十六話 追憶の夢
――十年前 水無月の候
町を歩く人影があった。その者の髪は白く、灰色の袴に群青色の羽織。老人ながら、威厳のある顔に白く染まった髭を生やしている。腰には長物の刀を一本差していている。
騒がしい程に人が集まっている中、少女の泣き声が老人の耳に入った。
「どうか、なされたか?」
老人は人だかりに声を投げ掛けると、布を巻いた女が老人の袖を掴む。
「舟元さん、お願いだよ! あの子を助けてやっておくれ!」
人だかりの先には、夫婦が倒れていた。そこに年五つぐらいの白い小袖姿に紺色の髪を持つ少女が、倒れた夫婦に縋り咽び泣いている。……そして、夫婦を斬ったと見られる体格の良い男二人。……見た所、山賊に襲われたか。
「お前も、おとうとおかぁの所がええかい?」
「ああ、その方が良か。楽にしてやる方がええ」
山賊が持つ太刀が、涙を零す少女の頭上に置かれる。
「……待たれよ」
それを見兼ねた老人が、二人の山賊の前に立つ。
「なんだぁ? よそもんは引っ込んでもらおうか!」
少女に向けられていた刀身が、標的を変えて老人に向けられた。
舟元は構える。そして鯉口を斬ると一閃。太刀を持った山賊の一人が倒れた。辺りにいた者は、その老人の抜刀する瞬間を見る事ができず、既に納刀を終えていた。
「いつ斬りやがった!? 見えない抜刀……まさか、あんた四流派の居合いの風間か?」
「分かったのなら早々に立ちされい」
「ああそうだな。あんたにゃ敵わなねぇ——だが、これだけはもらっていく」
斬られた者の腰の刀を取ろうとする。だが、少女がそれを離すまいと掴みにかかった。
「これは、おとうちゃんのや! とっちゃだめ!」
「うるせぇ! 妖刀 村雨、これがあれば戦でも先陣をきれるぞ! 大名にもなれる!」
少女から強引に奪う山賊。そして村雨を引き抜いた。現れるのは、露を纏う美しい刀身、それを舟元に向ける。
「ジジイ、まずはてめぇから試し切りだ!」
突如、雲行きが悪くなった。雲が唸り、天から大粒の雫が落ちて来る。
「――むぅ!」
「死ねぇ!」
山賊が大きく妖刀を頭上に振り上げる。――その時、眩い閃光と轟く音に思わず目を閉じる。……人の焼けた異臭が鼻に付き、再び目を開ければ、黒焦げになった人であった者。
――村雨の切っ先に雷が落ちたのだ。
「娘、ケガは無いか?」
老人の言葉に、少女は涙を浮かべながら頷いた。
「しかし、運の悪い奴」
山賊の持っていた村雨を拾って鞘に収め少女に渡す。次に老人は、斬られた夫婦を見る。——残念な事に、夫婦は既に息絶えていた。
「娘、名を何という?」
「……さよ、ときおり さよ」
「ふむ、それでは小夜。儂に着いて来なさい」
舟元と村人達は、死骸を近くの山へと運んだ。死体を埋める為に、作られた大きな穴へと、夫婦の遺体を入れ、土を被せて行く。父と母であった者に、土が被る光景を、小夜は眺める。瞳に涙を浮かべては、老人の袴を強く握りしめた。
舟元は小夜の頭を優しく撫でる。
「小夜。お主に身寄りはおらぬか?」
「みより?」
「父と母以外に、暮らしていた者はおらぬか?」
小夜は首を横に振った。
「……ふむ、仕方あるまい。儂が引き取るとしよう」
――それから五年後 弥生の候 風間 舟元の家
一面木板で出来た小さな小屋にて、舟元と小夜は暮らしていた。囲炉裏を前に、舟元は座って刀の手入れをしていると、バタバタと木の床から足音が聞こえる。群青色の装束を着た少女は、五年経って少し背が伸びていた。舟元に近付くなり髭を引っ張る。
「じいちゃん! じいちゃん!」
「これ小夜。髭を引っ張るでない。さあ、稽古するぞ」
老人は立ち上がり、小夜の身の丈に合わせた一尺程の小さな短刀を渡す。
小夜は不慣れながらも短刀を抜き、切っ先を向けて構える。すると舟元は、鞘で軽く小夜の頭を叩く。
「これ! 何度も言っておろう 最初から鞘を抜くでない」
「なんでぬいちゃだめなの?」
