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【3・グランディスの子供達】


「いい天気、これなら洗濯物が良く乾くわ」

 冬であることを忘れそうな暖かい日差しを浴びルーラは伸びをした。

 誕生日から三日目の朝である。一昨日、昨日と時折小雨がふる空模様なだけに今日はたまっていた汚れ物をまとめて片付けるつもりだった。

 ルーラはベルダネウスの護衛兼使用人として雇われている。だから道中の護衛もするが、日常での炊事洗濯もこなす。宿に泊まれれば食事を作る必要は無いが、洗濯や馬車の掃除などは彼女の仕事である。

 宿の簡単な朝食を済ませると、彼女は裏庭、止めてある馬車の前で洗濯の準備を始めた。昨日、一昨日と小雨続きだったので結構量がたまっている。

「ザンは今日も朝帰りか……」

 この二日、続けてベルダネウスは娼館に泊まった。彼は娼婦達から情報を集めるのが常だった。情報ならば酒場やサークラー教会に集まる商人達で十分だとは思うのだが、彼に言わせると

「娼婦というのは聞き上手が多いんだ。自分ばかり話しては間が持たない。美味いこと客が話すようにすれば、適当に相槌を打つだけで済むからな。客の方も女の気を引こうとあれこれ話すから、多く客を取る娼婦ほどいろいろなことを聞いているものだ。町の情報、景気について知りたければ娼婦と物乞いに話を聞くのが一番だ」

 もちろん、娼婦なら誰でもいいというわけではない。金をもらって抱かれてハイ終わりという最下層の娼婦では駄目だ。かと言ってあまり上等すぎると、金がかかる上、娼婦達の口も意外と堅い。うまく話させても、客の話とベルダネウスの欲しい情報とにズレが生じる。

 ちょっとした娼館に上がり、女を定めながら、あるいは決めた女とちょっとした遊びをして食事をし、気分が盛り上がったところで一夜を過ごすといういわば娼館としては中の上。町の平均的な住人がちょっと贅沢を、というぐらいの店がちょうど良い。

 もちろん向こうもプロである。ベルダネウスが町の情報を聞き出そうとしても、そう簡単にはいかない。まず馴染になって女の口を軽くしないと行けない。もちろん、他の客よりも金払いが良いところも見せる。こんな調子で、ベルダネウスはあちこちの町に馴染の娼婦を作っている。もちろん娼婦達だって彼が自分を情報源として利用していることには気づいている。しかし

「あの客は金払いも良いし、他の女に取られるのももったいない。ちょっと町の噂やら何やらしゃべるだけでいいんだから」

 と割り切ったりする。

 もっとも、ルーラの方は割り切れていない。

「情報収集にかこつけて女を抱きたいだけじゃないの」

 などと思っていたりする。

「冷た~っ」

 そんな思考も、汚れ物を水につけた途端に吹っ飛ぶ。真冬の水は氷のように冷たい。

 その様子に彼女たちの馬車を引く愛馬グラッシェはつまらなそうに鼻を鳴らした。三日も馬小屋につながれたままで退屈しているのだが、この様子では今日も外に出られそうにない。長毛種のグラッシェはすっかり冬毛に覆われており、じっとしていれば巨大な毛の塊に見える。

「ごめんね。そろそろ体動かしたいでしょ」

 言い訳するようにルーラは慰めた。グラッシェは農耕用で、走る速度は遅いが力が強い。本来は四頭立てでもおかしくないベルダネウスの馬車を一頭でぐいぐい引っ張っていくぐらいだ。本気で暴れ出したらこの馬小屋ぐらいバラバラにしてしまうだろう。

 ルーラは削ったムクロジの皮で泡立てては服を洗って干していく。ベルダネウスと自分の下着を並べて干し終えた時、いきなり一人の男が外に通じる道から駆け込んできた。靴を履いただけの下着姿で、服はまとめて小脇に抱えている。

(な、なにこいつ?!)

