【4・出発】
翌朝は不安など存在しないかのように晴れ渡った。夜明けすぐのため、まだ空気は冷たいが、お日様の暖かさと冬の冷えた風が心地よくミックスされて、ルーラには空気全体が心地よく感じられた。
「ベルダネウスさんですね。伺っています」
門番が開けてくれた門を通り、ベルダネウスたちの馬車がボーンヘッド家へと入る。
「あたしたち、何だかすごい場違いに思えるんだけど」
ルーラがいつもの指定席、馬車の屋根からむずがゆそうに言った。着ているものも、男物の厚手の服に皮鎧といういつもの護衛仕様だ。
建物や庭など敷地内の優雅華麗さの中では、二人の馬車はみすぼらしく見えた。もっとも、装飾がないためそう見えるだけで、馬車そのものの作りは実にしっかりしているのはルーラにもわかっている。長旅に耐え、悪路をものともせず、中を商品を雨風から守る。何でもかなり腕の良い職人の作だという。
しかし、頭ではわかっていても、ボーンヘッド家の馬車を目の前にしては心の奥で劣等感がつついているのも事実だ。
ボーンヘッド家の庭には、六頭立ての馬車が一台、四頭立ての馬車が三台止まり、乗り込むべき人を待っていた。派手な装飾こそないが、馬の毛並みの良さ、臙脂色の馬車に使われている木材が放つ光沢とかなり金のかかったものであることは、よほど馬車を知らないものでない限りわかるだろう。
それから少し離れたところに、他の馬車より大きい六頭立ての荷馬車が止まっている。こちらは主に食品などを運ぶのだろう。台車の車輪部分の特徴から、対振動用の仕組みが施されている、ワインや卵などいわゆる「壊れ物用」の馬車であることがわかる。
「あれ?」
ルーラは馬車の横で積み込む食材のチェックをしている男に見覚えがあるのに気がついた。
「ヒュートロンさん」
間違いない。彼女が十七の誕生日を祝った、あの店の料理人だ。
「これはこれは。この度はお二人もお呼ばれになったそうで」
正しくは呼ばれたのはベルダネウスで、ルーラはその付添のような形だが、二人とも特に訂正はしなかった。
「別荘にいる間は私が食事を任されております。何かご希望があれば早めに言ってください。向かうにつく前に材料を揃えられるようなら揃えます」
「お任せしますよ。あなたが担当なら食事は楽しい物になりそうです」
「ベルダネウスさんですね」
地味な茶系統ツーピース姿の女性が歩いてきた。こちらも見覚えがある。あの日、グランディスに突っかかっていた彼の娘の一人、カリーナだ。
「先日は大変お見苦しいところをお目にかけて、申し訳ありませんでした。それに私どもの危ないところを助けて戴いたにも関わらず、今日まで御礼にも伺いませんで」
深々と頭を下げた。
「お気になさらずに。母親が死んで間もないとなれば、気が立っていても仕方がありません」
「本当に病死でしたら、諦めも付きますが……突然のことでしたので」
彼女の表情は複雑で、ルーラにはその胸の内を読み取れなかった。
ベルダネウスたちが集めた情報によると、グランディスの子供は全員母親が違っていた。そして彼はその母親の誰とも結婚はしなかった。それどころか、子供がある程度育つと、母親から奪い取るように子供を引き取り、ボーンヘッド商会に入らせ仕事をさせた。
そして今、六人の子供たちの母親は、カブスの母親を除いて全員死んでしまった。彼の母親も、遺体は見つかっていないが、行方不明となっており、
「他の母親同様殺されているんだ。死体は誰にも見つからずどこかに埋まっているんだろう」
「いやいや、身の危険を感じてよその国に逃げたんだ」
などと言われているが真偽は不明である。とにかく
「いくら何でもこれは不自然だ」
と母親達は殺されたのだと噂する者が多い。今回のカリーナの母親も殺されたのではと言う疑惑があるが、今のところはカリーナの母親は病死と言うことになっている。
「あたし……今でも父さんを許していません」
言い捨て去って行く彼女の後ろ姿に、ベルダネウスは首を傾げた。去り際に彼女が自分に向けた目に、嫌悪感があるように思えたからだ。
ルーラもそれを感じ取ったのだろう。
「ザン、彼女に何かした?」
「いや、覚えがない」
