【2・ボーンヘッド商会】
カブス・ボーンヘッド。ベルダネウスとルーラの物語の一編「魔導人の心臓」をご存じの方なら、この名前に覚えがあるだろう。
彼らと一緒に国境の詰所に閉じ込められ、命を落とした戦士。彼の死後、ベルダネウスは彼の荷物の中から遺品として自分の剣を実家に届けて欲しいという手紙と届け賃を発見した。
そしてベルダネウスはルーラと共に遺品を持って彼の故郷、ここ、メルサ国の首都ファズまで来たのである。二人ともメルサは初めて訪れる国であり、詳しいことはほとんど知らなかった。
唯一頼りになるのはカブスの手紙に書かれた住所。自由商人のたまり場であるサークラー教会で道を訪ね、そこにたどり着いた二人が見たのは……。
「ザン、ここで間違いないよね。ボーンヘッドさんの実家って」
「この住所で間違いない」
目の前にそびえ立つのは二人の背丈の倍はあろうかという白い鉄柵。その向こう、緑に囲まれた庭の果てに見える豪邸は、三階建ての純白総煉瓦造り。屋敷の前では噴水が日の光を浴びて虹を作っている。庭の一角、花壇の前では小さな子供が母親らしき女性を相手に鞠遊びをしている。
「うそでしょ。大きさこそ負けるけど、さっき見た王宮よりもずっと新しくて立派じゃない」
「教会の人達の言葉は嘘でも冗談でもなかったわけだ」
カブスの実家であるボーンヘッド家。その当主グランディス・ボーンヘッドが会長を務めるボーンヘッド商会はメルサ最大の商社である。その財力は、メルサの国家財産を超えるとまで言われている。実際、町でもボーンヘッド商会の看板をあちこちで見る。
サークラー教会でボーンヘッド家の場所を聞いた時に自分たちに向けられた呆れたような、小馬鹿にしたような顔をルーラは思い出した。メルサではここを知らないものはいないのだ。
よそから来たという二人に会員が身振り手振りで説明してもルーラにはピンと来なかった。彼女の知っているカブス・ボーンヘッドは図体のでかい、勇猛と言うかがさつと言うか、とてもメルサ最大の商社・ボーンヘッド商会会長の息子とは思えなかった。それはベルダネウスも同じだったらしく、他にボーンヘッド名字の家はないのかと何度も訪ねたほどだ。
そして、散々聞き、自分で調べた結果、やはりカブスはボーンヘッド家の息子の一人らしいという結論を出した。出さざるを得なかった。
「これを渡すだけなのに、一苦労ありそうだ」
ベルダネウスが一抱えはありそうな古い布でくるんだ大振りの剣を持ち直した。これと彼が背負っている古びた袋。これらがカブスの遺品である。
正門に回ると、文の横に小部屋があった。門番の控え室だ。四十才ぐらいのメイドが、門番にお茶と茶菓子の差し入れをしているところだった。
「大丈夫? 一旦戻った方がいいんじゃない。どう考えても、約束もなしで会える相手じゃないわよ」
「それだと、ただ怪しい二人組がうろついているだけになるぞ。とにかく、声だけでもかけておこう」
こそこそしていると逆効果だとばかりに、二人は堂々と門番達のところに行き
「失礼します。こちらはボーンヘッド家のお屋敷でよろしいのでしょうか?」
明らかな警戒の目を門番は二人に向けてきた。メイドも同じように凝視している。無理もない。
ベルダネウスが着ているものはそう悪いものではない。黒っぽい紺を基調としたスーツは最高級とはいわないが、ちょっとした有力者のパーティになら出てもおかしくはないものだ。
しかし、ルーラの方は着ているものは男物の服に革鎧。革鎧そのものは良質だが、デザインは地味でみすぼらしくも見える。鎧の常でいくつも傷がある。そして手にしているのも石槍である。精霊の槍を知っているものならば良いが、知らなければただの粗末な石槍である。彼女自身も、地味な顔つきで特に人目を惹くような美人ではない。
家族への面会を求める二人に対し
「約束のない方にはお取り次ぎできません」
門番の返事は素っ気なかった。もっとも、この反応は予想通りとも言える。
「こちらのお屋敷には、カブスという名のご子息がいらっしゃいますか」
「カブス様にどのようなご用でしょうか?」
メイドが訝しげに見つめ返してくる。