 とっさに精霊の槍を手にするルーラを見て

「そこの美しい人。裏口を抜けたと言ってください。御礼はします」

 言うとベルダネウスの馬車に飛び込んだ。

 彼の姿が隠れるのとほぼ同時に、別の男が走ってきた。大振りの包丁を手に、息も荒く怒りの形相で馬小屋を見回す。

「あんた、今、ここに男が逃げてきたろう。どっちに行った?!」

 ルーラに訪ねるその口調は、表情とは違って哀願するようだった。

「何かあったんですか?」

「俺の女房を寝取りやがった!」

 合点がいったルーラは、無言で馬車を指さした。

「フェリックス、逃がさねえ!」

 馬車に飛び込んだと途端、男は逆に顔面に拳を受けてひっくり返った。

「ひどいなぁ。こいつを助ける機会を駄目にしちゃって」

 馬車の中で着たらしく、身だしなみを整え、軽くネクタイを締めて中から男が出てきた。

「てめえ……」

 鼻血を流して男が立ち上がり、突き出してきた包丁をフェリックスは軽くたたき落とすと、そのまま半狂乱の男の足を払う。

「このまま俺を逃がしてくれれば、こいつは助かったのに」

 倒れた男の腹を思いっきり蹴飛ばす。ルーラも自分の判断が間違っていたことに気がついた。

「ち、ちきしょう」

 立ち上がろうとする男をフェリックスは容赦なく蹴りつけていく。

「追いかけてなんか来なけりゃ良かったのに。そうすれば女房を寝取られたあげく、叩きのめされるなんて惨めな思いはしなかったのに」

 とどめとばかりに拾った包丁を構え

「あんたは俺を殺そうとした。俺が反撃しても、正当防衛だな」

 倒れた男に投げつけようとしたその腕をルーラが両手で捕まえた。

「いい加減にして」

 雑巾を絞るようにフェリックスの腕を捻る。山育ちで下手な男よりもずっと力の強い彼女の捻りに、たまらずフェリックスはうめきを上げて包丁を落とした。

 そのまま彼女はフェリックスをぶん回して放り投げる。

 受け身で転がりながら立ち上がったフェリックスは腕を押さえながらルーラを見た。

「可愛い顔の割りにすっげえ力」

「こんなことしていると、衛視を呼びますよ」

 馬車に立てかけておいた精霊の槍を構える。

「俺は女の子と戦うのはベッドの中だけと決めているんでね。退散するよ」

 降参とばかりに両手を軽く挙げる。そのまま倒れている男を鼻で笑い。

「あんたも今回のことは忘れることだな。女房を寝取られた上、仕事まで失いたくはないだろう。今回のことはなかったことにしてやるよ。俺が優しくて良かったな」

 後ずさり、槍の間合いを大きく離れると彼は走り去った。

「大丈夫ですか?」

 ルーラは倒れている男を抱き起こすと、鼻血と泥まみれの顔を拭いてあげる。

「ちきしょう……ちきしょう……」

 男はずっとむせび泣き続けた。


 ファズの市場の端にある「食ってけ亭」は、名前が示すように市場で働く人達が主な客層の食堂で、お世辞にもお洒落とは言えない飯屋である。洒落た料理は出てこないがどれも豪快で美味い。今も他の多くの店は六割程度の入りの時間なのに、ここはほぼ満席である。厨房から流れてくる肉や野菜を焼く匂いと音、煙が煙突に流れ込みきれず、店内に流れてくる。客達が皿に盛られた食い物を口に頬張ってはもぐもぐゴクリとと飲み込み、でかいカップになみなみとつがれた紫茶で流し込む。それらの小さな音が共鳴し合って店内を震わせている。外の寒さも、中の熱気に追い返されてしまっている。

「馬鹿野郎、ここは飯屋だ。飯を食うところで酒を飲むところじゃねえ! 酒が飲みたきゃよそへ行け!」

 厨房から怒鳴り声が飛んできた。誰か初めての客が酒を注文したらしい。この店では他とは違い酒を出さない。壁にも「酒はない!」と無骨な字で書かれた張り紙がある。ここの店主は昔、酒でとんでもない失敗をして故郷に帰れなくなったのだという。

 その空気の中、隅のテーブルでベルダネウスとルーラは遅めの昼飯を食っていた。ここ数日、古了亭のような洒落た店ばかり回っていたが

「体が上流階級化しそうで落ち着かない」

 というルーラの希望もあり、ベルダネウスもマナーより食い気が優先されるここのような飯屋が好きなので異存も無く、ここに来たのである。

 ベルダネウスが昨夜、相手となった娼婦からここはおいしいと聞いていたのだ。

 大皿からほどよく焼けた肉と野菜を取り薄いパンにのせると、中身がこぼれないよう二つ折りにしてかぶりつく。この店お勧めの「食ってけサンド」である。市場で商品から漏れたクズ野菜やクズ肉を使っているので形は悪いがその分安い。味だって、

