【5・招かれざる来訪者】
グランディスの彫像の形をした門柱をした門を抜け、別荘に到着した一同を三人のメイドと二人の若い男女が一同を出迎えた。男女の方は役人の制服を着ている。
「お待ちしておりました。ご滞在の間、皆様のお世話は私どもがさせて戴きます」
別荘の前で、三人のメイドがそろってお辞儀する。
中央に佇むメイドにルーラも見覚えがあった。最初にボーンヘッド家を訪れた際、相手をしてくれたレミレだ。改めてみると、細身で一件か弱そうだが、無駄のない物腰や、優しさと厳しさを携えた目からはベテランの風格さえ感じさせる。さすがはボーンヘッド家のメイド長である。
向かって右側は
「サラと申します!」
ルーラと同じぐらいの年頃のメイドが元気よく頭を下げる。まるでバネ仕掛けのようなその動きに、一同の顔がほころんだ。ショートカットで猫のような目の彼女は、少々礼儀に欠けても元気に働きそうだ。
「モームと申します」
ぽっちゃりとした左側のメイドがスカートをつまんで丁寧にお辞儀する。玉っころのようなその体型に微笑むスケイルの横顔を見て、彼女がどことなく彼の妻に似ていることにルーラは気がついた。
サラとモームは歳こそ同じぐらいだが、見た目が対照的なせいか、どこかおかしみを感じさせた。まるで三流ショーの幕間に出てくるお笑いコンビのようだ。
「ボーンヘッド様」
メイドの横にいた若い男女が初老の男を連れて前に出た。
「ローテムの村長がご挨拶なさりたいと」
初老の男が前に出て
「お初にお目にかかります。私は」
「その二人が説明しなかったか。挨拶は一切無用と」
「し、しかし。挨拶もなしでは無礼かと」
「無礼は承知の上だ。使いの者も説明したはずだ。今回は、外部との接触禁止であることが大事だとな。外部との接触は、こちらから合図した時のみだ」
外部との接触禁止という言葉に、グランディスの子供たちが不安の表情を見せた。
「しかし、何日も逗留なされるのでしたらいろいろご用の向きはおありでしょう。食材の仕入など」
「食材は十分すぎるほど用意した。その他にも必要と思われるものは全て持ってきた」
「しかし」
「私に同じ説明を何度もさせる気か 。合図が出来ぬ時は誰かを使いに出す」
睨み付けられ、村長はほとんど追い出されるような形で別荘から追い出されてしまった。
「あの言い方はないんじゃない」
「ああ。ぶっきらぼうにしても、もう少し言いようがあると思うが」
ルーラの意見にベルダネウスも頷いた。
馬車を建物に横付けし、荷物を下ろしている間、グランディスは子供たちとベルダネウスを連れ、レミレに部屋へと案内させた。ルーラもついていく。
子供たちの滞在用の部屋は二階の南側だった。中央の階段を挟んで東西に三部屋ずつ。北側にも客室があるが、これは子供達用ではない。
「後でどうこう言わせるわけにはいかん。見比べた上で、部屋を選べ」
そう言って皆を階段のすぐ東側の部屋に皆を入れた。
部屋は二間続きで、かなり拾い。一間でさえルーラ達が普段止まる宿屋の三部屋分ぐらいありそうだ。しかし用意された家具はシンプルなものだった。入って手前に簡単なテーブルとソファ。壁にはクロゼット。
奥の部屋の窓際に机と椅子があり、脇にはセミダブルのベッド。カーテンでベッドを仕切れるようになっている。
装飾はほとんどない。壁に絵が一枚飾られているだけだが、それがグランディスの肖像画なのだ。他にも扉の脇に小さなグランディスの胸像が置かれていた。
「部屋は充分だけどベッドが少し狭いな。これじゃ一人でしか寝られない」
フェリックスがぼやいた。
「一人で充分だろう」
「女の子と一緒がいい。せっかくメイドがいるんだから、夜の方も」
「ここでは女に手を出すのは許さん。手を出した時は最後だと思え」
グランディスに睨み付けられ、たまらずフェリックスは肩をすくめた。
「各部屋ごとにトイレがあるんですか?」
入り口脇の小さな扉を開けたベルダネウスは中の便器を見て驚いた。
「別荘というよりホテルですね」
「ホテルにしては装飾が足りないわ」
奥の部屋を調べているジェンヌが言った。ベッドも机や椅子、机の上のランプも装飾はほとんどない。カーテンには花の刺繍がしてあるものの、目立つものではない。
飾りっ気があるのは、壁の絵と机の上に置かれた筆記用具ぐらいだ。ただ、統一性が無いので変わった形のを寄せ集めただけにも見える。
紙を押さえる文鎮は眠り猫の姿を模しているし、ペン立ては女性を象って、ちょうどやさしくペンを抱きしめているように見える。ペーパーナイフは戦士が振るう剣の形だ。
窓を開けると庭が一望できる。庭の中央には大きな花壇が複雑に備えつけられており、中央にはグランディスの胸像が備えつけられた噴水と休憩所がある。敷地の西側、建物の横には馬小屋があり、井戸がある。
「もう少し派手な部屋の方がいいな。他の部屋も見せてくれる」
出て行こうとするフェリックスに
「しっかり見ておけ。後で文句は言わせん」
「何を見ろっていうんですか? こんな素っ気ない部屋」
「特別な物はないことを見ておけというのではないですか」
ベルダネウスの言葉に、グランディスがにやりと笑い