「いえ、彼が今、いないのは承知しています。私たちは彼の頼みでこれを肉親に届けに来たのです」
布をほどいて剣を見せる。途端、メイドが驚いたように
「それは!? もしやカブス坊ちゃまの」
『坊ちゃま?!』
ルーラとベルダネウスの声が思わずハモって顔を見合わせた。
「見せてください」
メイドが剣をひったくるように奪うと、鞘や剣の柄の装飾を確かめるる
「間違いありません。カブス坊ちゃまが屋敷を出る際、自分用にと鍛えさせた剣です」
門番の顔が険しくなった。
「どうしてこれを?」
「彼は亡くなりました。これらは彼の遺品です。彼の遺言で、是非これをこちらに届けるようにと」
「亡くなった?!」
メイドの顔が青ざめた。
「遺言ですので、私どもとしてはこれらを直接彼の肉親に渡したいのです。それ以上の目的はありません」
しかし、門番はあからさまに怪しげな目つきを向けてくるだけだ。
「私どもは数日ファズに滞在しています。もしも遺品を受け取るためにお会いして戴けるならば、サークラー教会にご連絡ください。私は自由商人として、そこへ登録しておりますので」
この世界において八大神と呼ばれる神の一人であり、富、もしくは交流の神と呼ばれるサークラー神。人間は交流によって絆を深め、より大きく成熟するという教えを持つこの神は、その仲介者として商人を尊重し援助している。ベルダネウスのような自由商人たちにとっては実にありがたいというか都合の良い神なので、彼をはじめ、ほとんどの自由商人はサークラー教会に信者として登録している。
もっとも、信者といっても信仰しているわけではない。サークラー教会のつながりを理由するために登録した、形だけの信者である。
「わかりました。ご家族が戻られましたらお伝えしましょう。申し遅れましたが、私はこちらでメイド長をさせていただいておりますレミレと申します」
彼女と門番に見送られ、ベルダネウスは門を背にした。
「もしも誰も受け取りに来なかったらどうする?」
カブスについては国境詰所での出来事でしか知らないが、これだけの家を出てまで一介の戦士となるには、家族といろいろあったのだろうとは予想できる。
「家族の反対を押し切って飛び出て戦士になったのなら……」
「それでも息子だ。遺品ぐらいは受け取ってくれるだろう。本人もそう思ったから、あんな手紙を残したんだろう」
「そうだよね。家族だもんね」
寂しげにルーラは屋敷を見返した。彼女の家族はみんな死んでしまった。つながりたくても誰もいない彼女にとって、生きているのにいがみ合う家族というのはそれだけでも気を重くする。
だが、二人の心配は無用に終わりそうだった。
ボーンヘッド家から使いが来た時のために宿を教えておこうとサークラー教会に戻った二人に
「ちょうど良かった、先ほどからボーンヘッド商会の方がお見えになっています」
教会の事務員が奥で一抱えはある巨大な魔玉を見つめている男を指さした。彼が見ている魔玉は魔導師が魔導の発動に使う魔玉とは違う。ものを記録し、それを見ることができる記録共用の魔玉である。これを各国の協会に設置することで、サークラー教会はどこの教会でも全国の登録信者の確認が出来る。便利だが非常に高価なので、大国の大きな都市や八大神の教会ぐらいしか置いていない。
皺一つないスーツを着たその男、ルーラの第一印象は「いかにも真面目っぽそう」だった。身長はベルダネウスより頭一つ高く、細くはあるが、やせているような印象はない。無駄のないその動きに、
(この人、かなり強そう)
ルーラは思った。
「ボーンヘッド商会でグランディス様の秘書を勤めておりますセバスと申します」
握手をしたその手の硬さに、ルーラは先ほどの思いは確信に変わった。今まで彼女は何度もこういう手と握手をしている。素手での格闘術、通称空拳の使い手、それもかなりの実力者の手だ。
教会の一室を借りた三人が改めて挨拶するとさっそくベルダネウスが切り出した。
「先ほどお屋敷の方に行きました。レミレというメイドに伝言をお願いしましたが、それを聞いて?」
「いえ、それは初耳です。私はただボーンヘッド家への面会を求めている自由商人がいるというので」