「うま」

 満足げに二口目を頬張るベルダネウスを前に、ルーラも同じようにしてかぶりついた。肉の旨みと野菜の甘みが少し塩気のあるパンと実に合う。

 そこで彼女は朝の騒ぎを話していた。

「ひどい話でしょ。相手が自分に逆らえないというか、逆らいにくい立場なのを知った上で奥さんに手を出したのよ」

「というより、そういう相手を選んで遊んでいるんだろうな。フェリックス・ボーンヘッド。噂通りの人物らしい」

「ザンも女遊びはほどほどにした方が良いわよ」

「私は娼婦専門の遊びだ。一緒にするな」

 大振りの椀に入った「食ってけ汁」に手を伸ばす。具がほとんど塊で入っている豪快な汁だ。ジャガイモも人参も、タマネギもまるごとかせいぜい二つ三つに切ってあるだけだが、芯まで味が染みていてこれも美味い。

 この三日の間で、二人はボーンヘッド家についてある程度の情報を手に入れていた。それを簡単にまとめると……


 グランディス・ボーンヘッドは小さな商家に生まれた。

 彼が五歳の時に家がつぶれ、両親は一家心中を図ったが、彼だけが生き延びた。

 その後、彼は親戚の家に引き取られたが、折り合いが悪く食事も満足に与えられなかったという。そこで彼は自分で作れる小物を作り、それを売って金を作った。小物と言っても、五歳の子供が作るものである。石を割って作った石刃、捨てられた紙を縒ってつくったこよりなど、作るのが面倒だから買おうという程度のものだ。同情もあったのかもしれない。

 小物造りの素材はやがて捨てられたゴミとなり、工場の半端物になった。それに伴い、作られるものも少しずつ良くなった。グランディスの手先が器用なこともあり、彼が十歳の時にはちょっとした名物少年になっていた。

 グランディスはただ素材を集めるだけではなかった。ゴミや廃品を集める時に垣間見る人間模様、現場の問題点、それらを彼はしっかりと見ていた。

 彼が十二歳の時、親戚の家を出て一人で商売を始めた。家を出た理由は親戚が彼の儲けに手を出したとか言われているが定かではない。

 商売を始めてからの彼の勢いはすごかった。ちょうどアクティブとの戦争が終わった時期であり、民のほとんどが物に飢えていた。仕入は大変だったが、それに見合う売上があった。十五歳で店を構え、二十歳の時にはフィズで一番の店舗となった。そして五十歳になった時、彼の店は二十五の店舗を持つメルサ最大の商社となり、その売り上げはメルサの国家予算に匹敵するようになった。いくらメルサが小国だからと言っても、これは尋常ではない。

 彼が今のメルサにおいて王以上の影響力を持つ男だとは誰もが認めることだ。

 こんな彼に対するメルサの評判は真っ二つに分かれた。一代で国を超えた成功者と讃えるもの。王家をないがしろにし、いい気になっている成り上がりと嫌うもの。特に後者は、王宮に匹敵する彼の豪邸をやり玉に挙げた。まるで今のボーンヘッド家は王家を超える存在だと言っているようだと。

 当然ながら、反ボーンヘッド商会の中心は王家だった。度々グランディスを襲う刺客の黒幕は王家だというのは、ファズでは暗黙の了解である。


 そんなボーンヘッド商会で密かに皆が噂していることがある。

 グランディスの後継者問題である。彼にはそれぞれに母親が違う子供が六人いる。いや、カブスが死んだ今は五人である。五人とも地位は違えどボーンヘッド商会で働いている。

 五人の中でもっとも後継者に近いとされているのが今年四十才になる長男のスケイル。父のように裸一貫から身を起こすパワーはないだろうが、彼の案配の良い運営は評価が高く、彼が会長になれば王家との関係もある程度改善されるのではと期待されている。

 手腕の高さでは長女のジェンヌも負けてはいない。いや、スケイル以上との声も多い。なのになぜ後継者の筆頭になれないのかと言えば、やはり女だからだ。どこの国でもそうだが、実力が同じならば、皆、男に任せたがるのだ。彼女はベルダネウスと同じ二十九才。仕事一筋だっただけに未だ独り身。いくつも縁談はあったが、仕事に専念したいとの理由で全て断っている。

