十四話 大山喰いの谷 その後
――大山食いの谷『龍の寝床』にて
その夜、谷は夏とは思えない冷たい空気が漂っていた。斬り伏せられた虎白の死骸——苦悶に満ちた顔は、突如 目が開かれた。
「ここは……俺は一体?」
虎白は意識を取り戻し辺りを見渡す。崩れ落ちた土砂に、生き埋めにされた自軍の腕や足が見えた。見上げれば、少し痩せた楕円形の月が絶壁の岩肌を照らす。
「気が付いたかえ?」
虎白の耳に、重みのある女性の声が聞こえてくる。
「誰かいるのか?」
虎白の声に応えたか。少し地面が揺れた気がした。
「何者だ!? 姿を見せよ!」
立ち上がり、辺りを見渡しても虎白の視界に人の姿は無かった。
「望みとあらば」
声の主は虎白の後ろにいた。女……顔は死人の様に青白く、海の色を思わせる浅葱色の着物。宙を揺蕩う、半透明の帯を身に着けていた。
「人……ではないな?」
姿こそ人。だが、得体の知れない何かが虎白の感を働かせた。
「いかにも。我こそが八頭の龍が一 乙姫であるぞ。そちを今一度、現し世に呼び起こしたのは我である」
「八頭の龍?」
「左様。真の身体は、封じられ。魂だけの存在ではあるがな」
魂? 龍? 虎白の耳には信憑性のないものが聞こえる。……ふと我に返り、辺りを見渡す。
「探し物は、あれのことかの?」
乙姫は人差し指を谷の向こうに向けた。だが、山以外そこには何も見えない。
「何も無いではないか? ……何も無い!?」
そこには、二つの山の間に見えるはずの長月の城が無くなっていたのだ。
「……馬鹿な。長月は敗れたのか」
城が落ちた事で長月の敗北を知り、虎白は思わず膝が地に着く。
「そういえば、名前を聞いてはおらんかったの? そちの名は、なんと申す?」
愕然とした虎白に、構うことなく乙姫は疑問の答えを待つ。
「……長月 虎白だ」
「なんとまあ堅苦しい名じゃの……太郎にせい」
「何故、俺を生かした?」
「勘違いするなよ? そちは生き返ったわけではない。ただ蛇に動かされているだけの人形じゃ。そちを呼び起こしたのは、守人の一族に対する殺意。そこに惹かれたが故」
「守人の一族? 宏次の事か?」
そのような事情は知らぬ虎白。だが今、この上ない怒りに震える相手は宏次以外の人間はいない。
「名は知らぬ。じゃが、我等 八頭の龍として忌々しい存在じゃ。……のう? そちの敵は、我の敵。敵の敵は友と言うではないか。ここは一つ手を組まんか?」
「……。」
「それとも、そちの誇りとやらは、その程度だったのかの?」
「……。」
突如、もの静かな足音が響き渡る。
「……どうやら、人の子が来るみたいじゃな。また会おうぞ、太郎」
どこからか突風が吹き、虎白の視界を塞いだ。再び瞼を開いた時には、乙姫の姿無くその場を去っていた。
「ひどい怪我、大丈夫ですか?」
そこへ現れるは、桃色の長い髪に着物を来た美しい女性であった。
女性の声に応えようと虎白は語りかけようとするが、気を失う様に倒れてしまう。
◇◇
再び虎白が目を開けた時には、木でできた天井が見えた。
身体を起こし、辺りを見れば小屋の中に居る事が分かる。中心には囲炉裏があり火が鍋を温めている。そして床に横になる自分の姿を見た。布などで首元を巻かれ手当てを受けていた事を知る。
「お気づきになられましたか?」
桃色の長い髪の女性が近づく。その女性は白の小袖姿。顔を見れば鼻は高く、丸い瞳は、宝石の様に煌き、美人という言葉が似合う。虎白が気を失う直前に居た者だった。
「其方は何者だ?」
「私は桜花と申します」
「では、桜花。何故俺を助けた? 俺の顔を知らないわけではないだろう?」
「存じております。その出で立ち、目つきが悪くとも真っ直ぐな瞳。そして、その家紋」