「儂が教えられるのは抜刀術じゃからの」
「ばっとうじゅつ?」
「左様。風間の剣術は吹き抜ける様を現す風の如き居合。まずは鞘に収めたまま、儂の手に打ってみなさい」
「えい!」
先端を天に向けた短刀を、振り下ろす様に舟元の手の甲に打ち込む。すると、舟元は またもや鞘に収めた刀で、小夜の頭を軽く叩いた。
「違う、小夜。こう構えなさい」
一度納刀した刀を腰に差すように、右手に柄、左手で鞘を持たせる。
「そこから刀を抜いてみなさい」
舟元の言うとおり刀を抜こうとする。すると、舟元は左足を前に出し、腰で鞘を振り、小夜の右手の甲に叩きこんだ。
「いたい!」
少女は痛みで短刀を落とし、手の甲を抑えながら座り込んでしまう。
「身を持って身を知る。これぞ剣の極意。さあ、立て小夜。儂と同じ事をしてみなさい」
「じいちゃんのアホ」
「アホとはなんじゃ! 儂がいなくなったら、お主は一人で生きて行かねばならんのじゃぞ」
「じいちゃんしぬのか?」
「いや、すぐには死なんがな……この乱世、何が起きるかわからん」
「じいちゃん。しんじゃやだ」
小夜の悲しそうな言葉に、舟元はそっと小夜の頭を撫でる。
「小夜。お主いくつになったのだ?」
「十だよ」
「せめてお主が、強くなるまでは見届けねばな」
◇◇
――神無月の候
秋の木枯らしが少しばかり冷たさを感じる季節の昼下がり。舟元と小夜は風呂敷に荷物を持って、町からの帰り道を歩いていた。二人を前に赤い髪をした青年が立ちはだかる。
「風間 舟元とお見受けする。どうか斬り合いをお受けして頂きたい」
二丁の斧を取り出し頭を深々と下げる。
「若造。名をなんという?」
「墓谷 赤影という」
「この様な老い先短い老人に斬り合いする気力なんぞ残っておらんわい。早々にされい」
「参ったな。別にいいんだぜ。今ここで暴れて、斬り合いになってもな?」
赤影は小夜に視線を向ける。その言葉と向けられた視線の意味を、小夜は理解出来てはいなかった。
「小夜、先に帰ってなさい」
「やだ、じいちゃんと一緒に帰る」
小夜は首を横に振り、舟元の袴を強く掴む。
「大人しく帰ったら飴をあげるぞ」
「小夜。大人しく帰る」
聞き分けの良い小夜は、飴欲しさに家まで駆け足で向かって行った。
「墓谷 赤影と言ったか? その性根叩き直してやろう」
「強くなる為には、手段は選ばぬ達でね。許せよ」
◇◇
家で大人しく待っていた小夜。しかしいくら待っても舟元は帰って来なかった。心配になった小夜は、家を出て舟元と別れた場所へと向かう。そこには誰にも居なかった。
町へと足を運ぶと、そこには人だかりが出来ていた。大人達の間を割り込むと、そこで見たのは、倒れた舟元が手当を受けていた。
「じいちゃん? ――じいちゃん!」
「……小夜か?」
「じいちゃん! いっしょにかえろ! じいちゃん」
「すまぬのぅ。……儂はもう助からぬ」
舟元の身体を見る。群青色の羽織は、いつもより濃紺に染まり、所々に切断された箇所が見える。弱々しく、小夜の頭を撫でる。その腕は血に染まっていた。
「やだ! さよをひとりにしないで じいちゃん」
老人の手当をしているのは、桃色の長い髪をした女性だった。腰に差した二本の刀を見て舟元は口を開く。
「手当までしてもらってすまぬ。……その刀の桜の紋、花見家とお見受けする。……この老人の最後の望みを……聞いてはもらえぬか?」
「ええ、私にできることであれば」
「この子を……この子の面倒を頼みたい」
舟元は涙を零す小夜の頭を撫でながら、花見家の女に願いを申し出た。
「承知致しました。後の事は私が引き受けましょう。どうか安らかに」
「小夜や。強く……生きるのだぞ……」
その言葉を最後に、舟元は目を閉じる。痛みを堪えながらに不安を残した顔をして息を引き取った。
「じいちゃん? ――爺ちゃん!!」
目を開けると、そこは木でできた天井が見えた。
「……夢か?」
追憶の夢は、小夜の頬に涙を伝らせた。




