【13・五日目、恥知らず】
「開かない?!」
地下砦から塔への出入り口を開けようと把手に力を込めるベルダネウスだが、なにかが引っかかっているように動かないのだ。
「開かないって。地下砦への出入り口は外からは鍵はかけられないはずよ。誰かいるの?」
「ここは引き戸ですから、つっかい棒がしてあるのかもしれません。人の気配はないですし、上の階にいるのかも知れません」
ランプをジェンヌに預け、彼は両手で把手を握った。力を入れて引っ張るが、かろうじて手を差し込めるぐらいしか開かない。
「誰かーっ!」
何度か声を上げてみても反応はない。
「これじゃ駄目だわ。花壇の出口に回りましょう」
「待ってください。これを試してみます」
ベルダネウスは鞭を持った手を扉の隙間に突っ込んだ。
「つっかい棒がしてあるとしたら……」
手首の動きで鞭を振り回し、壁の内側、扉が動く側を叩く。場所を変えて何度か打つと、手応えと共に棒が転がる音がした。鞭がつっかい棒をたたき落としたのだ。
「よし!」
扉に手をかけると、今度はあっさりと開く。
階段を上がり、窓から外の明かりを感じてやっと二人は人心地ついた。
「別荘に戻ったら、着替えて暖かいものをもらいましょう」
「賛成ね。本当に風邪を引きそう」
身を震わせながらジェンヌが応えた。
その時だった。上からフェリックスの悲鳴が聞こえたのは。
何だとばかりに見上げる二人に
「ゼクスがいる!」
彼の悲痛な叫びが届いた。
階段を駆け上がる二人。一階に上がると、外から扉を叩く音がした。
「フェリックスさん。どうしたんです。開けてください!」
ルーラの声がした。扉の把手が紐で壁部分と結わえ付けられ、開かないようにされていた。
「扉を開けてください!」
そう言ってベルダネウスは階段を駆け上がっていく。ジェンヌが寒気に震えながら紐を解き扉を開けると、ルーラとセバスが入ってきた。ロジックもいる。
「ジェンヌ様、どうしてここに?」
「説明は後で。ベルダネウスが上に行きました」
途端ルーラが階段を駆け上がる。セバス、ロジックも後に続く。
どうしようかとジェンヌは迷ったが、すぐに三人の後を追い始めた。
そして四階まで駆け上がったベルダネウス達が見たのは、部屋の扉を背にして中から開けられないよう必死で押さえつけているフェリックスの姿だった。
「何しているんですか?」
一同が唖然としたのは、扉を押さえるフェリックスが全裸だったことだ。縮み上がった股間のものを隠そうともせず、必死で扉を背中で押さえつけたまま床に転がっている鍵を指さした。
「早く鍵を、中にゼクスがいる!」
鍵を拾ったベルダネウスが扉に鍵をかけると、フェリックスはその場にへたり込んだ。たまらずジェンヌが羽織っていたマントを脱ぐと、ベルダネウスに頭を下げつつそれで彼の股間を覆う。
「カーレさんと一緒じゃなかったんですか?」
ルーラの問いに、皆がまさかとばかりに鍵をかけた扉を見た。
「ザン、開けて!」
精霊の槍を扉に向けてルーラが構えた。フェリックスが逃げるように階段を降りていくが、誰も追おうとはしない。
セバスが扉が開くと同時に中に飛び込んだ。続いてルーラとベルダネウスが飛び込む。
一同を部屋に広がった甘い香りが出迎える。それには血の匂いが混じっていた。
飛び込んだ一同が息を呑んだ。ベッドの上に全裸のカーレが横たわっており、その胸には鋭い小剣が突き刺さっていた。刺されたばかりのせいか、肌にはまだ血の色が感じられる。
「カーレさん」
ベルダネウスが彼女の鼻に手を当て、そして脈を取る。が、すぐに諦めて首を横に振った。
それを横目で見ながら油断なく槍を構え、部屋を見回していたルーラだが
(あれ……)
体に妙に疼きを感じた。部屋の甘い香りが体に染みこんでいく。
横たわるカーレの遺体も目に入らない。ベルダネウスの姿を見ると、思考が揺れていく。
そんな彼女の異変に誰も気がつかないまま
「どうした?」
恐る恐る入ってきたロジックとジェンヌがカーレの遺体を見て短い悲鳴を上げた。
「入らない方が良い」
ふらつき、倒れそうになるジェンヌをベルダネウスが支えた。
「ロジックさん、すみませんが彼女を外に……大丈夫ですか?」
