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【9・一~二日目、探索は続く】


 朝、別荘の玄関前。燦燦と降り注ぐ日の光も、冬の空気の冷たさを払うことは出来ない。そんな中、ルーラとベルダネウスは対峙している。

 精霊の槍と鞭、それぞれの武器を構えながら。

「いくぞ」

 ベルダネウスが振るうと鞭は蛇のようにルーラに襲いかかる。彼女は槍でその先端を突き飛ばした。

 入れかわるように襲いかかる二本目の鞭の先端を、今度は横に払い飛ばした。

 規則正しく襲いかかる二本の鞭の先端を槍で突いては弾いていく。以前知り合った女剣士の戦い方を参考にしたルーラの訓練法だ。

 鞭を振るう彼の手首がわずかにひねる。と、鞭の軌道が渦を巻いて精霊の槍に絡みついた。

「あ」

 槍の動きが止まった隙に、もう一本の鞭が彼女の首に絡みついた。

「十七回。かなり出来るようになったな」

 彼が手首をひねると、固く絡みついていた鞭が二本ともするりと解けた。

「フィリスのようにはいかないな」

 かつてベルダネウスの鞭と正面から戦い、見事に打ち勝った女戦士の名を呟き息をつく。かなり出来ると言われても、それは彼が弾きやすいよう鞭を素直に振るってくれるからだ。今のようにちょっと動きを変えるとすぐ駄目になる。

「何事もそう簡単にできるようにはならないさ」

「わかってはいるんだけど」

 ルーラは槍を構え直すと、鞭の相手をする前にした基本の型をまた始めた。突き、叩き、払い、、受け、流し。ある程度距離が開いた敵の攻撃、防御。間を詰められた時の防御、攻撃。彼女がウブの衛士隊で教えられた槍の基本だ。衛士隊にいた頃は毎日していたが、ベルダネウスに雇われてからは使用人としての雑用もあり、つい休みがちになった。それを反省して、今は時間を見つけては練習するようにしている。

 冬の朝、冷たい空気の中、槍の型を繰り返すうちに彼女の体が温まってくる。今までの実践を思い浮かべては、その状況での戦いを想定して無人の敵に槍を繰り出していく。一対一の戦い、複数の相手との戦い、屋内での、屋外での戦い。相手の得物が剣の時、弓矢の時、魔導の時。

 そのうちに本当に存在しない敵が襲ってくる感覚が出てくる。それと戦う。

 ベルダネウスは裏から薪を数本持ってくると、まずは一本、空に軽く投げた。落ちてくるのを右手の鞭で上に払い飛ばす。また落ちてくるのを今度は左の鞭で真上に打ち飛ばす。ある程度繰り返すと、今度は薪を一本増やす。また一本、また一本。計四本の薪を地面落とさないよう左右の鞭で交互に打ち上げる姿はさながらジャグリングのようである。

 その様子を別荘の窓からジェンヌが無言で見つめていた。

「ルーラ、たまにはやってみるか」

 鞭をしまい、ベルダネウスが軽く肩をほぐすと

「いいわね」

 精霊の槍を地面に突き立てると、いきなり殴りかかった。その拳をベルダネウスは手の甲で払う。

 続く蹴りの連打を彼は目を閉じることなく紙一重で避けていく。

 空拳。文字通り武器を使わずに戦う格闘技である。ほとんどの国で衛士に習得が義務づけられており、護身用に習う一般人もいる。自由商人も、自衛のため基礎だけでもと習っている者は多い。

 当然、ルーラとベルダネウスも空拳の基礎は身につけている。もっとも、二人とも戦いの主武器はあくまでも鞭と精霊の槍であり、空拳はそれらが使えない時の技に過ぎないので本職の空拳使いに比べたらどうしても見劣りがする。

 戦いの性格上、ルーラは攻防のバランスが取れているが、ベルダネウスの空拳は守りが主体である。そのせいで、組み手をしてもルーラが攻めてベルダネウスが受ける形が多い。

 二人の体がほてり始めた頃

「誰か、誰か来てください!」

 別荘の中からバルボケットの叫びが聞こえた。

 二人が別荘に駆け戻ると、ちょうど地下への階段から彼が上がってくるところだった。

「どうしました?」

「グランディス様が、殺されている!」

「え?」

 思わず二人は顔を見合わせた。


 倉庫にもなっている地下室。その隅の台にグランディスの遺体は横たわっている。しかし、遺体の様子は昨日とはまるで違っていた。

「ひどい……」

 カリーナの呟きは全員の心情を表していた。

 グランディスの遺体は全身を滅多刺しにされていた。服はボロボロ、体も手足も刃物でめったやたらに突き刺し、肉がえぐられていた。死体なだけに血は出ていないが、その分表面の肉は激しく荒らされ、無残としか言いようがない。特に顔はひどい有様で、もはやグランディスとは判別不能なまでにぐちゃぐちゃにされていた。