 後継者予想は、この二人に絞られている。この二人が優秀すぎるのもあるが、残りの三人の評価が高くないのも一因だ。

 次女のカリーナは無理矢理商会の仕事をさせられているのが傍目からも明らかで、先日、母の死に伴うグランディスの態度に強い反感を抱いているのはルーラ達も見ている。十七才で身寄りを無くした今は他に行くところはないが、身の振り方さえ定まればすぐに商会を出て行くのではと言われている。

 四男のロジックは二十才。やる気は兄弟で一番なのだが、いかんせん、実力が伴っていない。まだまだ経験が足りないと言うことなのだろうが、何でも今は滅びたフライト王国の王室の血を引いているとかで、プライドだけはやたら高い。周りに助けを求めることもせず、一人でやっては失敗し、それを他人のせいにして当たり散らす。そのためますます周囲から孤立していくという悪循環に陥っている。

「その内に一皮剥けるさ。まだ若いんだからな」

 と見守る人もいるが、少数である。

 実績は乏しいが多少は庇護の声もあるカリーナやロジックに対し、ロクな噂を聞かないのが三男のフェリックスである。二十五才と働き盛りだが仕事はしない、女には手を出し、それでもめるとグランディスの息子の地位を使って相手の職場に圧力を掛ける。そんな男に引っかかる女がいるのかと思ったが

「あいつはな、女を落とすのに薬を使うんだ」

 相手の性欲を刺激し、異性を求めるよう肉体を発情させる。いわゆる淫媚薬と呼ばれるものだ。具体的な名前こそ聞けなかったが、どうやら本当らしい。

 さすがにこれを聞いた時、ルーラも呆れた。これから金を出して娼婦を買っているベルダネウスの方がずっとマシに思えた。


「ところでこれからどうするの?」

 メルサの首都ではあるが、ファズは特別な大きな町ではない。すでにめぼしい市場や繁華街は一通り見てしまった。

「気になる店が何軒かある。もう一度そこを回って、教会の情報と合わせて何をどれぐらい仕入れるか決めるさ。……グランディスさんが妙な要求をしてこなければの話だがな」

 その時、店内のどよめきがわずかに途切れた。

 何だろうとルーラが客達の視線をたどると、そこには一人の女性客がいた。皆が彼女を見ていた。赤と黒を基調としたドレス姿、薄い毛皮のコートを手に、差し込んでくる日の光が髪を流れ、新雪のように白い肌を照らしている。

 場違い。このような大衆食堂に来るにはあまりにも場違いな女性だ。彼女こそ、古了亭のような店に行くべきだ。

(あの人……)

 ルーラは彼女に見覚えがあった。誠実、ベルダネウスと一緒にボーンヘッド商会の本部へ行った時、お偉いさん達数名に出迎えられて馬車から降りるのを見た記憶がある。

 彼女は軽く店内を見回すと、軽く微笑してルーラ達のテーブルに真っ直ぐやってきた。開いているテーブルはいくつかあるのに、

「相席、よろしいかしら?」

 返事を聞くまでもなく、彼女はルーラの隣に腰を下ろすと

「この人達と同じものを」

 と店員に告げた。

「せっかくのお食事に、邪魔だったかしら」

「いえいえ、美しい女性と同席しての食事はそれだけで素晴らしいものとなります。それにしても、あなたのような方がこんな大衆食堂に来るとは意外ですね。ジェンヌ・ボーンヘッドさん」

 やっぱりとルーラは小さく頷いた。この女性はグランディスの長女、ジェンヌだ。

「私のことをご存じなの」

「先日、ボーンヘッド商会を訪ねた際に、お偉いさんがあなたを出迎えるのを見ました。ロビーにはあなたの肖像画もありましたしね。それよりも、ここに来たのは偶然ですか? それとも私に会いに?」

「あなたを見に来たのよ。ザン・ベルダネウスさん。父様があそこまで興味を持つのはどういう男なのかと、私たち兄弟姉妹でも話題になってね」

「言われるほど興味を持たれた覚えはありませんが?」

「父様があなたのことをたいした男だと褒めちぎってたわよ。命の恩人だと」

 眉をひそめて、ルーラとベルダネウスが顔を見合わせた。確かに襲われたグランディスを助けたのは事実だが、その時の態度を見る限り、家族が興味を持つほど褒められるとは思えなかった。

「それで、あなたがここに来た目的は何なの?」

「何と言われましても。私はカブスさんの遺品を届けに来ただけです」

「そうですよ。カブスさんの家のことはもちろん、ボーンヘッド商会のことだって、ここに来るまで知らなかったんですから」

「そうみたいね。サークラー教会に問い合わせたけど、あなたはメルサに来たことがない。少なくとも教会の記録にはない。でも、あの父様がただの商人にここまで肩入れするとは考えにくいわ」

