五話 墓守の末裔
「若、危ない!」
雪定の声に馬の手綱を引き、宏次の動きが止まる。何かが鼻をかすめていった。ふと側にある木に目をやると、小さな矢が刺さっている。
「この辺一体は罠だらけです。若、我等が前を歩きましょう」
「あのジジイめ、あちこち罠だらけじゃねぇか」
辺りを見渡すと、木々が生い茂る森に、上り坂になった一本道が続いている。一歩踏み込めば、無人の罠が仕掛けられていた。目の前や、足元に張り巡らせてある目に見るに困難な細い糸を切ってしまえば、矢が飛び出す仕掛け。輪になった縄に足を引っ掛けたのなら、縄で押さえられた細い木が直立し、宙吊りになってしまうであろう。
蛇林寺と呼ばれる寺に行くには、この一本道を通らなくてはならない。
「雪定、寺は放っておいて、先に進んだ方が早いのではないか?」
「ここを過ぎれば、もう寝床はありません。暫しの辛抱を」
墓川兵が先陣を切って罠を解除していく。だが、一つの罠を見つけるのに、それは丁寧な時間をかけた。
◇◇
一方、宏次の後を追いかけて来た小夜はというと。
「……何処だ、ここは」
薄暗い森の中を彷徨っていた。
「山の中なら食べ物があると入ったものの、あるのは罠だらけではないか」
独り言が森中に木霊する。独り言と言うよりは、空腹に満ちた心の叫びであった。
その時、足元の糸を引っ掛ける。小夜の顔面に目掛ける矢が飛び出した。瞬時に刀を抜き、軽々と弾く。再び歩き出すと、今度は輪になった縄に足を引っ掛ける。
「あっ――!」
縄は小夜の足首を締め付け、押さえられていた細い木が勢い良く直立に立つ。縄に引っ張られて、あっという間に身体が逆さまになってしまった。
「くそ! これも全てあいつのせいだ!」
今起きている苦境を、全て宏次に押し付ける。宙吊り状態から、刀で縄を切って何とか背中が地に着いた。だが、身に着けていた群青色の装束に土が付くのを見て、少女はまた不満そうな顔を浮かべた。
ふと耳を澄ませば、水のせせらぎが聞こえる。
「川の音?」
ぐぅ~……今度は腹の音まで聞こえてくる。
「……川に行けば、魚ぐらいはいるかもな」
小夜はまた歩きだした。次々と襲いかかって来る罠を突破しながら。
やがて罠の森を抜ければ、そこには広い川だった。ふと足元を見ると、緑の中に見覚えのある物が生えていた。
「いや、山葵は流石に……な」
苦い……いや辛い思い出が甦る。足元を見ずして、川の方へ足を運ぶ。川の中を覗くと水は透き通っており、魚の泳ぐ姿がはっきりと分かる。深さも中に入ると足は届かないであろう。
集中し、水面に向かい刀を引き抜く――居合。刃が水面に映る魚を捉える。水飛沫と共に魚が宙に浮いた。
「やった!」
宙を泳ぐ魚は再び川に落ち、元気に泳いでその場を去った。大きな溜め息を吐き、水面をみつめる。
「丁度、汗も流したかったし。誰もいなさそうだしな」
再度辺りを確認し、着込んでいた群青の装束を脱げば、透き通った白い肌が露になる。水面の中に入り、少女は束の間の水浴びを楽しんだ。
日が落ち始めて、辺りは夕日に染まる??酉の刻
墓川の兵は相も変わらず、罠の解除に勤しむ。少しづつだが、寺の姿が見え始める。
「若、もうすぐ蛇林寺が見えますよ」
「言わずとも分かっている。昔はこんな罠は無かったのにな」
「和尚の雲州様は、若と同じく墓守の血を引く墓林家の一族。代々伝わる宝刀などもございますし、寺を狙う賊も少なくはございません。当然と言えば当然なのでしょうけども」
「あのジジイが相手なら、大入道でも連れて来なくては無理だろう」
おののく妖怪の名前を出した。妖怪と対等できる程恐ろしい人なのであろうか?