「私はオビヨンさんの指示で、毎朝、遺体に冷気魔導をかけることになっていました。今朝もそのためにここに来たんですが、そうしたらこんなことに」

 バルボケットの説明を、オビヨンとセバス、そして参加者とルーラが聞いていた。

「これが凶器ですか」

 ベルダネウスはグランディスの胸に突き刺さっている小剣を指さした。錆だらけの小剣で、どう見ても料理用には見えない。

「これはこの別荘の中に用意されたものですか?」

「いいえ。皆様の中に、この小剣を見た者はいますか?」

 セバスの問いに、皆が首を横に振った。

「じゃあ、犯人が持ち込んだのか」

「犯人とは?」

 参加者達が顔を見合わせた。皆が一人の名前を思い浮かべたが、言うのをためらっているようだ。

「ゼクスでしょうね」

 彼らを代表するようにベルダネウスが言った。

「遺体をここまで傷つけるのは生半可な恨みじゃないですよ」

「やっぱり、地下砦にあった小船はゼクスのものだったのね」

「寒さと風をしのぐために地下砦に戻りこんだ。そこがここにつながっているのを知ってもぐりこんだらグランディスさんの遺体を発見した」

「憎い父が既に死んでいるのを知り、怒りにまかせて遺体を傷つけたというところか」

「わざわざ地下砦から錆だらけの剣を拾ってきてか」

 今やただの潰れた肉塊となった父の遺体を前に、五人の子供達は複雑な気分だった。

「あの……ゼクスというのは?」

 ヨロメイが聞いた。

「聞いていませんか。昨日、グランディスさんを訪ねて来た人です……昔、彼にひどい目に会わされたとかで、すごく恨んでいるみたいです。詳しくは知りませんが」

「……あとで説明しますよ」

 スケイルが面倒だとばかりに頭をかいた。ゼクスをどう説明しようか考えているのだろう。

「けど、これでゼクスも満足……はしてないだろうけど、帰るだろう」

「帰るかな」

「帰ると思うな」

 ロジックの疑問にスケイルは

「奴は私たちを傷つけるようなことを父に示したが、それは父を苦しめるための手段だ。父が死んだことを知った以上、私たちを傷つけるのには何の意味もない」

「そいつは早計じゃないかな」

 異議を申し立てたのはフェリックスだ。

「親父に対する恨みが晴らせなかった分、俺達に八つ当たりがくるかもよ」

 一斉にため息をつく五人に、ヨロメイやバルボケットなど、まだ事情を聞かされていない人は困惑して顔を見合わせた。

「ゼクスが帰るかどうか……どちらにしろ、一応は敷地内を調べるべきね。まずは地下砦を」

 ジェンヌの意見には皆同意した。

「面倒くせえなぁ。地下に潜った時にロジックたちがちゃんと調べれば良かったんだ」

「父上がこんなにされたのは僕たちのせいだって言うのか!」

 いきり立つロジックをベルダネウスはまぁまぁと押さえつけ

「言い訳させていただければ、昨日、私たちは地下砦に潜るのは初めてでしたし、昼とは外の辺りがほとんど届かず、明かりはランプがひとつと光の精霊だけ。砦は一本道というわけではありませんし、ゼクスさんがその気になれば」

「あんな奴にさんをつける必要はない」

「失礼。ゼクスがその気になれば、私たちの目から逃れることは簡単だったでしょう。私たちは地下砦がどんな感じなのかという好奇心先行で調べたのであって、誰か潜んでいないかと考えて調べたのではありませんから」

「さすが現役自由商人。言い訳の理屈はよく思いつくな」

「いい加減にして!」

 カリーナが叫ぶ。

「父さんがこんな姿にされた前でよくそんなことが言えるわ。あたしは父さんが嫌いだけど、さすがに今ここで兄弟喧嘩する気にはなれない」

 彼女の言葉と改めて見るグランディスの姿は、他の参加者達を黙らせた。

「あの、皆さんの耳に入れておきたいことがあります」

 恐る恐るヒュートロンが一歩出た。

「厨房の食料が減っています。あと、鍋がひとつと食器もいくつか無くなっています」

「ゼクスか?」

「わかりません。食料や鍋などは余分に持ってきましたし、先日の潮トカゲもありますから問題はありませんが……」

 念のため、各自なくなっているものがないか調べてみた。その結果、各自に配られたゲームの規則を記した写しが一部無くなっていた。

「とにかく手分けして地下砦を見て回ろう。ゼクスがいれば捕まえて。いなければいないで、奴はこれで退散したと安心できる」

 説明が先だと、スケイルが知らない人達にゼクスのことを説明した。さすがに聞いた話をそのまま伝えるのは不味いので、先ほどベルダネウスが言ったように、過去、グランディスに騙され、わずかの金で追い出された男がその後うまくいかないので、成功者となったグランディスに金をせびりにやってきた。詳しい事情は自分たちにもわからない、ということにした。

「お仕事柄、グランディス様を恨んでいる方は大勢おられますが……こんな時に、そのような方が」

 レミレが嘆いたが、スケイルもこればかりはどうしようもないと首を振るしかなかった。

 地下砦の調査は、話し合いの結果、三つに別れて上から順に調べることになった。敷地内の探索と言うこともあり、参加者六名が二人ずつ組むことになった。

「どう分ける?」

「ゼクスが襲ってくるかも知れないし、潮トカゲもいるんだろう。戦いに慣れた人を一組に一人は入れたいね」

「ここにいるメンバーだと、まず護衛をしているルーラさん。あとセバスさんも空拳の使い手だ」

「あと一人は?」

「ベルダネウスさんは鞭の名手のようですけど。今朝、ルーラさんとの練習を拝見しました」

 ジェンヌの言葉にベルダネウスは肩をすくめた。

「これで三人か。それぞれ別々の組に入ればいい」

「あたしはザンの護衛ですから。組が別れるのは困ります」

「そう言うな、事情が事情だ。あと、出来ればバルボケットさんに加わって欲しいですね」

「あの、私は攻撃魔導は専門外なので期待されても……」

「でも、明かりは作れるでしょう。それだけでもありがたいです」

 魔導師は魔力を魔玉に集中させて光らせることが出来る。魔導師なら初歩の段階で教わるものだ。

「これで決まりだ。それじゃあ、俺はルーラさんと組む」

 フェリックスがいきなりルーラの肩を抱き寄せようとするのを、ロジックが飛び込むように割って入る。

「僕もだ。お前はゼクスより危険だ。それにお前だって空拳を使えるだろう」

 結局、セバス、スケイル、カリーナの組、ベルダネウス、ジェンヌ、バルボケットの組、ルーラ、フェリックス、ロジックの組に分かれることになった。メイド組と役人組、ヒュートロンは居残りである。