小首を傾げる二人に、ヒュートロンが「あの……」と声をかけた。
「おそらく、ベルダネウス様がボーンヘッド様に気に入られているのが原因ではないかと。カリーナ……様から伺ったのですが、ここ数日、家族が集まればグランディス様はベルダネウス様のことを高く評価する発言ばかりだとか」
「ジェンヌさんもそんなこと言っていたわね」
「しかし私には覚えがないぞ。先日会った時も、気に入られているようには思えなかった」
だが、グランディスの子供達の反応を見る限り、彼がベルダネウスを高く評価しているようなことを口にしているのは事実のようだ。
「ですから、ご家族にはベルダネウス様のことを快く思っていない人も」
「嫌いな奴のお気に入りは嫌いってことか」
「そんなの関係ないでしょ」
「好き嫌いは理屈じゃないからな。頭じゃおかしいと思っても、気持ちはそうもいかないものさ」
肩をすくめるベルダネウスの後ろで、ルーラは小さな子供がグラッシェを興味津々で見ているのに気がついた。ピンク色のフリル一杯のドレスを着た。ちょっとふくよかな少女だ。厚手の帽子に毛皮のマントを羽織っている。三つか四つぐらいだろうか。初めてボーンヘッド家を訪れた時、鞠遊びをしていた子供だ。
「ねえ、これも馬なの?」
グラッシェを指さして聞く。ベルダネウスたちの馬車馬であるグラッシェは、口の悪い人は毛だるまなどと言う長毛種で、実際、冬毛に覆われた今は、毛の塊に見える。
「そうよ。私たちの馬で名前はグラッシェ」
「変なの。毛だらけ」
「今は冬毛だから。夏になれば馬っぽく見えるわよ。足はそんなに速くないけどすごく力が強いの。荷物を満載した馬車を平気でぐいぐい引っ張っていく頼もしい仲間よ」
それに応えるようにグラッシェが嘶いた。びっくりして後ずさる少女に、ルーラはグラッシェの毛を掻き分けて顔を見せてやった。
「お馬さんの顔だ」
面白がって今度は近づいてくると、ふと気がついたようにルーラを見た。何か迷っているように小首を傾げて彼女を見ている。
「どうしたの? あたしに何か言いたいことがあるの?」
膝を折って目の高さを少女に合わせ、笑顔を向けた。
「お姉ちゃん……女の人?」
「そうよ」
「どうして男の人の服着ているの? 着るものないの?」
ルーラは軽く吹き出した。確かにおかしいかも知れない。
「この方が動きやすいのよ。スカートだと激しく動きにくい、空を飛ぶ時に足に絡まったりするの」
「お姉ちゃん、空を飛べるの!? 魔玉の杖持っていないけど魔導士の人?!」
途端、少女の目が輝きだした。
「あたしは魔導士じゃなくて精霊使い。自然の精霊たちにお願いして、いろいろなことをしてもらうの。空を飛ぶって言うのは、風の精霊にお願いしてあたしの体を運んでもらうのよ」
「本当、飛んで見せて!」
言われてルーラはベルダネウスを見た。
「少しぐらいはかまわないが、この屋敷の守りはどうなっているか」
「魔導に反応する守りの仕組みはあるが、結界はない。精霊使いなら魔力を使うわけでもないから反応もしないだろう」
四十才ほどの男が、ふくよかで一目で少女の母親だとわかる女性を連れてやってきた。派手さはないが、上物の光沢を波打たせている紺のスーツに身を包み、いざとなれば武器にもなりそうな頑丈な杖を付いている。一見、控えめだが、その目と立ち姿にはグランディスほどではないがかなりの威圧感と風格が隠されているようだった。うっかり侮ってかかると、一気に牙を剥きだし、相手を飲み込んでしまうだろう。
しかし、ベルダネウスはそんなことは全く気がついていないように、いつもと変わらない口調で
「だそうだ、ルーラ、少しだけだぞ」
ルーラは頷き、少女に向けて精霊の槍を構えると穂先となっている精霊石に意識を向けた。風の精霊が応え、小さな竜巻がルーラの体を真上に飛ばした。勘違いする人も多いが、これは空を飛んでいるのではない。風の精霊たちが彼女の体を持ち上げ、運んでいるのだ。
「うわぁ」
少女が感嘆の声を上げ、目を見開いてルーラを見上げる。
