21 ラストバトル
「…………」
俺は無言で部屋に入る。
ぱっと見たところにサユミの姿はない。
だがベッドにある謎のふくらみ――いや、謎でもなんでもないか。
どうやらサユミは、ベッドの上で薄い毛布にくるまっているようだった。
抜き足差し足忍び足でベッドに接近する。
そして思い切って毛布を引っ張った。
するとそこには、くんかくんかしているサユミの姿がある。
「何やってんだお前……」
「はっ!」
俺が声をかけるとサユミは正気に戻る。
ベッドから立ち上がり、頭を下げてきた。
「お、思わず嗅いでしまって……!」
「お、おう」
思わず嗅いでしまう、とは。
まあそれはいい。いいこともないが。
今は置いておこう。
「待たせたな」
「全然待ってないよ! むしろもうちょっと遅れてくれてもよかったくらい! そしたらもっと堪能……じゃなくて、楽しめ……でもなくて、えっと、とにかく、待ってないから! 安心してよ!」
「う、うん、そうか」
「この娘、大丈夫な娘なの?」
エリナがサユミを見て引いている。
たぶん大丈夫じゃない娘だよ。
ストーカーするくらいだからね。
「関わらないほうがいいんじゃないかしら……?」
「そういうわけにもいかないだろ」
俺は小声で返す。
「何か言った?」
「いや、なんでもない」
サユミは同郷の存在だから無碍に出来ない。
というか、どういう扱いをしようがついてきそうである。
俺が気づかないように隠れてこっそりと、ストーキングしてきそうだ。
まあ、俺にはマップがあるから丸わかりなんだけどな。
「とりあえず、座ってよ。椅子とかないから、ベッドになるけどいいか? なんだったら場所変えるけど」
「むしろベッドがいいかな!」
「そ、そうか」
サユミがベッドに腰掛ける。
俺は彼女から一人分空けて、座った。
「それで……なんと言ったらいいのか。単刀直入に聞くけど、なんでこの世界に?」
変な質問ね、とエリナが言ってくる。
サユミには通じるだろうが、考えてみれば、現地の人にとっては意味の分からない質問だな。
もし俺が現地人側なら、哲学かよ、とツッコんでいただろう。
俺の質問に、サユミは悩んでいる様子だ。
女神様に連れてこられたと予想していたが、違うのだろうか。
サユミが思案している間に、俺は女神の加護を鑑定する。
【女神の加護:私とは別の神がそちらにあなたのストーカーを送ったようなので、気をつけてくださいね】
さすが女神様。
解答が早い。
いや、前から鑑定結果をこれにしていたのかもしれないな。
サユミに聞くまでもなく、彼女がここにいる理由はわかってしまった。
しかし女神様、気をつけてくださいとは不穏なことを言う。
そりゃあ、ストーカーなのだから気をつける存在だが。
それに本当ならば彼女に殺されていたわけだからな。
腹上死、という夢のある死に方だが。
何はともあれ、もう出会ってしまったから、遅いんだけどね。
「えっと……」
サユミが口を開く。
ここにいる理由は知ったが、一応彼女の口からも聞いておくべきか。
「正直、あんまり覚えてなくて……。ゲンタくんが消えちゃって絶望したのはよく覚えてる。それでわたしは赤信号に気づかなくて、トラックに――」
「轢かれたのか」
「たぶん」
エリナは俺達の話についてこれておらず、不思議そうな顔をするばかりだ。
「そのあと誰かに会って色々言われた気がするんだけど、ゲンタくんが別の場所で生きてるって聞かされたことしか覚えてないんだ。ゲンタくんのことで頭がいっぱいになってて、他のことよく覚えてないの」
「う、うん」
この人、大丈夫なの?
俺のことになると周りが見えなくなるみたいだ。
それは、全然大丈夫じゃないな。
大丈夫な要素がまるでないな。
「ってことは、俺よりもあとに来たわけか」
「そうなるかな」
「ふむ」
俺はサユミのステータスを見る。
レベルは――25と記されていた。
「いやいや、俺よりもあとに来たにしてはレベル高すぎない?」
俺はEXPポーションの力によって一気にレベル10まで上げたが、サユミにはそんな便利なアイテムはなかっただろう。じゃあ何故こんなにも高レベルなのか。
もしかして最初からこのレベルで異世界にやって来たとか?
俺と違って、彼女のスキルは制裁の一つだけだ。
その分、はじめからレベルが高い状態で送られたという可能性が考えられた。
「これは……ここに来るまでの道中でモンスターを倒していたら、いつの間にかこんなレベルになってたよ」
「えっと、じゃあ、最初はレベル1だったってことか?」
サユミは頷く。
まじか。
「どんだけ倒したんだよ……」
「うーん、覚えてないなぁ。モンスターなんてゲンタくんの害になるに決ってるから、目についたのみんな制裁したの。だから数なんて覚えてないよ」
「それにしても上がり過ぎじゃないか?」
俺なんてスライムやジャンボスライムを倒したのに、レベルが上ってないんだが。
レベル10のままだ。
「あっ。そういえば、大っきくて翼のあるトカゲとか、全身燃えてる大っきな鳥とかをやっつけた時は、いっぱいレベルが上がったよ」
何でもないように、サユミが言った。
「大きくて翼のあるトカゲって、ドラゴンじゃないかしら。それに全身が燃えている鳥型モンスターと言えば、フェニックスしか思いつかないわね。どちらも脅威度ランク十のモンスターよ」
脅威度の最大は、ランク十だ。
つまり最も脅威とされるモンスターを倒してしまったわけである。
そりゃあ、レベル上がるわ。
上がらないわけがない。
くそ、チートかよ。
俺がランク三のワーウルフにたわしを投げている間に、サユミのやつは平然とドラゴンなんてものを倒している。
これがチートじゃなくてなんだというんだ。
俺だってチート能力持たされて異世界に来たはずなのに。
おかしいな。チート能力でヒャッハーした記憶が全然ない。
最初のゴブリン戦くらいか?
スライムをやったのはエリナだから、俺のチート能力はまるで関わっていない。
あれ、ランダムサモンさん、ほとんど仕事してない……?
「なんてこった」
口の中で呟く。
……いや、ランダムサモンさんはこれからに期待だ。
やればできる子なんだから!
俺は信じてる。
魔力が戻ったらいの一番に使ってあげよう。
「ゲンタくん、大丈夫?」
「問題ない。俺が選んだやつなんだから、最後まで信じ抜くまでさ……」
「なんのことかわからないけど、大丈夫そうだね。よかった。もしかしてあのおじさんに何かやられていたのかと思っちゃった」
「あのおじさん?」
「ほら、戦ってたでしょ?」
トイミのことか。
「本当は何かされているなら、言ってね? 今度こそ、本気の制裁をあのおじさんに食らわせてあげるから」
怖いよ!
「え、えっと、俺が許可しない限り、人に向かって制裁は使わないでくれるか?」
「なんで?」
こいつ、忌避感というものがないのだろうか。
なさそうだ。
倫理観を説いても意味があるのかどうか。
「……俺がそう決めたからだ」
どう言えばいいのかわからないから、カッコつけてみる。
するとサユミは目を輝かせた。
「ゲンタくんがそういうなら、わかった!」
「うむ、わかってくれたか」
ほっと息を吐く。
これでとりあえずは安心だな。
人には手出ししない、安心安全なモンスター殺戮兵器になったはずだ。
「ところで、だけど」
俺は話を変える。
「俺とずっと前に会ったことがあるみたいなこと言ってたけど」
「うん! ゲンタくんも覚えててくれたんだよね!」
「そ、そうだな。覚えているとも言えるし、覚えてないとも言えるような、なんていうかその」
「覚えてないの?」
サユミの目から光が消える。
えっ、何その顔。怖い。
エリナとか「ひっ」と小さな悲鳴をあげちゃってる。
な、何か言わないと。
「覚えてる覚えてる! ゲンタすごい覚えてる! で、でもほら、記憶のすり合わせと言うか、過去の話だから詳細な部分とかどうだったかなーと思うところがあったりするわけじゃん。そういうところを埋めていくためにも他人から話を聞いてみたいなぁと思ったりするわけよ。それに、思い出は美化されるものと言うじゃん。例えば、本当はおちんぽと言っていたのに、後の記憶ではおさんぽと言っていたことになってるとかさ。そういう些細な違いは人間である限りどうしても現れるから、君の思い出話を聞くことで俺の思い出はより現実の出来事に近くなるだろうということだよ。俺達は所詮ただの人間にすぎないという自覚を持って行動することが大事だと誰かが言った。言ってないかもしれないけど、とにかく人間である限りどうやっても思い出せないことがある……いや、君との思い出を忘れたわけじゃなくてね。つまり何がいいたいかというと――君、誰?」
あっ。長々と言い訳をしているうちに、わけがわからなくなってしまい、覚えていないと自白してしまった。
サユミは目に涙を浮かべる。
「やっぱり覚えてないんだ……」
サユミは立ち上がると、俺の正面へ来る。まるで幽鬼のようだ。
怖いよ! 心を光で埋めようよ!