 探索組にはそれぞれ油壺が渡された。通炉内の明かりに油を入れておくために。そんなことをしたら、侵入者が過ごしやすくなるだけではという意見に対しては。

「油が極端に減っていたら、そこに潜んでいたという手がかりになりますよ」

 とベルダネウスが説明し、とりあえず聞き入れられた。油は馬車でかなりの量が運び込まれており、切れる心配はない。グランディスも、やはり地下砦の明かりのことを考えていたらしい。


「足下に気をつけて。ゼクスや潮トカゲはいなくても、何かが住み着いているかも知れない」

 先頭のロジックが周囲を見ながら前に進む。

 地下砦は思いの外広かった。もしかして別荘よりも広範囲かもしれない。

「もしかして地下砦をうろついていると敷地の外に出て失格なんてことになるんじゃ」

 という心配は、オビヨン達によって否定された。確かに地下砦は別荘よりも広いが、地下砦そのものがゲームの敷地内と判断されるという。そして砦と地上を結ぶ出入り口は先日見つけた三カ所しかない。一時出た「探索に組を三つも作るなんて大げさだ」という声は大げさではなかった。

 しかし、地図を欲しいという要求は拒否された。地上の建物同様、自分たちの手で調べろと言うことだ。

「安全よりルールの方が大事なのか」

 との不満も出たが、まだ危険かどうかも定かでない以上、ルールを守るのは当然と却下された。

「ルーラさん、精霊の力で俺達以外の人がいるかどうか聞けない?」

 フェリックスが自分たちの来た道筋を記録しながら聞いてきた。各組はこうして情報を集め、後でそれらをもとに地図を作ることになっている。

「無理です。精霊たちは人間の区別なんてほとんどしないから」

 明かりの皿に油を注ぎながらルーラが答える。

「精霊使いとそれ以外ぐらい。人数だって、少ないって返事ですよきっと」

「少ないって?」

「精霊たちにとって、生き物の数って百ぐらいないとみんな少ないなんです。一人や二人の違いなんてないも同じ」

「役に立たねえなあ、精霊ってのはよ」

「うるさいぞ! 文句を言うだけなら消えろ! 僕とエルティースさんだけで充分だ」

「おや……珍しいな」

「そうなの?」

「ああ。いつもなら僕一人でって……」

「失礼な。僕にだってひとりで出来ることと出来ないことがある。こんな奴はほっといていこう」

 ルーラの手を取り先に行こうとして

「ああっ、すまない」

 真っ赤になって慌てて手を放す。

 その様子にフェリックスは

「なるほどねぇ……外は真冬だっての頭の中に春が来たか」

 ロジックとルーラを見比べて、相手の弱みを握った小悪党のような笑みを浮かべた。


「バルボケットさん。もう少し光を強く出来ないんですか?」

「これ以上明るくすると、目に悪いです」

 ベルダネウスの組が調べているのは、兵士達の待機所らしく、テーブルと丸いす、隅の方に大きな台が置いてあるだけの部屋だった。ただし広さは上の別荘の食堂の三倍近くある。戦争に使われた頃は、任務を待つ兵士がここで談笑したりカード遊びなどをして過ごしていたのだろう。

 彼が掲げている杖の先端に取り付けられている魔玉は、彼の魔力を受けて光を放っている。地下砦でも奥に位置するここは、外の光が全く届かない。外は昼間のはずなのに、魔玉の光がなければ闇となるだろう。

「でも、あまり暗いと見落とすかもしれません」

「人を見落とすほど暗いとも思えませんけど」

「何かいる!」

 ジェンヌが指さした辺りをベルダネウスが鞭で打つ。たまらず驚いた小動物たちが逃げ惑う。

「ねずみたちですよ」

「ほら、明かりが足りないからよ」

 言われてバルボケットが明かりを強くする。簡単なようだが、実は魔玉の光量を微調節するのは結構難しい。

「目がちかちかします!」

 たまらず手で目を覆う。

「だから言ったでしょう。灯りをつけますか?」

「……よしましょう。帰りにまた補充しなければならないわ」

 明るくしたり暗くしたり忙しい二人を尻目に、ベルダネウスは地下砦を見回す。

(これだけのものを秘密裏に用意するとなれば、費用は数千万ディルになるはずだ。遺言にしては大げさすぎる。グランディスにとってはそれだけの価値があると言うことか)

 ベルダネウスはどうしても、この遺言を表面通りに取ることに抵抗があった。その最大の理由は

(なぜ私が参加者として選ばれたのか? 別に私抜きでもそれほど問題はないような気が)