「それだけではないでしょう。面会希望の商人をいちいち調べていたらきりが無い。記録の閲覧料だって馬鹿になりません。私たちに会いに来たのは何か理由がおありで?」
ベルダネウスもルーラもセバスの目が遺品の剣に度々向けられるのに気がついていた。
「あなたたちはファズに来て、ボーンヘッド家の屋敷の場所、家族について度々聞いていましたね。カブスという息子についても。
自由商人が仕事を求めるのならば、ボーンヘッド家ではなくボーンヘッド商会の場所を聞くはず。ましてや、カブス様について聞く必要はありません。そしてあなたの持っているその剣、それはカブス様が家を出る時に持っていた剣です。否定はさせません。その剣はカブス様が戦士として出る時に特別に作らせたもの。同じものは二つとありません」
レミレと同じことを言った。
「否定はしません。私たちがここに来た目的は……」
そしてベルダネウスは改めてカブスが死んだこと、死後、彼の残した手紙に従い遺品を届けに来たことを説明した。
「私はメルサは初めてでして。ボーンヘッド商会のことも知りませんでした。まさかこれほどの富豪とは。遺品を渡すだけでも一苦労と思っていたところです」
ベルダネウスの言葉を聞きながら、セバスはカブスの残して手紙に目を通していた。
「ご自宅になにかボーンヘッドさんが書き残したものでもあれば、筆跡が同じ事がわかるでしょう」
「それは無用です。これは間違いなくカブス様の字です」
セバスは手紙を返したが、その手を引っ込めはしなかった。
「それでは剣とその他の遺品を受け取らせて戴きます」
「失礼ながら、それは出来ません。私は商人です。ボーンヘッドさん……少々ややこしいので、カブスさんと名前で呼ばせて戴きます。お許しを。
手紙によるものとはいえ、私は彼と遺品を家族に届ける契約をし、文の通り届け賃ももらいました。それに従い、私は彼の肉親に直接遺品を手渡したいと思います。グランディス様にとは言いません。どなたかに直接遺品を手渡す機会を設けて戴けますか?」
セバスは返事に迷っているようにルーラには見えた。ベルダネウスの言葉が額面通り、手紙での約束を守りたいだけなのか、この機を生かしてボーンヘッド商会とつながりを持とうと画策しているのか判断しかねているようにも見えた。
「わかりました。どなたがお会いになるかまではお答えできませんが、そのように手配しましょう」
「どなたがと言いますと? ご両親の他にご兄弟がいるのですか?」
「母親はおりませんが、父親と兄弟姉妹がおります」
後日報告に来ると立ち上がるセバスに、ルーラはほっと一息ついた。
「他に何かありませんか?」
「それでは個人的に伺いたいことをひとつ」
人差し指を立てるベルダネウスに、セバスの目が一瞬警戒の色を見せた。
「この辺りでおいしい料理店をご存じありませんか? 私どものようなものでも受け入れてくれるような店。出来れば個室のある、少々高級な店が良いのですが」
「本日ですか?」
「ええ、今夜にでも」
「その服でおいでなさるのですか」
二人の服装を見、特にルーラの格好に眉をひそめた。
「彼女はドレスをもっていますので服装は気になさらずに」
ルダネウスが補足すると、でしたらと彼は一軒の店を紹介してくれた。ご丁寧に予約まで入れておいてくれると言う。二人はその好意に甘えることにした。
セバスと別れ、二人は馬車と共に教会が紹介してくれた宿へ向かう。
「あたしはいいのに。ザンが一人で行けば」
「そうはいかない。今日の食事はお前が主役だ」
「え?」
「今日はお前の誕生日だろう。私自身が選べなかったのは残念だが、そこは勘弁してもらうぞ」
微笑を浮かべるベルダネウスに、ルーラの頬が染まった。
「知ってたの?」
「登録証の写しに誕生日が記載してあるからな」
サークラー教会では、自由商人たちに対して護衛や使用人の斡旋を行っており、ルーラも護衛希望としてそこに登録してあるのだ。もっとも、彼女はずっとベルダネウスの専属として働いているので形だけのものだが。雇い人である彼には、彼女の登録証の写しが渡されている。
「誕生日おめでとう」
今日、ルーラは十七才になった。