俺はなんとか意識を別の方向に向けさせようと、舌を回す。
「冗談だって! ジョーク! 俺ってば口を開けば冗談が飛び出すようなやつだから、気にしない方がいいと思うな。な? 小さいことは気にしないで生きたほうが楽しいんじゃないかと思うわけよ。そりゃあなんでもかんでも気にせずにいたら大変なことになるかもしれないけど、それはそのときに解決法を模索すればいいとか楽観的なことを言っちゃったりね。だから覚えてるとか覚えてないとか、確かに大事な部分はあるんだろうけど、過去のことばっかり気にしてはいられないだろう? そういうわけで、俺の昔の記憶がどうなっているのかはどうでもいいってことで、問題はこれからだよ。昨日の敵は今日の友っていう言葉があるように、関係性は不変のものではないわけ。昔はどんなに仲が良くても、姿を見かけるたびに舌打ちされるようになったりね。というのは俺の体験談なわけだけど。前にこの宿屋のペッコってやつにした話になるけど、友達が隠し持ってたエロ本をそいつの家のリビングに放置してやったんだ。そしたらもうそいつは怒り狂って絶好宣言してきたんだよな。さすがに絶交はないよな。あいつとは小学校低学年のころからずっとつるんできたのにな。ほら、某有名な名探偵なんちゃらってあるだろ? 俺の名前はゲンタってのは知ってると思うけど、ちょうどそのアニメに同じ名前のやつがいてな。今から思えば中二病みたいな話なんだが、探偵団を結成しようと思ったんだよ。でも俺の出番が取られるのは嫌だったから、中身は大人なやつらは集めたくなくて、結局俺を合わせて三人だけの探偵団を作ったの。本当に中身は大人のやつなんているわけないのにな。まあそんなわけで二人集めたけど、さすがに俺以外に同じ名前のやつはいなかった。だから俺ことゲンタと、エロ本のやつがタツヒコ。あと一人女子を加えて、探偵活動を始めたんだよね。探偵活動を称してただ遊んでただけだった気もするけど、まあそこは子供だからね。気にしたらダメ。そんなわけで三人でつるんでたんだけど、女子が転校しちゃってね。探偵団は解散だよ。まあタツヒコのやつとはそのあとも遊んでたんだけど。もちろん、俺があいつの持ってたエロ本を晒すまでね。十年近い付き合いがあるのにあっさり絶交かよと思ったりしたけど、それは別にいいんだ。正直惰性で付き合ってた部分があるから、潮時かな、みたいな。あ、付き合ってたってのは友達付き合いって意味だからな? ちょっといい方があれだったな。とにかくそういうわけで、関係性っていうのは些細な事で一変するんだよ。って、考えてみれば持ってるエロ本を晒されるのは些細な事じゃないな。ちょっと悪いことしたかも。いやでもあれは、やっぱり十八禁の本を持ってたあいつが悪いんじゃないかと思うな。俺は純粋であり健全だから。エッチいことは相応の年齢になるまで禁止だって考えを持ってるから。責任ってものが生まれるからね。そのへんはしっかりしなきゃいけないと思うんだ。性の乱れが見られることがあるけど、ああいうのはいけないな。俺も混ぜて欲しい、じゃなくて、一生童貞を守り抜くんだというくらい強い意志を持った上で行動してこそ男……いや漢なんじゃないかと思うなんだ。要するにエロ本は十八歳以上になってから買いましょうってことで、もちろん拾う場合も同じだよ。チラ見くらいは健全な男として必要かもしれないけど、ガッツリ見るのはやっぱり十八歳を越してからだと考えるね。あー、エロ本とか童貞とか、女の子の前でする話題じゃなかったね。さっき下ネタ禁止を言い渡されてたこと忘れてたよ。これからは気をつける。……と、話題がそれたな。要するに、何が重要かって話だよ。重要なものなんてその時々で変わるものだからこれだなんて言うのは難しいかもしれないけど、今、何が重要なのか俺にはわかるよ。君にとって思い出は大事なものなんだろうしとやかく言うつもりはないけど、俺にとってはそうじゃない。俺が大事にしてるのは今だ。たとえ過去に敵対していても、すごく仲良くても、どうでもいいやつでも、昔のことを何も覚えていなくても、何よりも重要なのは今の関係だと思うんだよ。今、仲が良ければそれでいいと思う。だから最悪な過去も最高な過去も放り捨てて、仲良しになろうじゃないか。それがいいと思うな。うん。光のない目で見られるのはちょっとゾクッとするけど、光ある目で見られたほうが俺も嬉しいし。俺はホラーが苦手なんだよ。光のない目ってホラーじみてて、ちょっとチビリそうなんだって。ホントに」
喉がカラカラだ。
俺史上、これほどまで続けて喋ったことはなかった。
なんか大半はどうでもいいことを言っていたような気もする。別にいいか。
「ペラペラ喋りすぎててちょっと気持ち悪かったわ」
エリカひどい。
サユミを現実に引き戻そうと思って、俺は超頑張ったというのに。
もう喋りたくないくらい喋ったんだからな。
「それにしても反応ないわね」
エリカの言うとおり、サユミは俺を見たまま一歩も動かない。
かと思うと、サユミの目からぶわっと涙が溢れ出した。
そうして俺に抱きついてくる。
やだっ、大胆。
「お、お、覚えててくれたんだねー……!」
え、いや、さっきの話を要約すると「昔のこととか知らないから、友達から始めましょう」みたいなことだったんだが。
一体どこに彼女が登場したんだ。
…………ま、まさか。
「お前、タツヒコか!? 絶交してから全然会ってなかったけど、お前、いつの間に性転換したんだよ! 顔も、名前まで変えやがって! 気づくわけないだろ! というか離れろ! 俺は純粋なおなごにしか興味ないんだ!」
俺はサユミを突き放す。
「違うよ!? わたし純粋な女だからね!?」
「みんなそう言うんだ!」
「生まれてからずっと女だしこの顔だしこの名前だから!」
「……え、そうなの?」
タツヒコじゃないなら誰なんだ。
「ほら、転校した!」
転校……?
そういえば、俺とタツヒコともう一人の女の子の三人組で遊んでいた頃があった。
でも女の子はすぐに転校してしまい――
「――ああ、あいつか! 思い出した! 何も言わずに転校していったから俺達がどんな思いをしたか!」
たしか三日くらいで忘れて、タツヒコと二人で遊んでいたはず。
そんなこと言えないので、さも大事だったかのように語ってみた。
「ご、ごめんなさい……。言い出せないまま引っ越しの日になっちゃって。……で、でも、折角高校に上がって再開したのに、わたしのことに気づかないのはひどいと思う!」
むしろよく俺がわかったな。
十年近く前に会ったっきりの相手だぞ。
俺なら存在すら忘れる。というか今の今まで忘れてた。
「わたしから言い出そうかと思ったけど、中々言えなくて……ずっとタイミング伺ってたんだからね」
それでストーカーになったのか。
しかし、俺は性的に襲われる予定だったんだよな。
そこまで突飛な状況を起こす人には見えないが。
そこのところどうなんですか、女神様。
俺は自分にしか聞こえないような声で、その旨を伝える。
女神様が見ているかどうかわからないが……。
【女神の加護:一度あなたを失ったことによるショックもありますが、何よりその後再開して、まともに会話をしたことが冷静さを取り戻させたのでしょう。根はよい人のようですから。ただ色々と拗らせてしまっていたようですね】
性的に襲うほどとは、拗らせすぎだと思う。
【女神の加護:元々ストーカー気質な部分もあったのでしょう。なので変な方向に拗れやすいようです。その娘は、まっすぐ向き合ってあげれば害はないはずです】
そうなのか。
ストーカーされるのは嫌だし、女神様の言うとおりにするしかないな。
それにしても女神様は俺を見ていてくれたようだった。
ありがたやーありがたやー。
「ま、普通に接していれば大丈夫だろ」
「何の話?」
「お前がもうストーカーにならないようにする話」
あっ。
サユミは顔を真赤にする。
「すっ、ストーカー!? わたしそんなんじゃないからね! たしかに付け回してたことはあるけど、ストーカーなんかじゃないから!」
女神様にストーカーと言われているんだから、弁明のしようもなくストーカーだったんだよ。
しかし思わず口が滑った。
話を変えよう。
「そういえばお前って、俺のことが好きなの?」
変える話を間違った感。
サユミは更に顔を赤くし、口を何度も開閉させた。
でも言ってしまったものは仕方ない。
さっきから話を聞いていると、恋愛感情が生まれる場面がわからない。
しかし、性的に襲うとは、俺に好意があるということだよな。
ただの友情ならば、拗らせたにしても性的に襲いはしないだろう。
「す、すっ、好きとか、聞かれてもっ……」
「俺は宇宙人に連れ去られて死んだらしいんだ。でもそれは本来とは違う死に方だったらしくて……、俺は本来どうやって死んだか知ってるか?」
「知らないけど……何の話?」
「俺は本来、腹上死するはずだったんだ。腹上死って分かる?」
サユミは顔を赤くしたまま頷く。
「じゃあ、俺は誰の腹の上で死んだでしょう? お前ならわかるだろう? あの日、俺が繋がる可能性が高かったのは、誰か」
「うっ」
女神様から特殊な精強剤がどうこう聞いていたから、彼女は事前に俺を襲う準備をしていたのだ。
すなわち、犯人は簡単に予想できる。
自分でもわかっているようで、サユミは言葉をつまらせる。
「誰かわかったようだな! そう、犯人はお前だ!」
俺はサユミを勢い良く指差した。
まるで探偵になったような気分が味わえる。
サユミは床に膝をつき、「そんな……」と呟いてから両手もついた。
それから顔を上げて俺の顔を見てくる。
「わたしは、わたしは殺すつもりなんて……」
「あ、うん。正史の話であって、この俺は未だ清い体のままだから。オカルトな展開で死んだらしいから」
「よかった……」
「そうだね」
俺は腹上死のほうがよかったです。
あ、でも、腹上死ならこっちの世界に来ることもなかったのだろう。
そう考えるとやっぱり運命が変わってよかった……のか?
いや、やっぱり腹上死のほうがいいな。
「とにかく! そういうわけだから、今更好きじゃないなんて言わせないからな!」
「は、はい! ちゃんと好きです!」
「そうか!」
……正面切って好きとか言われるの恥ずかしいよぅ。
俺はそっと顔を背ける。
すると目の前にエリナがいた。
あ、こいつの存在を忘れていた。
「さっきから何の話をしているのか、まるでついていけてないのだけど……。とても面倒な話な気がするから、詳しくは聞かないことにするわ」
「そうしてくれ」
死んでこの世界に送られたとか、信じてもらえるよう説明するのは面倒くさい。
「よし」
俺は自分の頬を軽く打ち、気分を入れ替える。
「それじゃあ、あれだ。俺はちょっと休むから、お前も自分の部屋に帰るなりなんなりしてくれ」
「え……この部屋に泊まっちゃだめなの?」
「は? なんで?」
突然何を言い出すんだ。
「わたしお金ないから部屋借りれないし……それに、好きだって言わせたじゃん!」
「言わせたけど……?」
「責任取ってよね」
「いや、その理論が通るなら告白したもの勝ちになるんだが」
サユミは俺の肩を掴んでくる。
「あれは告白したというか、ゲンタくんに告白させられたんだよ!?」
「違いがあるのか?」
「おおありだよ! 言うつもり無かったのに、無理矢理言わせたんだから。ゲンタくんだってその、わたしのこと、す、好きなんでしょ! じゃなきゃ言わせる必要ないよね!」
ごめん。何も考えてなかった。
「別に嫌いではないけど、好きってほどかと言われるとそうでもないような。とりあえず友達から始めよう?」
「この仕打! 無理矢理告白させておいてこの仕打! ゲンタくんって感じ!」
「俺って感じ、ってなんだよ……」
もしかして俺、何か悪いことでもしたか?