屋根の上まで上がったルーラは、今度は風の流れに乗って、小川に流れる木の葉のように穏やかに回りながら屋敷の上空に八の字を描いていく。服の衿や袖、裾がたなびいている。これがスカートならば、間違いなく足に絡みついて動きを奪うし、そうでなければ大きく巻き上げて彼女の下半身、下着姿の丸出しとなるだろう。
「すごい、すごいすごいすごい。お父さま、お母さま、魔導士じゃないのに空を飛んでる!」
「娘さんですか?」
「ああ。とにかく何にでも興味を持ってな。名乗りが遅れたが、スケイル・ボーンヘッドだ。妻のミラルと、娘のララサ」
紹介されて母娘がちょいとスカートの裾をつかんで挨拶する。
「自由商人のザン・ベルダネウスと申します。やはりスケイル様でしたか。他の方とは違う雰囲気でしたので、そうだと思いました」
表面上はにこやかに、二人は握手した
「下手な世辞だ。私の肖像画もどこかで見ているのだろう」
「はい。まぁ、自由商人の見苦しい愛嬌と思ってお流しを。どうも、こちらの家族にはいろいろと噂されているようで」
「立場上、やむを得ないと諦めて欲しいな。とにかく、君への好意の示し方は父とは思えないほどなのでね」
「私と話している時は、そうとは思えませんでしたが」
二人の話をよそにルーラが噴水のそばに降りると、今度は穂先を噴水に触れされる。すると今度は噴水の水が真横に飛び出し、細い紐のようになって彼女の体を巻いていく。水の精霊達だ。
一条の水がララサに伸びて、彼女の体を、二度、三度と回ると、そのまま噴水の中に戻っていった。動きとしては単純なものだが、幼い彼女にはそれは物語の中でしかない世界がいきなり目の前に現れたものだった。
「すごい、ねぇ、もう一回やって!」
ルーラに駆け寄ると、皮鎧の端を握りしめぴょんぴょん跳びはね、ルーラも笑って応える。子猫のようにじゃれ合う二人を横目にスケイルが微笑み
「精霊使いは久しぶりに見たな。もう二十年以上になるか」
「メルサには良い精霊使いがいたのではありませんか?」
「いや」彼は首を横に振り「少なくともファズには私の知る限り、精霊使いはいない。何かの用事で一時的に立ち寄るぐらいはあったかもしれないが。どうしてそんなことを?」
「ルーラがメルサの精霊は人なつっこいと言っていたので、とても良い精霊使いが長い間いたのかと」
「五十年ほど前まで王に仕える精霊使いが一人いましたが、その人は戦に精霊の力を使いすぎ、精霊たちから見放されて力を失い、亡くなったと聞いています。ですから人なつっこい精霊とはとても」
小さく首を横に振りながらミラルが応えた。
「あ、王子さま!」
ララサの顔が輝いた。
「王子様?」
「そう、ルーラにも紹介してあげる」
小さな手でルーラの手を握り走り出す。走る先の人を見て、ルーラの笑顔が強張った。王子さまとはロジックのことだった。彼もルーラを見て体を硬くした。
「叔父様、この人すごいんです。魔導師じゃないのに空を飛んだり水を飛ばしたり出来るんです」
「精霊使いだからな」
「すごい、やっぱり王子さまは知っているんですね」
彼女の言葉にルーラは耳を澄ます。
「叔父様で、王子様?」
「そう。ロジック叔父様は、今はなくなっちゃったけどフライトって言う国の王子様なの」
「フライト王国? それって、五十年ぐらい前にアクティブとの戦争で滅びたんじゃ」
「フライトを知っているのか!?」
ロジックは心底意外そうだった。自由商人の護衛がどうして知っているのかと。
「あたしの家、ラウネ神殿だったんです。そこの本に書かれてありました」
ラウネ神。交流神サークラーや死の神バールド同様、この世界で八大神と呼ばれる神の一人で、「人は経験により得たことを知識として蓄え、学び、高見に近づいていく」という基本から、出来事を片っ端から記録しており、知識神、記録神などとも呼ばれている。その教えから神殿は学校を兼ねていることが多く、ルーラも小さな頃から読み書きを学ばされており、神殿にある本を何冊も読んでいた。その中に簡単な歴史書があり、フライトはそこに書かれていた。
「ラウネの娘がどうして自由商人の護衛なんてしているんだ? ラウネの神官は見聞を広げるために旅に出るという話は聞くけど……そうは見えない」
「家はもうないわ。村ごと滅びちゃった」
「戦争でか?」
