ひなまつり
「はぁ、全然だめだ。」
僕は港の堤防に座り込み、落ち込んでいた。
「おぅ、いたいた!来てやったぞ!話ってなんだよ。」
陸の方から友人がやってくる。さっき電話で呼び出したんだ。
「あぁ、実はな…」
僕は消え入りそうな声で打ち明ける。
「昨日はひなまつりの日だったじゃないか。でも僕は自分の娘に何もしてやれなかったんだ。」
自分の不甲斐なさに泣きそうになってしまう。
「あーそっか。娘さんいたんだっけ、いくつになった?」
「今年で5歳だよ」
「もうそんなになったか!イベントの時期には敏感になる年頃だな」
彼はいつも僕の悩みを聞いてくれる、一番の親友だ。
結婚した時も、娘が産まれたときも、両親を除いて一番に彼に報告していた。
その度に彼は「やったぁ!お祝いだ!」と大げさに喜んでくれたっけ。
「んん?じゃあなんでここでうなだれてるんだよ。今すぐ家に帰って家族サービスでもしてやればいいじゃないか。」
叱責ではなく、提案。
これも彼の優しさだ。
こちらが話を切り出すまえに、彼はあることに気付く。
「えっ?まさか!?」
視線は、僕の足元に立てかけられている釣り竿に向いていた。
海に向かって糸を垂らしているが、ここ数時間微動だにしない。
「おっきなやつ、釣ろうと思ってて…」
僕は苦笑いしながら彼に応える。
「まだ間に合うかな…。」
「一日過ぎると難しいかもしれないけどな…。でも、気持ちの問題だって!他のが釣れても、きっと娘さん喜んでくれるって!」
不安に駆られる僕を彼は朗らかに励ます。
それでもやっぱり、娘には本物を届けたかった。
約束したんだ。「今年はパパが大物を釣ってきてあげるよ!」って。
いくら仕事で忙しくても、家族のことを忘れたことは無いのに…。
昨日の失敗を思い出して再びうつむいた
そのとき
「おい!おい!!アタリがきてるぞ!!」
友人の叫びに我に帰ると、竿の先がスゴイ勢いで引っ張られていた!!
慌てて竿を持ち上げ、一心不乱にリールを巻く!
どれだけ、力を、入れ…て、も!
「手ごたえが半端じゃないぃ!!」
「しっかり持ってろよ!俺も引っ張るから!」
彼も後ろから竿を握り、力を貸してくれる。
闘いは長期戦にもつれ込み、辺りは夕焼け色になっていた。
「しかし、粘り強いなコイツぅ…!」
彼も僕も体力の限界が近かった。
あと少し、もう少しなのに…!
やっぱりダメなんだろうか。
ここまで大きなチャンスが来てもモノにできない、僕はダメな父親で終わるんだろうか。
「おいィ!まさか諦めようとしてねぇだろうなァッ!!」
彼が叫ぶ
「お前、それ以上ぅ、力…を抜いてっ!みろぉ…!」
釣り竿を引きながら
「娘さんにィ、変わっ…て!」
僕の
「俺がぶん殴ってやるからよォ!!」
ココロを引っ張っていく!!
「バカにすんじゃねええええええぇぇぇぇッ!!」
僕の魂の叫び。
「僕を誰だと思ってるぅぅぅ!?」
止まりかけていた魂が!
「僕はあの娘のォ!!」
再び鼓動を打ち鳴らす!!
「世界一のパパなんだぞおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
「引けえええええぇぇぇぇぇ!!」
彼と呼吸を合わせ、一気に引くッ!!
水しぶきのはじける音
夕焼けのオレンジに照らし出されるのは
うつくしく輝く鱗
神秘と見紛う程の
巨大魚。
「うおおおおおお!うおおおおお!!」
力が抜けてへたり込む僕とは裏腹に、彼は興奮して雄たけびをあげる。
「網!網もらってくるよ!網!!」
そのままの勢いで陸に向かって走って行ってしまった。
僕はただ、打ち上げられても力強く跳ねる魚を、
その命の猛りを呆然と見つめていた。
戻ってきた彼が魚を網に入れてくれるとようやく、目標を達成できたことが実感できた。
改めて、彼とともに釣果を確認する。
「女性の髪の毛のようにツヤツヤの黒い頭!」
「着物みたいにひらひらしたヒレ!」
「織物ぐらいきめ細やかで、彩り溢れるウロコ!」
間違いない、これが僕が釣りたかった獲物…
「「ヒナマだぁー!!」」
ヌホン人ならだれでも知っていることだから言わずともわかるだろうけど、
毎年3月3日は「ヒナマ釣りの日」だ。
女の子の成長を祈ってヒナ人形を飾る。
見たことあるよね?
五人囃子や三人官女、上から2段目にはお内裏さまとお雛様。
みんな顔だけ魚の半魚人だけど。
そして忘れちゃいけないトップの段を飾るのがこの「ヒナマ」というわけだ。
こう、プラスチック製の台座…高いヤツは木製で漆塗りの立派な感じなんだけどさ、
それに生きたままブッ刺して飾るなかなかサイコな縁起物だ。
「ヒナマ」は一年を通して基本的にこのヒナマ釣りの日にしか釣れない。
3月4日の今日釣れるかどうかは正直賭けだったけど釣れてしまえばこっちのもんよ!
「やったぁ!お祝いだ!」
彼はさっそく大喜びしている。
つられて僕も笑顔になってしまうなぁ…。
「ごちそう買ってくるよ!先に家に行って、娘さんに見せてあげなよ!」
そういうと彼は陸に向けて駆け出していく。
ありがとう。君がいてくれたおかげで、僕は嘘つきのパパにならずに済んだ。
彼の背中にこっそりお礼を言って、重たい網を手に家路についた。
ちなみに釣ったヒナマの皮を剥いで、皮だけ外に吊るしたヤツが鯉のぼりです。
鯉のぼりに鯉は使いません。
ヌホン人ならみんな知ってるだろうけど。