まあいいか。
サユミは元気を取り戻している。
あまり悲しみは感じていないように見えるから、問題はないだろう。
「ま、そういうわけだから。お金なら貸してやるからさ、部屋借りてこいよ」
俺は財布から、金をいくらか取り出す。
「ほら、これだけあれば二、三日は泊まれるだろ」
「うぅ、わかったよ」
サユミはおとなしく金を受け取った。
「あ、それと最後に一つだけいい?」
「内容による」
「えっと、わたしとパーティー組んで欲しいいんだけど、いいかな」
「パーティーって、お前も冒険者なのか」
サユミが首肯する。
「ゲンタくんを捜すのに、冒険者のほうが都合が良さそうだったから。っていっても、今日なったばっかりなんだけどね」
「へぇ。でも登録するのにお金かかるだろ。持ってないんじゃ? いやその前に、お金持ってないなら、この数日宿はどうしたんだよ」
「登録料は、困ってたら冒険者の人がくれたよ。たしか……ヤーコブ? って名乗ってたかな」
下心があったのかな。
サユミは、顔はかわいいからな。
「あと宿はね、どうにもならないから、野宿してたよ」
「野宿」
何やってんだ。
女の子なのに危ないことしてたんだな。
「食い物はどうしてたんだよ」
「食べれそうな木の実とか食べてたよ」
「マジか」
サバイバルしてたんだな。
しかし本当に危ない真似をしている。
なんともないようだから、害のあるものには当たらなかったようだが、不用意に食べるものではないと思う。俺には鑑定があるから大丈夫だが、サユミにはそんな便利なスキルはない。
「じゃあ、この世界に来てからまともな食事を摂ってないのか?」
「うん……そうなるね」
再びマジかと呟く。
「しょうがないな」
「どうしたの?」
俺がベッドから立ち上がると、サユミはそれを不思議に思ったようだった。
もう休むから出てけ、と言ったわけだしな。
「いや何、休もうと思ってたけど、やめにする」
俺はサユミの方を軽く叩いた。
「昼前で時間は中途半端だけど、なんか食べに行こう。俺が七級に上がった記念ってのも兼ねてな」
俺も朝から何も食べていないので、お腹が空いている。
朝は我慢して昼からにするかと考えていたが、サユミの話を聞いて考えを変えたのだ。
さすがにまともな食事を数日も摂れていないのは可哀想だ。
「で、でもわたしお金持ってないよ?」
「折角だし、奢ってやろう。パーティーの話も、そっちで話そうな」
「ならお言葉に甘えて……」
「おう、甘えろ」
すると、サユミが抱きついてきた。
違う、そういう意味で甘えろと言ったのではない。
恥ずかしいから離れてください。
サユミには見えないだろうけど、この部屋にはもう一人いるんです。
すごく冷めた目で俺のことを見てくるんです。
どうかやめてください。
ギルドの酒場。そこは酒場というか、半分定食屋みたいなものだ。
俺達はすぐにギルドまで移動し、酒場の適当な席に座っていた。
俺の前には焼肉定食が置かれている。
とっくに注文を終え、料理が届いたところだった。
サユミはパンにスープのセットだ。数日まともに食べていなかったのだから、いきなり重たいものを食べるのはきついのだろう。
「いただきまーす」
俺はいきなり肉を頬張る。
程よい歯ごたえを楽しんでいると、肉独特の甘みが口内に広がっていく。
店員に訊ねたところ、この肉は、オーク肉らしい。
女神知識によると、オークとは豚みたいな姿をしたモンスターのようだ。
モンスターの肉を食べるということに忌避感を感じなくもないが、気にしても仕方ない。おいしければそれでいいのだ。
肉に続けてご飯をかき込む。
口いっぱいに詰め込んだそれらをゆっくり咀嚼し、飲み込んでいく。
口内のものをすべて嚥下し終えると、俺はサユミに視線を向けた。
サユミはパンをスープに付けて、ふやかしてから食べているようだ。
俺と違って、ゆったりとした食事風景である。
「それで、パーティーの話だけど」
サユミがパンを飲み込んだときを見計らって声をかける。
「報酬は山分けでいいよな」
「えっと? それは組んでもらえるってことでいいの?」
「ああ、うん。もちろん」
サユミの力があれば、楽々モンスターを狩れるだろう。
俺は楽してお金を手に入れることができるのだ。
がっぽがっぽだ。
断る理由がない。
「やった! よろしくね!」
「おう」
サユミは心底嬉しそうな表情を浮かべた。
そんなに喜ばれると、がっぽがっぽと考えていた自分が恥ずかしいじゃないか。
だからそんなに喜ぶんじゃない。
「冒険者になったばかりってことは、十級だよな」
「うん」
ギルド長をふっ飛ばしたから力が認められてもいいと思うが、あれは俺の試験だったし仕方ないか。
「だったら十級のクエストしか受けれないのか? 七級の俺が一緒ならどうなるんだろ」
疑問を解決するため、俺は近くの席で酒を飲んでいたヤーコブを呼び寄せる。
「兄貴ー! ヤーコブの兄貴ー!」
「そんな叫ばなくても聞こえてんよ!」
ヤーコブが俺達の席にやってくる。
「なんか用かよ」
俺はヤーコブに、疑問をぶつけた。
「そりゃ、十級のクエストしか受けられねぇ。そういう決まりだったはずだ」
「なるほど、ありがと。じゃあ戻っていいよ」
俺はしっしと追い払う仕草をする。
だがヤーコブは動かない。
「つーか、なんでその娘とお前が一緒にいんだよ。お前、騙したりしてんじゃないか?」
「してないわ! ペッコといい、俺が信用ならないのか!」
「信用ならんが」
「ひどい!」
俺は嘆いた。
「ほら、兄貴は見てただろ。昇級試験」
「ああ。なんでお前がって思ってたけど、案外戦えてたじゃねぇか」
「ちょっと上からだな。兄貴はまだ十級だろ」
「違うぞ。オレはな、昨日九級に上がったんだ!」
「すごい! でも俺は七級だけどね! たぶん兄貴よりあとに冒険者になってるけどね!」
「くっ……」
勝った。
俺は勝利に酔いしれる。
「で、話を戻すけど、昇級試験の最後覚えてるよね」
「もちろんだ。誰かが乱入してきて、すぐに消えたやつだろ」
「うん。その乱入してきたのがこいつだよ」
俺がそう言うと、ヤーコブはサユミを見た。
「言われてみれば……風貌がそっくりだな」
「本人だからな。ともかく、こいつとは地元が一緒でな。ちょっと縁があるんだ」
サユミも頷いてみせる。
「なんだ、そうなのか。騙されてねぇならよかった」
「というか、兄貴。登録料をこいつにあげたって聞いたけど、狙ってるのか?」
「ちげぇよ! 昇級してもっと金が入るようになるし、登録料なんて大したものでもないしな」
昇級した喜びで、金払いがよくなってたのかな。
「食事の邪魔だから、兄貴は戻ってお酒を飲むといいっす」
「お前が呼んだんだろ! もうちょっと言い方があるだろ!」
そう叫びながらも、ヤーコブは元の席へ戻っていった。
ちょっと疲れた様子だった。
なんでだろうな。ゲンタわからない。
*
食事の後、サユミと別れ、俺はギルド裏の練習場に来ていた。
宿屋に帰って休むつもりだったのだが、腹が満たされたら疲労が吹っ飛んだ。
そもそも体の疲れなんてなかったからな。
食事を摂ったことで、精神的な疲れもどこかへいったのだろう。
練習場には人っ子一人見当たらない。
あまり利用されていないのだろうか。
それとも昇級試験があったばかりで人が寄り付いていないのか。
「はー、もうキレイになってるな」
すでに俺(正確にはエリナ)とトイミの戦闘の痕跡は消されている。
まだ一時間ほど前の出来事だというのに、掃除が早い。
誰が片したかは知らないが、さすがです、と言葉送っておこう。
たぶんギルドの職員だと思うが。
さすぎる、だな。
さすぎるとは、さすがです、ギルド職員様の略だ。
「それで……」
エリナが俺の周りをふよふよと浮かびながら、目を合わせてきた。
「私に魔法を習いたいのだっけ?」
「おうともさ」
昇級試験のことがあったりしたから、まだ何も教わっていない。
ちょうどよく時間が空いたから、この隙に教授してもらおうと思ったのだ。
「では基礎から教えましょう」
「よろしくお願いします!」
練習場のど真ん中で、俺は正座をして聞く体勢になる。
はたから見たら、たった一人で正座する変な男に見られてるんだろうな。
いやよく考えたら、もしエリナが見えたとしても、こんなところで正座しているなんて変な男だ。
別に誰も見ていないから、どうでもいいか。
「まず魔法とは何か、わかるかしら?」
「はい!」
俺は勢い良く手を挙げる。
「魔力を消費して、なんかすごいことするやつです!」
「ま、まあそうね。大雑把に言えばそうなのだけど。もう少し詳しく言うと、魔力と引き換えに、火水風土を操ることよ」
「はい!」
俺は挙手する。
「それ以外にも魔法はあるんじゃないですか? どうなんですか? ん?」
「ちょ、詰め寄らないでよ」
エリナは俺から身を引く。
「確かに、そうね。先程言ったのは、詳しくは属性魔法といって、それ以外にも魔法と呼べるものは存在するの。傷を治したり身体能力を上げたりする、白魔法。相手を弱体化させたりする、黒魔法。他にも色々あるけど、そのあたりは説明しないわ」
「なんで?」
「私が扱えるのは属性魔法だけだからよ。だから教えられるのも、属性魔法だけ。他が知りたければ、その専門の人に師事するか、本でも買いなさい」
「説明しないんじゃなくて、できないんですね」
「う、うっさいわね!」
エリカが恥ずかしげに声を上げた。
「まあ、そういうわけだから。属性魔法について教えるわよ? 文句があるならやめてもいいのだからね!」
「文句なんてないから安心して教えてください!」
拗ねられて教えてもらえなくなるのは困る。
エリナはひとつ頷くと、腕を組んだ。
「魔法というのはね、一度成功すればステータスのスキル欄に記載されて、それからは簡単に使えるようになるわ。だから、一度でも発動できればそれでいいのよ。簡単でしょ?」
「おお! 簡単簡単!」
なんだ、それならすぐにでも魔法を覚えられそうだ。
「まあ、その一度が難しいのだけどね。魔法に触れるのが初めてなら、ものすごく早くて一ヶ月ってところかしら。普通は一年弱かかるわ」
なんだ、それならすぐにでも魔法を覚えられそうじゃないや。
「えーそんなにかかるのー?」
「そりゃあそうよ。そんな簡単に覚えられるなら、みんな魔法を使いまくってるわ」
「使いまくってるんじゃないの?」
「そんなわけないでしょ」
そんなわけないのか。
「だから一番発動しやすい魔法から修練しましょう」
「おっけー」
まあ時間がかかるのなら仕方ない。
素直に練習するとしよう。
「一番発動しやすいと言われているのは、ボール系と呼ばれる魔法よ。ゲンタにはファイアーボールとウォーターボールを見せたことがあったと思うけど、この他にもウィンドボール、サンドボールの二つがあるわ。前から風属性と、土属性ね」
「ふむ」
「で、魔法というのは無の状態から生み出すことも出来るのだけど、そこにあるものを利用することも出来るの。そして利用したときのほうが発動しやすいの。それに魔力消費量も少ないしね。私が憑依しているせいでステータスが低下していても、発動できるでしょう」
「ふむふむ」
俺は何度も頷く。
「ってことは、この場には火も水もないから、風か土属性の魔法を使ったほうがいいってわけか」
「そういうことね。まあ、火か水が使いたければ、用意すればいいだけの問題だけどね」
「うん。ま、それは面倒くさいから、風か土でいいや」
「そう。じゃあ使いたい方選んでみて」
どちらにしようか。
考える人みたいなポーズをとり、悩む。
少しして顔を上げた。
「土にしようかな」
「へぇ、理由は?」
「土は目に見えるから、やりやすいかと思って」
「関係ないと思うけど、ゲンタがそれでいいならいいわ」
エリナには言っていないが、異世界初日に泥団子爆弾なる嘘をフローラに吐いているので、使うなら土属性の魔法かなと思ったのだ。
そしてもう一つ言ってないことがある。ランダムサモンのことだ。
ランダムサモンは魔法。
すなわち俺は、魔法を使うのは初めてじゃない。
なので多少は早く属性魔法が使えるようになるのではないだろうか。
魔法を覚えるのは、ものすごく早くて一ヶ月……ならば、その記録に挑戦してやろう。
エリナは俺がそんなにすぐ魔法を使えないと思っているだろうから、一ヶ月で魔法を使えばあっと驚くはずだ。
まあさすがに一ヶ月は難しいかもしれないが、二ヶ月、いや三ヶ月……いやいや、半年以内にでも扱えるようになれば少しは驚いて見せるだろう。
「始めましょうか」
エリナが俺の正面にくる。
「まず、魔法の完成形をイメージするの」
完成形とな?
