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【16・六日目、フェリックスの反撃】

 冷たい空気に肌を撫でられ、ルーラは目を覚ました。

(ここは……)

 起き上がろうとしたが体が動かない。軽くだが頭もずきずき痛む。なんとか動こうとして、やっと彼女は自分が縛られて床に転がされていることに気がついた。声を出そうにも、猿轡を噛まされていて言葉にならない。しかし、少しずつ意識はハッキリしてきた。

(そうか……ロジックさんに薬を盛られたんだ)

 手足は縛られているが、服は着たままだ。皮鎧も脱がされていないことに少し安心した。女性を拘束する時、逃げられないように裸にするのはよくある。なのに服はもちろん、皮鎧もそのままということは、彼女に対して強い悪意はないということだ。ただ、さすがに皮鎧のポケットに入れていたナイフは抜き取られていた。

 ゆっくりと深呼吸して心を落ち着かせる。冷たい空気がまどろんだ心をしゃんとしてくれた。

 壁のランプのおかげで真っ暗ではない。改めて見回すと、見覚えのある土壁。床は石畳。炭には炭火ストーブがあり、暖かさを運んでくれている。それほど大きな部屋ではない。

(……もしかして、昨日ザンが見つけたっていう地下砦の隠し部屋?)

 地下砦の部屋は目立った特徴があるわけではないので、何か装飾品がなければみんな同じように見える。しかし、会議室や食堂のテーブルも、武器庫の錆びた武器もないところを見ると、どうもそこのように思える。

 背後から人の気配を感じた。体を転がして向きを変えると、寝間着姿のジェンヌが、同じように縛られて転がっていた。眠っているのは、ベッドに入る前に飲んだ薬のせいか、それとは別に薬を盛られたのかはわからない。

 他には誰もいない。

 何とか戒めをほどこうとしてみる。しかし、なかなかがっちりとしていて少し動かすぐらいではほどけない。

(……ロジックさんだけじゃない)

 人を縛るというのは口が言うほど簡単ではない。素人の縛りでは、何度も動かしているうちに結び目が緩んだりするものだ。しかし、この縛り方は、ある程度慣れた人の仕業に思えた。そしてロジックが縛りになれているとは、彼女にはとても思えなかった。

 重い音がして壁の一角が動いた。ランプを手にしたロジックが入ってくる。

「気がついたのか」

 自分を睨むルーラに目を逸らす。

「大丈夫。静かにしていれば危害は加えないと約束させてある。大声を出さなければ口も自由にするけど」

 恐る恐る言う彼の言葉に、ルーラは静かに頷き、口を自由にしてもらう。

「何をするつもりなの? あたしとジェンヌさんを拉致することに何か意味があるの?」

「ごめん、終わったら説明するから」

「女性を誘拐して、縛り付けて閉じ込めることが王国再興の手段なんですか?」

「いや、これは……」

「他の人達は? ザンは無事なんですか?」

 ロジック黙ってうなだれた。

「ザンに何かするつもりね。鍵を見つける前に殺すつもりなの?」

「彼だけじゃない。審判二人と、スケイル。最低でもこの四人には死んでもらうことになるだろう」

「……どういうこと? 何が狙いなの?」

「ゲームの無効だよ。審判がいなくなれば結末を僕たちの話し合いで決められる。鍵を見つけたベルダネウスと、それに乗じて自分に有利な結末にしようとするスケイルさえいなくなれば。他の連中は買収できるってフェリックスが……」

「やっぱり、フェリックスが黒幕なのね」

 怒りと同時に情けなさがこみ上げてきた。それを込めた目をしっかとロジックに向け

「あなたはどんなことになっても、そんな汚いことだけはしないと思っていたわ。だって、あなたには誇りがある。滅びたとは言え、王家の血を引くものという誇りが。今しているこれは、王家の血を引くものとして相応しい行いだと思っているの?」

