十話 決戦
日は落ちて空は紺碧に染まり、大きな満月が浮かぶ——酉の刻
長月の城。黄緑色の畳が敷かれた広間に、二つの燭台に揺れる蝋燭の灯が暗い辺りを仄かに照らす。
壁は木で出来ており、外の風を遮断して木の香りが断ち込める。
この部屋の上座には、白装束の男があぐらを掻いて座っていた。
長い髪は右の髪が黒く、左の髪が白髪に綺麗に分けられている。顔も威厳のある鋭い目つき、右目は黒く光っているが、左目は白く濁っていた。右頬は張りのある頬に対して、左の頬はしわが目立ち、刀による傷跡を残している。
「白狼様、ご報告します」
白装束の男、白狼の前で継魅が片膝を付いて頭を下げる。
「谷での挟み撃ちの策。失敗に終わり、虎白様の部隊は全滅致しました」
「……それで、お前だけがのこのこと帰って来たわけか?」
低く、そして重たい言葉が継魅を罵る。
「いかなる処分もお受け致します」
「良い覚悟だ、首を出せ」
腰に下げた鞘から刀が抜かれる。その刀の刀身は、細身に漆黒の刀身をしていた。
「お待ち下され、白狼殿。継魅もまだ忍の端くれ」
暗闇より人の影が現れる。背は高く、筋肉質の身体に黒装束の男が継魅の前に立つ。
「夜三郎。それはお前の娘だからであろう。私情を挟むな」
「娘の失態は私の失態。首ならどうぞ、私の首をお斬り下さい」
夜三郎は、自らの首に手刀を当てる仕草をする。自分の娘を切られるのは耐え難い。白狼も今しがた、自分の息子を失ったばかりであった。
「もうよい。最後の機会だ。継魅よ、白姫と共にここを去れ」
「……どうして、後を追わせてはくれぬのですか?」
継魅の一言に、辺りは静まり返った。尚も継魅は言葉を続ける。
「虎白様の居ぬ、この世に生きる意味などございません。どうか後を追わせて下さいっ!」
悲痛の叫びが部屋中に響く。継魅の咽ぶ声に、思わず白狼は瞼を閉じた。
「うつけが。生きてさえいれば、いつの時も瞼に浮かべる事ができるであろう」
簡単には割り切れはしない。後押しする様に白狼は言葉を続ける。
「白姫はまだ幼い、長月の血を引く大切な娘だ……やってくれるな?」
「……任務、承りました」
それだけを告げ、継魅はその場を離れる。
「虎白様の事は残念でしたな」
「戦による戦死は免れまい。奴も相応の覚悟があったはず……夜三郎。墓川との戦、迎え撃つぞ」
「御意に」
◇◇
一方、墓川軍は山から長月の城を見下ろしていた。高く建つ長月の城はこの辺りでは、大きな城だ。
城内の庭、城壁の周囲、何処を見ても赤の鎧を着込んだ兵が見える。その数は200を超えるだろう。
長月の城を偵察していた雪定が急ぎで戻ってくる。
「若、長月兵は相当の数。いかが致しましょう?」
「雪定。何の為に、これまで兵を死なさず やってきたと思っている。自信を持て!」
「若……はい!」
宏次と雪定の会話を、小夜は腕を組みながら見つめていた。
「なあ、やはり宏次が攻めで、雪定が受けなのか?」
「なんの話をしているんだお前は」
「それで私はどうすればいい?」
「……そうだな。村雨から鞘を抜いて、半刻程待機してもらおうかな」
「ぶっ殺したろか」
小夜は睨みを効かせる。緊張を解そうとした一言が裏目に出た様だった。
「冗談だ、そう熱り立つな。……お前は俺の護衛を頼む」
「承知した」
宏次は馬に跨る。馬の背中をポンポンと叩いた。
「よし乗れ」
宏次の言葉に、小夜は少し考えた。
「――は?」
「は? じゃねぇよ。後ろに乗れ」
「い、いやだ!」
小夜の拒絶した反応に、宏次は何故? と、首を傾げた。
「何が不満なんだ?」
「む……胸とか、あたるではないか」
「胸?」
宏次は、赤らめた小夜の胸部に視線を移す。群青色の装束の中は、膨らみがあるかどうか分からなかった。故に小さな胸である。
「あたる胸もないだろ?」
刹那、宏次の後頭部に大きな衝撃が走る。身体を回転させた一撃——小夜の鞘が宏次の後頭部を叩いていた。
「いてて……何怒ってんだよ? 谷の時は、ノリノリだったじゃねぇか」
「お前の甲冑が擦れて痛かったのだ」
「弾力が無いからか?」
「うるさい! お前から斬るぞ!」
「すまんすまん、悪いが辛抱してくれ」
拗ねた顔で渋々と、小夜は宏次の後ろに跨る。そして馬は、招集された墓川兵の前に向いた。
「墓川の兵よ、聞け! これが長月との最後の戦いだ! これまでよくやってくれた! 最後に俺は真向勝負に出たい。どうか俺に命を預けてくれるか!」
「応!」
意気のいい声が張り上げられた。その声を聞いて宏次に迷いは無かった。
「全軍突撃!」
山から大群の兵が、雪崩の様に下りてくる。向かう先は長月の城。
「敵襲!」
迎え撃つ長月の兵、最後の精鋭部隊が道を塞ぐ。刀と刀が重なる音、飛び交う矢が風を切る。瞬く間に城の前は合戦となった。
「宏次はん、うちが道を作るさかい。その隙に」
巨大な大蛇の幻が、城門に向かい大きな口を開けて這いずっていく。
「ば、化け物!」
雅の妖鏡が作り出す幻に、兵は恐怖によって逃げ出す。その一本道を、宏次は駆け抜ける。真っ直ぐに空いている門に向かって行く——しかし、特攻する侵入者に気付いてか、城門は閉ざされていく。
「おい! ぶつかるぞ!」
「しっかりと掴まってろ!!」
張り上げられた宏次の声に、小夜は目の前の背中を強く握り締めた。馬は地を蹴り上げ、高い門を軽々と飛び越える。その後ろ姿を、雪定は静かに見送った。
「……若、ご武運を!」