「ベルダネウス様ですね。二名様でご予約を承っております」
セバスが紹介してくれた「古了亭」という店は大通りから少し外れた、隠れ家的な店だった。正に「知る人ぞ知る」的な店である。
給仕の案内にルーラと顔を見合わせた。今の彼女の服装はいつもの皮鎧ではない。若葉色に白線で模様が描かれた、若木をイメージしたドレス姿である。彼女がベルダネウスに雇われるのに合わせて仕立ててもらったものだ。
案内される二人に他の客たちが物珍しげに視線を向ける。それに気がついたルーラが、そっとベルダネウスの腕に自分の腕を絡め、寄り添った。なにげに彼の腕を自分の胸に押しつける。
それを見た給仕が微笑ましそうに笑顔を見せた。
(……夫婦に見えるかな)
「お嬢様の誕生日と伺っております。メニューも特別なものをご用意させていただきました」
途端ルーラがズッコケかけた。
「おおお、お嬢様って……」
「親子では?」
真顔の支配人にベルダネウスは必死に顔を背け、笑いを堪えた。
「あたしとザンは十二才しか違いません!」
さすがに失言に気がついたのか、給仕は慌てて頭を下げた。
「失礼しました」
「雇い人と使用人です。お気になさらずに」
「え、ですが、今その方はベルダネウス様を名前で」
「雇い人と使用人です」
さすがにこれ以上、二人の関係を話題にするのはまずいと考えたのか、給仕は二人を通りに面した個室に案内すると、もう一度侘びを言って出ていった。
(夫婦とは言わなくても、せめて愛人ぐらいには見えないかな)
むくれっ面のまま、ルーラはベルダネウスを見た。実年齢は十二歳差だが、彼が老け顔のため二十歳以上年齢差があるように見える。確かに親子と間違われても仕方がない。実際、彼女も彼と出会ってしばらくは彼が自分の父と同じぐらいの年だと思っていた。
「どうした?」
「ザンが老け顔なのが悪い」
「老け顔は人生経験が豊富な証と言うぞ」
プラムの食前酒が運ばれてきた。
「せっかくの誕生日だ。笑顔で過ごせ」
「そうしますか」
二人がグラスを手にする。国によって飲酒が認められる歳に差はあるが、メルサは十三才から飲酒が認められている。十七才となればほとんどの国で飲酒が認められ、実際、これまで彼女は何度も酒を口にしていた。
「ルーラがこの世に生まれ出て十七年。彼女自身と、十七年間共に生き、その人生に彩りを与えてくれた多くの人々への感謝と祝いを込めて」
「そして、これからもあたしの生き様を豊かにしてくれる人達に感謝と期待を込めて」
グラスを合わせる音は、教会の音のように聞こえた。
セバスというより、ボーンヘッド商会の口利きのせいもあるだろうか、次々に出てくる料理は皆、素晴らしかった。料理の名前は小難しくて彼女にはよくわからなかったが、野菜も肉も魚も、鼻をくすぐる香り、舌に広がる旨み、噛む時の歯ごたえ、飲み込む時の喉ごし。
(おいしいものを食べると、本当に幸せになるんだなぁ)
つくづくそう思うルーラだった。
そしてデザート。リンゴのお菓子にはオレンジソースで誕生日おめでとうの文字が書かれていた。今日が彼女の誕生日だと聞かされた店のサービスだった。
ルーラの目から思わず涙がこぼれた。誕生日を祝ってもらったのなんて、何年ぶりだろうか。
「十七才か……」
全ての食事が終わり、食後の紫茶を楽しみながらルーラはしみじみとつぶやいた。この紫茶も普段彼女たちが飲んでいるものより全然違う高級品だ。色は岩場から湧き出る雪解け水のように清み、香りも優しく柔らかだ。
「もう結婚してもおかしくない歳なんだなぁ。子供を産んでいる人もいるし。そういえば、姉さんが結婚したのも十七才だっけ」
国や町によって結婚が許される年齢は様々だが、だいたいは十三~十五才ぐらいだ。中には年齢ではなく子供が作れる/産める体になれば結婚できるというところもある。
「おかしくはないが、遅くもない。無理に意識することはない」
「ザンだって春になれば三十歳でしょ。そろそろお嫁さんもらってもいいんじゃない」
「結婚は年齢でするものではないだろう。それに、自由商人の妻になろうという女性はそうそういない」