 たまらず目を背ける彼に対し

「……もちろん、あなたにはあなたの事情があるのよね。あたしと、片親だとはいえ血のつながったお姉さんを拉致しなければならない事情が」

「頼む!」

 ロジックが地面にこすりつけるように頭を下げた。

「とにかく、ここにいれば安全だから。頼むからここでじっとしていてくれ」

 あげた顔は必死で号泣するのを我慢していた。それは哀願するようで、逆にルーラの方が悪いことをしているようだ。

 そこへ誰かが小走る足音が近づいて

「何サボってんだ、早く手伝え」

 フェリックスが駆け込んできた。その手には、束ねられた棒状の物がある。

「なんだ、もう気がついたのか。薬が足らなかったんじゃないか」

 ルーラはフェリックスを睨み付け

「あなた、彼をそそのかして何をするつもり?!」

 フェリックスが手にしているものを見て、息を飲んだ。

「それって……爆薬? なんであなたがそんなものを持っているのよ」

「持ってたんじゃない。見つけたんだ」

 得意げに爆薬の束を見せた。優位に立ったものが相手を弄ぶ笑みを浮かべながら。

 ルーラはこの笑顔を前にも見たことがある。ボーンヘッド家を出発する時、妻を寝取られ追ってきた男を返り討ちにしながら浮かべた笑顔だ。

「爆薬があったっていう隠し部屋。昼間、見つけた時に爆薬が結構あったんだ。こいつは使えると思ってね。けど、実際にどれぐらいの威力かわからねえし、使い方も見ておきたいし。で、一本だけわざと残してみんなに知らせたわけ」

「わかったわ。勝手にやってすごい音がしたら、却ってみんなに警戒される。もしかしたらゼクスが使ったんじゃないかと思われる。そうなったら、いくらオビヨンさんが強情でもゲームを中止する。あなたは五十万ディルだけで出て行くことになる。

 爆薬の威力や使い方を確かめた上で、ゲームの進行に影響が出ないようにするため、あんな手の込んだことをしたのね」

「正解。おかげでこの爆薬がまだ使えるってことがわかった。おまけに、何かあってもゼクスのせいに出来る」

「それでみんなを殺して、都合の良いようにみんなの口裏を合わせようっての」

 フェリックスがロジックをじろりと見て

「こいつがしゃべったのか。でもな、俺をここまで追い詰めたのはあんた達だぜ。正確には兄貴とベルダネウスかな。

 俺は別に親父の遺産なんて手に入れられなくったって良いんだ。毎日遊んで、美味いもの食って、女を抱けて、ちょっとした贅沢を死ぬまで出来る保証さえあれば、地位なんざいらねえ。

 ところがだ、兄貴は自分が会長になったら俺を追い出す気でいやがる。姉貴もそうだろう。

 ベルダネウスが鍵を見つけたら、ちょいとばかり取り入っておこぼれに預かっても良いかなと思ったけど、あいつはどうも俺が嫌いらしい。兄貴とあんな取引しやがって。返事は保留ってことになっていたけど、ありゃ承知するな。しかも一億二千万ディルだと。ふざけるなってんだ」

「それで……自分の気に入らない結論になるぐらいなら、ゲームそのものをぶち壊そうってわけね」

「そういうことだ」

「そんな都合良くいくと思っているの?」

「思っているよ。バルボケットやモームはボーンヘッド商会に逆らうほどの度胸はねえし、レミレとセバスはボーンヘッド家第一だ。ヒュートロンは何を言っても手のうちようはある。商会の連中の説得は姉貴に任せれば良い……よな!」

 ジェンヌに歩み寄ると、彼女の体を蹴飛ばした。

「寝た振りしてんじゃねえよ。そんなんで俺がだませると思っているのか? 俺は女の寝顔に関してはプロなんだぜ」

 痛みに顔をしかめながら、ジェンヌが目を開けて彼を睨み返す。

「私があなたの言うことを聞くと思っているの?」

「思っているよ。こいつがあるからな」

 ポケットから小さな袋を取り出した。

「これが何かわかるだろう。お二人さん」

 ルーラとジェンヌの顔が青ざめた。袋の中身は見えないが、それが何であるか瞬時に理解した。

「……恥知らず……」

「正解。まさか、俺が素直に手持ちの分を全部オビヨンに提出したと思っていたのか。事が終わったら、こいつを嗅いで乱交パーティといこうか。俺はね、一度姉貴の体を思いっきり味わってみたかったんだ」