ルーラは答えなかった。というよりこのことは詳しく語りたくなかった。それをロジックは自分の考えの肯定と受け取ったらしい。
「誰も新しく村や神殿を再建しようとはしないのか?」
力なく首を横に振るルーラ。再建しようにも、村の生き残りは彼女一人なのだ。
「なぜしない。僕は諦めたりはしないぞ。フライト王国王家の血を引く者として、かならず王国を再建してみせる」
「そうよ。王子様はそのうちにきっと王国を蘇らせるのよ」
期待と応援の目をロジックに向けるララサの姿に、ようやくルーラは合点がいった。ロジックの母親はフライト王国の末裔だと言われている。ならば当然ロジックも王室の血を引く者であり、王子様ということだ。
「いや、興奮してすまなかった。フライトのことを知っている者は少なくて、つい興奮してしまった」
ロジックは強張った笑顔で簡単に自己紹介すると、ルーラの手を取りその甲に軽く口づけした。可愛い姪の前で前のように怒鳴り返す真似はさすがにしなかった。
「フェリックスはどうした?」
セバスと共に屋敷から出てきたグランディスが見回しながら言った。
「まだお帰りになっておりません」
「出発時間までまだあります。あいつは来ますよ。いい加減だがそういうところに抜かりはない」
スケイルの言葉には少し棘があった。そのまま別れを惜しむように妻と娘を抱きしめる。
「お帰りのようです」
セバスの声に、皆が塀の外に目を向けた。
塀に沿ってパンツ一丁のフェリックスが丸めた服を抱えて走ってくる。錆びた鉄の棒を握りしめた男が雄叫びと共に追いかけていた。
「……なんだか、前にも似たようなものを見た気がする」
「門を閉めろ」
グランディスの言葉にセバスが走る。ルーラが思わず目を見張る走りっぷりでフェリックスより早く門にたどり着き、閉めてしまう。
「おい、セバス。開けて中に入れろ。風邪を引いちまう」
「グランディス様の命令ですので」
「自分で何とかしてから入れ」
「そんなぁ」
だが、言葉とは逆にその目には余裕があった。彼の背後から男が鉄棒で殴りつけてくる。
「駄目!」
先日の光景が重なりルーラが叫ぶが遅かった。
フェリックスは体を少し捻るだけで鉄棒を避けると、男の膝の裏を蹴りつける。足が崩れ転倒した男をさらに蹴りつける。
腕を踏んづけて鉄棒を奪うと、それを使って男を叩きのめしていく。
「恨むなら親父を恨めよ。せっかくこのまま逃げて終わりにしようと思ったのに。あるいは自分と相手の強さもわからず挑んできたあんたの馬鹿さをな」
「よくも……俺の女房を!」
「そんなこと言ってもね。あんたの女房のほうが熱心だったんだよ。返ったら聞いてみな、あんたのより俺の方が立派で上手だってよ」
にたにた笑いながら男を打ち据える姿に、ルーラはたまらず駆けだした。
「フェリックスだけ落とせるか?」
その横をベルダネウスが追い抜く際に聞いてきた。その手には愛用の鞭が握られている。
「やってみる」
走りながら精霊の槍を構える。穂先の精霊石を通じて大地の精霊にお願いする。
門に駆け寄ったベルダネウスが鞭を振るう。それは門柱の隙間を抜け、フェリックスの鉄棒を握る手の甲を打った。甲の皮が剥け、血がにじみ出た。彼はたまらず苦痛の声を上げ鉄棒を放した。
次の瞬間、フェリックスが足を置いていた大地の底が抜けるように穴が開いた。深さは膝ほどだが、突然のことに彼はバランスを崩し、穴に足を突っ込んだまま尻餅をつく。と、開いた時同様、突然に穴が彼の足をくわえ込んだまま閉じた。
ルーラが得意とする束縛方法である。見た目は両膝が埋まっているだけだが、足が動かないため移動できず、足を引き抜くのも難しい。
居間までのされるがままだった男が鉄棒に手を伸ばすが、それよりもはやくベルダネウスが鞭でそれを絡め取った。
「やめた方が良いです。へたをすれば両方怪我してお互い様にされますよ」
「んなこたぁ、どうでも良い!」
素手でフェリックスに殴りかかろうとする男の足をベルダネウスの鞭が打つ。激痛に顔を歪め、地面に転がる男に門を開けたセバスが駆け寄り、首に腕を回して締め落とした。
「意識が戻ったら、私が説得いたします」
男を抱えてセバスは屋敷へと入っていった。近くのメイドにベッドの用意を命じて。