 これまで何度も自問してきたこれに対し、彼は今だ明確な答えを出していない。

 明かりのことですっかり疲れた顔をしたバルボケットが先に進もうとした途端、石畳のヘリに躓いた。

「あっ」

 倒れる弾みに魔玉の杖を持った腕をテーブルの角にぶつけた。思わず杖が彼の手からこぼれ落ち、同時に魔力の供給が途絶えて光が消える。

「いやぁぁぁぁぁっ!」

 地下砦にジェンヌの悲鳴が響き渡った。

「早く、早く明かりをつけて!」

「わかってますけど、杖がどこにあるのか」

「近くにあるはずです。痛っ!」

「いやっ、いやっ。誰かぁっ!」

「ジェンヌさん、静かに。暴れないで、痛っ!」

「いやっ、触らないで!」

「バルボケットさん、まだですか? ぐっ!」

「探してますよ! ジェンヌ様、もう少しだけ……あった」

 再び魔玉が光り出し、辺りを照らす。

「もう大丈夫です……あの」

 ジェンヌが真っ青な顔をしたベルダネウスにしがみついていた。背中から抱きつくように、右腕を彼の首に回して思いっきり力を込めて締め上げ……

「ベルダネウスさん死んじゃいます!」

 解放され、やっとベルダネウスの顔に血の気が戻った。

「ご、ごめんなさい。大丈夫?」

「大丈夫です。それにしても、暗闇とは言え背後を取られたのは油断でした」

「問題はそこではないと思いますが」

 体を起こし、息を整えるジェンヌを見てベルダネウスは恐る恐る聞いてみた。

「もしかして、暗がりは苦手ですか?」

「得意な人なんていないでしょう」

「でも、今の怖がり方は普通じゃありませんよ」

 心配そうな二人の男の顔を見て、ジェンヌは仕方ないとの息をついた。

「私は……暗いところが駄目なのよ」

 そして彼女は暗がりが苦手になった子供の頃の話をした。

「その程度のことでって笑って良いわよ。実際、同じ事をされても暗がりが平気な人は一杯いるし」

「笑いませんよ」

 ベルダネウスは即答した。

「人は同じものを見、聞き、してもそれによる変化は様々です。自分は平気だから他人も平気なはずなんて言うほど心は狭くないつもりです。けれど、家族はそのことを知っているんですか?」

「知ってるわ。フェリックスには何度からかわれたかわからない」

 思わずベルダネウスとバルボケットは顔を見会わせた。

「一旦戻りましょう。予備のランプを持ってきて、ジェンヌさんには明かりの担当になってもらいます」

「賛成です」

 頷いたバルボケットは、棚の一つにランプがあるのを見つけた。

「あれは使えませんか?」

 調べてみると、半分ほど油が入っていた。火を灯すと、新たな光源となって周囲を照らす。

「ジェンヌさんはこれをお願いします。何か見つけたらすぐに知らせてください」

 三人は探索を開始したが、どうも気まずい空気が流れる。

「よけいなお世話ですが、今回みたいな時は素直に明かりの当番になった方が良いですよ」

「そんなことしてみなさいよ。それをネタにからかわれて、与し易い相手と思われるだけよ。ただでさえ女であることでいろいろ不利なんだから」

「そんな事は無いと思います。魔導師なんかは、むしろ女性の方が向いているなんて説があるぐらいです。実際……私よりも同期の女子の方が魔導師としての評価は高いです」

 気のせいか、バルボケットの口調は乾いていた。

「それにジェンヌさんは会社では幹部でしょう。実績の他に支持する人達がいなければこうはなりませんよ」

「……私は人の、少なくとも兄様の倍は頑張って、成果も出しているわ。それでも会社じゃ兄様と同じ扱い」

「失礼ですが、それはあなた自身が周囲を敵視しているせいじゃないですか。女だからって馬鹿にするなとか、そんな気持ちで周囲を見ていたら、そんな猜疑心に捕らわれるんです。仮にそんな目で見られているとしたら、あなたを指示し、あなたについてきている部下達に失礼ですよ」

「そうですよ。王宮でもジェンヌ様をたいした人だと褒めている人はお何人もいますよ」

 その上で「少し慎みを持て」「そろそろ嫁に」という声もあるのだが、バルボケットはそこは言わずにおいた。

「部外者であるあなたたちに何がわかるの?」

「わかるかではなく、一つの意見です。それに、部外者だからこそ言えたり見えたりすることは結構ありますよ」

「そう。だったら一つの意見として拝聴しておきます。ただし、それを採用するかは私の意思です」

「もちろんです」

 ベルダネウスは笑みを浮かべ

「では、ついでにもう一つの意見を偉そうに言いましょう」

「偉そうって、自分で言う?」

「こういう機会でもないと偉そうに出来ませんから。世の中には男子が威張って、男子を常に女子の上に置きたがる人がいますが、どうしてだと思います?」

「威張りたいだけでしょ」

「男は女が怖いんですよ。この世で女には出来ない、男にしか出来ないなんてものが一つでもありますか? 少なくとも私は知りません。肉体的特徴から得手不得手はあるでしょうけどね。

 今は男が中心になって世の中を動かしています。しかし、女がその気になれば一気に立場は逆転します。

 それを恐れる男は何をするか。これは男の仕事だ、女は下がっていろと繰り返し、女は男にかなわないと暗示をかけているんです。数百年、数千年もの間、ずっとね。今の世はその成果です。

 男はいつでも女を怖がっているんです。それだけの力が女にあるからです。私が娼館で働いていた頃、男をビビらせまくる女を何人も見てきました。あなたにはそれだけの力があるんです。

 だからこそあなたは男をそんな目で見るのはやめてください。強者が弱者を見下し始めたら。強者が周囲に敵意を持ち、それに基づく戦いを始めたら……考えただけで恐ろしいですよ」

「そ、そう。でも、娼婦と一緒にするのはやめて」

 ジェンヌは黙ってランプを手に進み始めた。彼の言葉を受け入れたと言うより勢いに押されただけのような気もしたが、悪い気はしなかった。


 少し離れた場所で、ルーラ達の組はそれまでの話を聞いていた。ジェンヌの悲鳴で駆けつけたものの、つい出そびれてしまったのだ。しかも構造のせいなのか、三人の会話が筒抜けだった。