自由商人はほとんどが独身である。彼らが結婚する時は、ほとんど金を貯め、どこかに自分の店を持った時である。店を持ち、この地に落ち着こうという気持ちが妻を、家族を持とうという気持ちにつながるのかも知れない。
「じゃあ、そろそろどこかに店を持ったら。それぐらいの貯金はあるんでしょ」
「あいにくだが、私は自由商人が好きなんだ」
「じゃあ、自由商人の奥さんでも良いって人を探したら。ちょうど手頃な女の人なら……」
ここにいるし。というのは口にせず、はにかみながらベルダネウスを上目遣いに見る。
「どうした、食前酒にでも酔ったか?」
「酔ってません。大まじめに言ってます」
そこへ扉がノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのはこの店の料理人でヒュートロンと名乗った。目の細い、ちょっと神経質そうな感じの青年で
「いかがでしたか、私の料理は」
「素晴らしかったです。幸せな誕生日になりました」
ルーラが立ち上がり、会釈した。
「満足して戴けて光栄です。料理人になった甲斐がありました」
笑顔で差し出された手は色白だがごつごつしていて、ルーラの好きな手だった。
「私からもお礼を言わせてください。私のような自由商人にとっては、おいしい食事をとれるかはとても重要です」
ベルダネウスも手を出し、握手する。するとヒュートロンが
「あの、実はお二人にお目にかかりたいとおっしゃっている方がおりまして」
少々言いづらそうに扉に目を向けるのを
「かまいませんよ。お通しください」
ほっとして彼は扉を開けた。
「やはりあなたでしたか」
入ってきたのはセバスだった。しかも、その手には剣を始めベルダネウスたちが宿においてきたはずのカブスの遺品があった。
それを見たベルダネウスの目つきが険しくなる。
「勝手に持ち出されるとは、さすがに不愉快ですね。偽物だと思いましたか」
「それについては謝ろう」
扉の向こうから、ちっとも悪いようには感じていなさそうな声がした。
「こちらとしては念には念を入れたかったのでな。それ以外の品には指一本触れていないから安心しろ」
ゆっくりと漆黒のスーツ姿の男が入ってきた。背はベルダネウスの肩ぐらい。髪は半ば白くなっており、歳は五十前後に見えるが、実年齢はもっと上とルーラは見た。太い杖を突き、部屋に入ると当然のように席に着く。
全身から相手を威圧するような空気を感じ、ルーラは立てかけておいた精霊の槍を手にした。
「心配は無用です。お二人に危害を加える意思はありません」
セバスが制し、
「グランディス・ボーンヘッド様です」
と紹介した。
「それでは、私はこれで」
ヒュートロンが萎縮したように深々と頭を下げて出て行った。
セバスに促され、ベルダネウスとルーラは改めて席に着く。
(この人が……)
カブス・ボーンヘッドの父親であり、一代でボーンヘッド商会の財力をメルサ国に匹敵するほどに育て上げた男。
体型や顔立ちは確かにカブスに似ているが、全身から感じられる空気はまるで違っていた。カブスからはどこか人なつっこさが感じられたが、グランディスからは有無を言わさぬ力を感じさせる。
「ザン・ベルダネウス。息子が世話になったそうだな。とりあえずは礼を言おう」
だが、そう言いながら彼の身体はふんぞり返ったままだ。
「私の方が息子さんの勇猛さには助けられました」
「ろくな成果も上げられず死んだ男に勇猛さなどあるものか」
そこへヒュートロンがワインを運んできた。それでグランディスは喉を潤す。ルーラもベルダネウスと一緒にワインに口をつけたが、味などちっともわからなかった。
「君が持ってきた剣と手紙だが、まちがいなくカブスのものだ。確認した」
「ありがとうございます。これでカブスさんの願いを無事聞き届けることが出来ました」
「……カブスはどこでどのようにして死んだ? やはり戦か?」
「戦いですから戦と言えるでしょう。ただし相手は人間ではありませんでした」
ベルダネウスはワコブ近くでの国境詰所での出来事を簡単に説明した。ただし、やはりある程度ぼやかすのは忘れなかった。