「さすがだな。子供たちとは違う。では別の部屋を見てもらおう」
さっさと出て行くグランディス。その背後で、子供たちからそろって明らかな不快を伴い視線を向けられて、ベルダネウスは居心地が悪そうに肩をすくませた。
六つの部屋を順繰りに回って、皆が唖然とした。どれもが全く同じなのだ。家具の配置から置かれている机や椅子、ベッド、壁の絵からカーテンから筆記用具まで全て同じだった。違うところと言えば、部屋の位置の違いによる窓からの景色ぐらいだ。
「なるほど、みんな同じか。一つの部屋にあるものは他の部屋にもあり、ないものは他の部屋にもない」
スケイルの言葉に皆が頷く。
「そういうことだ。どの部屋を選んでも同じだ。何をしている?」
部屋の壁をあちこち叩いて回るベルダネウスに声をかけた。
「いえ、壁がやたら厚いなと」
「隣の部屋に聞き耳を立てたり立てられたり出来ないようにな。それで君はどの部屋を選ぶ?」
皆の視線を受けて、ベルダネウスは丁寧にお辞儀をする。
「私は誰も選ばなかった部屋に入らせて戴きます」
「無難な選択だな」
短いやりとりの結果、部屋は東側からカリーナ、フェリックス、ジェンヌ。階段を挟んでスケイル、ロジック、ベルダネウスと決まった。それに従い、各部屋の扉にそれぞれの名前が書かれたプレートが取り付けられる。
ルーラには廊下を挟んだ北側の一番西側の部屋があてがわれた。ちょうどベルダネウスの部屋の前である。
「この別荘に来た理由だが、それは夕食の後に説明する。それまでは自由に過ごして良い。ただし、この別荘の敷地内からは出るな。これは命令だ。エルティースにも言っておけ。精霊と戯れるのは勝手だが、敷地の外には出るなとな」
「わかりました。ところであなたの部屋はどこですか?」
「ない」
それだけの返事に、ベルダネウスと子供たちはそろって訝しげに顔を見合わせた。
「まさかグランディスさんは居間のソファで寝るわけ? それともあたしたちを置いて帰っちゃうとか」
馬車を馬小屋に入れ終え、少ない荷物を自分用の部屋に運び入れたベルダネウスとルーラは建物を簡単に回り、庭に出た。
二人の姿を見つけたグラッシェが馬小屋から声を上げた。久しぶりの旅が半日ほど、それもたいした荷物のない状態で終わってしまったため、少し不満そうだ。
皆は馬車から荷物を下ろし、それぞれの部屋に運び込んでいる。一番荷物の多いのは食材を扱うヒュートロンだ。メイドたちや、一緒にファズから来た魔導師が食材を馬車から降ろしては厨房に運んでいる。
手伝おうと手を出したルーラだが
「お客様にそのような事はさせられません」
とレミレに断られてしまった。彼女はここでもメイド長として家事全般を仕切っている。
「そうそう。私たちの仕事を取らないでください」
冷気に包まれた肉を手に魔導師が笑う。正装はしているものの、どれも魔道士連盟の支給品であり、あまり豊かには見えない。短い髪も髪型というより散髪代を浮かすためのようだ。魔道士の証とも言える魔玉の杖は柄が短く、邪魔にならないようにベルトに差している。
「いえ、力仕事ですので甘えさせて戴いておりますが、長旅でお疲れでしょう。部屋に落ち着きましたら、どうぞ今日のところはお構いなくおくつろぎを」
「でも、三人だけでは大変でしょう。人手が必要な時は声をかけてください。食材の保存だけでは心苦しくて」
魔導師、名をソーン・バルボケットという二十四歳になる男で、メルサの王宮で食材保存を担当する冷気魔導の使い手である。どこの国でも王宮には、食材や夏用の雪や氷を保存するための冷気魔導の使い手が一人はいる。氷などは魔導で作ってしまえば良いという意見はあるが、自然の氷と魔導の氷とは風味がまるで違うという。食にうるさい人は、魔導の氷をものを冷やすのに使っても、口にすることはない。
(しかし大げさだな)
ベルダネウスは思った。夏ならともかく、今は冬。冷暗所で保存すればそうは痛まないし、いざとなればローテム村を通じて取り寄せれば良いからだ。
「どうも事情がわからないままというのは落ち着かない」
「同感」
改めてこの別荘を見回した。先ほどルーラが上空から見た通り、東西に延びた別荘は二階建て。
一階には厨房と食堂、図書室やグランディスのコレクションルームなどがある。ヒュートロンやメイド達の部屋も一階だ。地下室もあるが、そこは倉庫と風呂場になっている。ここの風呂は町にあるような蒸し風呂ではなく、大量の湯を張って体を沈めるタイプのものだ。水は近くを流れる川から引く仕組みが砦時代に浸かられており、それを整備したものを使っている。食堂とコレクションルームには暖炉があるが、それ以外の部屋の暖房は炭火ストーブだった。
そして二階は客室ばかりで南北にそれぞれ六室ずつ。南側の六室には先ほど決めた通りグランディスの子供達とベルダネウスの部屋、北側には
ルーラの部屋から数えてセバス、役人のオビヨン。階段と用具室を挟んであと二人の役人ヨロメイ、カーレ、魔導師バルボケットが入ることになっている。この三人の役人についてはルーラもまだ詳しいことはわかっていない。
ただ、肝心の主・グランディスの部屋がないのだ。
