十七話 鞘の行方
凍てついた風が身を震え立たせる季節――師走の候
日は昇り辺りは明るくなるも気温は冷たい昼前――巳の刻
「大変だ! 宏次!!」
少女の慌てた大声は墓川城の中を響かせた。部屋で一人寝ていた宏次が布団から飛び上がる。
「小夜? どうした!? 敵襲か!?」
豪快に襖が開けられる。開けられた襖から、凍てついた風が部屋の温度を一気に下げ身体を震わせる。目の前には、小夜が血相を変え、荒い息を吐いて立っていた。
季節は冬となり、いつもの軽装な装束の上から手首まで伸びた袖のある羽織を着ている。少女の手には鞘から抜かれた刀身が、ただ事では無い事を物語っていた。
「そうではない! 鞘が……鞘が無い!」
「は!?」
宏次は、少女の刀をもう一度目を凝らして見る。嫌な予感は的中し、紛こう事無き刀身は露を帯びていた。
「……村雨なんだな?」
「村雨にございます」
事の重大さに気付き、宏次は血相を変えた。
「城の者を叩き起こせ! 今すぐにだ!」
涙目の小夜は、こくこくと頷き、二人は部屋を後にする。
半刻も経たぬうちに宏次達は、城の廻りを探し出していた。
村雨の不運が招いたか、何かが落ちて来る音が聞こえて来る。見上げれば小夜の頭上に岩石が迫って来ていた。
「あぶねぇぇ!!」
宏次は、小夜の手を強引に引く。同時に衝撃音が響き、落ちて来た岩石と僅かな距離で避けた。
「これは! ……早く鞘を探し出さないと」
宏次に抱き着く形となり、小夜は思わず顔を赤くする。
「ああ……そうだな」
「……小夜、顔が赤いが大丈夫か?」
「だ、だだ大丈夫だ! 早く鞘を!」
その時、宏次と小夜の目の前に、刀の鞘を咥えた大きな犬が通りかかった。その犬は、首に小さな瓢箪を下げており、背中に太刀を背負っている。
二人の視線に気付いたか、首を振って鞘を咥えた顔と円らな瞳でこちらを見た。
犬が咥えている、その鞘は間違いなく村雨の鞘だった。
「あったぞ! 追え! 追えー!!」
宏次の大きな声に驚き、犬は早々に逃げて行く。その後を追う宏次と我先にと小夜は素早い足で犬を追いかけていく。あっという間に小夜の姿は見えなくなった。
「……早いな」
宏次は息を上げて、立ち止まる。
「若」
雪定が宏次の馬を連れて、後を追いかけて来た。
「馬をお持ちしました」
「はぁはぁ……雪定でかした」
馬に跨る宏次は、小夜の後を追いかけた。
◇◇
小夜は犬の後を追う。左右には木々が生い茂る一本道を足早に走っていく。道中で蜂が襲い掛かったり、誰が掘ったかわからない落とし穴に落ちたりと散々だった。それでも犬の後を追いかけた。
そこで小夜が目にしたのは、鞘を咥えた犬の頭を撫でる男の姿をだった。
「おお、おにぎり。どこにいっておったのだ? また変なものを咥えておるな?」
おにぎりと呼ばれた犬が、咥えていた鞘を男は手にして首を傾げる。
「……すまない。その鞘を返しては頂けぬか?」
「これは主のか? すまぬな、俺の犬がまた悪さをしたみたいだな」
男の顔を見るなり、小夜は顔色を変えた。
長い赤の髪。そして高い背丈に垂れた瞳。その男は――
「墓谷……赤影!」
「ん? 俺とどこかで会ったか?」
ぶっきらぼうに、赤影から鞘を取り村雨を納刀をする。
「ようやく見つけたぞ、墓谷 赤影!」
小夜が村雨ではない刀を抜き、刀身を赤影に向ける。
「……主の その刀……見覚えがあるぞ」
まじまじと刀を見据え、男に一つの記憶がよみがえる。
「風間の娘か! 大きくなったものだ」
「戯言はいい。お前は殺す」
小夜の表情からは、これまでにない殺意と憎しみに満ち、鋭い眼光が赤影の姿を捉える。
「よかろう、風間の娘! 俺を楽しませろ!」
男が腰から取り出したのは斧。それも二丁、二刀流の斧で大きく構える。
怨嗟が混じった声を張り上げ、小夜の刀は振り落とされる。それを容易く斧で受け止める。
「いいねぇ! 太刀筋、速さ どれも一級品だ。これは久しぶりに楽しめそうだ」
受け止めた刀を強引に押し退け、斧の柄で小夜の腹目掛けて打ち込む。
小夜と赤影では、まず腕力が違った。そして体格も。続けて、斧を持った拳で小夜の頬に一撃を浴びせる。怯む事無く、両手で強く握り締めて刀を構える。
「豪雨」
突き。瞬足の突きが赤影の額を狙う。
「本当にいい太刀筋だ。だが――」