俺はサンドボールを見たことがないので、どういうものか想像できない。
その旨を説明すると、エリナは小さく頷いた。
「そうでしょうね。私に魔力が残ってたら見せてあげられるのだけど、昇級試験の時に使い果たしてしまったから無理なの。だから口頭で教えるわ」
「頼む」
「サンドボールというのは、一言で言えば砂の塊よ」
「砂か……」
「ええ。砂を圧縮して、硬くするイメージよ。砂の塊というか、ほとんど石みたいなものね」
むむむ……と想像する。
砂が集まって固まる。その光景を頭に思い浮かべる。
しかしいまいちイメージがはっきりしない。
「いっそのこと石をイメージしてもいいかもしれないわね」
それはもうサンドボールと言えないのでは。
もう少し近いものを想像してみる。
そうだな……硬い泥団子みたいなものだろうか。
泥団子爆弾はしっかり記憶されているから、想像しやすい。
ツルピカで綺麗な泥団子。ソフト―ボールくらいの大きさだったか。
はっきりした姿が脳内に映し出される。
「それで、次はどうしたらいいんだ?」
「イメージできたのね。なら、それに魔力を注ぐの」
「魔力を注ぐったって……どうするんだ?」
魔力を感じることが出来ない。
ランダムサモンはスキル名を言うだけで勝手に発動したし、魔力の動きなど気にしていなかった。
「あぁ、そうね……。血……、自分の血を与える感じかしら」
「血、ねぇ」
言われた通りの想像をしつつ、必死でランダムサモンを使った時の感覚を思い出す。
魔法陣が現れた時、何かが流れ出るような感覚があったようなきがする。
きっとそれが魔力なのではないだろうか。
あの時の感覚と、流血の感覚を重ねる。
そして、イメージしている泥団子に、それが行くようにする。
「とにかく、毎日それをすることが大事なの。何日も何日も積み重ねて、やっと発動するのよ。……本当は使いたい魔法を見て、どういうものかわかってないといけないの。だから色々想像させておいてごめんなさいだけど、今日はやり方だけになるわ。また明日、本当のサンドボールを見せてあげるから、一から練習を始めましょう」
「――あ、できた」
「うそ!?」
俺は地面からぽっこりと現れた、綺麗な泥団子みたいなものを手に取る。
見た目は泥団子爆弾そっくりだ。
いやしかし、まさか出来るとは思いもしなかった。
すごいな俺。
エリナの驚き顔が見れたし、よかったよかった。
「って、それなんなのよ。全然サンドボールじゃないわ」
「おうおう、そんな風にいじって、弟子の才能を潰す気かい?」
「違うわよ。サンドボールは、もっと両手で持つような大きさだし、そもそも発動と同時に真っ直ぐ飛ぶものよ。ゲンタのそれは小さくて、見た目がもうサンドボールからかけ離れているし、飛びもしない。ただの失敗魔法よ」
「がーん」
俺は落ち込んだときの擬音を口に出しながら、うなだれた。
「でも失敗とはいえ、何かしら発動できたことはすごいわよ。普通ならその段階に行くまで最低でも一週間はかかるものよ。素直に賞賛するわ」
「え、でも覚えるのに早くて一ヶ月かかるんだろ? 俺の場合は見せてもらってないからこうだけど、本物を見てたら成功してたかも」
「そうならいいのだけど、見たからと言って全く同じように発動するのは難しいことなのよ。失敗魔法を発動するまでより、ずっと長い時間がかかるわ」
「そっか。じゃあ俺もこれからってことだな」
エリナが頷いた。
「今日はこんなところかしらね。ゲンタは魔力が心もとないでしょうし、ゆっくりやるわよ」
「そうだな」
俺は立ち上がりつつ、泥団子を手に取る。
「折角はじめて発動できたものだし、記念に持っておくか」
「……そんなのただの土の塊じゃない」
「土だけじゃないから! 一緒に思い出も詰まってるから!」
「思い出は頭に詰まってるわよ。それをリュックにでもしまってみなさい、いつか崩れて中が土だらけになるわよ。素直に捨てときなさい」
ちぇっ。
「しょうがないな」
その辺に捨てようとしたときだった。
練習場に誰かがやってくる。
「ん? ヤーコブか」
現れたのは、最近九級冒険者になったばかりのヤーコブだ。
酒を飲むの早めて、鍛錬でもやりに来たのかな。
「兄貴ー! ヤーコブの兄貴ー!」
酒場のときと同じ風に呼びかける。
特に用事はない。やって来たら「呼んでみただけ」と言ってやろう。
「おーい!」
反応が薄いのでもう一度声をかける。
あるとヤーコブは嫌そうな顔をした。
もしかして無視するつもりだったのか?
ヤーコブは踵を返して、練習場から去ろうとする。
「ちょっと待てぇい!」
俺は声を上げた。
「面倒くさいやつに絡まれちまったな……」
ヤーコブは一度振り返って、呟いた。
距離があるから聞こえていないと思っているかもしれないが、俺には聴覚強化がある。
ばっちり聞こえてるぞ、ヤーコブ。
面倒くさいやつとはなんだ、面倒くさいやつとは。
「これでも喰らえい!」
ヤーコブが逃げるように去っていく。
俺はその背に向かって、手に持っていた泥団子を投擲した。
だがうんこステータスの俺では、届くはずもない。
俺とヤーコブのちょうど中間あたりに、泥団子が落ちる。
そして――。
「え?」
――爆発。
泥団子は地面に衝突すると同時に、爆発した。
土煙が立ち込める。
「ちょっと、何よこれ……」
エリナの言葉を聞き流しながら、俺は自身のステータスを表示する。
【名前:ゲンタ・ヤブウチ
レベル:10
状態:憑依
体力:20/20
魔力:10/20
スキル:ランダムサモン マップ 鑑定 疲労軽減 筋力強化 視力強化 聴力強化 虫除け 泥団子爆弾
特殊:女神の加護】
スキルガフエテル!
「うおぅ……」
スキル欄を何度も見る。
なんど見ても表示に変化はない。
しっかりと『泥団子爆弾』の文字が書かれていた。
ということは、だ。
俺、いきなり魔法を開発しちゃったみたい。
スキルとして認められちゃったみたい。
「ゲンタ、あなた一体何をしたのよ……!?」
何をしたって? そんなの見れば分かるだろう。
「俺ってもしかして天才なんじゃ?」
やばいな。
ものすごい興奮してる。
新しい魔法作っちゃったよ。
さすがに本家泥団子爆弾ほどの威力はないが、それでもゴブリン一体くらいなら軽々倒せそうなパワーだ。
ヤーコブ大丈夫かな。
距離はあったから問題ないと思うが。
俺と同じくらい離れていたし、大丈夫だろう。
土煙が風に吹かれて何処かへ消える。
地面が吹き飛ばされて、小さなクレーターができていた。
向こう側には驚いた表情で固まっているヤーコブが見える。
それから俺に気づいた様子で、睨みつけてきた。
いや……うん、ごめんね?
わざとじゃないんだ。
俺もこんなことになるとは予想していなかった。
そりゃそうだろう。エリナから、魔法は簡単に覚えられないと言われた直後なのだ。魔法を覚えるどころか、まさか新たな魔法を作り出してしまうなんて思いもしない。
とりあえず両手を合わせてからテヘペロする。
ヤーコブの額に青筋が浮かんだ気がしたが、気のせいだろう。視力強化されているとはいえ、少し距離があるからな。うん。きっと気のせいだ。
気のせいじゃないならば、可愛らしい俺のテヘペロにどっきんどっきんして、血流が早くなったのだと思う。そうに違いない。
でも俺はそういう趣味はないから、ごめんさいと心の中で謝っておく。
「ちょっとゲンタ、聞いてるの!?」
「えっと、何?」
「何って、この惨状のことに決まってるでしょう!」
「そうだと思った」
俺は頬を掻く。
どう説明したものか。
「一言で言おう! 俺はたった今、新たなスキルを作り出してしまったようだ!」
素直に白状することにした。
エリナは俺の言葉を聞いて唖然としている。
なんかごめんね。
あんなに魔法は難しいと言っていたのに、こんな簡単に使えちゃったよ。
「そ、そんな……本当に? なら、もう一度使ってみてもらってもいいかしら?」
「うん」
ステータスを見る限り、泥団子爆弾の消費魔力は10みたいだ。
今の俺の最大魔力は20。なので、あと一回だけ使うことが出来る。
「泥団子爆弾!」
叫ぶと、先ほどと同じく、地面から綺麗な泥団子が現れた。
「聞いたことのないスキル名ね」
「だろ?」
泥団子爆弾を持ち上げる。
「じゃあいくよ」
「ええ」
俺は前に向かって泥団子爆弾を放り投げた。
「あ」
ヤーコブのこと忘れていた。
彼はこちらに大股で近づいてきている。
さっきよりも弱く投げたから直撃の心配はなさそうだけど、衝撃はもろに食らうだろう。
俺は慌てて逃げるように言うが、遅い。
泥団子爆弾は地面に衝突し、爆発する。
少しして土煙が晴れると、ヤーコブが転がっているのが見えた。目立った傷はないが、気を失っているようだった。
あ、あとで謝らないとな……。
「本当に……」
エリナがぽつりと呟いた。
それに言葉を返そうかと思ったが、やめにする。
先にヤーコブのことを見ないとな。
頭とか打ってたら危険だ。
体力回復薬は買って持っているから、それを飲ませればいいだろうか。
俺はエリナにちらりと視線を送ってから、ヤーコブのもとへ向かった。
*
『森の西にゴブリンの巣が出来たようなので、これを潰してくること。期限二日以内。報酬五十ポイ』
俺は渡された大雑把な地図と、視界内に表示したマップとを見比べながら森を進む。
サユミはセーラー服という冒険者らしくない格好で、俺の隣を歩いている。
俺も昨日までは学生服というこの世界に馴染まない格好だったが、今は違う。
七級に昇格したことで割引が効き、通常よりも安い値段で防具を買うことに成功したのだ。
局所を守るだけの軽鎧だが、それなりの値段がした。
ジャンボスライムを倒して得たお金の大半をつぎ込んでしまった。
普通の十級冒険者ならば、コツコツとクエストをクリアしてお金をためて買うのだろう。
そう思えば、強敵をエリナに倒してもらっただけの俺は随分と楽している。
まるでというか、ヒモそのものだな。
だが、これからからは違うぞ。
俺は泥団子爆弾という魔法を手に入れたのだ。
今の魔力量では日に二回までしか使用できないが、何もできなかった昨日までに比べたらかなりの進歩ではないだろうか。
「あとどれくらいで着くの?」
「もうすぐ」
エリナの問いに、小声で返す。
サユミにはエリナの姿が見えないし、声も聞こえない。
エリナとの会話というのは、他人から見れば、虚空に向かって話しかけているように見えてしまうのだ。
だからそう見えないように気をつけて、周りに聞こえないように小声で返答するように気をつけている。
「あとどれくらいで着くのかな?」
「さっきも言ったけど、もうすぐだよ」
「……? さっきって?」
なんでもない、と俺はサユミに返す。
同じ質問しないでくれよと思うものの、サユミにはエリナのことが見えないのだから仕方ない。
まあ、別に同じ質問をされたくらい、いいか。些細な問題だ。
気にするほどのことでもない。
「ゴブリンってどんなモンスターなのかな」
「知らないのか? 俺に会うまでにモンスターを倒してきたなら、見てるんじゃないのか? ゴブリンって、一番生息数が多いらしいし」
「そうなんだ。じゃあ見たことあるのかな。どれがどういうモンスターなのか、気にしたことなかったから」
しゅごい。
そして実際に出会ったモンスターを倒してきているのだから、しゅごい。
「ゴブリンってのは、緑肌の小人だな。小学生の低学年くらいのサイズで、顔が汚い」
「緑肌……ああ、なんか見たことあるかも!」
「んで、今回のクエストはそいつらの巣を潰せって内容だな。五匹くらいの小規模なものらしいから、パーティーの力を確認するのにちょうどいいだろ」
魔法を開発してしまったりしてから、一晩明けている。
体力魔力ともに満タンの俺達は、朝一でクエストを受けていた。
目的地へ向かう最中、クエストを再確認しながら俺達は並び行く。
そして最後はみんな仲良くお手て繋いでゴールだ。
全員が一番! やったー!