 小首を傾げるベルダネウス達に、彼女は続けて

「父様の命を助けたでしょう。カリーナも一緒に」

「あの時ですか? 確かにあの人を助けたことにはなりましたが、彼ほどの地位を持てば、狙う人は多いでしょうが、助ける人も多いはず。助ける人にいちいち家族が訝しむほど肩入れしてはきりがないでしょう」

「そうね。でも、父様はかなりあなたを気に入ったようよ」

 そこへジェンヌの頼んだ料理が運ばれてきた。無造作に盛り付けられた食ってけサンドを、ソースを垂らすことなく器用にパンに挟んでいく。明らかに慣れた手つきだ。

「ところで、あなたたちは父様をどう見たの?」

「どう見たって、私たちはグランディスさんとは一度しか会っていません」

「初対面の印象は大事だと思うけど」

 ルーラとベルダネウスは目を合わせて、仕方ないように頷いた。

「他人に命令して、それが通じるのに何の疑問も持たない人って感じかな。実際、それが出来る人なんでしょうけど」

 まずルーラが言った。それを補うようにベルダネウスが

「最初からというわけではないでしょうけど。グランディスさんは自由商人からのたたき上げと聞いています。自由商人があんな振る舞いをしたら、たちまちお客を失いますよ。しかし、商売が成功し、ある程度力を持ってくるとこんどはそれを快く思わない人達が出てくる。ここなら王宮貴族やその出入りの商人、そういう人達に対抗するには、いつまでも頭を下げるわけにはいかない。逆に攻勢に出た。その結果、彼は常に攻撃的な態度を貫くようになった」

 ジェンヌが、同意するように目をそのままに口だけ笑ってみせる。もっとも、ここまではメルサで情報を集めれば簡単に推測できる。

「そうよ。そんな父様が肩入れしているのよ。今後どれだけあなたを特別扱いしてくるかわからない。私たち子供達の意見なんて聞く人じゃないし」

「それで私の考えを聞きに尋ねてきたというわけですか。もしかして今朝、ルーラのところにフェリックスさんが来たのも」

「それは偶然。狙ったのなら、あなたが昨夜止まった娼館に行くわ。呆れたわ。あなた、ここに来てから毎晩娼館に止まっているそうね。フェリックス顔負けの女好きだわ」

「ひとつ言い訳させてください。私が相手にするのは娼婦です。フェリックスさんのように素人に手を出したりしませんよ。ましてや人妻にはね」

 ルーラが唇を尖らせた。彼女にとってベルダネウスの娼館通いは不満と安心になっている。

「話を戻すわ。用事が無ければ、すでにメルサから出て行って」

「何も仕入れずに出て行けと?」

「目当ての品があるなら言って。ある程度ならすぐに用意させるわ」

「それはありがたいですが、そんなことをしたら私がグランディスさんに睨まれます。メルサでの商売がやりにくくなります」

「二度と来なければ良いのよ。今までしていなかったんでしょう。これまで通りでしかないわ」

「それはそうですが」

 ベルダネウスは残った食ってけ汁を飲み干し

「やはりお断りします。その代わり、グランディスさんから特別な要求がなければ、約束の期限が過ぎたらすぐに出て行くことをお約束しますよ」

「特別な要求がなければ……ね」

 自分の食事を平らげると、ジェンヌは店員を呼んだ。出て行くのかとルーラは思ったが、ジェンヌは同じもののおかわりを頼んだ。

「よく食べますね」

 食ってけサンドと食ってけ汁は、一人前でも並の料理の二人前近い量がある。

「私だっておいしい物は好きだわ。変?」

「いいえ、私はよく食べる女性が大好きです」

 ベルダネウスがちらりとルーラの前の皿を見た。彼女の前には、空になった皿が三人前重ねてある。


 そして二人がファズに留まる約束の期限の五日目。

「ベルダネウス。君のことは調べさせてもらった。なかなか面白い生き方をしているな」

 ボーンヘッド商会本社の客室で、ベルダネウスとルーラはグランディスと向かい合っていた。今のルーラはドレス姿ではない。男物の服に革鎧といういつもの護衛姿だ。

「あなたの生き様にくらべたら、私の人生など平凡ですよ」

「謙遜するな。サグリの歓楽街では、王を名を知らぬ者はいてもザン・ベルダネウスの名前を知らぬ者はいないらしい」

 歓楽街という言葉にルーラが反応した。ベルダネウスが自由商人になる前は娼館で働いていたというのは知っているが、どこの町の娼館かは知らなかった。

「調査はワコブかと思いましたが」

「ワコブにも人を行かせた。が、君が語ったカブスの死に関する一件となると、あやふやなところが多い。ワコブの衛士隊では、君があの一件に関わっていることすら知らなかった。調査に行った者が逆に質問攻めにされたほどだ」