 フェリックスはひたすら声を押し殺して笑っていた。

「言うねえ。あんたの雇い主は。良い女たらしになるぞ。姉貴、惚れなきゃ良いけど」

「それで褒めているつもりですか?」

 とはいえ、ルーラも悪い気はしなかった。

 ロジックは隅で真剣な顔で考えていた。

「そうか。やっぱり、みんな僕の力を恐れているんだ。だからこそ、みんな僕が真の力に覚醒する前につぶそうとしているんだ。僕を馬鹿にしているんじゃないんだ」

「いや、馬鹿にしているんだと思うぞ」

 フェリックスのツッコミもロジックの耳には入っていなかった。


 地下砦の探索が一通り終わったのは昼過ぎだった。ゲームは二日目に入った。

「おかえりなさい。どうでした」

 地下の保管所にある砦の出入り口から出てきた九人を、サラが明らかに何かを期待する目で駆け寄ってくきた。

「私たちの他に人はいなかった。これからみんなの情報を集めて地図を作る」

「それよりも腹減った。先に飯にしようぜ」

 フェリックスの提案に異議を唱える者はいなかった。

 各自の情報をもとに作り上げた地図によると地下砦は地下六階。ただし、通路が坂になっているなどで階層が特定できない部屋がいくつかある。

 広さは感覚的なものであるが、別荘の倍近くはありそうだった。それぞれの階は二~三カ所の階段と奥の緩やかな坂でつながっている。地下砦自体、もともとあった穴を改造したらしく、階段は急なもの、緩やかなもの、段差が不規則なものとバラバラである。これならば人の目をかわして移動するのはそう難しくないだろう。

 各階には部屋として利用されていたらしい空間が十~二十確認。何に使われていたかは想像するしかないが、司令室、会議室、控え室、仮眠室、談話室、訓練場などが考えられる。

 地下一~四階の海辺の穴には巨大な石弩が備えつけられていたと思われる台座があり、そばには矢などを置いておくらしい広い空間がある。

 地下五階には食堂と厨房がある。

 地下六階は船着き場となっており、桟橋とその奥に広めの空間。この空間が先日、ロジックが鍵を見つけた金庫のあった部屋である。

 潮トカゲは地下六階で二匹確認。地下六階に降りない限り、潮トカゲに襲われる可能性は低い。桟橋につないであった小船はなくなっていた。

「これはゼクスが乗って帰ったと思います。やはり父様の遺体を傷つけて、それでよしとして消えたのでしょうね」

 ジェンヌの意見に大半が同意した。

「とりあえずはこんなところか。書き加えるところはあるか?」

 地下砦の図面を前に、スケイルが皆を見回す。

「出来としては六割ってとこかな。でも、これでいいんじゃない」

「そうね。興味があればこれを基に各自が調べて書き加えていくと言うことで良いと思うわ」

 セバスが今日中に清書した写しを人数分+一枚作ることになった。+一枚はサラの分である。

「だって、皆さんが鍵を見つけられなかったら、あたしにも一度だけ権利が生まれるんでしょう。やはりチャンスかは生かしたいですから」

 名乗り出た意外な伏兵に皆が笑った。まだ二日目のせいか、皆に余裕がある。

「セバス、時間の空いている時でかまわない。同じようにこの敷地、別荘の図面を用意しろ」

 スケイルが命じると

「それなら既にございます。いつお声がかかるかと待っておりました」

 と人数分、別荘の敷地や別荘の図面を持ってきた。ただし、精度は今し方準備の出来た地下砦の図面とさほど変わらない。建物などの配置は書かれてあるが、各部屋の装飾品などは何もない。

「記載されていない情報はご自身で記入するようお願いいたします」

「父の指示か」

「はい。装飾品はないので事前に用意できました。予備も10枚ほどございますので、必要な時は声をお掛けください」

「あたしにも一枚」

 手を上げたのはやはりサラである。

「サラ、鍵探しをするなとは言いません、しかし、メイドとしての仕事がある時はそちらが優先です。わかってますね」

 浮かれる彼女にレミレが釘を刺した。


 その後は、各自がそれぞれの考えで調査すべく単独行動となった。

 ここではと狙った場所を重点的に調べるロジック。

 まずは全体像を掴もうと、図面を埋める作業に徹するスケイルとジェンヌ。

 フェリックスは調査よりもメイドやカーレといった女性陣にちょっかいを出している。

 鍵を探す気がないカリーナは、厨房でヒュートロンの手伝いをしている。

 そしてルーラは、馬小屋の横で潮トカゲの皮をなめすため脂を削いでいた。グラッシェが興味深そうに彼女の手元を除いている。

「お前、護衛なのにそんなこともするのか?」

 図面を手にロジックが声をかけた。チェックの最中らしく、図面には赤インクで様々な書き込みがしてある。

「あたしは護衛兼使用人だから。ザンのお手伝いは何でもするわ。皮のなめしは村にいた時からお手伝いしてたし」

「そうか。大変だな」

 ぎこちない動きで彼女のそばに腰を下ろすと、何だこいつはと言いたげにグラッシェが彼を見た。

「昨日は、みっともない姿を見せた……」

「これからいくらでも挽回できますよ。失敗を自分の責任と思っている限りはね」

 ちょっと格好よさげに言うが、他人の受け売りである。

「前にも聞いたが、君は村を再建しようとは思わないのか?」

「あたし一人じゃね。それに、今のあたしはザンと一緒に仕事しているのがいいの」

「ウブで衛士を続けているよりも?」

「衛士を辞める時もいろいろ言われたな。でも、あたしの目的はひとつだから」

「目的?」

「ザンと一緒に幸せになるの」

 途端、ロジックが不愉快な顔を見せた。

「あの男とか……君はいくらで雇われているんだ」

 ルーラが答えた金額はロジックを驚かせた。

「うちの一番下っ端よりも安いぞ! 君、騙されているんじゃないか。それじゃ生活費にも足りないだろう」

「あたしだって世間の相場ぐらい知ってるわ。ザンの給金がめちゃくちゃ安いのも。なにしろ衛士隊の頃の半分だし。でも、契約して生きる限り、必要な衣食住はみんなザン持ちだから。特に不自由したことはないな。予定外の収入なんかは折半だし」