「見えたわね」
エリナの声で現実に戻ってくる。
みんなが一番なんて所詮幻想だったんだ……。
「あれか」
「どれ?」
サユミに教えるため、ゴブリンの巣を指差す。
木を中心にして、乱雑に枝を立てかけている。中に出来上がった小さなスペースを寝床にしているのだろう。それはいくつか存在し、ゴブリンの集団がいることを感じさせた。
通常は二、三体で放浪するゴブリンだが、時々集まって一処に留まることがある。
それが巣と呼ばれ、大きくならないうちに潰さないと、近隣に大きな被害が出ることになる。
今回はまだ出来たばかり巣なので、ゴブリンの数は少ない。
だから、十級冒険者に出される程度の難易度だ。
すなわち簡単なクエストというわけだ。
「どれどれ、ゴブリンはいるかな……」
俺はマップを凝視する。
前方、ゴブリンの巣の位置に、五つの赤い光点がある。
これを倒して、下手くそな寝床をぶっ壊せばクエスト完了だ。
「五体いる。ちょうどあの寝床の位置と一致してるから、中にいるみたいだな。寝てるのかな」
「ゴブリンは大抵朝が遅いわ。まだ寝てるか、起きててもぐーたらしてるのでしょう」
なるほど。それなら奇襲をかけれそうだ。
「エレナ、初撃は頼んだ」
「ええ、任せなさい。一気に五体叩くわ」
エリナが胸を張る。
それから表情を引き締めた。
「火を放てば楽なのだけど、木に燃え移るから面倒くさいわね……。なら、あれにするわ」
あれとは何かわからないが、エリナならば問題なくやってくれるだろう。
「いくわよ――ロックレイン!」
俺はエリナの声に合わせて、拳を突き上げてみせた。
「わあ」
サユミが声を上げる。
彼女の視線の先には、土が空へと舞い上がる光景が広がっている。
いくつものこぶし大の塊となった土が、空中に浮かんでいた。
次の瞬間、それらが地面に向かって落下する。
隣り合うように作られた寝床は、すべて魔法の範囲内だ。
高速で降り落ちた礫に、巣はあっという間に無残な姿へと成り果てる。
中にいたゴブリンもひとたまりもないだろう。
マップを確認すると、五つあった光点が二つに減っていた。
今の攻撃で三体ものゴブリンを倒せたらしい。
残った二匹が倒壊した寝床から這い出てくる。
さすがに無傷とはいかないようで、各所から流血していた。
とどめさすためにスキル名を唱えようとするエリナを、俺は手で制する。
「サユミ、一体はお前に任せた。俺はもう一体をやる」
トイミ戦でサユミの力を見たが、唐突なことだったのでちゃんと確認できていない。
なのでここでもう一度見ておきたかった。
そしてもう一つ。泥団子爆弾が通用するかどうかの確認もしたい。
「わかった!」
サユミが笑顔で突撃する。
「泥団子爆弾!」
同時に、俺はスキル名を唱えた。
足元に泥団子爆弾が生成される。
俺はそれを拾い上げ、うんこステータスでも届く位置まで近づいた。
「ていや!」
「制裁!」
泥団子爆弾は、ちょうどゴブリンの胸の真ん中に衝突する。
爆発が起こり、ゴブリンの血肉が舞った。
グロい。
サユミの方に目を向ける。
彼女は真っ直ぐゴブリンに突っ込んでいって、敵をグーで殴る。
するとゴブリンは吹っ飛び、背後にあった樹木に衝突して弾けた。
……なんで弾けるんだよ。内側から破裂するようだった。
あれが全力の制裁の力なのか。
怖いな。
「さて」
マップを見る。
赤い光点は全てなくなっている。
ちゃんと、みんな倒せたようだ。
エレナのロックレインのおかげで、寝床を破壊する手間も省けた。
十級のクエストで簡単なのはわかっていたが、思ったよりも楽勝だったな。
というか今までがおかしかったんだ。
薬草採取をしようと思ったら、ワーウルフなんてモンスターに出くわすし。ただのスライムを倒しに行ったら、ジャンボスライムなんて親玉が現れるし。
やっとまともなクエストを受けることが出来たな。
「右耳を回収したら、村に戻るか」
「うん!」
俺は短剣を抜き、転がっているゴブリンの死体から右耳を切り取る。
枝の下敷きになっていたやつも掘り起こし、耳を切り落とした。
用意していた袋にそれらをしまう。
あとはギルドに報告すればクエストは完了だ。
「……と、油断したらまた何が起こるかわからないからな」
俺は表示していたマップを縮小し、出来る限り広域を見れるようにした。
俺を中心に半径三キロ以内の地図と、人とモンスターの位置が表示される。
「…………うぇへっ?」
俺は目をこする。
もう一度見直す。
しかしマップに変わりはない。
「マジで……?」
現在位置からさらに西へ三キロ。
マップで表示できるギリギリの範囲の場所。
そこに、モンスターがいた。
モンスターがいることは不自然ではない。
問題は数だ。
ぱっと見ただけでは数えられないような赤い光点が、マップの端っこにあった。
「これってもしかすると、百はあるんじゃ……」
俺は呆然と呟く。
エリナがどうかしたのかと聞いてくるが、どうかしたどころではない。
やばい、と連呼したくなる状況だった。
*
冒険者ギルドには、これまで以上に人が集まっていた。
酒場は閉められ、普段は酒や料理が並ぶテーブルには、地図が置かれている。
そして掲示板にも、テーブル上のものと同じ、この付近の地図が貼られていた。
だがそれは手元にまるものより、数倍大きい。
その地図上、ダガン村から西に三キロの地点に、ピンが刺さっている。
ギルド長トイミは、そのピンを棒で指し、俺を含む多くの冒険者に向かって声を上げる。
「モンスター百体以上の群れがこの地点で確認された! 少しずつ、ここ――ダガン村に近づいているらしい!」
冒険者たちはざわざわと騒ぎ立てる。
「でもどうせゴブリンとかでしょう? こんなに冒険者を集めなくても、対処できるのでは?」
冒険者の一人が挙手して、意見を述べた。
その意見に同調する声が目立つ。
それもそうだ。このあたりでそんな群れを作る魔物なんて、ゴブリンくらいしかいない。
どこかに巣が残っていて、ゴブリンの数が増えたのだと考えるのが自然だった。
「斥候によれば、確かにゴブリンも混じっているようだ」
ほっと安堵の声が広がる。
「だが、それは少数だ」
続くトイミの言葉に、安堵は消え、唾を飲み込む音が強く聞こえた。
「ランク十のモンスターが、十体確認されている。他も、半分は高ランクモンスターのようだ」
場が静まった。
俺はマップで確認して知っていたが、それでも驚きがある。
やばすぎだろう。
この場にいるみんながそう思っているはずだ。
いや、サユミは脅威度のことを知らないみたいで、「どうしたの?」と言いたげな顔をしている。
俺はサユミの耳に口を寄せて、脅威度について教えてあげる。
「ランク十っていうのは、モンスターの中でも最も脅威とされていて……」
「わっ、耳がくすぐったいよー」
こやつ、聞いてないな。
まあ聞いても伝わらないかもしれない。
だってこいつ、この村に来るまでに、ドラゴンとかフェニックスとか、ランク十のモンスターを平然と狩ってきているんだもんな。それだけじゃなく、目につくモンスターを片っ端から倒してきたらしい。
ホント、やばいやつだな。
まったく、そんなに暴れまくったらモンスターから恨みを買っちゃうぞ……。
――――ん? 恨みを買う……。
「な、なんでそんな高レベルモンスターが集まってるんですか!?」
「理由はわからない。ただ斥候によると、モンスターたちは怒っている様子だったそうだ。何者かがモンスターたちの怒りを買ったのか……。とにかく、今の情報でそのあたりの推測は難しい。今は現状にどう対処するか、考えることしかできない」
これ、サユミのせいじゃない?
こいつが短期間で暴れまくったせいじゃない?
とてもこの場でそんな発言はできないので、俺は考えを胸のうちに秘める。
隣のサユミは、俺の視線に気づいてえへへと笑った。
えへへ、じゃない。
たぶんこれ、お前のせいだぞ。
どうすんだよ。
「でもランク十が十体もいるって……そんなのどうしようもないだろ……」
「勝てるわけがない……」
絶望の空気が広がっていく。
諦めムードだ。
見かねて、トイミが机を力強く叩く。机は壊れた。
「街のギルドに応援要請を送った! 君達は一級冒険者たちが来るまで、足止めをしてくれればいい!」
「足止めって、この村にいるのはよくても五級冒険者だぞ!? ランク十のモンスターを前にしたら、腕の一振りで死んじまう!」
「くっ、だが、何もしなければこの村が滅んでしまう!」
「逃げればいいだろ! 街に避難すればいい! 家屋は潰されるかもしれないが、命のほうが大事だ!」
「間に合わない! モンスターはもうすぐそこまで来ているんだ!」
「くそ!」
シリアスだなー。
サユミはランク十のモンスターを屠った実績があるし、彼女に頼れば簡単に倒せると思うよ。
でもいかんせん数が多いからな。もしものことがあるかもしれない。だから強いやつらにフォローしてもらいつつやれば、これくらいやれるのではと考える。
なので、俺はこの事態を楽観視してきていた。
「わかった。ならば、去りたいものは去ってくれていい。ただ、村人の避難を手伝って欲しい。村人たちだけでは不安だ。ちゃんとクエストも出す」
トイミが呟くように言うと、興奮が少しだけおさまった。
「だから選んでくれ。戦うか、逃げるか。戦う場合のクエスト報酬は一万ポイ。避難を手伝う場合の報酬は、百ポイだ」
え、戦ったらめっちゃ貰えるじゃん。
俺はサユミとエリナにおんぶにだっこで参加するつもりなので、それで一万も貰えるなら、こんなに楽なことはない。
「戦うものだけこの場に残ってくれ」
もちろん俺は残る。
だって一万ポイあれば、普通に暮せば一年くらいは何もしなくてもいいんだぜ。
やるっきゃない。
「おれは……戦えない……」
最初にギルドから出ていったのは、見知らぬ冒険者だった。
あとに続いて、次々と冒険者が外に出ていく。
え、なんで? 一万ポイだよ?