それでいながら、グランディスの胸像はあちこちにある。入り口の門柱はもちろん、玄関脇、廊下の隅、各部屋に必ず一つは胸像がおかれていた。そのせいか、どこにいてもグランディスに見張られているようでルーラは落ち着かなかった。
「お暇でしたら案内しましょうか?」
二人の声をかけたのはメイドの一人、サラである。
「いいんですか? みなさんのお手伝いをしなくて」
「力仕事は男に人がするというので。時間があればお客様に別荘をご案内差し上げるよう、レミレ様からも承っております」
「ではお願いします」
別荘本館はまだ皆の出入りで忙しいので、ぐるりと回るように裏手に回る。
「ここは戦争中、砦として作られた建物を改築したと聞きましたが」
「はい。海から見えないように、平屋でした。それを一度全部壊して建てたんです。ですから新築ですね。でも、砦の名残はありますよ。あれなんかそうです」
サラが指さしたのは、建物の横、崖付近に備えつけられた三つの台座である。石造りで四角く、がっしりとしているがそれだけである。
「あれは投石機の台座です。壊す前はあそこにバネ仕掛けのでっかい投石機があって、ずっと前の戦争では、沖を通る敵の船に岩や火の玉を放って攻撃したんだそうです。実際に使っているのを見たことはないですけど」
「魔導師が攻撃すれば良いのに」
ルーラの疑問にベルダネウスは
「魔導師の攻撃魔導じゃ届かないだろう。飛行魔導で飛び回って船を攻撃するにはそれ相応の技量がいるし、敵だって対策ぐらいする。投石機を備えつけるのと、魔導師を一人それなりに育て上げるのでは、どこだって投石機を取るだろう」
その説明にサラが軽く拍手した。
「爺ちゃんもそう言ってました。投石機の他に、地面の下にはでっかい地下砦が作られていて、それは今でも残っています。昔の兵士が使っていた武具や爆裂弾が残っているそうです。もっとも、ここを立てる際に調べたところ、爆裂弾は見つからなかったそうですけど。きっと撤退する時に持っていったんだと思います」
「武具は?」
「ほとんど錆びててただの鉄の棒や板と変わらないそうです。雰囲気作りに良いとかで、ほとんどそのままにしてあるそうです。後で空いている時間にでもご覧なったらいかがですか。ただ、下の方には潮トカゲとかがいるそうですから気をつけてください」
「砦の中に入れるんですか?」
サラが二人を崖に案内する。当然ながら落ちないように頑丈な手すりが張り巡らされていた。
手すり越しに三人が崖下を見下ろした。遙か下の岩肌には荒い波が打ち付けては白い泡を作っている。
「気をつけてください。落ちたらまず助かりません」
そのまま手すりに沿って三人が歩くと、
「あれは、最初からあったのか。それともこの別荘と一緒に作ったのか?」
ベルダネウスが指さした。手すりの少し下に一カ所、人の足ほどの幅しかないが、細い道のようにものがあって崖下に続いている。道のように歩くことは出来ないが、これを足場に、あちこちにある岩の出っ張りを使えば上り下りできそうだ。命綱を用意すればそれほど難しくないだろう。
「別荘を作る前からありましたよ。これに沿って下りると、地下道の穴につきます。ローテムの村では、以前は度胸試しにと男たちがここを上り下りしていました」
「危ないな。落ちたら死ぬぞ」
「実際、落ちて死んだ人が何人かいました。ですからちょうどこの下にはその人たちの骨が」
「あっても波にさらわれるでしょう」
「ですよね」
屈託なくサラが笑う。メイドとしての経験はそれほど長くないのかもしれない。口調がいつの間にか友人と話すようなものになっていた。
「別荘から地下砦に入るにはここを通るしかないんですか? 別荘から直接入る出入り口は?」
「聞いていませんけれど、あたしはあると思うんですよ。だってこの別荘、結構遊んでいるでしょう」
「遊んでいるって?」
今ひとつ意味がつかめずルーラが小首を傾げた。
「いろいろお遊びが組み入れられているということだろう。実用性は乏しいけれど、あったら楽しい仕掛けとかだな」
「そうです。そこの塔だって。悪い魔法使いがお姫様を閉じ込める塔をイメージして作ったって聞きました。それに庭の真ん中にある花壇、あれ、入ってみるとわかりますけど、実は迷路になっているんです」
「なるほど、窓から見た時、ずいぶん入り組んだ花壇だなと思いましたが、花壇を壁に見立てた迷路でしたか」
「そんなに複雑じゃないですけど、慣れない内は迷うと怖いですよ。花壇があたしの頭よりありますから」
そう言うサラはルーラと同じぐらいの背丈だ。
「そんなのを作っているんだから、真下にある地下砦なんておいしいものを使わないはずないじゃないですか。きっと別荘のどこかに地下道に通じる扉がありますよ」
自信満々のサラにつられるように、ルーラも「きっとそうよ」と頷いた。ベルダネウスもそれに同意した。
彼らは続いて塔に来た。とんがり屋根の円柱型。別荘のベルダネウスたちにあてがわれた部屋と同じぐらいの幅がある。所々に小さな窓があるが、人が出入りできる大きさではない。塔全体は新しいのだが、全体を蔦が覆っている。しかし、細くてそれを使って登るなんてことは出来そうになかった。
