十二話 白き狼は吠える
蝋燭の火が畳を燃やしていく中、宏次の首元に黒の切っ先が光る。
「終わりだ」
――その時、水の刃が白狼を切り裂く。時を移さずして、村雨が黒の刀と重なり鍔迫り合いになった。
「よく持ったな。宏次、後は任せろ」
小夜が黒の刃を押し弾く。白狼との間合いが空いたのを確認して、村雨を納刀する。
「すまん。任せる」
言葉を吐き終えると、痛みが増したか座り込んでしまう。炎上した畳の灯火は、先刻よりも明るく部屋を照らしていた。
「水の刃とな……なるほど貴様も妖刀使いか? 貴様程の腕なら、夜三郎は死んだな」
「私は墓川に仕える者として、主君を守らねばならんのでな……切り捨て御免」
「たわけ」
白狼は、小夜に目掛けて突きを放つ。村雨の柄頭で狂月の鍔に当ててそれを防ぐ。
白狼は一歩下がり、狂月を構え仕切り直す。再度突きが放たれるが、今度は手の甲に小夜の鞘が当る。
「――時雨」
背を向けて抜刀。後方から前へ大きく遠心力のかかった一閃が、白狼の胸元を切り裂く。だが浅い。
白狼は黒の刀身を天に向けて、再びを突きを構える。
「長月流 上弦三日月」
その突きは直線に在らず、上弦の三日月の如く湾曲した軌道。そしてそれは小夜の心臓を目掛けて静かに放たれた。
だが、小夜に通用しなかった。村雨を鞘に納めたまま、先端で狂月の鍔を突いていた。白狼の攻撃を防ぐ様に、鞘を抑えつけたまま抜刀——回転切りの一閃が白狼の胸元を裂いた。
宏次は、二人の戦いを見て思う。自分も多少なりとも腕には自信があったが、それは自身の力ではなく神戌の力による驕りであったと。宏次は白狼に剣術で劣り、白狼もまた小夜に剣術で劣る。それほどまでに、少女の剣術は本物であり、その強さは、震えていた足が忘れる程に美しく、そして心強かった。
白狼の顔からは傷の痛みか、疲労によるものか、苦悶の表情が垣間見える。
「どうかなされたか白狼殿。やはりご老体には激しすぎたか?」
「ぬかせ」
「遠慮はいらぬぞ。存分に参られよ」
白狼は、老人と呼ばれるには早すぎる年だった。それは、右側の黒い髪と張りのある肌で分かる。だが宏次の父、宏政が切りつけたであろう左頬の傷跡は、神戌に血を吸われた老人の顔であり、疲労を隠せなかった。
「……儂の負けだな」
白狼は切っ先を床に向けて、動きを止めた。
「……なんだ? 降参なのか?」
「時が限られていたのだ。この刀を手にすれば心が欠けてしまう。妖刀、狂月。心を糧に力を与える。すでに儂の心は風前の灯火」
微かに聞こえてくる。荒い呼吸――そして獣の鼓動。
「儂の負けは動かぬ。だが、勝ちをやるつもりもない。……ここで道連れだ!」
白狼の顔は笑みが歪み、牙が見えた。そして咆哮が部屋中に響いた。
刹那、猛烈な突きが、小夜に目掛けて放たれる。不意打ちに似た、先刻までとは恐ろしい速さの突きだった。咄嗟に避けるが手の甲を掠める。
呼吸をする前に、振り下ろしが迫ってくる。そこに突きを得意とする長月の剣術は無かった。対して、鞘に収めた村雨を両手で受け止める。
力負けしそうな小夜は、狂月を滑らせて受け流した。
動きは荒く、獣の如き攻撃は止まらず、小夜に目掛けて突進してきた。小夜は、村雨を構え一閃を放つ。逆袈裟切りが直撃した。
「――!!」