 油をそげ落とした潮トカゲの皮を見せて

「だから、これも戻って売れば、その半分はあたしのもの」

「そうなのか」

「滅多にないけどね」

「でも、君はそれで満足なのか、君がその気になれば、もっと良い生活が出来るはずだ」

「良い生活って、どんな生活?」

 聞かれてロジックは答えに詰まった。物があるとかお金があるとか答えそうになったが、それだといかにも自分が俗物のように思えたからだ。

「ところで、調査の具合はどう? ……って、半日じゃむりか」

「まだ見回っている段階だ」

 ロジックがふと思いついたように

「塔に行ってみないか?」

「塔?」

 言われて、ルーラはまだ塔の中には入っていないのに気がついた。


 先日の地下砦探索で上への出入り口を探した時に地下砦と塔をつなぐ入り口が確認された。その際に塔と外との出入り口も発見されている。

 塔の外壁にカモフラージュされたもので、中から探せば簡単にわかる。外壁の一部に、押せば引っ込んで把手となる部分があり、それを外から押し込むようにスライドさせれば開く仕掛けだ。

「本当、殺風景ね」

 中に入ったルーラは塔を見上げた。塔は一応四階建て。一応というのは、一階から三階まで吹き抜けになっているからだ。壁の内側をぐるりと回るように二つの階段が作られており、二、三階としている踊り場を超えて唯一部屋のある四階まで続いている。地下砦への扉がある地下室は倉庫として使われており、工事に使ったのだろう様々な工具や余った建築資材などが放り込まれている。

 階段を上り始めると

「なんだか外から見るより中が狭い感じ」

「吹き抜けだからな。崩れないように壁を厚く作っているんだろう。階段も少し歪んでいるし」

 確かに、所々にある窓を見ると壁は少し厚めである。それにロジックの言った通り、この階段は少し変だ。傾斜が一定ではないのだ。緩やかだったり急だったり、そのせいでやたら上り下りしにくい。感覚が少しおかしくなりそうだった。

 壁には子鬼や怪物のレリーフが飾ってある。

「これって、お姫様を見張っているモンスターなのかな」

「らしいな」

「でも、大抵、お姫様と仲良くなっちゃうのが一体いるのよね。こんなのとか」

 壁のモンスターを指さす。翼と尻尾の生えた子鬼だが、目が大きくどことなく愛嬌がある。

「そうだな。こんな感じ……」

 二人が固まった。その子鬼が隠すようにした手に、鍵があったからだ。ルーラが手を伸ばすと、その鍵は壁から剥がれるように彼女の手に転がり落ちた。

「これって、まさか」

 鍵を手に困ったような顔をするルーラに対して

「偽物だ」

 ロジックは一言で切り捨てた。彼女も頷いて鍵を子鬼の手に戻す。この鍵は明らかに一回り小さかったからだ。

 このせいか、何となく壁のレリーフを気にしながら二人は上がるが、あれの他に変わったものは見つけられなかった。

「すごい」

 最上階の部屋に入ったルーラが感嘆の声を上げた。

 四階は姫の住居という設定なのだろう。殺風景な外や人よりも鼠や腐虫が主に相応しいような一~三階と違い、実にきらびやかだった。優しく淡い赤の絨毯、全身を映せるほどの大きな鏡台。真っ白なテーブルに椅子、壁には食器が納められた棚が置かれ、部屋の中の家具全てには豪華な装飾が施されている。部屋の一画にはお相手用らしい大小様々な人形が鎮座していた。奇妙なことに、いくつもの鏡があった。一つの部屋にしては数が多いし、全てが固定されて動かせないようになっている。

 雲のような羽布団が掛けられた天蓋付きのベッドには、フリルの突いた枕と子供ほどの大きさのピンクのクマのぬいぐるみがある。

 魔法使いに捕らわれたお姫様の部屋。どうやら魔法使いはお姫様を幽閉しているのではなく、客人として迎えているようだ。自由以外は大抵のものが用意されている部屋。小さな暖炉があるのでルーラが中をのぞいてみると、煙突は無かった。この暖炉はただの飾りだ。東側に窓はあるが、背伸びをしても届かない高さの上、小さい上に鉄格子がはまって出入りは出来ない。

 そして角の椅子にはお姫様の等身大と思われる人形が座っていた。

「お姫様まで用意してあるんですね」

「着替えまであるぞ。父上もそこまでしなくても」

 その言葉通り、衣装箪笥には何着も衣装が収まっていた。いかにもお姫様が着そうなフリルの付いたピンクのドレスもある。

 ルーラも十七才になったばかりの女の子である。興味津々でドレスを見ているその姿に、ロジックも思わず顔が緩んだ。

「着てみるか?」

「え?」

「そのお姫様人形は君と同じぐらいの大きさだろう。着られるんじゃないか」

「でも、あたしにはこんなお姫様っぽいドレスは似合いませんよ」

「着てみなければわかるまい」

「そ、そうですか……」

 ドレスを見つめながらルーラは震えた。恥ずかしさと好奇心と乙女心と羞恥心と、いろいろな感情が彼女の中で戦っている。

「僕は外に出ていよう」

 返事を待たずにロジックは部屋を出た。こうなっては「やっぱり着ません」とは言いづらい。それに彼女の持っているドレスは誕生日の時に着たもの一着だけだ。あれも好きだがやはり目の前のドレスに比べたら地味に見える。

「せっかくだし……」

 扉をちらと見てきっちり閉まっているのを確かめると服を脱ぎ始めた。


 扉の外で壁にもたれながら、ロジックは今の自分に戸惑っていた。鍵を探すより、こうしてルーラと一緒にいる方が楽しいのだ。

 鍵を見つけなければ未来は無い。わかっていながら今、こうして彼女といる時間を楽しみたい。

「良いわよ」

 ノックと共に聞こえた声に、彼は二、三度深呼吸すると「入ります」と扉を開けた。

 入った途端、

「ようこそ私のお部屋へ、ロジック王子」

 白と薄ピンクに彩られたドレスの裾をつまんでお辞儀するルーラが出迎えた。着慣れないドレスのせいか少々ぎこちなさが漂うが、それがむしろ初々しく感じさせる。初めて舞踏会に参加するお姫様のようだ。