「いつまでこんなことを続けるつもりだ」
スケイルが、大地の縛めから解放され靴の中の土を落とすフェリックスを見下ろした。その口調からは怒りと軽蔑とが感じられる。
「兄貴の知ったことじゃねえだろう。俺が好きでやってんだから」
「後始末をするのはお前じゃない。それに、王室関係者が私たちを責める時、必ずと言って良いほどお前の名が上がる」
「有名人はつらいねぇ。けどよ、兄貴達がしっかりしてくれているから、俺も好きに出来るんだぜ。感謝感謝」
「感謝は言葉よりも生き方で示せ」
「兄貴みたいに結婚しろっての。ごめんだね。結婚なんかしたら、他の女性と恋が出来ないじゃないか。兄貴みたいに一人の女で満足なんて、俺にはとても真似できないね」
大まじめに言いながらフェリックスは、開かれた門から屋敷に入った。
「また君か」
以前のことを覚えているのか、ルーラの顔を見て気まずそうに頭をかいた。
「それにしても、無粋な服を着てるな。女っていうのは、何も着てない時が一番綺麗なんだぜ」
「おあいにくですが、女性の美しさは滅多に見せない方が価値が出ますから。それに男の人にとって、女性の初めてっていうのは特別なんじゃありません?」
さらっとルーラが返す。このセリフ、知り合いの女性からの受け入りである。
「なるほど、こいつはやられたな」
その顔がベルダネウスに向いた途端、不快を露わにする。
「あんたが親父お気に入りのザン・ベルダネウスか」
「知らない間に有名人になったらしくて困惑していますよ」
「商人にとって、顔が売れて損はないだろう。それよりも、あんたら、面白い技を使うな」
ルーラとベルダネウスを見比べる。
「夜はああして動きを封じてのプレイを楽しむのかい?」
「お戯れを」
ベルダネウスは営業用の笑顔で肩をすくめ、ルーラは睨み返した。
「あなたはいつもああやって遊んでいるんですか」
「もちろん、俺は弱い奴としか遊ばない主義でね。楽しいよ」
「やるではないか」
グランディスが笑顔でやってきた。普段笑い慣れていないからでは思うほどぎこちない笑みだった。
「前といい今回といい、見事なものだ。良い商人ほど敵も多い。それを退ける腕がなければ一流とは言えん。その点、君は一流だ」
二人の腕を取りしっかと握りしめる。その姿にルーラはちょっとだけ口を尖らせた。今の褒め言葉がいかにもとってつけたように思えたからだ。
ちらとベルダネウスを見ると、表情から彼も同じ印象を受けたようだった。
「父からも一言注意してください」
「何をだ」
邪魔をするなとばかりにグランディスはスケイルに対し目を細めた。
「フェリックスのことです」
「あいつは自分が使える力を使って自分のしたいことをしているだけだ。それ自体は悪いことでも何でもない。それを不快と思うならば、お前も自分の力を使ってあいつをどうにかするんだな。私に頼るのではなく、自分の力でだ。
準備が出来たら出発するぞ」
用意だけはしていたのだろう。フェリックスは十分と経たずにケースを下げて出てきた。厚手の革のコートに帽子に手袋と完全防寒仕様だ。
「やっとそろったか。それでは出発する。ベルダネウス、君は私と一緒にこちらの馬車に乗れ」
返事も聞かずに一番大きな六頭立ての馬車に乗り込んだ。
「相変わらず返事を聞かない人だ。ルーラ、馬車を頼む」
子供たちから嫉妬混じりの視線を浴び、ベルダネウスはグランディスと同じ馬車に乗り込んだ。
グランディスの五人の子供たちはそれぞれ三台の四頭立て馬車に別れて乗り込み、ヒューストンは荷馬車に乗り込んだ。そして最後にルーラの馬車が続く。
「それではお気をつけて。私も用が済み次第追いかけます」
セバスが頭を下げるのに合わせて馬車が出発する。
屋敷の前では使用人達が総出で見送っていた。
ルーラはその中に、初めてここを訪れた時に相手をしてくれたレミレというメイドの姿がないのに気がついた。
「グラッシェ、駄目。追い抜くわけには行かないの」
町中を進みながら、体を震わせ、走り足りなさそうなグラッシェをルーラはなだめた。
「まぁ無理もないか。ファズに来てからほぼ毎日、馬小屋につながれっぱなしだったもんね。動きたくてウズウズするわよね」