息の荒い彼女を心配そうにのぞき込む。彼女の目は大きく見開き、潤んだまままっすぐ荒い息と共に彼を見つめてくる。
ルーラを襲った異変がジェンヌにも起こり始めていた。
「ジェンヌさん?」
何かおかしいと感じる同時に、彼女はベルダネウスに強く抱きついてきた。そのまま押し倒され、勢いで彼は床に頭を打つ。
「痛っ」
顔をしかめる彼の唇を、ジェンヌが自分のそれを強く押しつけてきた。
突然のことに一同が愕然とした。そんな周囲にかまわず、ジェンヌは息も荒げにベルダネウスの口を吸い続ける。押しのけようとする彼の腕を、彼女は叩きつけるように床に押しつけた。
ベルダネウスの目が、むさぼるように自分の唇を吸うジェンヌの目と合った。彼の中からある記憶が蘇った。彼女のような目を彼は何度も見ていた。理性が体の欲望に押し流されている目だ。そしてなぜこんなことが起こったかも彼は知っていた。
「ジェンヌ、何をしている?!」
やっとロジックが動き、彼から引き剥がそうとジェンヌに手をかける。途端、今度はルーラがロジックに飛びつき押し倒す。
「エルティース?!」
困惑する彼に、ルーラはむさぼるような勢いで唇を押しつけてくる。彼の唇をしゃぶるように吸ってくる。
(そんな?)
ロジックに嬉しさと困惑が入り交じる。明らかに今のルーラはおかしい。しかし振りほどこうにも、このままでいたいという気持ちもある。
「二人ともどうしたのです?」
セバスが困惑してこの様子を見た。カーレが全裸で殺されている目の前でこんな痴態が行われるとは彼にとっても予想外らしい。しかもうち一人はあのジェンヌなのだ。
ジェンヌが体を起こし、一瞬でも惜しいような勢いで服を脱ぎはじめる。その隙をベルダネウスは見逃さない。怒りに満ちた表情で彼女の腕をつかみ上半身を起こす。
「恥知らずか!?」
彼は固めた拳をジェンヌの腹に叩き込む。
「はうっ……」
白目を剥いて倒れるジェンヌ。手近なシーツを彼女の半ばむき出しとなった胸にかけ
「セバスさん、ルーラを」
彼が言い終わるより先に、セバスはルーラの背後に回り、彼女の首に腕を回すとそのまま締め落とした。
「何だ、何が起こったんだ?」
事情がわからぬロジックに
「説明は後で。とにかく二人を外に」
その勢いに押されたのか、セバスもロジックも素直に従った。二人を抱えると部屋を飛びだし、階段を駆け下りる。
「どういうことです。お二人はどうなったのですか?」
「あの部屋には淫媚薬が充満してます。それにやられたんです。とにかく外に出して。女性はしばらくこの塔に近づけさせないでください」
「淫媚薬?」
具体的なことは知らないロジックも、その響きからどういうものなのかは想像がついた。
「なんてことを。フェリックス様が?」
「他にいないでしょう。彼は女をものにするのに薬を使うと聞いています」
塔を出ると、何事かとスケイルやバルボケットたちも集まっていた。
「中にゼクスがいるんですか?」
フェリックスから聞いたのだろう。周囲に目をやりながらスケイルが聞いた。ベルダネウスは簡単に状況を説明すると
「とにかく二人を部屋に。レミレさんとモームさんは?」
聞くとちょうど二人が別荘から駆けだしてきたところだ。ヒュートロンとヨロメイも一緒だ。
「二人を部屋に寝かせてください。ジェンヌさんは乾いた服に着替えさせて。部屋は窓を開けて出来るだけ新鮮な空気を取り入れて。目が覚めたら嫌と言うまで水、いや、人肌のお湯を飲ませてください。世話は女性がして、体が落ち着くまで絶対に男子は絶対に近づかせないで」
「治癒魔導をかけましょうか?」
「いえ、逆効果になる可能性があります。淫媚薬が私の思っているものならば、小一時間で効果は切れるはずですから、それまで男を遠ざけてそっとしておいた方がいいです。ヨロメイさん、緊急時です。ジェンヌさんの部屋に入る許可を」
「わかりました。彼女をベッドに寝かすための入室を認めます」
二人をそれぞれの部屋に運んでベッドに寝かせると、後はレミレとモームに任せてベルダネウスとセバスは退散した。
「ベルダネウス様、ゼクスに気がつきましたか?」
「いえ、いたら気がつくはずです。少なくともあの部屋にはいなかった。いや、ベッドの下とか衣裳箪笥の中に隠れていた可能性があります」