桜花は虎白の側に置いてあった、細見の刀に視線を移す。
「その刀は、草薙の剣——それを持つものはこの世で只一人。貴方は日本武尊。……そうですね?」
「違う」
桜花は、真剣な眼差しを虎白に向けたが、虎白の一言に二人は少し無言になった。
「何か盛大に勘違いをしているようだが、俺はヤマトタケルでも無ければ、その末裔でも無い。この刀も大層な名もつかぬ只の長物だ」
それを聞いて桜花は、悲しそうな顔になった。
「俺は、長月家の虎白。長月は墓川と戦の最中、人助けをする余裕もなかろう?」
「お粥ができておりますが如何でしょうか?」
「人の話をきけぇい」
囲炉裏の鍋からお粥をお椀に移し、虎白の前に出す。
虎白は桜花の歩調が掴めず、溜息を吐いた。——同時に、腹の鳴る音が漏れてしまう。
「……頂くとしよう」
「どうぞ、お召し上り下さい」
お椀の中のお粥を食す虎白。
「ここには其方一人か?」
「はい、昔は妹も一緒に暮らして居たのですが、戦で……」
桜花は暗い表情になる。それを見て、虎白は申し訳なさそうに少し頭を下げた。
「……すまぬ」
「どうして謝るのです?」
「妹は、長月と墓川の戦に巻き込まれたのであろう?」
「いえ、戦で腕を磨くと、家を飛び出して行ったのです」
「紛らわしい顔をするでない」
「妹と言っても血は繋がってないのですが、やはり一人は淋しくて」
再び暗い翳りを見せる桜花。
「そうか」
虎白は、無感情に相槌をうった。
「とらじろう様に、兄弟は居るのでしょうか?」
「……妹が一人いる。桜花殿、俺の名前は虎白だ。『う』はいらぬ」
「あら、それは申し訳ございません。名を間違える等、失礼ですよね。えーと……とらたろ様?」
「虎白だ。虎に白と書いて虎白だ」
「とらじろう? とらじゅろう?? あれ、おかしいですね。はくじろ?」
「……もう とらじろう で良い」
桜花の困惑した顔を見て、虎白は諦める様に大きく溜息を吐いた。
「申し訳ございません。花見家は、代々物覚えが悪くて……」
「そうか」
「それで、ひでみつ様」
「よもや原型を留めてないぞ」
「お粥のおかわりは如何でしょうか?」と桜花は左手を差し出した。
「ああ、お願いする」と、お椀を渡す。その時、虎白は桜花の手に違和感を感じた。
「桜花殿。もしや左手を怪我されているのか?」
「……良くお気づきになられましたね。ちょっとした古傷にございます。どうかお気になさらず」
桜花は、お粥の入ったお椀を虎白に差し出す。お椀を受け取る虎白。ふと、部屋の隅に飾られている二本の刀が目に入る。一本は長物で特に特徴の無さそうなありふれた刀だ。もう一本は、二尺程の刀。鞘に桜の紋が入っており、値打ち物と思わせる。虎白は、その紋に見覚えがあった。
「もしや、花見家とは『花』の流派を持つ家系か?」
「ええ、『花鳥風月』の四流派『花』の家系にございます」
「やはりそうか。腕の方はどうかな?」
「そうですね。若い時は、ぶいぶい言わせたものですが」
(ぶいぶい?)
「……私は刀は捨てたのです。いえ、捨てざるを得なかったといいましょうか」
「その怪我が理由か?」
「少し違いますが、似たようなものですね。刀を持つには若さが足りませぬ」
桜花は、また顔に翳りを見せた。
「つまらぬ事を聞いたな。桜花殿、心配なさらずとも其方は充分に若く美しい」
「そ……そんな……う……美しいなんて、そ、そのような事は」
桜花は赤くなる顔を隠す様に席を立つ。
「こ、米を切らしたので買い物に い、行ってきますわ」と、そそくさに小屋を出て行った。
落ち込んだり、笑ったと思えば、また落ち込んだり、顔を赤くしたりと、感情の激しい女だな。と、虎白は思った。




