九話 大山喰いの乱
日は昇り、冷たさが無くなる陽が射す――巳の刻
虎白率いる長月軍は、大山喰いの谷を歩く。『龍の顎』と呼ばれる細い道と、広い間の丁度 境目に兵を構えた。少し上を見れば、左右には小さな山道『龍の口角』があり、弓兵が配置されている。追い討ちを掛けるには充分な距離だった。
さらに上を見上げれば、断崖絶壁の岩肌が聳える。『龍の額』と呼ばれる、その頂きは薄い霧が立ち込めていて、ここからでは見えない。
「墓川はここを通らねばならぬ。顔を出した者から仕留めてゆけ」
細い道からやってくる墓川兵は自然と少数になる。虎白の策とは小勢に対し、多勢で向かい撃てる体形が整えられた地の利だった。
「虎白様、ただいま戻りました」
虎白の背後に、片膝を付く継魅が姿を現す。
「継魅か……その様子だと一杯食わされたようだな?」
「はっ! 申し訳ございません」
「よい、俺も甘く見ていた。暫し休め」
「墓川軍は、もうすぐこちらに向かう頃であるかと」
「あいわかった。下がってよいぞ」
継魅はその場を去ろうとするが、虎白の背中に質問を投げかける。
「虎白様、この戦……勝機はありますか?」
「……必ず勝つ。——と、言いたい所ではあるが、いざ戦が始まれば番狂わせは付き物。常に死は身近にある」
「そうですか」
「——だが、勝たねば長月に明日は無い」
虎白は威圧を込めて宣言をした。
「この八鳥 継魅。命に代えても、虎白様をお守り致します」
「そう気負うな。いつもどおりで良い。時に継魅よ。ここはなんと呼ばれているか知っておるか?」
「いえ、存じません」
「かつて山をも食らう大きな蛇が居た。この道はその大蛇が通った跡とも言われておる。故に大山食いの谷という名がついた」
「……では、何故ここだけ広くなっているのでしょうか?」
虎白は振り返り、継魅に顔を向ける。
「ここが寝床だったそうだ」
広場の周囲を見渡す。その広さは、大蛇がとぐろを巻いているのを推測するに巨大である事を物語る。
「本当にその様な大蛇がいたと?」
「その昔、この辺りには奇怪な大蛇が居たという。幾ら斬っても蠢き。時に刃の通らぬ鱗を持つ。……所詮、御伽話にすぎんがな」
思わず継魅は冷や汗を流し固唾を飲んだ。
「どちらにせよ、この寝床は我ら長月にとって地の利を得ている。墓川はここを通るしか城には——」
「敵襲!」
虎白の言葉を遮る様に、長月の兵の一人が叫んだ。
「来たな」
虎白の視界は、墓川の兵隊——ではなかった。馬に乗り甲冑を着込んだ一騎の兵だけが『龍の顎』の道を豪快に飛ばして来たのだ。
「なんだと?」
足場の悪い道を、余裕の表情で走っていく。やがて虎白の目の前までやってくる。その行動に長月の兵達は弓を構えるのを忘れ、唖然と驚いていた。
兜から覗かせる顔は良く見知った顔。宏次であった。
「一騎で矢面に立つとは宏次。何を血迷うたか?」
「久しぶりだな虎白」
「相変わらず猪突猛進な奴よ。ここが罠だと知っての愚行か?」
「お前とも長い付き合い。ちょっと顔ぐらい見せたほうがいいと思ってな」
宏次は白い歯を見せる。対して虎白は腕を振り下ろした。
「二番隊、弓を引けぇい!」
虎白の掛け声で上の山道から弓兵が、一斉に宏次に向けられる。矢が放たれた瞬間、くるっと馬は尻を見せる。宏次の背中にいたのは小夜。刀一本で数十本の襲い掛かる矢を全て弾き飛ばした。
「戦鬼姫!? 貴様、寝返りおったか!」
「勘違いなされるな、《《とらじろう》》殿。寝返った訳ではない。主を変えただけだ」
「『う』はいらぬ!」
小夜は蒼い鏡を取り出し上空に向ける。すると大きな虹が断崖絶壁の間を抜けて上空に昇っていった。
「じゃあな!」
宏次が乗る馬は駆けて谷を後にした。
