十八話 蒼鬼と紅鬼
乾燥した空気に肌がヒシヒシと手も悴む。空を見上げれば、闇の中に三日月が浮かんで見える――子の刻
高い木々が聳える森の中を、小夜は一人歩く。町の情報を頼りに、赤影が寝床にしていると言う小屋に辿り着いた。
「赤影!」
小屋の入口らしき前で、その小屋の主の名を叫ぶ。その声に気付いてか、気だるげに赤影が姿を現した。
「……お前は先刻の娘か? まだ何か用なのか?」
「やはり、お前だけは許すことはできない」
「とりあえず、中で話を聞こうではないか」
小夜を小屋に招く。家の中は、木の壁だけの殺風景で何も無かった。寝るだけの場所としかしていないみたいであった。中に入るなり、小夜は木の床に正座をする。対する赤影はあぐらをかいて向かい合う。
「要件は一つ。斬り合いを受けて頂きたい」
「やはりそうか。そりゃそうだな、お前は風間 舟元の仇討ちをしたいのだろう? わかるぞ」
小夜は立ち上がる。すると、羽織と群青色の装束を脱ぎ始めた。白い肌が晒され、サラシに巻かれた小さな胸を右腕で隠す。腕や肩には幼い身体に似合わない、切り傷の跡が見える。それは目の前の仇の為に付いた、戦で重ねてきただろう修練の跡だ。
「何のつもりだ? まさかそんな身体で惑わそうという魂胆ではあるまいな?」
小夜の顔は、羞恥を殺すかの様に赤影を睨みつける。
「貴様との子を宿せば、墓谷の血筋は守られるのであろう? 私が勝てば、私と貴様の子が墓谷の血を受け継ぐ。私が負ければ今まで通り、貴様が墓谷の血を守ればよかろう。……本当は、貴様に触れられるだけでも我慢ならんがな」
「なんだそういう事か。据え膳、食わねば男の恥とは言うが、隣の家の女房と寝る趣味は無い。安心しろ、俺は双子でな? しかも俺より優秀な兄がいる。お前が俺を殺したとて、血は絶えぬ」
「そうか。なら安心した」
小夜は一息を吐いて装束を着直す。
「だが斬り合いになる以上、命までは面倒みきれぬぞ? 墓川に別れは済ませたのか?」
「その様なもの不要だ。私がお前を斬る」
「大した度胸だ」
小夜は白い帯を締めて、静かに村雨の柄を握り締める——抜刀術。
「こいつは……なるほど居合いか。小夜と言ったか? いいぞ、お前が望むなら戦ってやる。俺もお前と戦って――」
赤影は二丁の斧を構える。
「奮えが止まらんでな?」
◇◇
暗い森の中を宏次は走っていた。先刻、赤影と出会った場所に。
「小夜、無事で居てくれ!」
心の声を抑えきれず、口に出していた。……聞こえてくる、刀が重なる剣戟の音。宏次は音がする方へ進路を変えて走り出した。
森を抜けると、その一画は大木の姿が無く、土と雑草でできた広場だった。二つの斧を構える赤影と、地に膝を着いて鞘で身体を支えている小夜の姿があった。乱れた呼吸を吐き、戦況は芳しくない様子が伺える。
「どうした? 先刻とは全然動きが違うじゃないか? 俺を舐めているのか?」
小夜は漏れる荒い呼吸を誤魔化す様に、大きく息を吸い込む。気丈に立ち上がり、村雨を構えて赤影に仕掛ける。だが、いつもと動きが違うのが瞭然であった。
「小夜。迷っているのだな?」
小夜の一閃に対し、赤影は容易く弾き間合いを作る。最中、聞こえてくる第三者の吐息がする方へ視線が移される。赤影が宏次に気付いた。
「すまぬな、墓川の末裔よ。どうしてもと言うのでな、斬り合いを承諾した」
赤影の斧が小夜の首元で光る。
「主の女に対する甘さが原因だ。恨むなよ?」
「小夜!」
宏次は、息が切れそうな声で叫ぶ。
「例え龍が蘇ったとして、俺が必ず倒してやる。だから……思いっきりやれ! よもや手出しもせん! 負ける事は許さぬ、必ず勝利して見せよ!」
その言葉に、小夜と赤影は驚きを隠せなかった。
「これは意外だな……いい男を持ったな?」
「ああ、自慢の主君だ」
小夜は笑った。
互いに一歩後退し、それぞれ仕切り直す様に構え直した。
不安や仇討ち、恨みと言った思念を捨てて、ただ研ぎ澄まし集中する。