 手を伸ばし、寝間着越しにジェンヌの胸をむんずとつかんでもみほぐす。

「や、やめなさい!」

 叫ぶ彼女の言葉は震えていた。その顔をつかむと、フェリックスは叫ぼうとする彼女の口に自分の口を押しつける。

 困惑と拒絶を振り乱し、懸命に顔を振って逃れようとする彼女をフェリックスは逃がさない。微かな隙間から、彼の歯が彼女の舌を噛んで引っ張り出そうとしているのが見えた。

「やめなさい!」

 ルーラが叫ぶと、やっとフェリックスはジェンヌを解放した。二人の口から糸が引いて落ちた。

「キスしたら舌を噛みちぎる気だったんだろうけど、残念でした」

 今し方まで味わったジェンヌの舌の味を反芻するように、自分の唇をペロリとなめる。その姿に、ルーラは怒り以上に嫌悪を感じた。

 ジェンヌは転がりながら、必死で口の中のつばを吐き出している。今の感触をすべて吐き出そうとしている。

 その様子をフェリックスは薄笑いを浮かべながら

「姉貴もすぐによだれ流しながらもっとしてって言い始めるぜ。ま、今はそこまでする時間はないけどな。ロジック、来い。エルティースがいないんでセバスが探している。俺じゃ警戒される」

「待って」

 ルーラは出て行こうとするロジックの背中に声をかけた。

「あなた、今の自分が格好良いと思っている? 今の自分に、胸を張れるの。だったら胸を張って遂行すれば良いわ。その代わり、あたしも胸を張ってあなたたちと戦う」

「いいねぇ。そのでかい胸を思いっきり張ってくれよ」

 言いながらフェリックスは恥知らずの袋を振ってみせる、

 顔を強張らせながらも懸命に強気の姿勢を崩さないルーラに笑みを向け、フェリックスは出て行く。隠し扉が閉まる直前、見えたロジックの顔は青ざめていた。

 うす暗い中、ルーラは大きく深呼吸すると、

「あたしは、諦めが悪いんだから」

 腕を動かすのを再開する。幸いにも縛られているのは手首で、指はある程度自由に動かせた。

「大丈夫?」

 背後からジェンヌの声がした。

「ジェンヌさんこそ大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないわ……けど、このままあいつの弄ばれるのだけは嫌。そうなったら、恥知らずで理性が吹っ飛ぶ前に死んでやるわ」

「死ぬのはもう少し待ってください」

 ルーラが手を動かして少しでも紐を緩めようとしているのを見て、ジェンヌも真似るが紐が手首にこすれて痛いだけだ。

「駄目だわ。あいつ、女を縛るのは得意なのよ。ほどけない」

「だったら切ります」

「でも、ナイフは取り上げたって」

「そう言うのは、ナイフ以外は見つけられなかったってことです」

 ルーラは縛られたままの手で皮鎧をめくり、ズボンのベルトを確かめる。そのまま少しずつベルトを回していく。

 何をするのかとジェンヌはその様子を見ていた。

「よし」

 ベルトを半回転させ、バックルが手に触れるのを認めたルーラは、今度はベルトの裏側を探りはじめる。見えない状態なので多少手間取ったが、裏側のある部分を探り当てる。爪を使ってそこを探ると、中から細い紐のようなものを引っ張り出した。それを指に巻き付け引き出すと、結び目をくぐらせて反対側からもう一方の腕の指に絡ませようとする。

 さすがに簡単にはいかなかったが、何回目かの挑戦でうまく絡ませることが出来た。

 ルーラはその細い紐を自分を縛る紐に当てると、静かにこすり始めた。すると、紐のこすられた部分が少しずつほころび始める。

「それは?」

「鉄粉を含ませた糸、つまり糸やすりです。見てください。うまく切れてますか」

「え、ええ」

 少々ぎこちない動きではあるが、糸やすりは少しずつルーラの手を縛るロープに食い込み、切っていく。


 別荘二階の廊下、ルーラが見張っていた椅子に、今はセバスが座っていた。

「ロジック様、エルティース様がどこにいるかご存じありませんか?」

 階段を上がってきたロジックを見てセバスが立ち上がる。

「交代の時間なのに、姿が見えません。探しに行きたくても持ち場を離れるわけにはまいりませんので」

「彼女なら馬車にいたけど」

「馬車に?」

 セバスは首を傾げ

「何をしているんでしょう? お手間を取らせますが、少しの間、見張りを変わって戴けませんか」

「わかった」

 ほっとするように息を吐くと、セバスに変わって椅子に腰を下ろした。

(……僕は、胸を張れるのか……)