「というより和尚様が大入道なのでは?」
「うまいな雪定!」
雪定の一言で大笑いする二人。
「……誰が、大入道じゃと?」
後ろから聞こえるしゃがれた声が、二人の嘲笑を止めた。
「はわわ、雲州様!」
振り向き慌てふためく雪定の視線には、輝く坊主頭に黒い着物と袈裟を下げた老人の姿が映った。目つきは悪く、顔のしわも厳しく見える。
「げぇ、ジジイ!」
「人がせっかく仕掛けた罠に何をしてくれているんじゃ? この戯け者共が!」
大きな罵声に、罠を取り除いていた兵は思わず手を止める。
「でもよ、これじゃ誰も入れないじゃないか?」
「馬なんかに乗っ取るから悪いんじゃ! ほれ、下がらんしゃい」
懐から土瓶を取り出し口に含む。それを豪快に霧状に噴き出せば、目の前や、足元に張り巡らせた細い糸から雫が垂れ落ちる。
「こうすれば良く見えるじゃろう。そら、話なら中で聞くぞ」
そう言って、慣れた手つきで軽々と糸を避けて通って行く。宏次達もそれに続いていく。中には糸を引っ掛けて、矢が刺さった兵もいたとか。
やがて寺へ辿り着き、林に囲まれた庭へと案内をされる。庭には連れて来た馬達を繋ぎ、木で出来た縁側から襖を開ければ、そこは広く大きな道場だった。前方には大きな仏像が奉られており、その右手の平には3尺程の古めかしい刀が乗せられている。すぐ横に見える掛け軸には、『悪霊滅断』の文字が書かれていた。墓川の兵達は甲冑や荷物をまとめて隅に置き、久しく腰を下ろして、ゆるりと寛ぐ事ができた。
「にして、宏次よ。何故参った? それもこんなに大勢の客人を連れてきおって」
雲州の鋭い睨みが、宏次の顔を覗き込む。
「いや、まあその……一晩寝床を借りようと」
雲州の厳しい顔が途端に緩み、堪えていたのか白い歯を見せる。。
「カッカッカ、冗談じゃ。先日、宏政の使いより聞いておったわい。『倅が、寝床を探して来るやもしれん。その時は、よろしく』とな」
けたたましい笑い声が道場中に響かせる。
このジジイ! と怒りを堪えるかの様に宏次は心の中で叫んでいた。
「……戦、お主が将を担っていると聞いたが?」
「ああ、父はよもや刀を振るう事すら叶わぬだろう」
心静かに落ち着かせ、宏次は気が滅入った表情を見せる。
「……ふむ、そして神器を受け継いだという事か」
「神器? この妖刀の事か?」
腰に下げた神戌を引き抜く。その鮮やかな紫紺の色と、血を吸い若さを奪う太刀は妖刀に見えなくも無い。
「なんじゃ、宏政から聞いておらんのか? ……そもそも神器を妖刀等と呼ぶとは罰当たりな」
呆れた物言いで宏次に接する。
「よいか? 我ら墓守の一族は、到底人の手には負えぬ八頭の龍に対抗するべくして神器を授かった。そして、神器はその墓守の血を引く者にしか扱えぬ」
雲州は仏像の右手に飾ってある刀を取り出す。鞘を抜けば白の刀身をした刃が見えた。
「……我ら墓守には、古くから伝承がある。『守人、八頭の大蛇 討ちし者達。大蛇の夢からおどろくは、今か常しえか』……つまり、再び龍の眠りが覚ますのは一年後か、五百年後か。それとも明日か……」
「目覚めない……ということもあるわけだな」
「伝承には続きがある。『八頭の大蛇 夢からおどろく時、神器をもちひて討つべし』……とな。我等、墓守が龍の目覚めと共に討ち倒さねばならん宿命――」
その時、外から竹と竹が重なる音が響く。
「むっ!」
雲州は話を止め、縁側へと飛び出した。墓川の兵も弓を構える。