「探すどころではありませんでしたからね」
「とにかく、ゼクスがいないか塔を調べて、カーレさんの遺体を運んで、事情を聞かないと……フェリックスに」
最後の言葉には、さすがのベルダネウスも怒気を帯びていた。
「その前にベルダネウス様もお召し物を」
セバスに言われて、ベルダネウスも自分がびしょ濡れのままなのを思い出した。
部屋に戻ったものの、ベルダネウスは着替えもせずじっと床を踏みしめるように立っていた。
「……」
何か言いたかったかが言葉が出なかった。体の奥底から何かが出てきそうで思わず拳を固めた。
無性に腹が立ってきた。何に怒っているのか。
何に怒っているのかわかっていた。だが、それを認めたくなかった。
鏡を見た。
そこに映っているのは自分の顔のはずだった。
それがいつの間にかフェリックスの薄ら笑いに変わり、また彼の顔に戻る。
だが、戻った彼の顔は今の顔ではない。十年以上前、娼館にいた頃の彼の顔だった。
(懐かしいなぁ。昔は良くああやって女で遊んだっけ)
昔の自分がフェリックスの声で語りかけてくる。
彼は無言で鏡を殴りつけた。
塔でバルボケットとヒュートロンを除く男性陣は、オビヨンとヨロメイ立ち会いの下で四階の部屋を調べていた。
カーレは心臓を一突きにされて死んでいた。淫靡薬のせいで苦痛は感じなかっただろうというのが唯一の救いだった。
さらに彼らは調査の結果、衣装戸棚の中に隠し通路を発見した。それは地下砦とつながっていた。
「私たちが入る前にここから逃げ出したんですね」
戸棚に頭を突っ込み、通路をのぞき込む。一人通るのがやっとの幅で、壁のあちこちに手や足をかける出っ張りが規則正しくつけられている。
「塔と地下砦をつなぐ出入り口はひとつだと思っていました」
唇を噛むベルダネウスだが、今更どうしようもない。
「ゼクスは何かのきっかけでここを見つけたのだろうな。参加者にバレていない以上、格好の隠れ場所になる」
こともなげに言うオビヨンに一同は不快を隠さなかった。
「あなたたちは隠し通路を全て知っているはずだ。どうして教えなかった?」
「参加者が自分で見つけるものだからだ」
スケイルの不満にオビヨンはこともなげに言った。
「しかし、そのためにお仲間のカーレさんは殺された」
「私たちだって悩んでいるんだ。それに、教えたところでゼクスの動きが封じられるわけじゃない」
ヨロメイが押し殺したような声でつぶやいた。審判役は審判役で悩みがあるのだ。
塔の現場を出ると、一同は、自然と別荘のコレクションルームに集まった。ルーラとジェンヌはまだベッドで横になっている。二人の淫靡薬の効果まだ消えていないらしく、レミレとモームがつきっきりだ。
「とにかく、事情を聞こう」
オビヨンに倣い、皆がフェリックスを見た。今の彼はもちろん裸ではなく、服を着ている。
「君はあそこでカーレと何をしていた。ベルダネウスの話では、あそこには女性の性欲を激しく刺激する香が焚かれていたというが」
「それだけわかって説明が必要かい?」
フェリックスがふてぶてしい笑みを浮かべた。
「みなさんのお考え通り、俺はあそこでカーレと愛し合っていた。審判に危害を加えるのはルール違反だろうが、愛し合うのは良いはずだぞ」
「お前とカーレさんが愛し合っていたというのか? そんなことがあれば、父の調査で彼女は審判から外されていたはずだ」
「兄貴の意見はごもっとも。けど、俺達が愛し合ったのはここに来てからだ」
「彼女が自分の立場も忘れてか?」
「厳格な生活でいろいろ欲求がたまっていたんだろうな。俺がいくら立場上まずいと言っても彼女は積極的でね。二人っきりの度に彼女の方から迫ってきたよ。しかも断ったら、俺に襲われたと報告してやるなんて脅迫まがいのこともしてね」
まるで自分の方が被害者であるというフェリックスの説明である。だが、彼の言い分がでたらめだという証拠はどこにもない。
「……死人に口なしか。都合の悪いことはみんな彼女からしてきたことにするつもりか」
スケイルの口調はあくまで彼を責めるものだった。