一瞬疑問に思ったが、彼らはサユミの力を知らない。死ににいくようなものなのだろう。だろう、というか、死ににいくものなのだ。
「オレも……」
俺は、どこかに行こうとするヤーコブの肩をガッチリと掴んだ。
「兄貴、どこに行くんすか? 便所はそっちじゃないっすよ?」
「便所なんていかねぇよ!? オレは避難を手伝いに行くんだ!」
「いやいや、もう沢山行ってるじゃないっすかー。数が多すぎても邪魔になるだっけすよ。それにほら、兄貴は昨日なんでか気絶したりしちゃったんだし、ここで座って休んでたらいいっすよ」
「なんでかってお前が攻撃してきたんだろ! それにもう回復薬飲んでなんともないわ!」
さすがに昨日は悪いことしたな、と思っている。
なので戦う側にとどめて、一万ポイを手にしてもらおう、という恩返しだった。
サユミの近くにいたら死なないだろう。たぶん。
「残ったのは、これだけか……」
トイミが悲しそうに言った。
残ったのは、俺達を入れて三人。あと幽霊一人。
すなわち……俺、エリナ、サユミ、ヤーコブのみだった。
「あ、いや、オレは――」
何か言おうとしたヤーコブの口をふさぐ。
「さすが兄貴、この状況で戦う方を選ぶなんて、男の中の男っす!」
ヤーコブは俺のことを睨んでくる。
くぅー、親切心が理解されないのは辛いなぁ。
でもきっとすべてが終わった暁には、俺に感謝するはずだよ。
やったー何もしなかったのに一万ポイも手に入った―、ってさ。俺もそうするつもりだから。
一緒にヒモになろうよ。
「どれだけ抵抗できるかわからない。一分ももたないかもしれない。無意味かもしれない。それでもやってくれるか?」
「ふっ、ギルド長。やるから、ここに残ってるんですよ。そんな問いこそ無意味です」
まだもごもごと口を動かすヤーコブを必死でおさえながら、俺は言い切った。
決まったな。
横でサユミが「ゲンタくんかっこいい……」って目を輝かせている。
わかってるじゃないか。
俺は、口だけは達者な男だぜ? こんなセリフを吐くくらい序の口よ。
「……そうか。ならば、この四人で、ダガン村を守ろう」
四人か。トイミにはエリナが見えてないはずだが。
「もしかしてギルド長も参戦するつもりで?」
「当たり前だろう。これでも腕には自信がある」
これでもって、外見だけ見ても腕っ節の強そうな人にしか見えない。
しかしトイミがいるならば、より安全だろう。
サユミやエリナだけでは、少し不安があったからな。
何せ相手の数が数だ。
でもトイミが参戦してくれるなら、これはもう楽勝だな。
――楽勝、と思っていたときもありました。
ごめんなさい。全然楽勝じゃなかった。
何が楽勝だよ、一時間前の俺。
馬鹿か。
馬鹿だろ。
高ランクモンスターなんて今まで見たことがなかった。
だからサユミの制裁があればどうにでもなるだろ、と思っていた。
いや、たしかに一対一で戦ったのなら、簡単に倒せたのだろう。
しかし、知っていた通り、いかんせん数が多すぎた。
「ファイアーボール!」
エリナの魔法は、一気に二体のゴブリンを倒す。
だがその後ろから、すぐに次のモンスターがやって来る。
ワーウルフだ。
こいつは俊敏に動く。今の俺では攻撃を避けることが出来ない。
気をつけなければ。
「ショック!」
一瞬、空中に電気が走ったかと思うと、ワーウルフの動きが止まっていた。
ショックは、トイミ戦のときに一度見た魔法だ。
相手の動きを止める効果があるようだった。ただ攻撃力はないみたいだが。
「サンドボール!」
地中から土の塊が飛び出してきて、ワーウルフの頭に直撃する。
ワーウルフは首がポッキリと折れて絶命した。
《レベルが上がりました》
女神様の声が頭に響く。
おおう、久々のレベルアップだな。
と、感慨にふけっている場合ではない。
「一旦隠れましょう」
「ああ」
俺は木に背を預け、体勢を低くした。
「このあたりは低ランクモンスターが多いみたいね。おかげで楽でいいわ」
「だな。……他のやつらは大丈夫かな」
「さあ、わからないわね」
俺達は、ばらばらになっていた。
出撃直後、いきなり高ランクモンスターの集団に出くわしたのだ。
相手の集中砲火により、ろくろく接近することが出来ない状況。
サユミの制裁は相手を殴ることで発動する。
近づけさせてもらえなければ、スキルを使うことなどできなかった。
そうして苦戦していると、気がつけばみんなとはぐれてしまっていたのだ。
「あ、そうだ、マップ」
俺はマップの存在を思い出す。
これがあれば、モンスターだけでなく、人間の位置もわかるのだ。
素早くマップを視界に表示し、人を現す青い光点を探す。
「一つ、二つ、三つ……!」
全員生きているようだった。
トイミとサユミはモンスターに囲まれている。ヤーコブはモンスターから逃げているようだった。
「しゃーない。ヤーコブのところに行くか」
距離もここから一番近い。
俺は立ち上がる。
「もう行くの?」
「うん。追われているみたいだからな」
俺はヤーコブの元へ駆ける。
すぐに姿は見えた。
必死の形相で腕を振って地を蹴っている。
背後には豚が二足歩行しているようなモンスターがいた。
オーク、というモンスターらしい。
脅威度はランク四。ワーウルフより一段階高い。
「やっておしまい!」
オークをびしっと指差し、エリナに言う。
直後にエリナが魔法を発動し、オークは息絶えた。
ヤーコブは後ろの戦闘音に気づいた様子で、振り返る。
俺はこっそり真横から近づいて、飛び出した。
「ばあっ!」
「うおおおぉッ!!」
ヤーコブは驚いて剣を引き抜き、こちらに振り下ろしてくる。
「ひいぃ!」
俺は悲鳴を上げながら飛び退った。
前髪がはらはらと舞う。
あと一秒遅かったら斬られてた。危ないな。
「な、何するんだ!」
「お前! お前かよ! 驚かせるなよ! ホントによ!」
ヤーコブは荒い息を吐きながら俺に怒鳴ってきた。
「完全にゲンタが悪いわよ」
「そんなバカな……」
完全に俺が悪いですね。ごめんなさい。
「とにかく、オークは倒したから安心していいよ」
「ん……お、おう、そうか。助かった」
ヤーコブは背後に転がるオークの死体を確認して、ほっと息を吐いた。
「それじゃあ、次はサユミのところに行くか」
マップを再確認すると、サユミを囲む赤い光は時間が経つごとに消えていっている。
制裁のスキルを発揮しているのだろう。
「だけど」
サユミにほど近いところに、モンスターの集団がいる。
少しすれば、サユミを囲う輪に加わるだろう。
俺は方向を確認し、歩きだす。
「お、オレはいかねぇぞ」
ヤーコブが突如そう言った。
「いや、この辺オークよりも高レベルのモンスターが彷徨いてるし、付いてきたほうがいいんじゃないか?」
「………………」
ヤーコブは無言で俺の隣に並んだ。
吹き出しそうなのをこらえて、俺は歩を進める。
ヤーコブは周りをきょろきょろ見渡しながら、緊張した様子で歩く。
「ほ、ほんと、お前なんてことしてくれたんだよ。オレは九級だぜ。戦えるわけないだろ。こんなことになっちまって……」
「なんか楽勝かなって思ったから、折角だからヤーコブの兄貴も一緒にって考えたんす。悪気は欠片もなかったっす。そもそも俺は良心の塊みたいな人間なんで、悪気なんて存在するわけがないっすよね!」
「良心なんて存在するわけがないの間違いだろ!」
と、ヤーコブと言い合ったところで、モンスターの群れが見えた。
あの中心に、サユミがいる。
あ、今、血飛沫が舞った。モンスターたちが一歩後ろに下がる。
「サユミ!」
俺は大声で名前を呼ぶ。
すると、俺の名を呼ぶ声が帰ってきた。喜色に塗れている声だ。
「今行くから待ってって!」
「お、おう! なるべく早く来てくれると助かる!」
声を出したせいで、外側にいるモンスターの注意がこっちに向いてるんだよ。
「……ん?」
突然、モンスターたちが騒ぎ出す。
何かと思った瞬間、おびただしい量の血肉が辺りに散らばった。
サユミを取り囲んでいたモンスターが次々に破裂する。
そしてやっと、サユミの姿が見えた。
体は血で真っ赤に濡れすぎて、一瞬サユミだとわからなかった。
彼女は、逃げようとしていたモンスターも、追いかけて破裂させる。
残ったのは血の海と、そこに佇むサユミの姿だけだった。
「ゲンタくん!」
サユミが俺に駆け寄ってくる。そして飛びついてきた。
血……血が……。
俺の体も真っ赤っ赤になってしまった。
「あ、えっと、お、おそろいだね!」
「……そうだな」
しょうがないさ。
サユミはこんなになるくらい頑張ったのに、これくらいのことを気にしていては男じゃない。
「ところで、こんなすぐに倒せるんなら、そうしてればよかったのに」
「えと……返り血を浴びたくなかったから……。こんな格好でゲンタくんに会いたくなかったの。でも早く来てくれって言ってたから、本気でやっちゃった」
「そ、そっか……ありがとう」
今までは返り血に気を使って戦ってたんですね。
しゅごい。
「じゃあ、これからも本気で戦ってくれると嬉しいかな。ほ、ほら、血塗れってどことなく素敵な響きだし!」
「そうかな? じゃあ本気で戦うよ!」
血塗れってどことなく怖い響きだよね。
「それより怪我はないか?」
「うん! 傷一つないよ! 返り血を浴びただけ」
傷一つないのか。
制裁のスキルが強力なだけでなく、サユミ自身戦えるようだった。
そこのところを聞いてみると、「護身術習ってたからね!」との返答があった。
護身術しゅごい。
「そろそろ来る」
マップを見れば、モンスターの集団がもうすぐ近くまで来ていた。
強化された聴力が多くの足音を拾う。
音のした方向に顔を向けると、目視できる距離まで近づいていた。
「来たぞ!」
声を上げて仲間に警告する。
全員がモンスターに視線を注ぐ。
「結構な数いるわね。それに、ランク十はいないみたいだけど、高ランクのモンスターがうじゃうじゃと……」
「いや――ランク十もいるみたいだ。一番うしろにちらっと見えた」
「ランク十だと!?」
ヤーコブに俺の声を聞かれてしまった。
「やっぱりさっき、ついてくるんじゃなかった……!」
「今更遅いっすよ兄貴」
この戦場に足を踏み入れた時点で、もう逃げられるわけもない。
さっきついてこなくても、どこかで戦うことになってたに違いないのだ。
九級冒険者のヤーコブが対処できる敵などそういなかった。
あっさり殺されるのがオチだ。
ならばついてきたほうがよっぽど安全だろう。
たぶんね。
「ランク十……どんなモンスターだったの?」
エリナが聞いてくる。
俺は先程見えたモンスターの姿を思い出す。
血染めのローブで体を隠した、人形モンスター。フードから覗く頭は、人の顔――から肉をすべて削ぎ落としたものだ。つまり、骨。
「リッチだった。どこの趣味悪貴族だよって感じの、金色の杖を手に持ってたな」
「――っ! それって金杖使いじゃない!」
「きんじょうつかい?」
「ええ。リッチの中でも得に凶悪なやつよ。……それと、私を封印したやつ」
俺はエリナの顔を見る。
エリナは憤怒の表情だった。
それもそうか。あんな変な人形に閉じ込められて、消えるギリギリになってようやく開放されたのだ。
どれほどの間閉じ込められていたのかは知らないが、相当な因縁があるのだろう。
「因縁の対決か。燃えるな」
「そうね。でも私はあいつにやられたときよりも、更に弱い。勝てるかどうか……」
「大丈夫だろ。今度は俺もいる」
それに、と続ける。
「ヤーコブ……は役に立たないとして、サユミがいる」
俺はサユミに目を向ける。
でもさっきまでサユミがいたはずの場所に、彼女はいなかった。
「あれ、あいつどこいったんだ?」
俺は呟く。
ふとモンスターたちに視線を向けた。
まだ少し距離がある。でもモンスターの脚力にかかればそうしない間に詰められる距離だ。
だが、モンスターは近づいてこない。……いや、近づいてこれない。
「制裁! 制裁! 制裁! 制裁! 制裁ッ!!」
わーお。
汚い花火だぜ。
「あ、危ないっ」
散らばる血肉の奥、リッチが魔法を完成させるのが見えた。
一メートルはあろうかという氷柱が、いくつも宙に浮かんでいる。尖った先端が指し示す先は、暴れるサユミだ。
「ファイアーウォール!」
目配せをする前に、エリナが魔法を完成させる。
ジャンボスライムから逃げる時に見た炎の壁が、サユミを守るように現れていた。しかもジャンボスライムのときより火力が強いようだった。あの時は赤い炎だったが、今回は青い炎。
直後に氷柱が発射される。
氷柱は炎の壁にぶつかり、そして、抜けた。
体積は半減しているが、スピードは落ちていない。
「サユミ!」
氷柱が、サユミに直撃――したように見えた。
「ふぅ、危ないなぁ」
サユミは直撃の瞬間、氷柱の側面を叩くことによって、方向を反らせたのだ。
周囲の地面に、氷柱が深く突き刺さっている。
「かすり傷、できちゃったよ」
かすり傷って……。
何なのこいつ。武術の達人か何か?