直撃を真っ向に受けても尚、動きが衰える事を知らず、小夜の顔に白狼の切っ先が向かってくる。
捨て身。防御に徹する長月の剣術とは真逆の戦い方であった。紙一重で避けるが、白狼の手が小夜の顔を掴み、壁に投げつけては背中を叩きつけた。
蝋燭の火は、畳と木の床を燃やし辺りは熱気に包まれている。小夜の額に汗が一滴流れ落ちる。
立ち上がる小夜は、村雨を抜き放つが、狂月で押さえつけられ鍔迫り合いに持ち込まれる。小夜は刀身を傾けて、狂月を滑らせて流し、村雨を納刀をする。
しかし、刀が重なる音が響いた。
「!?」
納刀できなかった。流したはずの狂月の切っ先が村雨の鞘に刺さっていた。そのまま振り上げられた鞘は、腰の帯から離れて天井を叩き、畳の上に落ちては滑っていく。
突如、天井が崩れて木や瓦が小夜の真上に落ちてくる。
「小夜!」
宏次は小夜を抱いて、落ちてくる天井の瓦礫を避けた。
「早く鞘を拾え!」
小夜はすぐに立ち上がり、鞘を拾いに行く。代わりに白狼と対峙する宏次は時を稼ぐ。大きく太刀を白狼の顔を目掛けて振るった。——だが、白狼の歯が太刀を噛みついて受け止めていた。白狼の目は瞼に隠れた白と、今にも切れてしまいそうな血管の赤を映していた。口からは涎が滴り落ちる。
「狂い人め」
白狼は爪で宏次の胸元を切り裂いた。
「退け! 宏次!」
小夜が、白狼の狂月 目掛けて村雨を打ち込む。村雨から放たれる水の雫が、燃え滾る炎に掛かり、蒸発する音が響いた。
突如、村雨の不運が招いたか、床が抜けてしまう。宏次と小夜が下の階へと着地をする。
まだ燃えていない薄暗い部屋の中。小夜は木の壁を蹴り、天井を蹴り駆ける。同時に、轟音と共に、白狼が天井を突き破った。白狼の黒い刀が宏次の頭を狙う。
天井を駆ける小夜は、黒い刀 目掛けて村雨を抜く。白狼は見抜いていたか——否、迫り来る危険に、本能が小夜の刀を受け止めていた。
やがて落ちてゆく鍔迫り合いの二人。先に着地したのは白狼。その頭上で体を回転させて、落下と共に村雨を構える小夜の姿。
それを受け止める白狼。切っ先と柄を両手で頭上に構えた——師走の構え。
「白狼ッ!!」
宏次の太刀が、白狼の背中を一文字に切り裂いた。
「――雷雨」
崩れた構えに鯉口を斬る音。小夜の全体重を乗せた縦一閃が、白狼の頭上に振り下ろす。小夜が床に着地すると、白狼は崩れる様に、前のめりで倒れた。——そして納刀を終える。
「大丈夫か小夜」
「……お前も大丈夫なのか?」
二人の荒い呼吸が重なる様に、大きく安堵の息を吐いた。足元に転がる白狼の死骸は、動き出す事はなさそうだった。
「……終わったのか」
宏次の言葉は、自分に問いかける。本当に長月との戦はこれで終わりなのかと。
「終わったのだ、宏次。お前は白狼に勝利した」
小夜が手を伸ばし、宏次はその手を掴んだ。疑問は確信に変わった。宏次は、長月との戦に勝ったのだ。
二人は城を後にすると、瞬く間に長月の城は焼け落ちていく。やがて、墓川と長月の戦は終わりを告げる。
「長月 白狼 討ち取ったりっ!」
宏次の大声は、合戦中の兵の手を止めさせた。長月の兵は戦意喪失して逃げ出した者や、自ら刀を首に命を絶った者が現れる。最後まで悪足掻きをして戦死した者もいた。
そして墓川の兵は応える様に、宏次の言葉に続く。
「墓川軍の勝利!」