「人間を超える獣と、力の限り尽くして戦ったのです。負けはしましたが満足だったのでしょう。死に顔は笑っていました」
「負けて笑う男となったか」
吐き捨てるような言いぐさに、ルーラが思わず立ち上がり
「勝敗でしか気持ちを測れないんですか?!」
「ルーラ!」
ベルダネウスの一喝に、彼女は必死に言葉を飲み込んだ。
「座って黙っていろ」
その通りにし、彼女は拳を固める。
「ボーンヘッドさん、カブスさんは戦士としての技量もさながら、人間としても魅力的でした。敵対している相手からも好かれるほどに」
「敵からも好かれるなど、舐められているだけではないか。有能な者ほど敵からは憎まれるものだ」
憤怒の表情を見せられ、ベルダネウスもやれやれと肩を落とした。
「私は、カブスさんがどうしてボーンヘッド家を出て、戦士として生きることを選んだか、その際にあなたとどのような確執があったかは知りません。ただ、一つお願いがあります。彼の遺品をお受け取りください。息子さんの形見ですよ」
深々と頭を下げると、そのまま顔をあげずにいた。
その様子をグランディスは苦々しく見ていたが、やがて根負けしたように
「わかった。遺品は受け取ろう」
「ありがとうございます。これで私もカブスさんとの約束を果たせました」
顔をあげ、ほっと息をついた。これでメルサに来た用事はすんだことになる。
グランディスはじっとベルダネウスを見つめている。その目からは何を思っているのかルーラには見当もつかなかった。
「お前はすぐにここを発つのか?」
「いえ、せっかくですので何か仕入れていきたいと思っています」
「何か目をつけているものでもあるのか?」
「まだ来たばかりですので。ただ。刃物には興味がありますね」
「刃物?」
「カブスさんの剣、手入れも行き届いていましたが、剣自体も良い品です。どこかで仕入れたのかと思っていましたが、お話しによると家を出る時に特別に作ったものだとか。
メルサでは量は少ないが良質の鉄が取れるそうですね。その鉄の取れる山はボーンヘッド商会の持ち物だとか。ならばその剣はそこの山で取れた鉄で、商会の職人が鍛えたものでしょう。
でしたらば、ここには同様の優れた刃物が作られているのではと思いまして」
「剣を探すか」
「いえ、私が探すのは包丁。料理人の使う刃物です。私は商売で行く先々の町で優れた料理人を何人も知りました。彼らは優れた道具を見れば少々値の張る物でも欲しがります。散髪屋さんも、質の良い剃刀を必要とします。
そして鋏。私は基本、生き物と麻薬以外は何でも扱いますが、主流は生地です。生地を切り売りなどするのに、優れた鋏は是非欲しい。
名人は道具を選ばぬなどと言う人もいますが、私は逆に考えています。名人なればこそ、自分の腕を存分に生かすために優れた道具を求めるのです。他にもナイフ、鉈、刃物の需要は結構あります。
もし差し支えなければ、商会で刃物を扱う店を教えて戴けますか」
「包丁か」
「無理にとは言いません。ここの店の料理人、ヒュートロンさんにどちらで包丁を手に入れたか聞くだけです」
「それは無用だ。セバスに明日、リストを届けさせよう。だが、一つ条件がある」
「何でしょう?」
「明日から五日間、ファズから出ないことだ。場合によってはさらに滞在期間を延ばしてもらう。もちろんその間の滞在費はこちらで持つ」
「なぜですか?」
「とにかく、この町に五日間滞在してもらう。セバス、帰るぞ」
ベルダネウスの問いには答えないまま、グランディスは席を立って部屋を出て行った。
「何なのよあれ。偉そうに!」
グランディスたちがいなくなった途端、ルーラが声を荒げた。
「あれぐらいでないと一代で国を超えるほどの財力は作れないんだろうが」
「財力があれば良いってもんじゃないでしょ」
「商人を前にそれを言うか。どのみち二、三日は刃物を見て回るつもりだったから、それが五日になるぐらいはどうということはない。滞在費を出してくれるというならありがたい」
冷めてしまった紫茶を飲み干し、私たちも帰ろうとベルダネウスがマントに手をかけた時
「母さんが死んだのに!」
外から甲高い声がした。