 先ほどのルーラの言葉が何度も頭の中で繰り返し聞こえてくる。

(滅びた国とはいえ、僕は王族なんだぞ……これが王族のやることか……)

 目を閉じ思うロジックの耳に、ものの倒れる重い音が届いた。

「思っていたよりあっけないな。ロジック、手伝え」

 階段の下では、フェリックスが頭部を強打され倒れたセバスを引っ張っていこうと悪戦苦闘していた。

 まだ息のあるセバスを縛り、図書室に放り込むと顔を突き合わせ

「おさらいするぞ。まず俺がヨロメイを、お前がオビヨンを仕留める」

「仕留めるって、殺すってことだよな……」

「当たり前だ。何を今更びびっているんだ。オビヨンは偉そうにしてもいい年したおっさんだし格闘技を身につけているわけでもねえ。お前に度胸がありゃ簡単に仕留められる」

「フェリックスじゃ駄目なのか?」

「俺じゃあいつは警戒する。忘れたか、こいつはスピード勝負だ。グズグズしていたらそれだけでお終いなんだ」

「あ、ああ……」

「その後、合鍵を使ってベルダネウスの部屋に爆薬を投げ込む。爆発で死ねば良し、生き延びても無傷ってわけにはいかないだろうからとどめを刺す。

 後は混乱に乗じてスケイルを始末できればいい。残った奴はたいしたことはねえ。手当たり次第に殴り倒せ。びびって口を割りそうだったら始末しろ。最悪皆殺しでもかまわねえ」

「他の連中まで殺さなくても」

「馬鹿。一人一人はたいしたことなくても、みんなそろって逆らってきたら面倒だ。それに、やってる最中にゼクスが現れたらもっとややこしくなる。何度も言わせるな、この計画に大事なのは度胸とスピードだ」

「ベルダネウスのところに放り込む爆薬、威力がありすぎてこっちも吹き飛ぶなんて事は無いよな」

 心配そうに爆薬を見る。一度海上での爆発を見ているが、それだけでは今ひとつ自信が持てなかった。だが、それはフェリックスも同じだ。

「そこまで知るかよ。俺は専門家じゃねえんだ。その後、残りの火薬を使って別荘を完全に吹き飛ばす。他の奴らは死んだら死んだでいいし、生き残ったら全てはゼクスの仕業と言い聞かせればいい」

「……そんな派手な真似をして、本当に大丈夫か? 村の奴らが様子を見に来るんじゃないか」

「親父があれだけ脅したんだ。来るわけないさ。来るとしてもしばらく経ってからだ。俺達はそれまでにジェンヌたちを可愛がって俺達なしでは生きられないような体にするだけさ」

 唇を噛むロジックに

「悪いことばかり考えるな。お前はエルティースを思いっきり抱けば良いんだ」

 言い捨てるような口調は、却ってロジックを不安にさせた。この計画が雑なのはフェリックス本人もわかっている。

 だが、時間が無いのだ。

 鍵の発見、ゲームの終了を何らかの方法で本部に知らされる前に実行しなければならない。これ以上、準備にかけたり仲間を集める時間も無い。ぐずぐずしていたら自分たちがゼクスに狙われるかもしれない。

 とにかく、いくらかのトラブルや不都合は覚悟の上で実行する。怪しむ奴にはとことんしらばっくれて押し通す。それがフェリックスの結論だった。

(それにしてもこいつがここまでヘタレだとは思わなかったぜ。こんな奴の手を借りなきゃならないとは情けない話だ)

 階段を上がるロジックの背中に向けて、フェリックスは心の中でつぶやいた。

(ま、いいさ。事が終わったら、こいつにも死んでもらう)

 最初からそのつもりだった。商会内の幹部を説得するためにも、ジェンヌは調教して自分の手駒にする必要があるが、ロジックはただ手数が必要だから声をかけたに過ぎない。ルーラを生かしているのも、彼を味方につけるためだ。

(頼むぞ。うまく爆発してくれよ)

 爆薬薬を握る手に力がこもる。それが当面の心配だった。ベルダネウスをここで殺し損ねたら厄介なことになるとの予感があった。

(カブスの兄貴だったら、ここでコインを弾くんだろうな)