 さらに軽くくるりと回って微笑んでみせる。それにたまらずロジックは固まった。

「似合いませんか?」

「……綺麗だ」

 今度はルーラが真っ赤になって固まった。

「やめてください。そういうの、言われ慣れていないんですから」

「なんで言われないんだ。こんな素敵なのに。君の雇い主は?」

「お客様には言っても、あたしには」

「それは侮辱だ。ベルダネウスは女を見る目が無い!」

 少々むっとしたルーラだが、まんざら悪い気はしなかった。

「そうだ、僕がこのゲームに勝ったら、ここのドレスはみんな君に進呈しよう。ドレスだって人形より君に着られる方が良いに決まっている」

「そんなことはないですよ。もともとこのドレスはこのお人形のために作られたものなんですから」

 何となく申し訳なくなってお姫様人形の顔をそっと撫でる。と、首のところに革のベルトがしてあることに気がついた。

「これって?」

 よく見ると首輪だった。

「囚われのお姫様だな」

「ここまでしなくても良いのに。外していい?」

 ルールでは勝手に装飾品を壊したりすることは禁じられている。

「首輪を外すぐらいは問題ないだろう。ここは囚われのお姫様を助けだす話の舞台だしな」

 そういえば、囚われのお姫様を助けだす役目は大抵どこかの王子様だななど考えながら首を外す。と、

「これって……鍵?」

 首輪に隠されるように穴があり、そこには一本の鍵が隠すように差し込まれていた。

「お姫様を自由にしたものが、彼女と結婚して次の王になる……」

 つぶやき、笑顔を見せたロジックだが、すぐ訝しげにかわる。無理も無い、彼は一度偽物で失敗している。

「本物かどうか確かめる方法は無いかな?」

 はたとルーラは気がついた。

「本物と比べたら良いのよ」

「本物がどこにあるかわからないんじゃないか」

「隠されていない本物があるじゃない。グランディスさんが叩き折った鍵。装飾は違うって言っていたけれど、鍵の部分は同じのはずよ」

「それだ! オビヨンのところへ行って来る!」

 部屋を飛び出すロジック。階段を駆け下りる音は、すぐに転げ落ちる音と悲鳴に変わる。

「大丈夫!?」

「大丈夫だ……。そこで待っていろ」

 どこかに打ち付けたのか、腰を押さえながらロジックは出て行った。

 小一時間と経たず彼は戻ってきた。手には鍵の形を写した紙が握られている。

「鍵の持ち出しは禁止だとさ。それで鍵の部分だけ紙に写してきた。微妙な違いまではわからないだろうが、ないよりはマシだろう」

 答えはすぐに出た。人形の首の鍵とロジックの持ってきた写しとでは、明らかに形が違う。

「偽物か……そうだよな。このお姫様も本物じゃ無い。ただの人形だ」

 鍵を戻して首輪をし直そうとするが、彼はそれをためらい、結局外したままにした。


「……残念」

 ベルダネウスは軽く息をつくと本を閉じた。彼は図書室で一人本のチェックをしていた。本の横には彼の手書きのノートが数冊積まれている。彼の顧客の中には本を探している人が少なくない。大都市ならともかく、彼が回るような地方の村では、手に入る本も限られてしまう。

 ラウネ神殿があればそれなりに蔵書があるが、知識の記録を重視しているだけに娯楽本は少ない。

「面白いと噂の●●が読みたい」

 という人は、町に出かける用事があればその際に買うか、でなければ誰かに入手を頼まなければならない。町に行く知り合いとか、出入りの自由商人とかにである。

 そんな本の中には条件付きのものもある。出版時期によって挿絵の違うもの、作者が中身に手を入れてイベントが変わっているものなどがあるためだ。せっかく手に入れたのに、これは違うと投げ返されたことも一度や二度では無い。顧客の要求は厳しい。彼が今見ているノートには、それら顧客の求めているものとその条件が記されている。ここの図書室にそれに合致するものが無いかと調べていたのだが、

「なかなか見つからないものだな」

 ノートを閉じて息をつく。

 次に彼は旅行記に手を伸ばした。今度は顧客の希望に添うものかどうかを確かめるものではない。彼自身の勉強のためである。

「旅行記は読者の興味を引くために行った先の面白い風習や名物を重点的に描く。自由商人には格好の資料だ。もっとも、読む側が知らないのを良いことに適当なことを書く奴もいるがな」

 と彼に自由商人の心得を説いた人も言っていた。それを念頭に置いた上で、読んで興味の出てきた土地や特産品などについてメモを取る。

 彼は自由商人になって十年近く経ち、お得意様も出来たが、そのためにその人達を訪ね歩くことになり、おのずと行動範囲が限られてしまう。決まった時期に決まった土地を訪れ、決まった商品を仕入れて決まった人達に売る。

 確実ではあるが「それでは自由商人の名が泣く」という思いが出る。

 軽いノックの後、レミレが入ってきた。

「お茶をお持ちしました」

 時計を見ると、三時を過ぎていた。

「ありがとうございます。しかし、ここでの飲食はまずいでしょう。食堂に行きます」

「かしこまりました」

 記録した紙を束ねると図書室を出た。扉のすぐ横にあるグランディスの胸像を見て思わず苦笑いする。この胸像、とにかく別荘のあちこちにあるため、どうもグランディスから始終見られているような気がする。