何事かと窓から外を見ると、馬車に乗り込もうとするグランディスに、一人の女性がくってかかっていた。歳はルーラと同じぐらいで、きっとつり上がった目はかなり気が強そうだ。顔立ちは地味だが、グランディスの胸ぐらを掴んで涙ながらに叫ぶ姿は周囲の目を引いた。
「父さんは母さんに何をしたんです。手を出してあたしを産ませただけですか!」
「カリーナ、場所をわきまえろ。怒ったところで死んだものはどうしようもない」
「それだけ!」
いきり立つカリーナをセバスが引きはがす。
その様子をルーラたちは窓から見下ろしていた。
「あの子、グランディスさんの娘?」
「歳から見て、カブスさんの妹のようだな」
二人は彼女たちを遠目に見ている見物人を見渡す。あまりみんなに見られて良いような姿ではない。
少し離れた場所に馬車が一台止まっていた。きちんと閉まっていないのか、うしろの扉が微かに開いている。
「!?」
ルーラ自慢の視力は、微かに開いた隙間からグランディスに向かって弓を絞る者の姿を捕らえた。
とっさに彼女は精霊の槍を構えた。いつもなら矢を逸らすために風の精霊にお願いするのだが、人通りがある。逸らした矢が人に当たったら。とすると使えるのは……。
「あの馬車か!」
彼女の動きに気がついたベルダネウスが窓から眼下のグランディスの馬車めがけて飛び降りるのと同時に、射手が潜む馬車が闇に包まれた。彼女に頼まれた闇の精霊が馬車をすっぽり包んだのだ。視界を奪えば矢は放てないというルーラの判断だったが、相手はそれほど甘くなかった。
闇から放たれた矢が飛び出した。が、やはり突然の闇は射手の手元を狂わせたらしい。矢はグランディスを外れ、古了亭の壁に当たった。
「早く出発を!」
馬車の屋根から石畳へと飛び降りたベルダネウスが自らを壁にするように立った。その手にはマントの内ポケットから取りだした愛用の鞭が握られている。
だが、次の矢は飛んでくることはなく、馬車は闇から飛び出すとそのまま速度を上げて走り去っていった。
「礼を言っておくべきかな」
「それには及びません。おいしい料理の店を紹介してくれた御礼です」
グランディスは面白げに鼻で笑うと、セバスに促されて馬車に乗りこんだ。カリーナも矢が飛んできたのに毒気を抜かれたのだろう。先ほどの勢いはどこへと行ったようにおとなしく馬車に入る。そこへルーラが店から飛び出してきた。
「大丈夫?」
「ああ、闇の精霊によろしく言ってくれ」
ルーラが再び精霊石に意思を込めると、先ほどまで馬車の止まっていた位置に留まっていた闇が散らばり消えた。
「精霊使いか」
馬車の中でグランディスがつぶやいた。
「力を持つと言うことは、いろいろなものを寄せ付ける。憧れも妬みも、そして味方も、敵もな」
街灯の光と人混みの中、グランディスの馬車は走り去った。
「しかし、お前と闇の精霊は相性が悪いんじゃなかったのか?」
宿への帰り道、ベルダネウスがルーラに聞いた。
自然界の精霊たちと意思を通じ、様々なことをしてもらうのが精霊使いだが、やはり精霊使いによって精霊との相性がある。ルーラならば風や大地の精霊と相性が良く、雪や闇の精霊と相性が悪い。それらの対策として、精霊使いはこまめに精霊たちとの交流を持つ。そのために精霊使いは一つの土地に留まる者がほとんどで、彼女のように自由商人と共に土地から土地へと移動する精霊使いは珍しい。土地が変わればその度に精霊との交流をし直さなければならないからだ。
「そうなんだけど、最近、精霊たちが友好的になった感じなのよ」
「単にメルサの精霊たちが人なつっこいだけじゃないのか」
「かもね。もしかしたら、昔、すごい精霊使いがいたのかも。それで精霊たちは精霊使いに対してほとんど警戒していないとか」
「だとしたらその人に感謝しないとな」
夜風にルーラは身を震わせた。冬の夜風は身を切るように寒い。 そんな彼女に、ベルダネウスがそっと寄り添いマントを広げて彼女にかけた。防寒用のマントは夜風を完全に遮り暖かい。
一つのマントを二人で羽織りながら、二人はファズの町を歩いて行った。
(続く)
※次回更新「グランディスの子供達」
ベルダネウスとルーラは、ジェンヌと、フェリックスと、ロジックと出会う。