「お前の考えぐらいわかっている。彼女をたらし込んで本物の鍵の在処を聞き出そうとしたんだろう。未だ宣言をしていないところを見ると、うまくいかなかったらしいが。審判に危害を加えるのはルール違反だぞ」
「俺の話聞いていた? 誘ってきたのは彼女の方だぜ」
「カーレはそんな女性じゃない。むしろ呆れるぐらい真面目な堅物だった」
ヨロメイが断言した。
「そういう女ほど、ベッドでは激しいもんだ。実際すごかったからなぁ」
その笑いは、まるで周囲を挑発するかのようなふてぶてしさがあった。
「まあ、兄貴達にとって俺はライバルだから、ここで失格にしたいところだろうけど。証拠もなしに参加資格を奪われては困るなぁ。審判のお二人には、厳格な判断をお願いしますよ」
「また、そうやって逃げるつもりか」
睨み付けられたフェリックスは肩をすくめ
「また? まさかあのことを未だに根に持っているのかい。ひどいなぁ。俺はいわば兄貴と嫁さんをくっつけた結び役だぜ。むしろ感謝して欲しいね」
「結び役?」
「そっか、ベルダネウスは知らないよな。兄貴の嫁さんは、昔、俺の女だったんだ」
「関係ない」
「一時とは言え、あんな女に手を出すなんて俺もどうかしてたな。若さ故の過ちというか」
「黙れ」
スケイルの言葉が震えた。だが、フェリックスはむしろそれが楽しそうに
「あの腹のぷよぷよ感はよかったけど、乳は垂れているわ、しまりは悪いは、上にでもしようものなら重さで潰れそうだった。兄貴、よくあんな女と結婚して子供まで作ったな。まてよ、もしかしてララサちゃん、俺の子だったりとか」
途端、スケイルがフェリックスの顔面に拳をたたき込んだ。
フェリックスの体がひっくり返りテーブルごと倒れた。乗せてあった紫茶のカップがこぼれて床を濡らす。
憤怒の形相でさらに飛びかかろうとするスケイルをセバスが押さえ込む。
「スケイル様! 落ち着いて」
殴られた頬を押さえながらフェリックスが立ち上がる。笑っていた。
「効かねえなぁ。兄貴ももう少し体を鍛えろよ。書類ばかり相手じゃいざというとき役に立たないぜ」
押さえ込まれながらもスケイルは気迫だけで倒そうとばかりにフェリックスを睨むのをやめない。
そんなことは気にせず、フェリックスはせせら笑いながらオビヨンを見て
「それよりも見ましたね。兄貴は俺に危害を加えましたよ。確かルールでは他の参加者に危害を加えたら失格でしたよね。意図的だろうと偶然だろうと。今のは明らかに意図的でしたよ。これで兄貴は失格ですよね。はい、一人脱落」
さすがに皆が彼の意図を理解した。明らかに嫌悪の視線を皆が浴びせる中、フェリックス自身は平気な顔で
「俺をどう思おうが自由だけど、ルールはルール。厳密に守ってもらわないとね」
「そうですね」
立ち上がったベルダネウスはフェリックスに勝負を挑むようにまっすぐ見据え
「でも、ルールにはこうも書いてあります。
『ただし、被害が今後の遊技継続に何ら問題を及ばさないと審判が判断した場合に限っては失格とならない。ただし、失格にはならなくても何らかのペナルティは受けるものとする』
あなた、今し方言いましたよね。効かねえなぁって。あなたが今後の遊技継続に何ら問題がないならば、スケイルさんはペナルティは受けても失格とまではいかないでしょう」
明らかにフェリックスはしまったという顔をした。
「それに。私はあなたもペナルティの対象と思いますね」
「なんでだ? 俺は誰も殴ってないぜ。まさかカーレを置いて逃げたことを言うんじゃないだろうな。あれはゼクスから逃げるための仕方ない行動だぜ。殺人鬼から逃げることまでけちをつけられちゃたまらないな」
「違います。私が言っているのは先ほどのスケイルさんへの態度です。ルールではただ危害とあるだけです。フェリックスさんはこれを肉体的危害に限定しているようですが、私は精神面への危害も適用すべきと考えます。あなたは先ほど明らかにスケイルさんを挑発した。彼の愛する妻を侮辱するような言葉を用いて。娘さんまで使って。
誰だって、自分が大切にしているものを侮辱されるのは苦しいものです。今回侮辱の対象となったのは、妻と娘というわかりやすいものです。そんなに大事なものだとは知らなかったなどとは言わせません」
