十九話 不穏な兆
冬も終わりに近いが、まだ空気は冷たい如月の候
空を見上げれば、曇天とその垣間から満月の灯りが見える――亥の刻
虎白は縁側で山を見ていた。今は亡き故郷である長月の城は無い。
「……墓川 宏次」
怨敵の名を呟く声は、どこか寂し気に聞こえた。
「とらじろう様、お饅頭が出来ましたよ」
「頂こう」
虎白の横に、饅頭が乗せられた皿が置かれる。呪い人形ミコトも動き出して、饅頭にかぶりついた。
「ミコト。あまりがっつくでは無い」
「アァン! よいではないか、よいではないか!」
「何処で覚えて来たのだ、そんな言葉……ん?」
虎白の鼻に、ほのかな甘い香りが付いた。
「この匂い……何か懐かしい この匂いは……」
「これは、桜の香りですよ」
「桜? この時期にか?」
「去年の桜の花弁を集めて、お香にしたのです。兄が好きでして」
「桜か……しかし今年の冬は特に冷え込む。桜が咲くのも遅くなりそうだな」
「知っていますか? 冬が寒ければ寒いほど、その年の桜は寒さに負けじと 美しい花を咲かせるのですよ」
「それは初耳だな。今年の桜はさぞや美しいのであろうな」
「とらじろう様。春になれば花見にいきませんか?」
「そうだな、花見など何十年ぶりであろうか」
虎白は桜花の顔を覗き込む様に見つめる。
「桜花殿と見る桜。楽しみだな」
「約束ですよ。とらじろう様」
虎白は皿の饅頭を手に取り口に入れる。すると違和感を感じたか首を傾げた。
「桜花殿、大変言いにくいのだが……砂糖と塩を間違えておらぬか?」
そう言われて、桜花も饅頭に口をつけて食べて見る。
「これは……今、町で流行りの塩饅頭にございます」
それを聞いて、虎白は珍しく笑みを浮かべた。
「嘘を申せ」
桜花も笑う。そんな折、空から雪が降りて来た。
「また降ってきましたね」
桜花は、お皿を片づける様に拾い背を向けた。
「――?」
縁側の外に人の気配がした。虎白は気になって外を見渡す。すると人影が去っていくのが見えた。
「……あれは継魅!?」
気が付けば、虎白は人影を追いかけていた。
◇◇
虎白は継魅らしき影の跡を追いかける。辿り着いた場所は、大山喰いの谷だった。『龍の顎』と呼ばれる道をひたすらに歩く、『龍の寝床』まで辿り着くと、やがて人だかりが見える。
「虎白様! 生きておられたのですね!」
「やはり継魅。よくぞ生きていてくれた……残ったのはこれだけか?」
数にして三十足らず、落ち延びた長月の兵達だった。虎白の姿を見て兵は狂喜の声を挙げる。
「虎白様、墓川軍と戦いましょう! 私達は命を捨てる覚悟はできております」
「そうだ」
「墓川には刺し違えても一矢を報いるぞ」
「俺達に帰る場所はない」
無理だ。これだけの兵がいる事は有難い話であるが、墓川と戦には勝てない。そんな策も思いつかないと虎白は考えていた。
そんな折、継魅は一本の刀を虎白に渡す。
「この刀は」
「白狼様の狂月でございます。今は形見の品となってしまいましたが」
「そうか。父上は死んだか」
「ですが妹君、白姫様は生きておられます」
狂月を抜き、その黒い刀身を月に照らす。その時、妖刀が虎白の心を喰らったか、背中を押す様に策を思いついた。しかし、それは外道の策。
「……命を捨てる覚悟があるといったな?」
虎白は決心した。持っていた狂月で、一人の長月の兵を刺した。
「……虎白様?」
心臓を貫かれた兵は、力尽き前へと倒れる。長月の兵達は、何が起きているのか分からなかった。
「虎白様!? 何を!」
続いて虎白は、継魅の心臓を突き刺した。それを見た長月の兵は逃げ出す。しかし、虎白は逃がさなかった。次々と長月の兵を心臓を刺し抜いて殺した。
「案ずるな、お前達は傀儡となって、俺の駒となってもらう。犬死にはさせんぞ」
――気が付けば、辺りは長月の兵の死体が転がっていた。
「いるんだろう? 乙姫とやら」
「……太郎か?」
風が吹くと、乙姫が姿を現した。足元に継魅の死体が転がっているのを見ると首を傾げた。
「こ奴らは、そちの同胞ではなかったか?」
「お前の策に乗ってやる。俺に掛けた妖術をこいつらにかけろ。出来ないとは言わせんぞ?」
「……そち、気づいておったんかえ? まあいいじゃろう」
乙姫の身体から、小さな蛇の群れが這いずる。小さな蛇は、死骸の口から入り込み。やがて蠢き始める。
「……虎白様?」
目の前に転がっていた継魅の死骸が、目を覚まし起き上がる。
「継魅、準備をしろ。……戦だ」
◇◇
同刻、墓川城では、宏次が自分の部屋で、何やらぐるぐると部屋の周りを歩いている。
「どうした宏次。そわそわして」
畳を擦る音が気になり、襖を開けた小夜は顔を覗かせた。
「いや、なんか落ち着かなくてな」
「そうか。なあ宏次、少しいいか?」
「どうした?」
襖に入るなり、宏次の隣で膝を折り座る。宏次もまた、あぐらをかき小夜の背丈を合わせる。
