見えた。
背中に一筋、冷たいものが垂れていくのを感じた。
「ねえ、青海、どうしたの? 怖い顔して」
「……なんでもない」
「うそだ、絶対何かあったんでしょ。 幽霊とか見ちゃった? マジメに聞くから、話してよ」
――黒いマナを感じた。攻撃的なものではない。夜の海のように、静かで冷たいマナだった。
蛍の向ける真剣な瞳は、私に真実を告げるべきかを迷わせた。
この娘を、危ない目に合わせるわけにはいかない。それが私の出した答えだ。
青海としての感情なのか、レアリーのものなのかはわからない。
けれど、守りたい。守るべきだ。そう思った。
「言えない。わかってくれ、言えないんだ」
ウソでごまかすことなんて、できなかった。それが私の精一杯の誠意だった。
「わかったよ」
それきり、蛍は何も言っては来なかった。
怒らせてしまったかと心配したが、蛍が私の腕をぎゅっと握りしめてくれていることに気付き、胸がきゅっと痛んだ。
そうだ、強いとか弱いとかじゃない。大切な相手を守ろうとする姿勢が大切なのだ。
私は隣にいる小さな騎士に心からのお礼を言うと、頭を優しく撫でてやった。
あ、なんか当たってる。
こいつ、胸だけはでっけえ。当てつけか、くそう。
そうだ、小さいとか大きいとかではない。それを利用しようとする姿勢が気に入らないのだ。
私の心に奥深くには、小さな嫉妬心が生まれた。
※1秋芳洞……日本最大規模の鍾乳洞。足を滑らせたら本当に死ぬ。
※2大正洞……百枚皿のような派手さはないが、こちらも洞窟感満載。
秋芳洞、大正洞、景清洞の三か所を一枚で回れるチケットもある。別々の日に使用することも可能。