ルーラも空を見上げる度に、思いっきり飛んでみたくてウズウズする。先ほどの飛行ではとても足りない。しかし、今はボーンヘッド家のお供である。勝手走ったり飛んだりは出来ない。
「長くても十五日ぐらいの辛抱。それが終われば商売で知ってる町を回れるんだから」
自分とグラッシェに言い聞かせて我慢する。
町を出てしばらく走ると、突然馬車が止まった。ルーラが周囲の気配を探り、御者台に置いてある精霊の槍に手を延ばす。彼女の頭には、先日、ヒュートロンの店の前での襲撃が浮かんでいた。
しかし、馬車が止まったのはそんな物騒な理由ではなかった。
先頭の馬車からベルダネウスが降りて、自分の馬車に戻ってきたのだ。
「ザン、話は終わったの?」
「ああ、次はルーラに話があるそうだ」
「あたし?」
自分を指さして首を傾げた。グランディスが自分に用があるとは思えなかったからだ。
「ルーラ・レミィ・エルティース。ドボック国サンクリス村出身、家はラウネの教会で父である神父は村長も兼ねていた。村は三年前、君が十四歳の時、山賊の襲撃で壊滅。その後、スターカイン国ウブの衛士隊に入隊。約四百日後に退役してサークラー教会に登録、ベルダネウスと護衛兼使用人として契約、現在に至る。
これで間違いないな」
報告書を手にしたグランディスに、ルーラは「その通りです」と頷いた。
馬車の中、ルーラはグランディスと対峙していた。彼の横にはもう一人、見たところ五十才ぐらいの男がいたが、こちらは黙ったままルーラの顔と報告書を見比べている。さすがに馬車の乗り心地は素晴らしく、ゆったりとした空間、抜群の座り心地の椅子。微かな揺れも心地よいほどに緩和されている。
しかし、それに反してルーラは落ち着かなかった。
「あの、あたしの経歴を調べる必要があるんですか?」
「必要が出来てから調べるようでは遅いのだ。調べるといっても、日数の関係で上っ面をなぞった程度だ。君にとって知られて困ることはあるまい。そうそう、聞き取りをしてきた者が衛士隊から君に伝言を頼まれてきた」
「伝言?」
「『復帰の意思あらば衛士隊は歓迎する』そうだ。衛士隊を辞める時、町の資産家から息子の嫁になってくれという申し出もあったらしいな」
「お断りしたのに」
当時のことを思い出してルーラは真っ赤になった。
「ところで、君はベルダネウスの過去をどの程度知っている? 具体的に言えば、彼が娼館で働いていた頃だ」
「娼館時代が今の自分を作ったというのは聞いたことがあります。それに、当時はかなりの悪だったと。人間のクズとはどういう事をする人のことかと思い浮かべた時、その全てを自分はしてきたとも言っていました」
その時見せたベルダネウスの複雑な表情をルーラは今も覚えている。自虐的にも見えたし、過去の悪事を開き直っているようにも、かつて自分が傷つけた人達に対して謝っているようにも見えた。彼自身、かつての自分と今の自分の関係をどの位置づけたら良いのか迷っているようだった。
「そういうことをしてきた人間だと知った上で、君は彼に仕えているわけだ」
「そうです」
「これから、彼に自分の人生をめちゃくちゃにされたものが現れて、その恨みを彼にぶつけるようなことがあっても、君は彼を守るわけか」
「守ります」
ルーラは挑むようにグランディスを見据え
「あたしの認識は甘いかも知れません。ザンはあたしの想像を遙かに超えるひどいことをしてきた人かも知れません。それでも、あたしはザンを守ります」
力強く断言するが、それはルーラが自身に言い聞かせるものでもあった。
グランディスはそんな彼女ににやりと笑って見せた。その小馬鹿にしたような笑みに、ルーラはたまらず
「あたしと話したいことはそれだけですか。でしたらこれで失礼します」
「戻る途中、スケイルに来るよう伝えろ」
まるで自分の部下にするような口調。ルーラは心を落ち着け、途中の馬車でスケイルにそのことを伝えると馬車に戻った。結局、グランディスの横にいた男は一言も口をきかなかった。
「なんなのあいつ。人の神経を逆なでするのが趣味?」
むくれるルーラにベルダネウスは
「気にするな。相手の口を滑らせようと、わざと相手の気に障ることを言うのはよくある手だ」