「とらわれのお姫様が毎日助けを求めて外を眺めている……つもりで作られたわけね」
ルーラはてっぺんの窓を見上げた。もちろん囚われのお姫様の姿はない。
塔を回ってみて、ルーラは小首を傾げた。
「出入り口がない?」
「隠し扉だな。そんなに手の込んだものではないと思うが」
二人がサラを見るが
「すみません。これ以上のことは申し上げられません。塔への入り方はご自分で見つけてください」
深々と頭を下げられた。これもここで行われるというゲームのひとつということらしい。
馬小屋の方が騒めきだしたので見ると、ベルダネウス達のを除く馬車がそろって庭に出てきた。
「どうしました?」
ベルダネウス達が歩み寄り、御者台の男に声を掛ける。
「荷物を全て下ろし終えましたので、私どもは戻ります」
「そういう約束だからな。十五日後かこちらから連絡した時に迎えに来ることになっている」
いつの間にかグランディスも出てきた。
メイド達が見送る中、馬車が別荘を出て行く。
(何だか、ここに置き去りにされるみたい)
門を出て砂煙を舞い上げて走る馬車の後ろ姿は、ルーラにはやたら非情に見えた。気のせいか、日が沈む足も速まったように思える。
一気に人数が減ったせいか、急に空気が物寂しく感じられる。
「サラ、中にいなさい。みなさん来たばかりでいろいろ戸惑うことも多いでしょうから」
レミレに言われてサラは別荘の中に戻っていった。
ルーラたちは再び敷地内を歩き始める。塀に沿って歩き、塀に絡まっていたり、塀の足下に生えている植物を見ていたが
「やっぱり、中の人を逃がさない作りだわ」
「どういうことだ?」
ルーラは先ほど上空からこの別荘を見た時の印象をベルダネウスに話し
「塀に絡まっている蔓。これは剥がれ蔦なんて言われてて、簡単に剥がれる上、茎が剥けて出る汁はすごいかぶれるのよ。何も知らずにこれをロープ代わりに塀を越えようとしたらひどい目に会うわ」
「塔の蔦とは違うのか?」
「違うわ。そして塀の足下に生えているのはみんな鋭い棘のあるものばかり。自然にこうなるはずないから、作る時に意識して植えたのよ」
山育ちに加え、ラウネ神殿の本に囲まれていただけにルーラは山の草木に詳しい。
「その通りだ」
グランディスが満足げに頷きながらやってきた。
「危ないですよ。剥がれ蔦なんかうっかり誰か引っ張ったら」
「薬は十分用意してきた。バルボケットも得意ではないが治癒魔導が使える」
魔導師連盟は「魔導とは人々の生活を少しだけ楽にするもの」と掲げているので、魔導師は基本的に全員治癒魔導を教えられている。そのレベルは人それぞれだが。
自然と三人は並んで歩く形になった。
正門につくと、グランディスはしっかりと鍵がかけられているのを確認する。
「本当に私たちを閉じ込めているみたいですね」
「勘ぐりすぎだ。ん?」
グランディスの呟きに、ベルダネウスとルーラが足を止めた。
山道、まっすぐこの別荘に続く道を、誰かが一人歩いてくる。
後から来るというセバスかと思ったルーラが目をこらす。
その人物……グランディスと同年代の男とルーラは判断した。恰幅こそ良さそうだが、着ているものは薄汚れてみすぼらしかった。使い込まれて半ばボロになった皮鎧、羽織ったマントには血の跡と思われる黒ずみがあった。埃をかぶってぼさぼさの髪は、もう何十日も洗っていないように見える。しかし、食べるものは食べているらしく、その足取りはしっかりして疲れをあまり感じさせなかった。
「彼もお客ですか?」
ベルダネウスの言葉にグランディスは
「いや、来ていないのはセバスだけだが……やつは違う」
珍しくその口調からは緊張が感じられた。この道は別荘への一本道だ。その道を来る以上、道に迷ったのでない限り、あの男はここに用事があるのは間違いない。
男は門の前まで来ると、閉ざされた門越しにグランディスに向かって呻いた。
その時、大きく開かれた襟元からひどい傷跡が男の喉に走っているのが見えた。
「喉の怪我でしゃべれないんですか?」
ベルダネウスに言われ、男はそうだとばかりに大きく頷くと襟元を固く閉じた。その間も、視線はグランディスから放さない。
「誰だお前は?」
グランディスに言われて、男は自虐的に笑うと懐から手帳とちびた鉛筆を取り出した。そして手帳に何事か書き込むと、グランディスに見せた。
『忘れたか ゼクスだ』
途端、グランディスの目が見開き、男の顔をまじまじと見つめた。
「ゼクス……確かに……あ、いや……」
彼は迷っているように見えた。喜びたいとも、追い返したいとも、とにかく、予想外の時に予想外の人物が現れて、対処の仕方を迷っているようだ。
「久しぶりだな。何年ぶりだったかも忘れたぞ。どうして来た。あれっきりの約束のはずだ」
『何か食わせろ 腹が減った』
また手帳を見せ、門を開けようと手をかけた。が、鍵がかかっているので開かない。
「入るな! こちらにも事情がある」
叫ぶと共に、門を開けさせまいと押さえつける。
その様子に男・ゼクスがうすら笑った。まるでグランディスの反応を楽しんでいるようにも見えた。
「ベルダネウス、厨房へ行ってなにか食べ物を持ってこい。あと金箱もだ。金箱の場所はオビヨンに聞けばわかる。それと、他の奴らを一切近づけさせるな」