「そんなに大事なものだとは知らなかったなぁ。妻なんていくらでも代わりの効くメスのことじゃん。あんなことで殴るほど傷つくなんて思わねえよ。それで責任取らされちゃたまらねえよ」
「責任というものは、いつも自分が思ってもいなかった結果が生じた時に取らされるものですよ」
ベルダネウスはオビヨンとヨロメイに一礼し
「これについて判断を下すのは私ではありません。審判の方々です。スケイルさんへのペナルティは仕方ありませんが、フェリックスさんへのペナルティも考慮して戴きたい」
「そうやって俺を陥れるのが目的かい?」
「ルールは全ての参加者に等しく適用されるべきですから」
「へえ。じゃああんたもペナルティだ。ジェンヌの腹をぶん殴ったんだそうじゃねえか。気絶するほど」
「あれは事態を悪化させないための緊急処置と見て欲しいですね」
「私もあの場におりましたが、あの場合はやむを得なかったと思います」
セバスが軽く頭を下げる。
さすがにこれにこれ以上突っ込むのはまずいと判断したのか、フェリックスが口をつぐんだ。
「それについてはこれより私とヨロメイで話し合う。夕食前には結果を報告しよう」
部屋を出て行こうとするオビヨンに付いていくかと思いきや、ヨロメイはフェリックスに近寄り
「ひとつ教えておきましょう」
「なんだい?」
「カーレはオビヨンさんの娘です」
フェリックスの顔が青ざめた。これまで誰も見たことがないようなほど青ざめていた。
「公私をハッキリ区別するため、二人ともここではそのような様子は微塵も見せませんでしたが、私的な時間では父としてとても彼女を愛していました。あなたが全ては彼女が誘惑してきたものだと主張した時、オビヨンさんがどのような気持ちで聞いていたか。あなたがスケイルさんの妻について語った内容が精神的な危害と呼べるかどうかの参考となったでしょう。では」
「待ってください。その前に、フェリックスさんの部屋を調べて、淫靡薬の類いを全て没収すべきと思いますが」
出て行こうとする二人の背中にベルダネウスが慌てて声をかけた。
「わかっている。フェリックス、淫靡薬の類いは夕食までに全て提出するように。拒否は認めん。もしも提出漏れがあった場合、失格とする」
ヨロメイが出て行くと、フェリックスは椅子にへたり込んだ。彼に言葉をかけるものはいなかった。
そこへ
「誰か助けてください!」
モームの声が聞こえてきた。
「ジェンヌ様が、死のうとして!」
皆が一斉に部屋を飛び出した。
「男が行って大丈夫ですか!?」
「微妙なところですね」
焦りと不安が階段を駆け上がる足に現れるが、上がってみれば心配はいらなかった。
ルーラがジェンヌの部屋で、彼女を取り押さえていた。
「いやぁ、死なせてぇ」
泣き叫ぶジェンヌの手には備え付けの剣の形をしたペーパーナイフが握られていた。これで死ぬのは難しいだろうが、それでも彼女は必死にそれを自分に突き立てようとする。
「エルティース、今行く」
駆け込もうとするロジックの方をベルダネウスが押さえつけた。
「ルーラにまかせろ」
彼らの見ている中、ルーラはジェンヌの手からペーパーナイフをはたき落とすと、その腕を取ってベッドに叩きつけるように背負い投げる。
「入ってこないで!」
扉の外の男性陣に気がついたルーラが叫ぶ。その目がベルダネウスと合った。
大丈夫というように頷くルーラだが、その顔は心なしか引きつっている。
その意味を理解した一同は、頷き合うと身を引く。まだ男は近づいてはいけないらしい。
「まさか、ジェンヌがあんなになるなんて」
「ジェンヌさんだからかも知れません……」
つぶやくベルダネウスの顔もまた、引きつっていた。
「学名はレングリア・ビルフィローン。うろ覚えなので間違っていてもご勘弁を。私がいた娼館では皆、恥知らずと呼んでいました」
再びコレクションルーム。先ほどの騒ぎのせいか、自然とフェリックスの使った淫靡薬が話題となった。しかし、彼が口を開こうとしないため、ベルダネウスが代わりに説明しはじめる。