「大丈夫なのか!?」
一応声をかける。
「問題ないよ! 護身術習ってたから!」
護身術という名の、何か別のものを教わったのではないだろうか。
「それじゃあ行くよ! 制裁!」
次の魔法を発動する隙を与えず、サユミはリッチに肉薄する。
サユミの拳をモロに受け、リッチは破裂した。
骨片が辺りに散らばる。
マップを確認すると、この場に赤い光点はない。
モンスターはみんな死んでいるようだった。
「なんか、あれだな。因縁の対決……という感じではなかったな」
「ま、まあいいのではないかしら」
「大体あいつ一人でやったしな。あの炎の壁も必要だったかと疑問を呈する」
「あれで結構威力が削げたでしょう! 私の残った魔力を注ぎ込んだ炎の壁よ! もしあれがなかったら、きっと彼女もかすり傷では済んでいなかったと思うわ」
「それもそうか」
というか、はぐれたあとに低ランクモンスターを倒しただけで、あとは全部サユミ任せだな。
低ランクモンスターを倒したのはエリナだし、完全におんぶにだっこ状態だ。
最初からそのつもりだったとはいえ、少々心苦しくはある。
これが男なら何も思わないが、二人は可愛らしい女の子だ。
俺もちょっとくらいはいいところ見せたい。
それに、さっきエリナは残った魔力を注ぎ込んだと言っていたな。
まさかもう魔力がゼロなのでは……。
ステータスを覗いてみると、もう魔力は残っていないようだった。
みんなとはぐれていた時に、それなりに魔法を使わせたからな。
とにかく、これからはエリナの魔法を当てに出来ないということか。
「次はトイミのところに行くか」
マップから、奮戦すると意味の姿が伝わってくる。
前に見た時はモンスターに囲まれていたが、脱出できたらしい。
苛烈に動き回りながら、モンスターの数を減らしているようだった。
「あ、その前に、そこに落ちている金の杖を拾っておきなさい。強力なマジックアイテムでしょうから」
「モンスターが使ってたんだろ? 呪いとかないよな?」
「ないでしょう。おそらく」
「おそらく……」
まあ俺には鑑定があるから、問題があるならわかるのだが。
「鑑定」
【金杖:黄金の杖。空気中の魔力を溜め込む性質があり、この杖を持ったものはその魔力を自由に扱うことができる。現在の残量1500/2000。】
「わお」
「どうしたの? ……って、そういえばゲンタは鑑定持ちだったわね」
「うん。それで調べてみたら、この杖すごいわ」
俺は鑑定の内容をエリナに伝える。
「なるほどね。あいつは馬鹿みたいに魔法を使ってくることで有名だったけど、その杖のおかげだったわけね」
「これ、エリナが持てばいいんじゃないか?」
「忘れたの? 私は幽霊よ。アイテムが使えないの」
「あ、そうか」
幽霊はものに触れることが出来ない。
だからアイテムを使うことができるわけもない。
「じゃあ俺が持つよ」
ヤーコブが持っても無意味だ。
サユミが持つには邪魔だろう。
制裁のスキルは魔力を消費するが、それはとても少ないものだ。たったの10だけ。
泥団子爆弾と同じ魔力消費で、一撃必殺の魔拳を放つことができる。
ホント、チートだな。
俺を害するものにしか使えないとは言え、そんなものサユミの解釈しだいだ。
サユミは、モンスターはすべて俺に害するものだと決めつけているから、俺がまるで関わったことがないモンスターを制裁することができる。
強すぎだろう。
「ほら、これ」
俺はリュックから事前に購入していた魔力回復薬を取り出し、サユミに手渡す。
ステータスを見ると、彼女の魔力は半分を切っていたのだ。
魔力消費が少ないとは言え、使いまくれば沢山減ってしまう。
「ありがとう!」
サユミは笑顔で魔力回復薬を受け取り、ぐびぐびと飲んだ。
彼女の魔力が完全回復する。
「準備はいいな。じゃあ行こう」
俺は告げた。
「こっちだ」
全力で走る。
走って、走って――。
しかしうんこステータスの俺は足手まといだった。
「……先に行っててくれ」
このままではあまりに遅れる。
トイミはずっと一人で戦っていて、かなりしんどいはずだ。
早く駆けつけてあげなければいけない。
「でも、ゲンタくんを置いてなんて……」
「俺は大丈夫だ」
「でも」
「時間がないだろ。早く行かないと」
「それなら、別にゲンタくんを置いていく必要ないよ!」
「え、なんで?」
置いていかないなら、どうやって早くトイミのところに行くんだよ。
「乗って!」
サユミが突然しゃがむ。
背中を俺に向け、後ろに両手を準備している。
これは、もしかして。
「俺をおんぶするつもり?」
「もちろんだよ!」
おんぶにだっこ状態とは考えたけど……。
本当におんぶしちゃうの?
「早く、急いでるんじゃやないの?」
「う、う、うぅ…………あー! わかったよもう!」
恥ずかしいが仕方ない。
どうせ俺が女の子におんぶされる光景を見るのは、ヤーコブだけだ。
っておい。今ヤーコブが笑う気配を感じたんだが。
睨みつけてやると、ヤーコブは無表情を取り繕った。
だがそれはすぐに崩れ、ぷっと吹き出す。
「泥団子爆――」
「わ、悪かったって! しょうがないだろ! お前、女におんぶされる、とかっ。ぷっ」
「泥団子爆弾!!」
俺は地面から出てきた泥団子爆弾を拾い、投げる体勢を取る。
「う、うお、お前やめろよこんなときに! ほ、ホントやめろって――!」
ヤーコブは逃げていった。
高ランクモンスターが彷徨いているというのに、どこかへ逃げてしまった。
ちょっと脅しすぎたかな。
ま、いいか。マップで見たところ、ヤーコブが去った方向にモンスターはいないようだ。なら問題はないだろう。
「ゲンタくん、もういける?」
サユミはヤーコブの心配など微塵もせず、俺に声をかけてきた。
「ああ」
返事をして、俺はサユミにおぶさる。
サユミはよっこいせと小声で言いながら、立ち上がった。
「うひゃっ」
サユミの両手が、俺の尻を弄るように動いて、変な声を上げる。
「あ、ごめん、つい」
つい、なんですか。
「じゃ、じゃあ行くよ」
サユミはそう言うと、一歩踏み出す。
二歩、三歩と進むたび、加速していく。
これがレベル25……いや、ステータスを見ると、彼女のレベルは一上がっていた。
これが、レベル26の速さか。
俺をおぶっているというのに、自転車を全力で漕いだ時並のスピードが出ている。
しかも、森の中だぞ。凄まじい。
レベル26でこれなら、レベル40のトイミは一体どんな化物なんだ。
「こんな化物か……」
唐突に、開けた場所に出た。
そこに、トイミがいた。
トイミだけではない、複数のモンスターが存在している。
中でも目立つのは七体のドラゴンと、二体のフェニックス。
ランク十モンスター九体と、その他高ランクモンスターが多数。そんな中で、血だらけになりながらも、トイミは立っていた。
「元一級冒険者を舐めるな!」
トイミはモンスターたちに向かって叫ぶ。
直後に、ドラゴン七体同時のブレス攻撃。加えて上空からフェニックスが炎の雨を降らす。
青を通り越して白い炎が、トイミに殺到する。
「…………!」
トイミが足を踏み込んだと思った瞬間、彼の姿が消えた。
どこだ。きょろきょろ見回していると、一体のドラゴンが呻いた。トイミの正面にいた個体だ。
そいつに視線を注ぐ。すると、そのドラゴンの腹に拳を突きつけているトイミの姿があった。
すごい。
強すぎる気迫が、こちらにまで伝わってくる。
俺の昇級試験など、かなりの手加減をしていたようだ。
トイミはドラゴンの腹を蹴り、その場から離脱する。
それと同時に、ドラゴンの腹にブレス攻撃が注がれた。
自分で、自分の腹に向かって火を吹いたようだ。
しかしドラゴンに怪我はない。炎に強い耐性があるのだろうか。
「ゲンタくんはここにいて。私は行ってくるから」
「大丈夫なのか?」
「うん」
サユミは俺を置くと、駆け出した。
俺は木影に移動する。
「行かせていいの?」
「大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫だろ。それに、俺は俺でやることがあるしな」
「やることって何よ?」
「サユミばっかチート能力使って、ずるいと思ってたんだ。この杖があれば、俺も久しぶりにチートを使える。使いまくってやる」
ちーと? とエリナは首を傾げる。
俺はそれに答えないまま、杖を掲げた。
「異界の門よ開け! そして我に献上せよ! おかえりだ、ランダムサモン!!」
俺が叫び終えると、足元に魔法陣が現れる。
「何これ……」
「ふ、これこそが俺の最強の力。異界より物品を召喚する能力だ!」
魔法陣の中心から、何かが現れだす。
期待度を高めつつ、召喚物を待つ。
そして出てきたのは――
「お、最新刊じゃん。この漫画、楽しみにしてたんだよなぁ……って違う! 嬉しくないこともないけど違う! 今求めてるのは、もっと戦闘に使えるやつ!」
俺は漫画を丁重にリュックにしまった。
「次だ次! ランダムサモン!」
「それ、召喚魔法よね。そんなの使えたのね……」
「憑依されてから、魔力が足りなくて使えなかったけどな」
と言っている間に、魔法陣が現れ、物品が召喚される――。
「そうそう、こっちの紙は硬くてお尻が痛くなるんだよな。このトイレットペーパーがあったら、これから大便するとき助かるわぁ……って違う! 嬉しくないこともないけど違う! 今求めてるのは、もっと戦闘に使えるやつってさっきも言ったじゃん!」
もう、ランダムサモンさん、ちゃんとしてよね。
ゲンタ怒っちゃうぞ。
俺はリュックにトイレットペーパーをしまい、息を整えた。
「今度こそ、頼むぞ。三度目の正直だ、ランダムサモン!」
そして――。
サユミは、ドラゴンに絶えずブレス攻撃を吐き続けられ、中々近づけないようだった。
トイミのように高速移動ができたらいいのだが、生憎とサユミのスキルは制裁だけだ。
俺が援護する必要があるな。
「泥団子爆弾」
俺はスキル名を声に出す。
すると地面から泥団子のようなものが現れる。
これをただ投げるだけでは、ドラゴンに届くことなどない。
だが、俺には秘密兵器があった。
「結局それは何なの?」
俺が手に持っているものに目を向け、エリナが質問を投げてくる。
「これか?」
「それ以外に何があるのよ」
俺はふっふっふ……と笑いを漏らした。
「これはな、ランダムサモンさんが俺のことを考えて召喚してくれた、とても素晴らしいアイテムなんだ! さすがです、ランダムサモン様! さすらん!」
「その割には何十回召喚したのよ」
「三十回くらい。おかげで、この金杖の魔力がほとんど全部なくなった」
それは置いとこうよ。一つでも使えるアイテムが出てきたんだからいいじゃん。
ランダムサモンさんはすごい、で終わらせておけばいいじゃないか。
気を取り直して、手に持っているものに視線を移し、鑑定する。
一度鑑定しているが、エリナに説明するためだ。
【魔導スリングショット:超強力なスリングショット。照準機能付き。】
鑑定結果をそのままエリナに伝える。
「へぇ。これで泥団子爆弾を飛ばそうって魂胆なわけね」
「そゆこと」
俺は泥団子爆弾を拾い上げ、発射の準備をする。
突如、視界に小さな輪が現れた。
なるほど、これが照準機能らしい。
この輪が示す部分に飛んで行くわけだな。
俺はじっと構える。
タイミングを待つ。
狙うは、ドラゴンが口を開けた瞬間だ。
泥団子爆弾を口内に食らわせてやる。
「――――いまだ!」
飛んでいけ!