「追え! 逃がすな!!」
放たれる矢を容易く小夜が落とし、虎白の陣から撤退する。やがて馬の姿も見えなくなった。長月の兵達は、細い道を進み宏次の後を追う。
「虎白様! 何か上から音が!!」
山道の弓兵が異変に気付き、大声で報告の声を挙げた。
「音?」
◇◇
――一方その頃、山の頂『龍の額』
「合図がでたぞ! 岩を落とせ! 杭を打ち込め!」
雪定が大声で合図を出した。墓川兵は そこらにある大きな石や、長月兵が作った村の木材や丸太を、深い霧の中、断崖絶壁の谷に落としていく。
深い霧から突き抜けて現れる虹の幻が、雅の持つ紅の鏡に向かって映っている。 宏次の馬に乗る小夜が持つ蒼の鏡が、誘き寄せた敵の位置を示していた。
崖の端から鉄の杭を打ち込み、山を崩せば大量の岩石や土砂が次々と谷に落ちていく。
「しかしまぁ、将軍様は大胆な策を思いつかはりますなぁ」
雅は紅の鏡を照らしながら、雪定に声を掛けていた。
「一人で谷に赴くと言い出した時は、また血迷ったかと思いましたが」
「でも、これやったら、待ち伏せしている長月の兵を一網打尽にできますえ」
◇◇
――再び、大山喰いの谷『龍の寝床』
「虎白様!! 早くお逃げ下さい! 山が崩れますぞ!!」
「くそ! 退け! 退け!」
時はすでに遅かった。大きな岩が虎白の兜に当たり、そのまま前へと倒れ込む。空からの襲撃と転がる無数の岩、丸太と土砂が長月兵に襲い掛かっていた。
悲鳴が谷中に響き、まさにここは地獄絵図だった。細い道を利用していたはずが、逆に利用され空からの襲撃を避ける事は不可能だった。
——再び谷に訪れる宏次と小夜。辺りは土砂や木材に、長月兵の首や、手足が静かに埋もれていた。とても良い足場とは言えない。
ふと足元を見れば、土の中から虎白の顔が見えた。苦しむ前に気絶したからか、表情は安らかだ。
「お前とは一度、一緒に酒が飲みたかったな。……許せよ」
宏次は懐から巾着袋を取り出す。虎白から小夜へ、小夜から宏次へ渡った銀の入った袋。それを虎白の前に置く。
「これは、元々お前のもんだろ?」
その行動を見て、小夜が小さな溜め息を吐いた。
「敵に……それも屍に礼儀を尽くすか……。それになんの意味があるのだ?」
「……もし、戦と言うものが無ければ、きっとこいつと友であれた様な気がするんだ」
「甘いな。その甘さ、やがて自らに及ぶぞ」
その時、虎白の目が見開いた。
「——宏次!!!」
突如、土の中から身体を起こし、持っていた細見の刀で、宏次の頬目掛けて突きを放った。間一髪避ける。
「虎白! 生きていたか?」
「よくもやってくれたな? なかなか良い策を思いつくではないか!」
「お前の負けだ。潔く降伏しろ」
「たわけ! 長月に降伏は無い。ここでお前の首を落としてくれる」
虎白は切っ先を宏次に向けて構える。宏次もまた神戌を抜き虎白と対峙した。
「長月流——月蝕」
その突きは、瞬く間に宏次の間合いを詰めた。心臓目掛けて、宏次の甲冑を貫く。同時に振るわれていた神戌の刀身が、虎白の首に食い込ませる。
「——お、おのれ……宏次!」
神戌の妖刀は、虎白の血を吸い上げて、黒だった髪は白に染まる。絶命したか、倒れ込むと同時に、甲冑に刺さっていた細見の刀は、するりと抜けて地に落ちた。
小夜は近付くや、宏次を心配そうに声を掛けた。
「おい、大丈夫か!? 宏次?」
「……ギリギリだ。肉には届いてはいない」
「流石に、今のは肝が冷えたぞ」
「俺もだよ」
二人は大きな安堵の息を吐き、その場に座り込む。その光景を一部始終を見ていた影があった。
「嘘――虎白様……」
虎白の死に継魅は涙を零していた。手負いである継魅は、一刻も早く報告しなければならぬと谷を足早に去った。