「お気の毒に」

「使いの者がソーギレンスというバールドの戦士と会わなかったら、ほとんど謎のまま終わっただろう」

 ルーラは髪も眉も剃り上げた小男の姿を思い出した。少々薄気味の悪い外見も、今となっては懐かしい。

「ほう。彼はなんと言っていましたか?」

 グランディスはそれには答えず

「彼から君たちに伝言がある『全て話した』『薬は間に合った』それだけだ。それでわかると彼は言っていたそうだ」

 ベルダネウスとルーラは顔を見合わせ、微笑みを見せた。二人には、それだけで十分だった。

「ご伝言ありがとうございます。それだけで、今日、ここに来た甲斐がありました。ですが、まさか今日私どもを呼んだのは」

「もちろん、こんな話をするためではない。君の今後の予定は?」

「おかげさまで、この五日間でいろいろと見て回ることが出来ました。仕入の品も目処が立ちましたし。仕入をして、明日には出発するつもりです」

「その出発、もう少し延ばしてもらう」

 ベルダネウスの眉を寄せた。

「お言葉ですが、私は既に五日間滞在し、その間、商売をしておりません。もっとも、仕入れる品を吟味していたのですから無駄ではありませんでしたが。

 しかし私は商人です。別の町に行き、人を訪ね、話し、物を売る。それがしたいのです。ここで仕入れた物を持っていきたい町がある。あの町のあの人にこれを見せたらきっと欲しがる、買いたがる。旬の品を仕入れなければ。もうすぐ春だ。ならばオランゼの若木細工を仕入れたい。春になり、新芽が息吹く頃、天に伸びようとする力を内に秘めた木の細工は同じ細工でも他の季節では出ない艶があるんです。もちろん細工師にはそれを感じ取る技量が要求される。腕の良い細工師は季節ごとに作りを微妙に変えていきます」

 語るベルダネウスの横顔を見て、ルーラの顔は自然とほころぶ。この時の彼の顔は見るからにわくわくしている。何かをしたくてたまらない子供のようだ。

 だが、グランディスはそうではなかった。

「君の都合は関係ない」

 一言でベルダネウスの話を遮ると

「私は子供たちと共に、明日、ローテムにある別荘に行く。君にも同行してもらう。期間は短くて数日、長ければ十五日ほどになる。準備をしておけ」

「お待ちください。勝手に決められては困ります」

 立ち上がりかけたグランディスをベルダネウスは制した。

「最低でもその別荘に行って何をするのかを説明してください。それが私にとってどんな利益があるのかも。その上で私がそれに参加するか否かを決めます」

「私が決めたのだ」

「自分のことは自分で決めます。それが自分の生き方に関わることならば尚更です」

 グランディスはベルダネウスを見据え、

「カブスと同じ事を言う」

 座り直した。

「ローテムはここから馬車で丸一日かけたところにある海辺の小さな村だ。そこの外れ、かつて軍の砦だったものを改築した別荘がある。そこで私は子供たちを相手にある催しを行う。一種のゲームだな。君はそれにカブスの代理として参加してもらう」

「ゲーム? ゲームのために移動時間を含めて、長ければ十五日ほどの時間を費やそうというのですか。あなたの子供たちは皆、ボーンヘッド商会の幹部や会員のはずです。それだけの期間いなくなれば業務に支障を来すのでは?」

「心配はいらん。この五日間はそのための準備期間でもあった。それに、ゲームという言葉を使ったが、それに関わることはボーンヘッド商会の未来に関わることだ。単なる遊びではない」

「何のゲームですか?」

「それは向こうで説明する。予備知識を与えたくないからな。これは子供たちも同じだ」

「私が参加しなければならない理由は何ですか? カブスさんの代理と言いましたが、カブスさんはもう何年も前に家を出ています。代理が必要なほど彼の参加を前提としているのは不自然だと思うのですが。それとも、彼はこの時期、メルサに戻る約束だったんですか?」