 つい、自分もやってみたくなったが、やめた。

 外を見ると夜の闇が薄らいでいるように感じた。夜が明けようとしているのだ。ぐずぐずしていると、朝食の用意をするためにヒュートロンが目を覚ます。急がなければならない。

 二階につくと、二人は頷いてそれぞれ審判の部屋の前に立った。

 ノックをしようとしてロジックの腕がためらいがちに止まる。

 ロジックの頭には、さきほどのルーラの言葉がこびりついたままだった。

(……)

 彼は今まで、何度も女性に罵倒されたことがある。その度に彼は怒りを感じた。自分を理解しない、自分に要求ばかりしてくる身勝手な女達に怒った。

 しかし、ルーラに対して感じたものは怒りではなかった。哀しみであり、申し訳なさだった。彼女の期待や思いに応えられない自分のふがいなさだった。

 フェリックスはあの恥知らずとかいう淫靡薬を使えば、彼女をものに出来るという。そうかもしれない。あの塔でのことを思えば、彼女を抱くことは出来るかも知れない。しかしロジックは自答する。

 僕は彼女を犯したいんじゃない。彼女の体が欲しいんじゃない。

 先日、たまたまジェンヌの部屋の扉越しに聞こえてしまったルーラの言葉。好きでもない人とキスして平気なはずがない。それが塔での、自分にしたキスのことなのは明らかだ。

 それを耳にした時、何かが崩れた。たまらず逃げだした。

 そんな時、フェリックスが今回の計画を持ち込んできた。迷いながらも承知した。今でも迷いがあった。崩れたものが戻せないかとどこか期待して。

 地下で縛りつけたルーラとジェンヌの姿が思い浮かぶ。ジェンヌの胸を揉み、唇を吸ったフェリックスの姿が、自分とルーラに変わる。

(あれが僕のしたいことなのか?)

 ちらと隣のヨロメイの部屋を見た。ノックを受けてヨロメイが扉を開けた途端、フェリックスがナイフを手に部屋に飛び込む。

 ヨロメイのくぐもった声と微かな血の匂いが流れてきた。

 瞬間、ロジックの体が動いた。頭ではない、心が彼を動かした。


「あった。これだ」

 鍵を手にフェリックスがヨロメイの部屋を飛び出す。ロジックの方はどうかとオビヨンの部屋を見るが、扉は閉まったままだ。まさかと思い、ノブを握るが鍵はかかったままだった。

「あいつ!」

 彼にとって、最悪の事態が起こったことを瞬時に理解する。すかさず計算する。このままベルダネウスの爆殺を実行するか、ロジックを追うか。答えはすぐに出た。

 この計画に延期はない。

 ベルダネウスの部屋に行くと、ランプを置いてカバーを外す。すぐに爆薬の導火線に火がつけられるように。

 鍵を使ってドアを開くことを確かめると、導火線に火をつける。

 ドアを大きく開けて中のベッド、人が寝ているぐらいの膨らみめがけて爆薬を投げ込んだ。

 残りの爆薬とランプを持って階段まで下がる。

 轟音と共に別荘が揺れた。

 ベルダネウスの部屋の扉が吹き飛び、壁と天井の無数の亀裂が走り、埃が舞い上がる。

 覚悟はしていたが、全身に伝わる衝撃にフェリックスはたじろいだ。

「こ、こいつは死ぬ。絶対死ぬぜ」

 ベルダネウスの死を確信する彼の言葉は震えていた。急いで次の行動に移る。

「何だ?!」

 オビヨンとスケイルの扉が開きかけるのに合わせてフェリックスは、新たな爆薬を放り投げた。

 廊下に飛び出したスケイルたちは、状況を把握できないまま爆薬に吹き飛ばされるというのがフェリックスの考えた筋書きだった。だが、そうはいかなかった。先の爆発は壁を歪め、ドアの開閉を難しくさせていた。彼らは廊下に飛び出そうしても、ドアが開かずに出られなかったのだ。

 無人の廊下で爆発が起きた。

 新たな爆風は部屋の壁に大穴を開け、ドアを吹き飛ばした。爆音に混じってスケイルの悲鳴が聞こえた。

 とどめとばかりに、フェリックスが新たな爆薬に火をつけた。壁の穴からスケイルの部屋に投げ込むつもりだったが、その前に、玄関の扉が開かれ、ベルダネウスが飛び込んできた。