切羽詰まった様子に、ルーラとベルダネウスは黙ってそれに従った。
「どうしたんですか? あの男は? 父の知り合いですか?」
門の様子を見たのだろう。子供たちが興味半分、心配半分でルーラたちに聞いてきた。
「ゼクスという人ですが、詳しいことはわかりません。誰かご存じですか?」
しかし、誰も知っている人はいなかった。
オビヨンというのはグランディスの馬車に呼ばれた時、彼の隣にいた男だった。彼から手提げの金箱を、ヒュートロンからパンと調理済みの肉と果物の入った駕籠を受け取ると、二人は門に戻っていく。
「それはお前の結果だ。お前が失敗したのは気の毒だが、その尻ぬぐいを私がする義務はない!」
グランディスの怒声が聞こえた。彼が何か言う度に、ゼクスは手帳に何か書いてはグランディスに見せる。その繰り返しだった。
「これは私とお前の問題だ! 子供たちには関係ない! 子供たちには手を出すな!」
顔を真っ赤にして怒鳴るグランディスに対し、ゼクスはあくまでも淡々と手帳に言葉を書き込んでは見せる。
「来たか」
金箱を受け取ると、グランディスは開けて中身を確かめた。ざっと見て五十万ディルほど入っている。それをゼクスに見せると
「こいつはお前にくれてやる。二度と私の前に姿を見せるな。子供たちにも手出しはするな。いいな!」
門を開けると金箱と食べ物の入った駕籠を外に置き、すぐにまた閉める。
ゼクスは手帳にまた何か書くと、金箱と駕籠を拾い上げた。
『俺の不幸と同じだけ、お前とお前の子供たちにも不幸になってもらう』
見せた手帳には、乱暴な筆跡でそう書いてあった。
ゼクスは声にならない哄笑と共に、駕籠と金箱を抱えて走り去っていった。
「よりによって、今日、この場所に来るとは……」
走り去るゼクスの後ろ姿を睨み付けるグランディスの拳が震えているのは、冬の寒さが原因ではなさそうだった。
荷物を自室に入れ終えて、手持ちぶさたになった五人の子供たちとベルダネウス、ルーラは、誰が誘うでもなく自然と一階のコレクションルームに集まった。食堂のように殺風景でもなく、手頃なソファやテーブルがあり、奇妙な絵画や彫像が並ぶここは、皆がくつろぐ応接室代わりにちょうど良かった。
「本当に誰もゼクスって奴を知らないのか?」
疑り深い目でロジックが皆を見た。
「知っているのに知らないふりをしているっていうのか。そいつは勘ぐりすぎだぞ。そんなんだから仕事でしくじるんだよ」
「関係ないだろう!」
わめくとロジックはメイドたちが用意した紫茶を一気にのみ、「冷めてるぞ」と文句を言った。
「様子から察するに、父の古い知り合いみたいだが」
「あまり歓迎している風ではなかったわね。あの男が嫌いなのか、この状況で訪ねられるのが嫌だったのか」
スケイルとジェンヌは落ち着いて状況を見極めようとしている風だった。
「もういや。ここで何をする気か知らないけれど、さっさと終わらせて帰りたい」
頭を抱えるカリーナに
「帰ればいい。別に止めやしない」
「そうもいかないわよ。参加すれば母さんの墓で頭を下げるって約束なんだから」
「あの父さんが頭を下げる。そりゃあ傑作だ」
フェリックスが膝を叩いて大笑いした。
「ここで何をするか知らないが、よほど大事なことなんでしょうね。あなた、父様のお気に入り何だから何か聞いてないの?」
ジェンヌの言葉に、皆の視線がベルダネウスに向けられる。
「ゲームとしか聞いていません。亡くなられたカブスさんの代わりに参加しろと。参加料としていくらかもらうことになってますから、私は単なる数合わせかもしれません」
「他人は気楽で良いよ」
「はい。皆さんほど深刻に悩まずにすみます。ゼクスという人がボーンヘッド家とどんな関わり合いがあるかを考えるよりも、ここでコレクションを眺めている方が良い」
棚に飾られた彫像や、壁に掛けられた絵などを見て、ベルダネウスは首を傾げる。
「伺いますが、これはグランディス氏の趣味で作らせたものですか、それともこういうのを選んで手に入れたのですか?」
その意味は端から見ていたルーラにもわかる。ここに飾られているコレクション。絵画、彫刻、家具などジャンルはバラバラだが、ひとつの共通点がある。
どれも未完成品なのだ。もう少し、あと一作業で完成するというところまで来ているのだが、そこで止まっているものばかり。
壁に掛けられたグランディスの肖像画には目は開かれているのに瞳が描かれていない。枠に入れて飾られた古代魔導都市の金貨など、一、五、十、五十、百、五百、千の七種類あるはずなのに、五十の金貨が抜けている。飾られた剣も刃はあるが柄がむき出しで金属のままだ。
棚に飾られている彫刻も同様だ。勇ましい獅子の像なのに鬣の彫りがされておらずのっぺりとしている。六本腕の戦神シュラの像はその手にあるはずの剣が一本もない。木製の笛は八つあるはずの穴が七つしか開いていない。
タンスには引出はあるが、それを引き出すために掴む把手がない。床に敷き詰められた絨毯など、不自然な色合いだなと思いよく見ると、青が一色だけ抜けている。