「いや」

 グランディスは首を横に振り

「だから私は前々からカブスを探していた。だからこそ、奴の遺品をもってきたという人物が現れたと聞いて、すぐにセバスをやったのだ」

「それでですか。まだボーンヘッド商会を訪ねたわけでもないのにセバスさんが来て、ずいぶん早い反応だなと思っていたんですよ」

「そして参加することによる君の利益だが、このゲームの勝者となれば莫大な資金が手に入る。その気になればこのボーンヘッド商会の次期会長となることも可能だろう」

「ご冗談を。ボーンヘッド商会はメルサ王族に匹敵する力を持っています。その会長職など、ゲームの商品としては大げさすぎます」

「会長職は単なる例え。それぐらいの利益が手に入るということだ。どうだ、参加する価値はあるだろう」

「確かに。自分の店を持って、自由商人として馬車一台であちこち頭を悩ませながら旅して回る生活から解放されます。先日も言われましたよ。そろそろ結婚してもいい歳だと。安定した仕事と財産が手に入れば安心して結婚も出来るし子供も作れる」

「ならば決まりだ」

「はい。その申し出はお断りします」

 睨み付ける視線をベルダネウスは受け流し

「私は自由商人という仕事が好きですから」

「何を望んでいる?」

「ゲームの参加が強制ではなく、仕事としてならば考えましょう」

「参加すること自体に対する報酬が欲しいということか」

「必ずゲームに勝てるとは限りませんので」

「勝ち負けに関係なく儲けが出るようにしたいというわけか」

「私は博打打ちではありませんから」

「移動日も含めて一日二万ディル。滞在費など参加に必要な金はこちらが持つ。」

「バーレット商会で扱っている包丁。五本一セットで四万五千ディルの品がありますね。それを十セット加えて欲しい」

 グランディスの眉が微かに動いた。指定された包丁セットはかなりの高級品だ。それを十セットもタダでよこせとは。

「よかろう。ただし現金報酬は一日一万ディルに訂正だ」

「わかりました。報酬の方はそれで良いとして、あとはカブスさんに従いましょう」

 予め用意していたのだろう。ベルダネウスはポケットから一枚の硬貨を取り出した。

「カブスさんは何かとコイン占いで物事を決めていました。彼の代理として参加する以上、私もそれに習いましょう。表が出たら参加します。裏ならこの話はなかったことに」

 グランディスの目の前で、ベルダネウスが硬貨を弾く。硬貨はテーブルの中央に落ちると惑わすように回り始めた。

 と、グランディスが立ち上がり回る硬貨をひっつかみ、

「決めるのは硬貨ではない。私だ!」

 表を上にしてテーブルに叩きつけるように置いた。


 セバスから明日以降の予定を確認し終えた頃には、太陽は西に傾き始めていた。ファズはアクティブやスターカインの主要都市のように魔導灯の普及が進んでいない。ほとんどの人達は日暮れに合わせて仕事を終える。