「みなさん無事ですか?!」

 その姿にフェリックスは驚いた。さきほど爆薬を投げ込む際に見たベッドの膨らみが偽装だったと瞬時に悟り、スケイルの部屋に投げ込むつもりだった爆薬を、ベルダネウスめがけて放り投げた。

 ベルダネウスの鞭が唸った。飛んできた爆薬を弾くと、弾けるように逃げながら火浣布のマントで身を包む。

 爆風と爆炎が彼の体を別荘の外まで吹き飛ばす。ゴロゴロ地面を転がるベルダネウスは、受け身とマントのおかげでそれほどのダメージはない。

 わずかにふらつく足で立ち上がる彼の前で、自室の窓を椅子でぶち破ったスケイルが寝間着姿のまま二階から飛び降りてきた。

「無事でしたか?」

「命はな」

 途端、スケイルの部屋が爆発した。フェリックスが新たに爆薬を放り込んだのだ。

「ゼクスか?」

「フェリックスです。彼が爆薬を持っているんです」

 それだけでスケイルは彼の目的を察した。

「狙いは皆殺しか」

 二人が別荘に戻る。

「奴の標的はまず他の参加者と審判だろう。エルティースとセバスは何をしている?」

「わかりません。とにかくジェンヌさんを!」

 二人が別荘に駆け込む。また爆薬が出迎えるかもしれなかったが、躊躇している余裕はない。

 二階で新たな爆発が起こり、その衝撃で天井が崩れてきた。

「みんな無事か?」

 階段を駆け上がる。オビヨンの部屋の扉が吹き飛び壁には無数の亀裂が入っていた。今の爆発はこれだったのだ。

「オビヨンさん!?」

「……ここだ」

 ベッドの陰から、毛布にくるまったオビヨンが瓦礫を押しのけて出てきた。

「さすがに、死ぬかと思ったぞ。ゼクスの襲撃か?」

 部屋の状況を目にして、さすがのオビヨンも言葉を失った。

 そこへドアをこじ開けるようにして、メイド服姿のモームが出てきた。武器のつもりなのだろうか、手にはホウキが握られている。

「な、何があったんですか?」

 すがるように二人に駆け寄ってくる。

 一人だけだが、無事なその姿に皆が安堵の息をついた時、雄叫びと共にフェリックスが階段から姿を現した。その手には導火線に火の付いた爆薬がある。

「くたばれ!」

 爆薬をベルダネウスたちに向かって投げる。

 隙を突かれた形になったベルダネウス達はとっさに動けない。彼らが「しまった」と思った瞬間、奇跡が起きた。

 反射的に振るったモームのホウキが、飛んできた爆薬をジャストミートしたのだ。

「え?」

 自分のところに打ち返された爆薬に、フェリックスの顔が凍り付いた。

 轟音と爆風が別荘二階を吹き荒れ、たまらずベルダネウス達が転倒した。天井が崩れ、床が、中央の階段が崩れ落ちた。舞い上がった埃が視界を奪う。

 立ち上がったベルダネウスが、壁に背をつけるようにして階段に向かうが、視界が悪すぎるし廊下には崩れた壁や天井の破片が散乱して足場を悪くする。

 壁がなくなったことにより入り込んだ風が埃を吹き飛ばす。

 一気に開けた視界をベルダネウスが鞭を手に駆ける。

 中央階段は崩れ、一階と二階を結ぶ道は奪われていた。かろうじて手すりがロープのように下まで伸びていた。

「ひどいな」

 遅れてきたスケイルが言った。二人はフェリックスの姿を捜すが見当たらない。

「瓦礫に埋もれたか? これでくたばったならいいが」

「いや、生きていますよ」

 ベルダネウスが階下を指さすと、瓦礫に血の跡があった。それは厨房に向かっている。

「さすがに無傷とは行かなかったようです」

「厨房か……地下砦か? まさか偽装じゃないだろうな」

「そこまで余裕はないと思いますが。さっきので爆薬がお終いであることを祈りますよ」

 そこへ崩れた階段を挟んで寝間着姿のバルボケットが姿を現した。

「何ですか、何があったんですか?」

 惨状にただオロオロするばかりの彼に、スケイルは

「フェリックスの仕業だ。気をつけろ、奴は爆薬を持っている。奴を見つけたら遠慮なく攻撃魔導をぶち込め、遠慮はいらん」

「私、攻撃魔導は出来ません!」

 たまらずバルボケットは半泣き顔で後ずさる。

「こっちに来てください。ヨロメイ様が大怪我を」