「これで、わかだまりは無くなったか?」
「ああ、もう遠慮はせん。存分に参るぞ」
静かな間。宏次は二人を見据える。この戦いの行く末を見届けると決めた。
先に沈黙を破ったのは赤影だった。一丁の斧を回転を付けて投げ飛ばしてくる。どんなものでも裂く斧は、縦回転を繰り返し、風を切りながら小夜の所へと向かう。
投げ斧を避けると同時に、柄頭で斧を真横から打ち付けて軌道をずらす。投げ斧は林の中へ木を切断しながら、何処かへ飛んで行ってしまった。
赤影は、既に間合いを詰めていた。もう一丁の斧で小夜目掛けて振り下ろされる。
「氷雨返し」
その振り下ろしを避けて赤影の背中を捉える。振り返る必要は無く、腕の振りだけで切り裂く……しかし
「天邪鬼」
小夜の一閃を避けて、同じ様に小夜の背中が捉えられていた。そして腕の振りだけで一閃を走らせた。
「瞬時に見切り、相手の技を会得する『天邪鬼』。主に破れるかな?」
小夜は傷を受けつつも怯まず、臆さずに構える。
斧を持つ手に鞘を打ち付けて動きを封じる。そして、大きく身体を回転させて大振りの一文字一閃を放つ。
「甘い」
――風を切る音が近づいてくる。瞬時に間合いを取り赤影から離れる。斧が物凄い縦回転をして赤影の前方を斬り裂く。先程投げた斧が赤影の手元に戻ってきたのだ。回転した斧の柄を掴み、赤影はまた二丁の斧を構える。
小夜は思わず息を呑んだ。少しでも遅れていれば、身体は真っ二つだった。
「鎌鼬」
空いた間合いの中、大きく空を切るように斧を振るう。空を切った所から風が駆け、小夜の腕にいつの間にか切り傷が走った。その技は小夜を驚かせた。
「その技は、爺ちゃんの!?」
「いかにも、風間流剣術より旋風を天邪鬼にて会得した技だ。そして!」
近づく二丁の斧が、小夜を目掛けて交差する様に同時に振るう。
「風間流剣術、風車改め――朧車!」
本来、風車は一振りで二撃打ち込み、瞬時で二振りの計四連斬りを打ち込むという技だ。だが、赤影にはその技術は無かった。足りない部分を両手を使うことにより一瞬で四連斬りを成すことができた。加えて何でも切断する斧。小夜はその攻撃を受ける事はできず、後ろに下がって避ける。
二人の間に大きな間合いが空く。
「鎌鼬!」
離れた間合いから切り裂く風を飛ばす。風の一閃に対し、小夜もまた一閃で相殺する。
離れても駄目、近づけば何でも切れる斧が振るわれる。思考が巡らせるが、これといった解決策は思いつく事は叶わない。そして赤影の手は緩む事はない。交互に力任せに振るう中、二つの斧が互いに赤影の隙を埋めている。
時が経てば経つほど、赤影の動きが上達していく様に変わる。それは小夜の動きが見切られてきた証だった。
小夜は風間 舟元の言葉を思い出す。『居合い』は吹き抜ける風だと。腰を更に低く落とし、いつでも間合いに踏み込む事ができる攻め構え。
赤影はその構えに見覚えがあった。
「……追い風の構えか?」
「推して参るぞ赤影!」
「いいぞ! 来い!」
赤影は笑った。小夜は一瞬にして間合いを詰めた。赤影は振り払うかの様に真横に斧を振るう。避ける様に、足を振るわれた赤影の斧目掛けて踏みしめる。宙を舞う小夜の身体は赤影の頭上を駆ける。そして抜刀。身体を回転させて、全体重を乗せた袈裟斬り一閃が赤影に振り落とされた。
「――雷雨」
雷の如き一閃は赤影を切り裂く。確かな手応えを感じた。
「……ぬぅ、やるな! 流石は風間の娘だ」
赤影の片膝が地に着き、斬られた胸元を抑える。それを見た おにぎりが心配そうに赤影に近づいた。
「こうなっては出し惜しみは無しだ」
おにぎりの首に下がった瓢箪を掴み、その中身に口に付ける。赤影の顔が赤くなっていく。そして、中身を飲み干すと大きく息を吐いた。
「待たせたな! それじゃあ俺も推して参るぞ! 覚悟はいいな?」
赤影の身体に変化が始まった。まず額には短い角が二つ生え、身体は真っ赤に変色。そして大きな犬歯をむき出しにして、右腕がもう一つ右肩から生えてくる。その姿は人では無く――赤い鬼。