 ファズの中央通りは、魔導灯が設置されている数少ない地域であり、日暮れ時の食堂は、仕事帰りに食事をする人達でごった返している。

 人々の話し声と食事の音の響く中、ベルダネウスとルーラは隅の席に腰を落ち着かせた。

「気のせいかな。グランディスさん、余裕がないみたいに感じた。なんか焦っている」

「私もそう見えた。押しが強いと言うより、ただ乱暴なだけみたいだ」

「もしかして、影武者とか。本物はどこかであたし達を見ていて……」

 言いながらルーラもこの説は無理があるように感じ、途中で止めた。

「グランディスさんはどうしてあそこまでザンをゲームに参加させたがっていると思う?」

「一度決めた予定は変えたくないのかもしれない」

「それだと家を飛び出したカブスさんが戻ることを前提のゲームってこと?」

「前々から探していたと言うからな。それほど大事というか、やりたがっていたゲームということか」

 ベルダネウスはふと顔を曇らせると、彼女に顔を突き出し

「ルーラ、このゲーム、かなり厳しいことになるかも知れないぞ」

「厳しいって?」

「ソーギレンスさんがどれだけ話をしたかにもよるかだがな」

「え?」

 二人は顔をつきあわせた。自然と声は小さくなり

「カブスさんは私たちと戦って死んだんだ。いわば、グランディスさんにとって私たちは息子の敵だ」

「それじゃあ、ゲームの目的は私たちを……」

「いや、それは別だろう。しかし、その過程でついでに敵討ちもと考えても不思議じゃない。自分の家を飛び出たとはいえ、自分の息子だ」

「それってやばいよね。向こうに行ったら、敵に囲まれたも同然でしょ……逃げる?」

 見据えたまま返事を待つ彼女に、ベルダネウスは無言で首を横に振る。

 それを受け、ルーラは大きく頷き胸を張り

「大丈夫。ザンはあたしが守る。あたしはザンの護衛だから」

「頼りにしているぞ」

 そのタイミングを計ったように料理が運ばれてきた。

「来た来た。やっぱり食べ物はこうでなきゃ」

「大げさだぞ」

 そういうベルダネウスも自然と笑みがこぼれた。ここ数日、食ってけ亭を除いて、いわゆる一流の店ばかりに行っていた。確かにどこも美味ではあったが、二人にとっては洗練されすぎてずっと食べていると疲れるのだ。

 今回、二人が注文したのは麦や米、コーンの上に、具材のたっぷり入ったとろみのある辛味スープをかけただけのもので、大抵の町で食べられるざっかけない料理だ。ただかけて食べる人もいれば、スープとぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べる人もいる。他にも煮魚に茹でただけの野菜などマナーとは無縁な庶民の食べ物である。

「ここってお米のメニューが多くていいわ」

 ルーラの故郷は水田が多かったせいか、米に対しても抵抗はない。むしろこの辛みスープがけには麦やコーンよりも米の方が合う。

 周囲のざわめきが波打つ中、二人は料理を楽しみ、久しぶりに満腹らしい満腹感に浸りながら宿に戻る。

 その途中

「……ザン、つけられてる」

 ルーラが足取りを変えずにつぶやいた。

「ああ、素人だな」

 道を曲がる時、ルーラがちらと確かめる。食堂にいた時からずっとこちらをちらちらと見ていた小柄の男だ。なかなか良いものを着ている。襟を立て、帽子を目深にかぶって顔を隠してはいるが、それが却って怪しい。つける足取りもぎこちなく、尾行に慣れていないのは明らかだった。

「撒く? それとも捕まえる?」

「放っておけ、手出しする様子もなさそうだ。でも、顔は見ておきたいな」

 二人は小さく頷くと、通りの端を曲がり、建物の隙間の小道に入る。

 ベルダネウスが鞭を取り出すと、建物の二階の窓にある小さな手すりに巻き付けた。それをたぐるように素早く壁を駆け上り、庇の陰に腹ばいになって隠れる。ルーラも風の精霊を纏って一気に建物の屋根まで上がる。

 少し遅れて尾行者も小道に入ったが、前ばかり見ているために上の二人は見えない。

「え? どこだ?」

 小道を小走りで進むが、そこは行き止まりだった。

「間違えたかな?」

 帽子を取って見回した。二人が上に行ったとは思わなかったのだろう。顔をあげようともしなかった。窓から漏れる明かりが彼の顔を照らす。

(ロジック・ボーンヘッド……)

 ルーラの頭で、商会にあった肖像画と眼下の男の顔が重なる。グランディスの息子の一人だ。

 もしかして通り抜けできるのかと思ったのか、なおもロジックが奥の塀を調べている間に、ベルダネウスとルーラは地面に降りた。

「私たちをお捜しですか?」

 いきなり声をかけられ、ロジックは

「わっ」

 声を上げて二人から後ずさった。

「何かご用ですか?」

「何かだって」

 自分の尾行がバレていたことを理解したのか、ロジックは二人を見比べ、負けるものかとばかりに睨み返す。

「お前達こそ、何を企んでいる」

「?」

「どこで手に入れたか知らないが、カブスの剣を手がかりに、ボーンヘッド商会を乗っ取ろうったってそうは行かないぞ。ジェンヌはあっさり引き下がったみたいだが、僕はそうはいかない。そのうち、お前らの正体を暴いてやる!」

 いきなり突進すると、二人を押しのけるようにして通りに飛びだし、そのまま走って行った。

「何を勘違いしているのかしら?」

「乗っ取りか」

 ルーラとベルダネウスが顔を見合わせる。二人ともグランディスの言葉を思い出していた。

 ゲームの勝者になれば、ボーンヘッド商会の会長になることも可能だと……。


(続く)


※次回更新「出発」

 ボーンヘッド家の長男スケイルと出会い、ルーラは彼の娘に懐かれる。

 そして、一行はゲームの舞台となる別荘へと向かう。


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