とにかく、ここに飾られたものはどれもとれも完成一歩手前のものばかりである。
仕方がないとばかりにスケイルが立ち上がり、コレクションをひとつひとつ指さしながら
「父がわざとこういうものを集めたんですよ。何かの事情で完成されずに放置されたものを選んでね」
「未完成と言うより、不良品みたい」
それがルーラの感想だった。
「もちろんそれもあるでしょう。これなんかは不良品の類いだと思いますよ」
スケイルが飾られた毛皮のコートの袖を取って見せた。ボタンはあるがそれを通す穴がない。
「こんな中途半端なものを集める以上、何らかの意味はあると思うんですけどね」
「教えてやろう」
いつの間にか扉が半開きになり、グランディスが顔を見せていた。顔色は悪い分、目つきに後がないような迫力がある。
「完成寸前、もう少しで完成する。それはある意味、ものが一番輝く時だ」
部屋に入り、飾られている様々なコレクションを一つ一つじっくりと見つめていく。
「最初は私も完成品を好んだ。一分の隙もない完全に、完璧に感動した。だが、しばらくするとそれらの大きな欠点に気がついた。完成したら、それで終わりなのだ。それ以上がない。そこから先がない。それからというもの、私は一番素晴らしいのは完成ではなく、その一歩手前の状態だと思うようになった。ここに集めたものは、その意味でも最も素晴らしいものばかりだ」
「どんなに素晴らしくても、未完成である以上、商品としては……。秘めた可能性は否定しませんが、可能性は希望にはなっても商品にはなりません」
肩をすくめるベルダネウスに、
「そんなことは百も承知だ。だから、私も集めたこれらを人に見せたりはしなかった。子供たちも今まで知らなかったろう」
「それを見せたと言うことは、何か意味があるんですね!」
勢い込んでロジックが身を乗り出した。
「それは自分で考えるんだな」
「まさか隣の蔵書もみんな未完とか」
「さすがにそれはない」
グランディスは部屋を出ると、図書室へと向かう。皆もなんとなくそれに着いていく形になった。
「わお」
図書室に入った途端、フェリックスが声を上げた。窓と扉を除いて、全ての壁に本棚が並び、軽く見ても二千冊はある。別荘に運び込まれたばかりのせいか、どれもジャンルやタイトル別に整理されていた。中央には無骨なテーブルと椅子があり、テーブルの中央にはメモ用紙と筆記具がある。
「ここには私がこれまでの人生で何らかの影響を受けた本がある。読んだものもあれば、無くしたので買い直したものもある。ここの本は自由に読んで良い。ただし、この部屋から持ち出すのは禁止だ。読む時は必ずここで読め。必要ならばメモを取れ。わかったな」
「これはいい。これだけあれば十日や二十日は退屈せずにすみそうです」
うれしそうにベルダネウスは本棚を眺めた。各種専門書の他、世界中を回って各地の文化を面白詳しく紹介したヨーデル旅行記シリーズがあったり、各地の食文化を紹介したクイケ食べ歩きシリーズなんかもある。
各分野の偉人伝もある。八大神の各教祖はもちろん、アクティブ国の初代王キラードやスターカイン国の初代王テンベエ、魔道士連盟設立最大の立役者と言われるフェイク、治癒魔導の母と呼ばれるテレサールなどだ。
「メルサ初代王の伝記がありませんね」
「メルサ・グラングか。私は嫌いだ。だからない」
なるほどと一同が苦笑いする。
「これは……子供向けの冒険小説ですか?」
本棚の一角を指さした。そこには「トカゲのクリンタ」「王子様物語」「それゆけルーブル衛士隊」など子供向けの小説が並んでいた。
「王子様物語は娘の好きなシリーズだ。最新刊を先日買ってやり、ベッドで読み聞かせたよ」
スケイルがタイトルを見て微笑んだ。読み聞かせた時のことを思い出したのだろう。
「しかし、父には似合いませんね」
「私だって子供の頃はこういうのを読んだ。いくらか大人になると馬鹿馬鹿しいと思うようになったが、不思議なことにここ数年、また普通に読めるようになった」
「知り合いの老魔導師の受け売りですが……子供向け作品の良いところは、優しい人はみんな幸せになり、悪人は報いをうけることです。苦い現実に長く浸ると、そういう世界が心地よく感じるんです」
言いながらベルダネウスはタイトルを眺めていたが
「これは、もうひとつ理由がありそうですね」
と言って取った本の表紙には「勇者グランディスの冒険」と書かれていた。タイトルを見て、一同が笑いを堪える。さすがに気恥ずかしいのか、グランディスも目をそらした。
「私だって人間だ。自分と同じ名前のキャラクターは気になる。ましてやそれが主人公で勇者となればな」
「わかりますよ。私も覚えがあります。もっとも、私と同じ名前のキャラクターは王女を暗殺しようとする刺客で、最後はメイドに花瓶をぶつけられて階段を転げ落ち、頭を打って死にましたが」
苦笑いしながらベルダネウスは手にした本をぱらぱらめくり
「子供たちの名前もあるのかと思いましたが、ありませんね」
「当たり前だ。そこまで一致してはたまらん」
会話が途絶えるのを待っていたかのように、スケイルが口を開いた。
「父さん。ゼクスというのは誰なんですか?」
「昔の知り合いだ。お前たちには関係ない」