「その根を削ったものを炙り、香りを用います。効果は女性の性欲を高め……ハッキリ言えば、男が欲しくてたまらなくなります。香を嗅いでいる間はもちろんですが、香が切れても小一時間ほどは効果が持続します。不思議なことに効果は女性にのみ表れます。男は全くないとは言いませんが、ちょっとばかり股間がむずむずする程度で充分耐えられるレベルです。
個人差はありますがその効果は絶大で、私の知る限りこれに抵抗できた女性はいません。男を知らぬ少女もとっくに枯れた老婆も、誇り高き女騎士から聖女と名高い神官までみな欲情に支配され、男に向かって裸の足を開きおねだりしましたよ。香を嗅いだ途端、女の頭からは恥という言葉はなくなります」
「それで恥知らずか……」
「それだけではないですがね。その効果の高さは恥知らずの欠点でもあります。女は効果を受けている間、他は何も考えられなくなります。男が何かを聞き出そうとしても、そんなことは微塵も受け付けないんです。フェリックスさんがこれでカーレさんを支配し、鍵のありかを聞き出そうとしても無駄だったでしょうね。効果が出ている間は答えられる余裕は無く、効果が切れたら審判のとしての理性と使命感が働きますから」
皆がちらりとフェリックスを見た。彼の表情からはいつもの余裕がなくなっていた。さすがに自分が今、どんな立場に置かれているかという危機感はあるらしい。
「えらく詳しいじゃないか。お前さんは生き物と麻薬は扱わないんじゃなかったのか。それとも恥知らずは麻薬じゃないから扱っているのか」
そう返した言葉も、震えを感じさせて余裕がない。
「よく知っているから扱わないんです」
対するベルダネウスの口調は冷静そのものだった。まるで感情を封印しているかのようなしゃべり方だ。
「あまりにも効果が高すぎる故、これで狂わされた女性に対し、周囲の目はやさしいところがありましたよ。恥知らずなら仕方がない。あれを使われたら仕方がないと女を笑うことはあまりしませんでしたね。むしろ男に対し、こんなものを使わなければ女を落とせないのかと軽蔑の目を向けましたよ。こんな薬を使うとは、プライドがないのか。この恥知らずめ、と。
恥知らずという名前は、これを用いた男に対する責めでもあったんです。
そんなこともあって、男がこれを用いるのは女を落とすためと言うより、屈辱を与えるためが多かったですね」
「あんたもそんな使い方をしていたのか?」
自分だけではないと安心したのか、フェリックスが楽しげに聞いた。
「ええ。目障りな男の妻や娘、姉妹などに使いましたよ。相手が女ならば本人にね。
以前、私を目の敵にしていた女騎士がいましたが、彼女を拉致し、恥知らずを使った上で、五、六人の男で犯したことがあります。あれほど嫌っていた私に対してよがり続け、裸で腰を振り続けましたよ。そして効果の残っている状態で裸のまま昼間の繁華街に放り出しました。多くの人が見ている中、彼女は裸で自分の体を慰め続け、手近な男に体をねだり続けましたよ」
聞いているロジックの顔が凍り付く。
「理性が戻ると、彼女はそのまま愛用の剣を自分の胸に突き刺し、死にました。私への復讐心より、群衆の前で女の恥をさらした恥ずかしさの方が勝ったんでしょうね」
「貴様!」
椅子を倒したロジックを立ち上がった。
「見損なったぞ、昔は悪事をしていたことは知っていたが、そこまでやるとは。まさか、エルティースにも使っていたんじゃ」
「落ち着けロジック!」
スケイルが一喝した。
「お前も彼の調査資料は読んだはずだ。今の彼はそんなことはしないだろう。それよりもベルダネウス、私たちは君の過去の罪に対する懺悔を聞きたいんじゃない。話を戻してもらおう」
「失礼しました。しかし、女騎士を例に挙げたのは無関係でもないからです。今の話でもわかるように、恥知らずは効果中、自分が何を言い、何をしたかがハッキリ女性の記憶に残ります。恥知らずを使われたならしょうがない、気にするなと周囲が言っても、所詮は他人の言い分。本人にはハッキリ記憶がある分、例えようもない屈辱に襲われます。プライドの高い女性ならばなおさらその責めの効果は大きい」
「ジェンヌ……」
「はい。彼女は生涯、今回のことを忘れないでしょう。淫靡薬のせいとはいえ、他人の見ている前で淫らに男を求めた。しかも、目の前では人が殺され、その遺体が無残にも横たわっているにもかかわらず!