おにぎりが背負う大きな太刀を掴む。二つの右腕に二つの斧。そして、左腕で太刀を構える。
「修羅道三刀――阿修羅」
その姿を見た小夜は、驚愕の顔を隠せなかった。
「代々、墓谷家は鬼の血を引いている。この姿になるのは三度目だ。一度目は俺に黒星を付けた戦鬼姫。二度目は、風間 舟元。そして時折 小夜! お前で三度目だ!」
「人……ではなかったのか?」
「このような姿では到底人とは呼べぬな。貴様なんぞにわかるまい。俺は常に命を掛けて猛者と戦い勝利を勝ち取って来たのだ。それが、人で在らずの技であろうともな」
宏次も、赤影の姿を見て驚いていた。
「一体あれはなんだ?」
「……あれは、鬼でおますな」
宏次の独り言に応える声が聞こえる。雅がいつの間にか宏次の隣にいた。
「知っているのか、雅?」
「墓守の中には、姿を変えて戦う者も居ると聞いております。けど、あの様な姿とは……。小夜はん止めなくてもええんですか?」
「小夜は赤影と戦う為に、これまで生きてきたのだ。それを止める権利は、俺には無い」
「けど小夜はん。あれでは死にますぇ?」
「分かっている。だがこの一戦、何があっても見届けると決めた」
宏次は小夜を見据える。その目に映る小夜は、身体は震えてはいるが、目は怯えては居なかった。
「さあ! しゃんしゃんと行くけぇ!」
高ぶった声と共に、二本の右腕から二丁の斧が縦と横 同時に振られる。一歩下がり、紙一重でそれを避ける。反撃に村雨を抜くが、左腕の太刀がそれを受ける。
鍔迫り合いになるも、今度は二つの右腕が振り下ろされる。それを避ける為、再び間合いを空けてしまう。
これまで小夜は人と戦ってきた。だが、目の前の赤影は人外。それも鬼との戦い方等知る由も無い。
「爺ちゃんは、この姿にやられたのか?」
赤影の強みは文字通り手数の多さだった。二刀流の斧が攻撃している時は、左手の太刀は防御に徹している。腕の連携が見事なまでに整っていた。
小夜は再び間合いを詰める。鞘の先端を地に叩きつけて、天に足を向けて赤影の頭上を飛び越える。——抜刀。赤影の背中に一閃が狙う。
「――そこだ」
赤影は振り向き、左腕の太刀を振るう。当たったのは村雨の鞘。鞘が真っ二つに斬られてしまうが、すでに抜刀を終えた村雨は赤影の右肩を斬りつけていた。――だが浅い。刀身を赤影に向けて仕切り直す。
「なんだその刀は?」
赤影は村雨を見て目を疑った。村雨の刀身はまるで水晶の如く、そして三日月の光に照らされ、仄かに虹色の輝きを放っていた。
「この時期、村雨の水は冷たい風によって、凍てつく刃と化す。そして――」
両手で村雨を強く握り締める。
「凍りついた村雨に不運は起こらぬ。つまり納刀しなくても良いという事だ」
赤影の懐に入り込み、物凄い速さで二回切り付ける――風車。
「一振り見えなかった……だと?」
赤影の目には、小夜の二振り目が見えていなかった。村雨の一番の武器はその軽さ。そして軽さに負けぬ鋭い切れ味にあった。氷を纏う村雨は、名刀の中の名刀に値し、なにより美しい刀であった。
「くはは、やるではないか! ならば見せてやろう。戦鬼姫から、天邪鬼にて会得した剣閃の地獄をな!」
三つの腕が攻めの体勢を取り、そして小夜目掛けて飛び込んでくる。
「――百鬼夜行」
二つの右手と太刀を握る左手が無数の剣閃を描き小夜に襲いかかる。だが、小夜は既に、赤影の背中を背中合わせで立っていた。
「――!? いつの間に?」
「赤影……貴様の技は中途半端だな」
「中途半端だと!? どういう事だ?」
赤影の怒号が響き渡る。だが、冷淡と小夜は振り返る。
「その技を使うには、達人程の腕が無いと無理だ。貴様にはそれがない。腕三本で速さを補っている様だが、一振り、一振りが荒過ぎて狙いが定まってない。見様見真似では体得できない技だという事だ。所詮は斧使いの貴様には刀の本質が解らぬであろうな」
刀身を赤影に向ける。
「刀の本質だと?」