今度はジェンヌが口を出した。
「関係はあります。ベルダネウスさんは、先ほどゼクスさんが筆談の最後にこう書いたのを見たそうです。『俺の不幸と同じだけ、お前とお前の子供たちにも不幸になってもらう』私たちにも関係はあります」
忌々しげにグランディスはベルダネウスを睨み付け
「口の軽さは商人にとって損失だぞ」
「何事もお互いに出し合ってこそ、互いの利益につながります。どちらか一方だけでは、益の流れが滞ります」
グランディスはわずかに思案し
「仕方がない」
と椅子に座った。子供達もそれに倣う。
「ベルダネウスには出ていってもらおう。これは家族の問題だ。赤の他人に座る席はない」
ロジックが扉を指さした。
しかたないと図書室を出ると、ルーラは頬を膨らませた。
「何よ、あの態度」
「そう言うな。赤の他人が家族と同様の扱いを受けているんだ。面白くもないさ」
その時、門に備えつけられていた鐘の音がした。メイド達が早足で玄関に向かう。
何事かとそれについて二人が外に出ると、門の前でコートの襟を立てているセバスの姿が見えた。背中には大きなリュックを背負い、地面にはこれも大きなケースを置いている。
「馬では来なかったのですか?」
メイド達と共に出迎えたベルダネウスが聞くと
「村に置いてきました。ここでは世話が大変なので」
言ってからルーラの顔が曇るのに気がつき
「グラッシェですか、馬一頭ぐらいなら大丈夫ですよ。ここから出て行こうとしなければね」
ルーラには、それは出て行こうとすれば馬を殺すという脅しに聞こえた。
「グランディス様は?」
「お子さん達を相手にお話し中です。それでひとつお聞きしたいことがあるのですが」
ベルダネウスはゼクスのことを簡単に話す。
「ゼクス……聞いたことがありません。関わり合いがあるとしたら、私がお役目に付く前のことでは?」
「ここに来たということは、ゼクスはグランディスさんの動きを知っていた。前もってここに先回りしていたのかも知れません」
「わざわざ?」
「ファズではグランディスさんと接触するのは難しいでしょう。出来たとしても彼の周りには護衛が何人もいる。今回のことを知って、チャンスとばかりに先回りしていた」
「あり得ますね」
「彼のことは気がつかなかったのですか?」
「お恥ずかしながら。……先回りではなく、朝からみなさんをつけてきたということは?」
「それには馬が必要でしょう……いや、どこかで手に入れて、この近辺につないでいる可能性がある」
「後で村に問い合わせましょう」
「お願いします。どうも私はゲームが終わるまでここを出られないようですから」
別荘に入った彼らを出迎えたのは、カリーナの怒声だった。
「父さんの蒔いた種じゃない! なんであたしたちまで狙われなきゃ行けないの!? あたしは帰ります!」
図書室の扉が開き、鼻息も荒くカリーナが飛び出してきた。ジェンヌが続き、彼女の腕を取る。
「待ちなさい。馬は返したし、あなた、ファズまで歩いて行く気?」
「姉さんは平気なの? 父さんのせいで命が狙われるかも知れないのよ」
「だからこそ落ち着いて考えないと」
彼女はカリーナの手を取り、ベルダネウスたちに気がついて一礼すると二階に上がっていった。
「先ほどは取り乱してすみませんでした」
ランプの明かりの中、恥ずかしげにカリーナは頭を下げた。日は暮れ、外はすっかり夜となっている。
図書室で、カリーナはジェンヌに付き添われる形で皆に頭を下げた。グランディスはセバスと二人で話をしており、ここには子供たちとベルダネウス、ルーラだけだ。
「そんなに気にするなよ。怒鳴りたくなる気持ちはわかるし」
「そこを押さえてこそ大人だろう。これだから女は」
鼻を鳴らすロジックを、ジェンヌが睨み付けた。気まずい空気の一同をベルダネウスは見回し
「もし差し支えなければ、ゼクスという男について聞かされた内容を教えていただけませんか」
「君に関係があるのか?」
「いいじゃないか。話したら何か不都合が起きるわけでもなさそうだし。ただし、他言に無用です。特に役人に対しては」
むくれて目をそらすロジックを尻目に、子供たちを代表する形でスケイルが話し始めた。
「父がボーンヘッド商会を起こす前、ゼクスという男と一緒に、海に沈んだ一隻の船を見つけました。戦争で沈んだメルサの軍船です。その船には多額の軍資金が積んでありました。今の金額にして、ざっと二千万ディルはあったそうです。
本来ならば国に報告、軍資金を国に差しだした上でいくらかの報奨金をもらうべきなのでしょうが、父たちはそうしなかった。黙って全てを自分たちのものにしたんです。そして二人は軍資金を山分けした。それがボーンヘッド商会を起こす資金になった。
ゼクスはメルサを離れ、東の群国地域で商売を始めたらしいです。しかしうまくいかなかった。現地の人達と揉め……詳しいことは父にも話さなかったそうですが、従業員たちの反乱と呼んで良いようなものだったらしいです。家族はみんな殺され、彼も喉をつぶされ声を奪われました。彼は何とか逃げ出し、メルサに戻ってきました。