「赤影を倒し、私のすべき事は終わった。そのだな……お前の……いや。宏次! 私はお前の女になっても良いと思っている」
顔を赤くして、小夜は言った。対して宏次は笑う。
「一体なんだそれは?」
「い……嫌か? 私みたいなガサツな女は」
返事の代わりに、宏次は小さな小夜の身体を抱きしめた。
「俺の母は、俺が生まれて直に長月の兵に殺されたそうだ」
小夜の心臓の音が聞こえた。とても息苦しそうだったが、宏次は構わず話を続ける。
「父上は今年で百三十になる。気丈に振舞っているが、時々見せる悲しそうな顔が目に焼ついて離れない。この神戌を持っていれば、父上が見せるあの顔の様に、俺もお前との別れが来た時を考えると……怖いのだ」
「安心しろ、私は弱くは無い。これからもお前を守り続ける」
「そうではない。白狼や赤影の戦いを見て分かった事がある。俺は弱い、いざという時、お前を守れるか……」
「私は、お前の用心棒だぞ」
「俺がお前を守れるぐらい強くなれば、その時は俺の女になってくれるか?」
小夜は宏次の目を見て、返事の代わりに唇を重ねた。
◇◇
「とらじろう様。まだ起きていらっしゃったのですか?」
満月の灯りが桜花を照らす。縁側には虎白が腰を下ろしており、その隣に桜花は座る。
「桜花か? 丁度良かった。大事な話がある、聞いてくれるか?」
「話?」
首を傾げる桜花に、虎白は決意を込めて言う。
「……ここを去れ桜花。俺はまだ長月の誇りを捨ててはいない。長月の虎白は、最後まで墓川と戦うと決めた」
「そんな……嫌です。誇り等、何の意味がございますでしょうか?」
桜花は虎白の言葉に、反抗するか激情を見せる。
「言うな。桜花これを託す」
虎白は、黒い刀を桜花に渡す。
「これは?」
「長月家の宝刀にして妖刀 狂月。抜けば力を宿すが心を喰らう。良いか桜花。もし、お前に危険が及んだ時にだけ、この刀を抜け。それまでは絶対に抜くな、良いな?」
縁側に置いてある細見の刀を持ち、虎白は立ち上がって桜花に背を向けた。桜花も立ち上がり、虎白の腕を掴む。
「とらじろう様! 私も戦へ行かせて下さい! とらじろう様の側に居させて下さい! 私、とらじろう様が居ないと不安で……」
「案ずるな。死に戦にはならん。勝算はある。だから――」
振り返ると桜花の泣き顔を見てしまう。瞳から涙が流れるのを指で拭った。
「その様な顔をせずとも良い。其方は笑った顔が一番だ」
桜花は離れたく無い想いを伝えるかの様に、虎白を強引に抱きしめる。
虎白には桜花の心臓の音が大きくなっているのが分かった。
「お慕いしております とらじろう様」
「俺もだ桜花。必ず墓川に勝利し其方を迎えに行く」
「はい。お待ちしております。いつまでもいつまでも」
虎白は桜花から身体を離し、再び背を向け縁側を出る。
「行ってくる」
「……いってらっしゃいませ。ご武運を」
桜花は声を震わせて、静かに虎白の背中を見送った。
◇◇
桜花は荷物をまとめ、ミコトを肩に小屋を出ようとする。
「桜花。お主これで良いのか?」
人形ミコトは語る。
「どういう事ですか?」
「虎白はのう。お主を巻き込まぬ様に去っていったのだ。考えてみろ? 長月の兵は先の戦で全滅、虎白一人で墓川軍を相手に等できるものか」
「え?」
「桜花。追わねば虎白には二度と会えぬぞ」
ミコトの言葉に、居ても居られない思いになり、桜花は決心した。
虎白から預かった刀と、花見家の紋の入った二本の刀を持ち、まとめた荷物を放って、小屋を出る。虎白の後を追いかけて走る。
満月の灯りが森の中を仄かに照らし、桜花は木々を抜けて走る。一刻も早く虎白の顔が見たい。きっと虎白の顔を見れば、この不安を拭える。そう思っていた。
「どこへ行くのかえ?」
桜花の行く手を阻む者がいた。見慣れぬ浅葱色の着物を着た、白の肌を持つ、人の様で為らざる者、乙姫。
「貴方は?」
「そうじゃのう。墓川の者といえば、我が何者か分かるかの?」
乙姫はわざと挑発する様に、桜花に言葉を投げた。それに応えるか桜花は刀を抜く。その刀はまるで血で出来ているかのような赤の刀身を帯びていた。
「とらじろう様の邪魔をするのであれば、容赦は致しません。そこをどきなさい」
桜花は紅い刀身を右手に構える。乙姫が手を広げると、袖から蛇が飛び掛かり、桜花を襲う。迫りくる蛇を躊躇いなく切り捨てる。
「なるほどのう、荒蛇器の言った通りだな。これは上物」
乙姫の着物の至る所から蛇が無数に現れる。抵抗する様に斬り捨てて行くが、やがて桜花の刀に巻き付く。体中に纏わりつく蛇に締め付けられた桜花は身動きが取れなくなった。
「そちも、生ける屍にしてくれようぞ。太郎の戦力として生きながらえよ」
桜花に巻き付く蛇は、首を締め付ける。苦しそうな吐息が洩れる。
「……く……とらじろ……様」
桜花は、締め付けられる痛みに耐えながら、左手で長月の妖刀 狂月を、静かに抜いた。