「解らぬか? 斧は押し叩きつけるものだが、刀は押しては引き切るものだ。その何でも切れてしまう斧であるが故、貴様は刀の本質を知る機会がなかったのであろう。貴様にその技は使えん」
「出鱈目をぬかすな!」
「ならば試して見るか?」
小夜は腰を落とし、鞘は無いが、鞘に収まる様に村雨を腰の位置に戻す。
「時折流――夕立」
間合いを詰め、村雨は振るう音と同時に無数の剣閃が縦横無尽に覆い尽くした。
「この技は、この技は!!」
赤影はただ受け続けるしかなかった。一撃でも受け損ねれば死。赤影の脳裏にかつて戦った戦鬼姫との記憶が蘇る。
赤影の疲労の息が漏れる。気を抜いてしまったか、右肩、腰、頬と一瞬で斬られていた。三つの腕をもってしても、その夕立の如き雨を凌ぐ事は叶わなかった。
「おのれ! ならば、その刀ごと叩きおってやるわ!」
傷を受けながらも赤影は、小夜目掛けて太刀を振り下ろす。
小夜に取ってそれは大きな好機であった。振り落としという大きすぎる動きに対して、避けると同時に赤影の振り下ろした左腕の真横を過ぎる。そして振り返ると同時に、袈裟斬りが赤影の背中を捉えた。
「だから言ってるだろう! 爪が甘いとッ!!!」
太刀を振り下ろすと同時に、勢い余って身体を捻らせる。二つの右腕の斧が小夜に向かう。そして村雨の刃と羅刹の刃が重なる。
――砕けたのは氷。村雨を覆った氷だけが、綺麗な破片となって宙に浮く。赤影の瞳には、水にも氷にも纏われていない、村雨という真実の刀を見ることができた。鏡面と宙を踊る氷の欠片と、三日月の灯りが奏でる美しさに、目を奪われば最後。その刀身に赤影は自分の姿を垣間見た。
「――氷雨返し」
赤影の肩から袈裟斬り一閃が走る。二つの右腕に持っていた斧、左手に持っていた太刀は力無くして地に落ちた。
「……ああ、悔しいな……負けるのは――」
その言葉を最後に、赤影は大の字で倒れた。
小夜もまた片膝を地に着き、村雨を地に突きたて荒い息を吐きながら辛うじて支える。
「小夜」
戦いは終わったのを見て、宏次は小夜に近付く。
「宏次、すまない。私は我儘な女だ。私は――」
小夜の言葉を遮る様に宏次は、小さな小夜の身体を抱きしめた。
「もう何も言うな」
◇◇
宏次と小夜は墓川の城へ帰る為、森を横目に道を歩く。
「そういや、村雨の鞘が切られちまったが……」
ふと小夜の腰をみると、一本しかない村雨は鞘に収まっていた。
「爺ちゃんの刀が入っていた鞘に入れた」
「――大丈夫なのか?」
「問題なかろう」
「何故そう言い切れる?」
「爺ちゃんなら守ってくれる。そう思っただけだ」
舟元の鞘に収まった村雨を見つめる小夜は、ほんの少し笑っていた。
「なら最初から爺ちゃんの鞘に入れて、村雨の鞘を探せば良かったな」
「それを言うな」
苦笑を浮かべる小夜の顔。それを見て宏次は笑っていた。
◇◇
一方。
赤影が目が覚めた場所は、暗い森の中であった。
「……ここは何処だ?」
「ようやく気が付かはりましたか?」
赤影は声の主を探す。すると、木にもたれた雅の姿が見えた。
「……墓沼の娘よ、何故俺を助けた?」
「うちら墓守家の一族には、戒めがあります。一つ、他の墓守の一族を必ず助けよ……と」
「どうせ。俺が死んでも兄者が居る。俺が死んでも誰も悲しまぬ。戒めなんぞ俺には」
「あんさんも、辛い思いをしてきたんどすな。けども、もうあの二人には近づかんでおくれやす」
「女に二度も負けたのだ。やはり俺は兄者と違って才能なんぞ無かったのだ」
赤影の言葉は、何処か安堵を浮かべていた。
「所で墓沼の娘。なんで、墓谷家は代々双子が生まれるのであろうな。優秀な方が神器を受け継ぐという、こんな継承争いをしなくてはならぬのか」
「さあ……恐らく、どちらも必要なことなのかもしれまへんなぁ」
「必要……か。そういうものか?」
「所で、『羅刹』はどうなさるおつもりですか?」
「兄者に返す。今回の件で俺は諦めたよ。……そうだな、何処か遠い所でゆっくり暮らすとしようか」