突きを避ける様に、身体を柔軟にうねらせて回し蹴り。赤影の足は小夜の刀を握った手の甲に打ち込まれる。
そして同時に振られた斧が、刀の刀身と重なる——刀は鋭利に折れてしまった。
「爪が甘い」
「――爺ちゃんの刀が!」
折れた刀の先端が地に突き刺さる。
「俺の斧は強靭な龍の鱗を断つ為に作られた、破双斧『羅刹』この斧の前に断てぬものはないぞ」
小夜は村雨を抜こうとする。――その時、胸元の羽織りと装束、サラシが、はらりと切れて、小さな胸が露になり、慌てて胸元を隠した。
「おっと、すまんな。手元が狂っちまった」
「く……卑怯者め」
「にしても、魅力の無い童子の身体だな。いい女まで、あと五年は必要か?」
小夜の身体を見て、赤影は嘲笑った。
「――殺す」
殺意の視線を赤影に向けて、胸元を腕で抑えながら右手で柄を握り腰を落とす。その時、地を駆ける蹄の音が聞こえてきた。
「双方、刀を収めよ」
赤影と小夜の間に馬が割り込んだ。手綱を引き馬を静止させる。――村雨に手にかける小夜を見て宏次は言葉を続ける。
「小夜」
真剣な眼差しを小夜に向けた。解っているな? と言葉が続きそうな目に、思わず握りしめた柄から手を離す。それを見て今度は赤影に顔を向けた。
「その二つの斧。墓谷の末裔とお見受けする」
「主、墓川の者か?」
「同じ墓守の末裔として、どうか鞘を収めて頂きたい」
「その娘は、主の女か? それはすまんことをしたな。いいだろう」
斧に鞘は無いが、戦意喪失の証として赤影は斧を二丁、地に突き立てた。
「ところで墓川よ? 長月との戦に勝利を収めたそうだな。噂は聞いているぞ」
「俺だけの力じゃねぇさ、小夜が居ての勝ち戦だ」
「随分とその女を買っているのだな?」
「戦鬼姫と呼ばれる程の腕だ。用心棒としては申し分ない」
それを聞いて赤影は笑い出す。
「戦鬼姫だと? くはは、笑わせるな」
「……どういう事だ?」
「その娘が戦鬼姫なわけがなかろう? 戦の鬼姫には遠く及ばん。奴は化物ぞ」
「小夜? お前の他にも戦鬼姫はいるのか?」
「知らん。戦を渡り歩いていたらいつの間にかそう呼ばれておったのだ。私が名乗ったわけではない」
「話し込んでいる所悪いが、俺は帰らせてもらうぞ。もう用はなかろう?」
赤影は二つの斧を肩に担いで、背を向け歩き出した。おにぎりと呼ばれていた犬も赤影に付いていく。
◇◇
水も凍てつく風が吹き、空気が乾燥する深夜前――戌の刻
小夜は自分の部屋で一人、正座をしていた。折れた刀を見つめては、力が及ばなかった自分の弱さを思い出し、歯を噛みしめていた。
「小夜? 入るぞ」
襖の外から宏次の声が聞こえた。慌てて怒りを抑え、刀身に映る自分の顔を確認してから、襖を開けて宏次を部屋に招いた。
「どうした?」
「いや、話しておこうと思ってな」
宏次は小夜と対面に座るなり、額を畳に押し付ける。
「すまなかった」
土下座をして謝罪を述べる。その意味を小夜は知っていた。
「宏次。私に頭を下げるな……赤影を知っておったのだな?」
「お前がどんな気持ちで刀を振るって生きてきたかは、お前の強さで分かる」
頭を上げて、小夜の目をまっすぐに見つめる宏次。
「我ら墓守の一族は、戒めがある。末裔を絶えさせてはいかぬ。あの赤影もそうだ。末裔が滅べば、八頭の龍が蘇った時、唯一対抗できる神器を使うことができず。この国は滅んでしまう……どうか、水に流してほしい」
宏次の視線に、小夜は苦しくも視線を逸らした。
「それは無理だ。赤影を討つことは、私の全てだ。例え宏次、お前の頼みであってもだ」
「どうしてもか?」
「まかり通らないならば、私を殺せばいい。……主君であるお主になら、殺されても良い」
小夜は立ち上がり、そして襖へ向かう。
「……赤影を討ちに行く。止めるなら今だぞ」
それだけを言って小夜は部屋を出る。
宏次は迷う。『民と少女の思いを秤にかける事ができるのか?』墓林 雲州が言っていた言葉を思い出していた。
「……選べるわけがない」
できるならば、小夜の思いに応えてやりたい。だが、相手は墓守の一族。八頭の龍が目覚めた時に共に戦わねばならない仲間だ。墓谷の末裔が滅べば、墓谷の血筋にしか扱えぬ神器を使う事ができなくなり、竜を倒す術が無くなる。
墓守の戒めが、宏次の心を締め付けて悩ませていた。