私は、彼女が自ら命を絶とうとしたのは当然だと考えます。問題はこれからです。彼女が自殺を思いとどまったとしても、今回の記憶は彼女の心を蝕んでいくでしょう。彼女に現在、恋人はいますか?」
誰もがいないと答えた。
「よかったか悪かったか……これから彼女が恋をすれば、体を許せるか。彼氏が体を求めてくる度に今回のことが頭に蘇るかも知れません」
「だったら気にすることはねえだろう。あんな愛想のない女を相手にする男なんていねえよ」
つぶやいたフェリックスの口調には、先ほどまでの威勢の良さはなかった。
「言い過ぎですよ。彼女はとても魅力的です、少々気負いすぎて勇み足をするかも知れませんが、気を緩める時に見せる安らかな顔に惹かれる男性は多いのでは」
「へぇ。ジェンヌを口説いて婿にでも収まろうって腹かい?」
「私はまず損得を考える自由商人ですが、それでも魅力的な人を下心なしで賛美する感性ぐらいは持ち合わせているつもりです」
「暗いところが怖くてビービー泣く女のどこが魅力的なんだ?」
「暗闇を恐れるのは人間の本能みたいなものですよ。だからこそ、いつでもどこでも、人はまず明かりを創り出すんです」
ベルダネウスはじろりとフェリックスを睨み付け
「恥知らずを使ったことのある者としてひとつ言わせてもらいます。あれを女性側から望んで使うことはあり得ません。娼婦の中には、男と肌を合わせるのが大好きという人はいますが、そんな人達でさえ恥知らずは使いません。恥知らずはあまりにも効果が高いため、交わりを楽しむ余裕もなくしてしまうからです」
「何が言いたいんだい?」
「先ほども言ったとおり、恥知らずを使うものは、恥知らずだと言うことです」
するとフェリックスは鼻で笑い
「昔のあんたもそうだったんだろう。なに偉そうに言っているんだ。あんたに人のことを言う資格があるのか?」
「これは失礼。淫靡薬を使って女をもてあそぶ男を責めるのに、資格が必要だとは知りませんでした。その資格はどこに行けば取れるのですか? 資格試験の内容はやはり筆記と面接でしょうか?」
フェリックスの眉がひくついた。
「あんた、俺に喧嘩を売っているのか?」
「私は喧嘩の売買はしておりませんが、是非にというのでしたらご用意します。おいくらまで出せますか?」
ふんぞり気味に小馬鹿にするような目を向けると
「やめとこう。ディルなしで放り出されるかも知れねえんだ。無駄遣いはしないようにしねえと」
思わず固めた拳をフェリックスは静かに広げなおした。
「ひっかかってはくれませんか」
「考えることは同じだ。あんたは俺を嫌っているようだが、そいつは同族嫌悪ってやつだ。俺とあんたは似たもの同士、俺がクズならあんたもクズだ。へたな格好付けはやめるんだな」
「そう言って私を口撃を鈍らせようというのでしょうが……、人のことより自分はどうなんだと言われて口をつぐんでご覧なさい。クズたちは揃って無傷で生き残る。最悪の結果です。
クズ同士が争っていると見たら、むしろあおり立ててとことん争わせるべきですね。クズ同士の戦いにおいて、理想的な結末は双方共倒れですから」
「そううまくいくか。俺はあんたと違って女に刺されるほどまぬけじゃない」
ベルダネウスはそっと左の脇腹を押さえ
「あなたも一度刺されることをお勧めしますよ」
炭火ストーブで暖かいはずなのに、ベルダネウスとフェリックスの周囲だけは空気が凍えていた。誰もが二人に声を掛けるのをためらった。