 モームが叫んだ。しかし、東西の部屋をつなぐ階段も廊下もすっかり崩れ落ちている。バルボケットが来るには、奥の階段を使ってぐるっと一階から回るしかない。

 そこへ階下から埃まみれのセバスが現れた。

「セバスさん、無事でしたか?」

「申し訳ありません。不覚を取りました」

「言い訳は後だ。奥の階段からバルボケットを連れてこい。フェリックスが隠れているかもしれん。気をつけろ」

 次の攻撃が来ないので、スケイルも気が落ち着いてきた。バルボケット達が来るまでに、皆の安否を確かめる。

「ジェンヌ様とエルティース様、ロジック様がおりません」

 レミレの口調からは不安が感じられた。彼女も、爆発の衝撃でどこか捻ったのか、歩く際に右足を軽く引きずっている。

 奥の階段を上がってセバスとバルボケットが現れた。すぐにヨロメイに治癒魔導をかけ始める。柔らかに光る魔玉……魔導師が魔力を様々な力に転化する魔導具のついた杖をヨロメイの傷口の上にかざすと、わずかながらヨロメイの表情が和らいだように見えた。

「大丈夫ですか?」

 心配げにのぞき込むヒュートロンに

「急所は外れているようですが、出血がひどい」

 治癒魔導に集中するのを邪魔しないよう、一同は彼らから離れる。

「ロジック様はフェリックス様と一緒に私を襲いました」

 セバスが簡単に襲われた時のことを話す。

「奴と一緒か。ならばジェンヌとエルティースはあいつらのところか」

 二人は捕まっている。言葉にしなくても、皆がそれを感じ取った。

「オビヨン。例の恥知らずとやらは、フェリックスから没収したんだろうな」

「ああ、ベルダネウスにも確認してもらった。だが、全部かどうかはわからん」

 一同はみんな同じ、嫌な予感に捕らわれた。

「地下砦か塔か。二人を助けます」

 ベルダネウスが一礼すると

「私も行く。これ以上、奴の跳梁を許すのは我慢ならん」

 そう言うスケイルに続き、セバスも

「それでは私も」

 と手を上げようとするが、オビヨンがそれを止めた。

「待て。この気に乗じてゼクスが来るかもしれん。奴の空拳は師範代クラスというから、戦える者が一人は残ってもらわねば困る」

「確かにそうだ。セバスは残れ。私とベルダネウスで行く。ランプの用意を。バルボケットは残りの魔力、すべて治癒魔導用に取っておけ」

 一通り指示を出すと、スケイルは自室に戻った。何かあるのかと亀裂から除くと、彼は寝間着から運動着に着替えていた。

「自分から行くと言っておいて何だが、私はあまり戦力にはならないぞ」

「周りを見回す目の数が増えるだけでもありがたいですよ。戦いになったら、距離を取って石でも投げてください」

「わかった、君には当てないよう気をつけよう」

 また崩れては危ないと、皆が静かに一階に移動する。

 準備が出来て地下砦に向かうという時、ベルダネウスは改めてモームに一礼し

「先ほどは助かりました。無事、ファズに戻ることが出来ましたならば、是非ともお礼をさせてください」

「それは私も同じだ」

 スケイルも彼女の手を握り

「君はメルサで最高のメイドだ。希望があったら是非言ってくれ。私に出来るだけのことはする。家族の世話でも再就職先でも何でもいい」

 照れ笑うモームに見送られ、ベルダネウスとスケイルは地下に降りた。

「砦に下りますか? それとも塔に? 中庭の花壇という可能性もありますが」

「君はどう思う?」

「フェリックスは一度塔でゼクスに襲われています。気分的にも、あそこに潜むのはためらうのでは。それに、塔や庭では二人が大声を出した場合、周りに聞こえる可能性もあります」

「ならば決まりだな」

 二人は地下砦へと続く階段を下りはじめた。


(続く)


 次回更新「六日目、最低の誇り」

 地下でルーラたちはフェリックスと対決する。

 ベルダネウスが爆薬に吹き飛び、ロジックが死にかける。

 絶体絶命の中、ルーラを守護する力がその姿を見せる。


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