御者台のすぐ後ろに作られた小さな炭火ストーブから焼けた石を取り出すと、厚手の火浣布に包んでルーラに渡す。懐に入れると暖かさが冬の寒さを和らげてくれる。
「あたしから聞き出さなきゃならないことがあるとは思えないけど」
ぼやきながら馬車の屋根に上がる。これからしばらくの間、グランディスと一緒かと思うとうんざりした。
しかし、ルーラの憂鬱な気分も馬車が進むにつれて薄らいでいく。
町を離れ、静かな公道を進んでいくと周囲は田園に代わり、山や林が静けさを作ってくれる。最初はグランディスたちを狙う襲撃を警戒していたルーラだが、見通しの良い場所が続くせいか少しずつ緊張がほぐれてきた。ボーンヘッド家の馬車を操る御者たちがその身のこなしから明らかに護衛も兼ねていることが明らかなのもルーラの気を楽にさせた。
昼はどこかの宿によるかと思いきや、広場を使ってヒュートロンが簡単な昼食を作ってくれた。こうなるとルーラも調子よく
「これが続くなら悪くないなぁ」
と言ってベルダネウスを苦笑いさせた。
さらに馬車は進み、田園地帯を通る。次第に畑よりも水田が目立つようになってきた。先ほど話に出たせいか、彼女はふと故郷の景色を思い出した。
北を見ると雪に覆われた山々がまるで通せんぼをしているかのように立ちはだかっている。北山壁と呼ばれる山脈で、その険しさは山ではなく壁という呼び名が相応しいと言われている。記録に寄れば、山の上には王国があり、数百年前までは山道を通ってメルサをはじめする近くの国と交流がされていたらしい。今は山道が崩れ、復旧作業も滞り、飛行魔導でも上の激しい気流に太刀打ちできず、すっかり交流が途絶えてしまっている。中には山の上の王国なんてでっち上げだという人もいる。
平野を抜け、山道に入る。木と土の匂い、時折流れてくる水の匂いにルーラが浸っていると、突然、風に潮の香りが混ざり始めた。
「海だ!」
山道という幕が大きく開き、海が一杯に広がった。
波の音、潮の匂いのする風、海鳥の声。
ここが舞台。皆がそう感じていた。ファズとは違う別世界。グランディスが選んだ舞台。
皆が進む道は山を下り、海辺の村に続く。
漁に使う小船が並び、網が干されている。海鳥が波打ち際に降りて砂をつついているのは貝でも探しているのだろう。
「いいなぁ」
思わずルーラはつぶやいた。すでに何度も海を見ている彼女だが、山生まれ山育ちの彼女にとって、海が心躍らせる夢の舞台なのは変わらなかった。たとえそれが冬の荒れた海だろうと。
そっと屋根から御者台をのぞくと、ベルダネウスが砕ける波を嬉しげに見つめていた。彼は娼館時代の前、どこで生まれたのかはもちろん、家族や子供の頃について一切話さない。しかし、こういう目を見ると、やはり彼は海辺の生まれだとルーラは思うのだ。
道に並ぶ家々から村人達が顔を出しては頭を下げていく。仕事をしている人達もその手をやめては恭しく頭を下げる。
「なんだか大げさね」
「別荘を作る際、この村にもかなり金を落としたんだろう」
別荘を建てている間、職人ら関係者たちは皆この村のお世話になったのだろう。彼女にも覚えがあった。外部と交流の少ない村では、外から来る人達はどこか怖く、気になる存在だった。自分たちの知らないところで生き、知らないことを知っている。本の中でしかないことを実際に見て、聞いて、そこで生きている。
「泊まり込みの職人さんなんか大変だったろうな。子供達に話をせがまれて」
たまらずベルダネウスが笑みを見せた。数年前、ルーラの村に初めて彼が訪れた時、彼女は外の町のことを聞きたがってくっついて回ったのを思い出したのだ。
子供達が出てきては馬車を指さし、目を輝かせている。それは正にあの時のルーラそっくりだった。
村を通り抜けたその先。上り坂の先にある崖に、一軒の建物が見えた。建物の脇には塔が立ち、まるで海を見張っているような、見守っているような住処だった。
「ここがローテムの村、そしてあれが目的の別荘らしいな」
「昔の軍の砦を改造したっていう?」
ルーラは真顔に戻ると
「ザン、ちょっと精霊たちに挨拶してきて良い?」
「私たちが別荘に着く前に戻れよ」