「その辺にしておけ」
スケイルが割って入る。
「ベルダネウス、共倒れを図るのはオビヨン達の結論を聞いてからでも遅くはないぞ」
その言葉に合わせたかのようなタイミングでドアがノックされた。ヨロメイとオビヨンが戻ってきたのである。
「スケイルにはただ今よりちょうど三日間の鍵発見宣言の禁止を命じる」
ちょうど六時をさす時計を見ながらオビヨンが言った。
「今日はゲーム開始五日目。つまり私が再び宣言可能になるのは、八日目の午後六時からか」
確認するようにスケイルがメモを取った。
「そしてフェリックスには四日間の鍵発見宣言の禁止を命じる」
「おい、なんで兄貴よりも重いんだ?!」
「即失格にならないだけありがたいと思ってもらいたいな」
オビヨンがフェリックスをじろりと睨み
「カーレは、私に君とのことを告白していた。……私も迷い、どうすべきか決断が遅れ、それが最悪の結果になってしまった」
断言する様子は、むしろ自分に対する姿勢にも見えた。それはゲーム中、一時でも審判ではなく父親に戻ったことの後悔かも知れない。審判として判断するならば、即、カーレを審判から外し、フェリックスを失格にしただろう。しかし、それをすれば役人のとしての彼女の未来をつぶすことになる。だからこそ彼は父として迷い、その迷いがあの結果を生んだ。
「じゃ、じゃあカーレが殺されたのはあんたにも責任があるんじゃないか。なんで俺だけ罰を受けるんだよ。ここはお互い様ってことで、おとがめなしでいいだろう」
「本気で言っているのか? 君はカーレに自分が発見した鍵の真偽を確かめさせた。これは明らかにルール違反だ。失格にならないだけでもありがたいと思うんだな」
「……あの女が拒否すれば良かっただけじゃねえか。俺にせいにするなよ」
その言葉は小さく、震えてもいた。とにかく何か言わなければと必死に絞り出したような感じだった。
「君も九日目のの午後六時からは宣言可能になる。これはカーレにも責任がある故の処置だと思え。それまでに鍵をの場所を絞り込むことだな」
「無駄でしょうけどね」
そう言ったのはベルダネウスだ。
「どういう意味だ?」
「忘れたんですか。私が鍵の発見宣言を辞退したのは八日間。つまり九日目が始まる正午、フェリックスさんのペナルティが終わる六時間前までです。ですから九日目が始まった時点で、私は鍵の発見宣言をします。それでこのゲームは終わりです」
皆の視線がベルダネウスに集まった。
「えらく自信があるな」
「自身があるからこそ宣言するんです」
ベルダネウスはヨロメイに歩み寄り、耳打ちした。
途端、ヨロメイは驚いて腰を浮かして彼を見る。
その態度にベルダネウスは満足げに頷き、
「どうやら、正解のようですね」
部屋を短いざわめきが広がり、消えた。
元のソファに座ると、ベルダネウスは一同を見回す。
スケイル、ロジック、フェリックス。
皆がまさかという顔をしていた。これからこの表情は一人一人変わっていくのだろう。
(これで後戻りはできないな)
ベルダネウスは、背中に走った悪寒を気取られないよう、不敵に笑って見せた。ひとつ間違えれば、間違いなく自分は死ぬ。いや、殺される。
(続く)
次回更新予告「五日目、語らい」
スケイルはベルダネウスの行動に疑問を抱く。
まだ恥知らずの効果が抜けされないルーラとジェンヌは自分の体に戸惑いを覚える。
皆が動き始め、ベルダネウスはゼクスに襲われる。