雲州の跡に続き宏次も外へと飛び出す。日が落ちる夕暮れの空、外に出るや二人は刀を構える。目の前の林から一つの人影が映った。
「何者じゃ!」
張り上げた声に、応えるかのように雲州の刀は白く光りだす。やがて人影は群青色の装束に、二本の刀を持つ少女の姿を映しだした。
「……いきなりの訪問御免。空腹故、どうか食料を分けてはもらえませぬか?」
物凄いお腹の音が聞こえた。声の主は小夜であった。
◇◇
道場とは別の部屋か、畳の上で正座をして、漆塗りの台の上に用意された お椀の米にがっつく小夜の姿があった。余程お腹が空いていたのであろう、焼き魚と味噌汁をオカズに一人で既に三合の米をたいらげていた。
「お前、あれからずっと跡を着いてきてたのか?」
呆れた顔をした宏次が少女に問う。
「……何の事か知らんな。お前がたまたま私の行く先に居ただけだけの事であろう」
「いや、お前木の陰とか岩陰とかに居たろ?」
「知らんな。狐に化かされたのではないのか?」
「……それにしてもよく食うな。粥を食べなかったのか?」
「あの川辺にあった毒粥か? あれで何を獲ろうとしていたのだ? 雲州様の罠の方が大層立派な仕掛けだ」
「なんだと? 人の好意に対して……」
宏次の拳に力が入る。
「私には匂いで判った、ツンとした異臭。口に含めば刺激の強い辛味、相当の量の毒薬であることは間違いない」
「口に入れてるんじゃねぇか」
二人のやり取りを見て、雲州は小さな笑みを浮かべる。
「小夜と言ったか? 月が出ている夜には野犬が徘徊する。今夜は寺に泊まって行きなさい」
「雲州殿、かたじけない」
雲州に頭を下げる小夜。
「……時に二方に問いたい。墓川に墓林……偶然とはいえ、探している者と同じ姓を一字持っている。二方の知己に 墓谷 赤影という男を知っておられるか?」
頭を下げて隠している鋭い殺意の目を雲州は見逃さなかった。
「墓谷っていや、あの――」
語りかけた宏次の胸元に、雲州が さり気無く肘で小突いた。
「その男がどうかなされたか?」
「いや、私事ゆえ――」
「そのような男は存じませぬ。力及ばず申し訳ない」
「……そうか。いや、つまらぬ事を聞いた。忘れてくれ」
◇◇
墓川の兵達は食事を終え、明かりの無い道場は寝息を立てる音が聞こえる。
真夜中の縁側で雲州は腰を掛け星を見ていた。晴れた空は無数の星の煌きと、十三夜の大きな月が見える。
木の床を歩く音が聞こえる。雲州の隣に宏次が腰を下ろす。
「なあ、じじい。なんで黙ったんだ? 墓谷っていやぁ俺達、墓守の一人であろう?」
「お主は気付かなかったのか? あの娘の『墓谷』という言葉を放った時の殺気に……事情は知らぬが、あの娘は墓守が一人、墓谷家を狙っておる……我等墓守として同胞の血を途絶えさせるわけにはいかぬ。お主は民 全員とあの少女一人の思いを秤に掛けることができるか?」
「んなこと言われてもなぁ」
突拍子も無い言葉に宏次は言葉が無かった。小夜が本当に墓守が一人の命を狙っているなら、墓守の子孫として死守しなければならないであろう。そもそも八頭の龍とは何か? 本当に蘇るのか? 宏次は何も知らない。
「今夜はもう寝るが良い。明日も戦があるじゃろう。それに」
「それに?」
「お主もまた大事な墓守の末裔、墓川家の血を引く者。戦には勝つためには良く寝る事も大事じゃ」
言葉を残してその場を立ち、雲州は背中を見せ去っていく。
宏次は空を見上げる。月の灯りと満天の星の煌きに、こんな夜も良いなと縁側で仰向けになった。