「了解」
馬車の屋根に立ったルーラが精霊の槍をかざす。穂先の精霊石を通じて語りかけると、彼女の声が周囲の風に、地に、草木にそして海へと広がっていく。精霊使いはめったに移動しない。その土地の精霊と友好でいるためにも一つの土地に留まることが多いためだ。だからルーラのように自由商人と共に絶えず土地を移動している精霊使いは珍しいし、彼女も行く先々で精霊たちへの挨拶は忘れない。
ルーラの体が宙に浮いた。そのまま馬車たちを跳び越え、海へと向かう。
土の匂いを超え、潮の匂いに包まれる。精霊石を通じて、精霊たちの声がルーラに届く。
(……まただ……)
ファズ同様、精霊たちが人なつっこい。初めて心を通わすはずのルーラにもまるで恋人のように歓迎の意思を向けてくれる。ここまでされると却って彼女の方で恐縮してしまう。この村には精霊使いはいないらしい。精霊たちが、自分たちと意思を通わせられる人間を珍しいと語りかけてくる。
彼女を珍しがったのは精霊だけではない。村で仕事をしていた人達も、いきなり現れ、村を飛び回る女の子の出現に驚いている。
海に飛び、穂先を海面に触れさせると、波は噴水のように綺麗に二つに割れて舞い上がった。
足を地に着けると、大地が彼女を弾くように宙に跳ばす。精霊たちも、自分たちと意思を通じ合える人間の存在に興味を持ち、はしゃいでいるようだった。
大空に跳び上がったルーラの体を雲が撫でる。さすがに彼女も寒さを感じて身震いした。
「それじゃ、そろそろ……」
グランディスたちの馬車をちらと見下ろし、崖の方に飛んだ。彼女の目的は、精霊たちへの挨拶もだが、別荘の偵察にあった。飛行というと移動ばかり注目されるが、それ以外に多く求められるのが空からの偵察、情報収集である。彼女もベルダネウスと移動時には度々空を飛んで、現在位置の把握、近くの町の方角と距離、道の有無などを調べている。戦争においては、飛行魔導に長けた魔道士は必ず軍の一部隊に一人はいて敵の偵察を行っている。グランディスの屋敷に魔導を探知する仕組みがあるのは、飛行魔導による接近、侵入を察知するためだ。
崖は一見、何の変哲もないが、何カ所も穴が開いている。上の方の穴には、出っ張り突いた石畳らしきものが確認された。
「あれは……台座? 投石機……いや、あの場所なら巨大な石弩?」
今は台座しかないが、戦時中は石弩が設置され、沖の船を攻撃したのだろう。よく見ると穴は奥深い。
「中でつながっているんだわ。高さから見て五……六階層かな」
さすがに中の様子は外からはわからない。入り江部分に、見づらいが大きな凹み部分がある。目を凝らすと、奥に船着き場らしきものが見えた。
「なるほど、昔の砦っていうのは本当みたいね」
高度を上げて、崖の上の建物を見下ろす。戦時中は目立つ砦を作るとは思えないから、これはグランディスが作らせたものだろう。
「何、これ?」
彼女は別荘というので開放的な家を想像していた。日常の疲れから解放され、身も心もさわやかに一新させるための家。
しかし、彼女の眼下にあるボーンヘッド家の別荘からそんなさわやかさは感じられなかった。
中央にある大きな二階建ての建物は見るからに新しいし、庭には木々や何か模様を描くように作られた花壇がある。それだけならば彼女のイメージ通りだ。しかし、それらを取り囲む柵。それには無数の棘が生え、天に伸びる先は超えようとするものを拒むように鋭く尖り、下を向いている。しかも、それは建物の外側ではなく、内側を向いているのだ。
それは、招かれざる客を阻むのではなく、建物の中にいる者を外に出さないようにするためのように見えた。
さらに建物と少し離れて立っている塔。まるで別荘を監視しているようにも見える。
「建物こそ立派だけど、牢獄みたい……」
ルーラはこの別荘で行われるというゲームになにか得体の知れない闇を感じ、
「グランディスさんにとって、あたしたちは息子の敵……」
先日のベルダネウスの言葉を思い出した。
※次回更新「招かれざる来訪者」
長い前奏の果てについに来た。ここが物語の舞台。
第1章の面子が全員揃う。
舞台の説明、案内。そしてグランディスの想定しない客の登場。