そこで彼は父が自分と違って成功しているのを知りました。何もかも失った自分と、成功し、国と同等の財力を手にした父。彼は父に財産の半分を要求しましたが、父は拒絶しました。
それにゼクスは怒り、自分の味わった不幸を父にも味合わせると言ったんです」
「要するに負け犬が妬んで脅迫して来たってことだ」
フェリックスの言葉にスケイルは頷きつつも
「しかしこちらが訴えるわけには行かない。そんなことをしたら、ボーンヘッド商会が国の金を横領して作ったって事がばれてしまう。父は国の財産横領の罪で牢屋行き。へたしたら商会自体国に没収だ」
「セバスさんが来たんだろう。あの人に頼んで口を封じてもらえば。あの人、ああいうの得意そうだし」
「怖いことをさらっと言うわね」
ジェンヌが呆れて息をついた。
「いいじゃん、ゼクスだってそれぐらいのリスクは承知だろう」
「父様はどうするつもりかしら」
皆が沈黙した。結局、最終判断を下すのはグランディスになるのだ。
「とにかく、ゼクスという男に関しては父が自分から言い出すまでは、こちらから話題にするのは避けよう。ここには役人もいるんだ」
「それしかないか」
面白くはないが、他に良い案は思い浮かばない。それが皆の共通した思いだった。
廊下で鐘が鳴った。食事の支度が調ったのだ。
食事は先日ルーラが誕生祝いで口にした料理をさらに洗練させた物だった。
「あー、やっぱりおいしいごはんは良いわ」
パンをちぎると、皿に残ったシチューを拭うように付けて口に運ぶ。口いっぱいに広がったソースに至福の表情を浮かべると
「エルティースさんは本当に幸せそうに食べますね」
向かいのバルボケットが笑顔で食後の紫茶を口にする。
「もちろん、ザンと一緒にいて楽しいのはあちこちでおいしいものが食べられるってことですから」
実際にはハズレをつかむことも多いが、行く先々で食べたことのないものを口にするのは楽しかった。
(これでザンと一緒だったらなぁ)
一階の食堂で食事が出来るのは基本的に主人であるグランディスとそのお客様だけである。今回でいえば子供達とベルダネウスだ。それ以外の人達はここ、厨房横の部屋で食事をとっている。いつもは立場に関係なく一緒に食事をしているせいか、妙に寂しく感じる。
もちろん給仕なんていない。一人分の食事が事前に盛られており、各自勝手に食べる。料理も参加者に振る舞われているのよりも一段落ちる。しかし、今回は最初の食事のせいか、上と同じものが出された。
三人のメイドとヒュートロンは上で給仕をしており、今、ここで食事をしているのはルーラの他、バルボケットとセバス、そして三人の役人だ。
「バルボケットさんは王宮にお勤めと聞きましたけど、ボーンヘッド商会の仕事を受けて大丈夫なんですか?」
「仲が悪いとは言っても、それほど深刻に考えているのは上の方だけですよ。それに、冬は冷気魔導になかなかお呼びがかからないもので、今回の依頼は助かりましたよ。昨年の夏があまり暑くなかったもので、少々懐具合が寂しかったですから」
二人の笑いが響く。主にしゃべっているのはこの二人だけで、セバスと役人達はほとんど無言だ。ルーラは何度か話しかけたが、必要最低限な返事が無機質に返ってくるだけなので諦めた。
「ちょっとお酒が欲しいですね」
「用意はありますが我慢を願います」
セバスが軽く頭を下げた。
「今夜に限っては、皆さん酒抜きでいてほしいということなので。グランディス様を含め、皆さんお酒はご遠慮願っています」
「明日まで我慢ですか」
バルボケットは残念そうに頭をかいた。
そこへモームがやってきて
「みなさん、食事がお済みになりましたら食堂までお越しください。グランディス様のお話があります」
(いよいよね)
ルーラが立ち上がる。
役人三人の顔が堅くなるのがわかった。
皆が食堂に集まったが、グランディスの姿は見えなかった。
「ちょっと外を回ってくるってさ。来いって言っといて自分は散歩とはね」
フェリックスが外を指さす。
ルーラは窓を開けて庭を見た。冷たい冬の風の中、月に照らされた庭をグランディスがゆっくりと歩いているのが見える。
その姿に彼女は見覚えがあった。村にいた頃、山の中でああいう姿の動物を何度か見た。弱り、死を間近に感じた動物たちが、静かに死に向かって歩く姿だ。
そう、ルーラは間違いなく、この時のグランディスから死を感じていた。
「寒いわ。窓を閉めて」
ジェンヌに言われてルーラは窓を閉めた。まるで自分たちを閉じ込めるような気がした。
それからまもなく、グランディスが戻ってきた。
食堂の面々をざっと見回し
「皆、揃ったようだな」
グランディスを挟むように、三人の役人と魔導師バルボケットが立った。メイド達とヒュートロンは壁際に控え、入り口には見張りのようにセバスが控えている。
合計十七人。この屋敷にいる全員がこの食堂に集まっていた。
「揃ったところで父上、今回の集いの目的をご説明願えませんか」
スケイルが疲れたように背もたれに体を預けた。各自の前に用意された紫茶は既に冷めてしまっている。
………………
そして物語は冒頭に戻る。
※次回更新「ルール」
時系列的には、次章は第1章の終わりから始まる。
ついに語られるゲームの内容。
そして最初の死者が出る。