 食堂に入っても、誰もいなかった。

「みなさん敷地内を調べるのでお忙しいようです」

「でしょうね。その点、部外者は気楽です。あなたはお時間はよろしいですか。一人では寂しいので、話し相手が欲しいのですが」

「私でよろしければ」

 食堂のテーブルを挟んで座る。暖炉の薪がはぜる音と紫茶の香りが部屋の空気を柔らかくした。

「この辺は雪は降らないんですか?」

「そんなことはございませんが、他に比べて非常に少ないと聞いております。雪がお好きなのですか?」

「そういうわけではありませんが、カブスさんの件では雪に閉じ込められて災難でしたから」

「カブス様の……」

 ふと彼女の目が陰る。

「そういえば、あなたは彼をご存じでしたね」

「私がボーンヘッド家に雇われました時には、まだ戦士として家を出る前でしたので」

「グランディスさんの性格では、戦士になることを認めさせるのは大変だったでしょう」

「はい、毎日のように言い争いをしておりました。あの強情さは、カブス様が一番グランディス様の血を強く受け継いだのかも知れません」

「でも、専用の剣を鍛えてもらったのですから、最終的には認めてもらったのでは」

「いえ。あの剣はカブス様がご自身で鉱山へ行き良質の鉄を探し出し、ご自身で見つけた職人に鍛えてもらったものです」

「それはたいしたものです。でも、それではグランディスさんも怒ったでしょう」

「それはもう。戦士などという生き方は必ず後悔すると何度怒鳴られたことか」

「そうですか……」

 ベルダネウスは焼き菓子を一つつまむと口にした。中央に乗せられたオレンジのジャムが美味しい。

「私は、彼が剣をこちらに持っていくよう遺言がわりの手紙に書いてあるのを読んで、てっきり形見分けと思っていました。生涯の相棒を自分の家に帰したいということで。しかし、どうもそのお話だと違うようですね」

「違うと申しますと?」

「彼は剣を、自分の戦士としての証をグランディスさんに見せつけたかったのかも知れません。自分は最後まで戦士として生きぬいたんだぞと。それは、戦士として生きることを否定し続けた父親に対する彼の答え」

「でも、出来れば生きて帰ってきて欲しかった」

 ベルダネウスは、ふと彼女のメイド以外の顔を見たような気がした。

「戦いの中で死んでこそ戦士の本望。そう思っていたんでしょうね」

「家族の前で死ぬのではいけなかったのでしょうか。まるで家族に背を向けて生きてきたようです」

「そんなことはありませんよ。でなければ、私はここにいません」

「……そうですね」

 微笑むレミレからは安堵の空気が感じられた。

「そう言えば、あの剣はどうなりました? やはりお墓に?」

「おそらくは。その前に鍛え直していると聞いております」

「言われると心苦しいですね。お屋敷に持っていく前、簡単に手入れはしましたが、鍛え直すのはしませんでしたから」

「それでよろしいかと思います。あの剣につけられた傷や刃こぼれ、すべてがカブス様の戦士として生きてきた記録なのですから」

「その言い方だと、鍛え直すというのは……見栄えは良くなるでしょうけど……」

「グランディス様が決めたことですので」

 ベルダネウスは複雑な顔を見せた。しかし、既にボーンヘッド家に渡した以上、あの剣をどうするか彼が決めることは出来ない。

 何かが窓を叩く音がした。

 雨である。

 急な雨は激しく別荘を叩き、ただでさえ寒い空気を一気に冷やす。

「う~寒いっ」

 震えながらフェリックスが飛び込んできた。服に雨跡が残っているのを見ると外にいたらしい。

「何か熱いものが欲しいな」

「かしこまりました」

 レミレが出て行くのと入れ違うように、皆が次々と震えながら帰ってきた。庭にいたのか、スケイルが服に付いていた葉をつまんではくずかごに入れた。他の人達は濡れた様子が無いので、地下砦か建物の中にいたのだろう。

「塔にいたけど、せっかくだから地下砦を通って戻ってきたわ」

 というのはルーラである。レミレ達が熱い飲み物を手に戻ってくる。紫茶の他にホットワインとホットチョコレートがある。三人の審判もやってきた。

「衛士時代に飲んだっきり」

 そう言ってルーラがホットチョコレートに手を伸ばした。彼女は既にいつもの男物の服に戻っている。スケイルとフェリックスはホットワインを取り、カリーナとロジックがルーラと同じくホットチョコレートに手を出した。他はみんな紫茶だ。

「珍しい。子供っぽくて嫌じゃなかったのか」

 フェリックスにからかわれながらも「たまには良いだろう」と切り返すロジックの視線は、ちらちらとルーラに向けられている。

 雨はすぐに止んだものの、気が削がれたのか自然と探索はお終いの感じになった。その代わりではあるが、みんな同じことを考えたのか夕方から図書室は賑わいを見せた。一番人気が「勇者グランディスの冒険」だったのは言うまでもない。

 まだ二日目と言うことで参加者達にも余裕があるのだろう。食事時も、お互いの探索状況を探りつつもそれを笑って流せる雰囲気があった。

 特にロジックは上機嫌でみんなからからかわれた。彼の余裕は鍵の図を写してあるからだろうとルーラは思ったが、口には出さなかった。

「失礼」

 用足しに出たベルダネウスの後をロジックが付いてきた。彼もかと思ったベルダネウスだが、彼はトイレには入らず、黙ったままベルダネウスが出てくるのを待っていた。

「何かご用ですか?」

 聞くベルダネウスに対し、彼は肩を怒らせた。その目には明らかに敵意があった。

「お前、エルティースさんをどうする気だ」

「え?」

「彼女が好意を向けているからって、それに甘えて彼女を飼い殺しにする気か。そんなことはさせないからな」

 いきなり言われてきょとんとなるベルダネウスを睨み付け、ロジックは小走りに去って行った。

 その背中を見ていたベルダネウスは、

「……飼い殺しか……」

 ふっと寂しげな表情を見せた。


(続く)


※次回更新予告「二~三日目、惨劇前の宴」

 参加者が次々と鍵の発見宣言をし、グランディスの底意地の悪さに皆が呆れる。

 ささやかな宴の中、ベルダネウスが新たな特技を披露する。

 二人目の死者が出る。


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