願いの通り、泥団子爆弾は目で追えない速さで突撃していく。
そして、ブレス攻撃のために開かれたドラゴンの口の中に入る。
直後、爆発の音が轟き、ドラゴンが呻いた。
ブレス攻撃が止まったその瞬間をついて、サユミが前に出る。
「制裁!」
スキル名を叫ぶ声がはっきりと聞こえた。
サユミの拳を受けたドラゴンが、一瞬あとに破裂する。
バラバラになった巨体は周囲に飛び散り、モンスターたちは動きを止める。
その隙に、サユミはもう一体のドラゴンを制裁する。
新たな死体を見て、ようやく動き出すモンスターたち。
「泥団子爆弾」
泥団子爆弾を玉にして、魔導スリングショットを構える。
ドラゴンは混乱しているのか、がむしゃらにブレス攻撃を吐きまくっている。
放つタイミングが難しい。
それでも観察していると、同じような間隔でブレス攻撃を仕掛けていることがわかった。
それがわかれば、後は簡単だ。
よく狙って――放つ!
ドラゴンの口の中に放たれた泥団子爆弾が、敵に衝撃を与える。
隙をついてサユミがドラゴンを制裁する。
「ひゅー、楽勝!」
これで三体のドラゴンを倒せた。
ドラゴンは残り四体。フェニックスが二体。
フェニックスとドラゴン二体はトイミが引きつけてくれている。
サユミが相手にするドラゴンの数は残り二体だ。
「泥団子爆弾!」
これで金杖も、俺の魔力もゼロだ。魔力回復薬はもう持っていない。サユミにあげた一本しか持っていなかった。だって、それなりに値が張るんだよ。
「最後の一発だ! おとなしく喰らえ!」
俺は、泥団子爆弾を放つ。
照準機能様様だ。ちゃんと狙った地点に届いてくれる。
今まで通り、ドラゴンの口内を爆破した。
そしてそのドラゴンは、次の瞬間にはサユミに制裁され、破裂して死んだ。
あっという間の出来事である。
残るは一体。
最後のドラゴンに視線を向ける。
すると、ドラゴンが睨みかえしてきたような気がした。
気のせい……だよね?
「ばれたわね」
「やっぱり?」
気のせいじゃないようだった。
ドラゴンは口端から炎を漏らし、翼をはためかせ、猛スピードでこちらに突進してくる。
今から逃げ出しても遅かった。
エリナも俺も、もう魔力がない。戦えない。
「いやそんなことない」
俺はリュックから、ランダムサモンで召喚したガラクタを取り出す。
日用品がわんさかとあった。
「いけ、トイレットペーパー!」
俺は魔導スリングショットで、トイレットペーパー飛ばす。
普通のスリングショットではまともに飛ばないだろうものだが、この特別製のスリングショットならば、真っ直ぐ飛ばすことが可能であった。
トイレットペーパーはくるくる回転して紙を散らばらせながら、ドラゴンに直撃する。
長い紙がドラゴンの視界を邪魔して、立ち止らせることに成功した。
その間に、俺は次の玉を準備する。
狙いを定めて、発射!
「いけ、テレビのリモコン!」
テレビがないのでまったく使い道がないアイテムだ。
そんなリモコンは綺麗に飛んでいき、ドラゴンの目玉に衝撃を与えた。ぶつかった瞬間に衝撃によりぶっ壊れる。
うわ、痛そう。
そう思うものの、容赦はしない。している場合ではない。
続けて、様々なガラクタじみた物品をスリングショットで飛ばす。
とてもドラゴンを倒せるような攻撃ではないが、足止めになれば十分だった。
「制裁!」
ドラゴンの背後に近づいていたサユミが、声を上げる。
そしてその一秒後、あっけなくドラゴンは破裂した。
血肉が散らばり、明らかな死を晒す。
凄まじく強いよな、サユミの能力。
なのに同じ境遇の俺の能力は……。
「いやいや、俺のはあれだよ。ランダムサモンさんはこういう日用品なんかも召喚できて、日常生活を送る中でとても便利な存在なわけだよ。戦闘面だけで考えれば微妙な能力かもしれないけど、異世界という生活水準が低い地で生きていくにはとても便利な能力なんだ。だからランダムサモンさんはマジで、チート」
「突然何を言い出しているのよ……」
「いやちょっと、擁護を」
サユミのチート能力は戦闘面でのみ優れているものだ。
だけど俺のチート能力はもっと色々な場面で活躍できる存在なんだよ。
だから俺のチート能力使えないなぁ、とこっそり考えたことは謝ります。ごめんよ。
「っと、それより、トイミの方は……」
思い出して、トイミが戦闘しているところに視線を向ける。
その直前に、足音が聞こえてきた。
まさか新手の魔物か!?
俺はマップを開き、確認する。
「これは……」
表示されていたのは、多くの青い光点だった。
青い光が表しているのは、人だ。
「援軍が来たのか!」
「援軍? そう、やっと安心できるわね」
「ああ」
どたばたと足音が近づいてくる。
「こっちだ!」
足音に混じって、ヤーコブの声もした。
ヤーコブがここまで案内してくれたのか。
森からヤーコブが飛び出してくる。同時に何人もの冒険者が現れた。
「ひえー、強そうな装備だ」
「一級冒険者でしょうね」
「なら納得だな」
トイミは元一級冒険者らしい。
ということは、彼らもトイミ相当の力を持っているのだろう。
強力な助けが来た。
もう安心だな。
そう思うと、地面にへたり込んでしまった。
「はー、疲れた」
疲労軽減スキルが仕事してない。
いや、それ以上に疲れたというだけか。
「ゲンタくん大丈夫?」
近づいてきていたサユミが、俺を心配そうな目で見てくる。
「ちょっと疲れただけだ。というか、サユミはここにいていいのか? あっちの手伝いは?」
何人もの一級冒険者が参戦したことで、モンスター側は劣勢に立たされている。
「わたしが行かなくても倒せそうだから、いいかなって。ゲンタくんの傍にいたいし」
「平気で恥ずかしいこと言うよな」
俺のどこに、そんな好きになる要素があるんだ?
と、心中で考えただけのつもりが、声に出してしまう。
「いっつも明るいところかな」
「そっか」
俺は顔を背ける。
何この照れる空間。逃げ出したいんだけど。
「疲れてるなら、ひ、膝枕とか、し、してあげよっか?」
恥ずかしげに言ってくるサユミ。
「お、いいの? じゃあ頼むわ」
俺はまだ立っているサユミの太もも目がけて頭を突っ込む。
「うぇ! ひぇ!」
サユミは変な声を上げて、飛び退いた。
俺は思わず吹き出してしまう。
「なんだよ、その変な反応」
笑いながら言ってやると、サユミは顔を赤くした。
照れる空間は潰せたようだ。ほっと息を吐く。
「へ、変じゃないよ! 当然の反応だよ!」
俺は笑い返しながら、一級冒険者たちの戦いに目を向ける。
ドラゴンは一体倒され、もう一体は傷だらけ。フェニックスも火の勢いが大分弱まっている。他の高ランクモンスターも大体が死体となっていた。
「もう終わりだな」
呟く。
そういえばさっきからエリナが無言だな、と隣を見てみると、とても冷たい目の幽霊少女が宙に浮いていた。
「何その目」
「その娘に変態的行動をしているのを横で見せられたのだから、当然の目だと思うわ」
変態的行動……かもしれなかったが、その目はやめてくれ。興奮する。
「あ……」
ふいにサユミの声がした。
大きな衝撃を感じて、戦場を見る。
するとちょうど、空を飛んでいた二体目のフェニックスが落下する場面だった。
地面を見ると、先に一体のフェニックスが落ちている。さっき感じた衝撃は、こいつが落下した時のものか。
マップを見てみると、もうほとんど赤い光点は残っていなかった。
次々に消えていき、最後に残ったのは、傷だらけのドラゴンだ。
そのドラゴンに、トイミが突撃していくのが見えた。
一瞬あと、マップから最後の赤い光が消える。
ドラゴンは死ぬ間際に、天に向かって炎を吐き出した。それが、戦いの終わりを告げる狼煙だった。
*
一、と書かれた指輪を眺める。
「えへへ、お揃いだね」
サユミが見せつけてくる指輪も、一、と書かれてあった。
「お揃いだな」
適当に返事して、こっそりため息を吐く。
「なんで……なんで、一級冒険者になってるんだ……」
それはもちろん、ドラゴンやらを倒したせいなのだが。
でもそれをやったのはサユミだ。
俺は多少援護をしたくらいで、ドラゴンを倒すだけの力はない。
それなのに、一級冒険者にされてしまった。
サユミが俺がいたおかげと証言してしまったことが主な原因だろう。
他にも、勘違いが重なったのだ。
新たな魔法を開発した凄腕魔法使いとか。
たしかに新たな魔法は開発してしまったが、それ以外に使えるのはランダムサモンだけだ。凄腕魔法使いなのではない。
「すごいクーポン券を手に入れたとでも思っておこう!」
一級になったと言っても、簡単なクエストを受けて過ごせばいいだろう。
別に一級相応のクエストを受ける必要などない。
「あと、ペッコとヤーコブに自慢しまくってやるか」
一級冒険者的な活動をするつもりなど全くないが、自慢くらいは許されるだろう。
俺は残っていたご飯をかきこみ、ごちそうさまと口にする。
ギルドの酒場で朝食を食べていたところだったのだ。
あの戦いからもう三日経ち、混乱は大方収まった。事後処理はまだ残っているらしいが、おれはギルド職員ではないので関係ない。
でもその関係でフローラに会えないのは残念だな。
彼女はこの世界一番の癒しなのに。
ま、忙しくしているなら仕方ない。
「はー」
お茶を啜って一息つく。
これからはゴブリンとかスライムを狩って生きていこう。
もうドラゴンとか知らない。会いたくもない。
この前は調子に乗って受けてしまったが、二度とドラゴン退治になんていかないぞ。
本当、怖かったんだからな。
「……さん! ゲンタさん!」
俺を呼ぶ声がして、ギルドの奥に視線を向ける。
すると扉が勢いよく開いて、フローラが飛び出してきた。
「ゲンタさんはいますか!」
「いるよー」
呼びかけに答える。
しかしなんだろうか。あんなに急いだ様子で。
そんなに俺と会いたかったのかな。
サユミだけでなくフローラにまで好かれるとは、ゲンタ困っちゃうなー。
「ゲンタさん、クエストです!」
クエスト?
ただ俺に会いに来ただけじゃないの?
「この近くにエンシェントドラゴンが出ました!」
そっかー。エンシェントドラゴンが出たかー。
それが俺と何か関係あるのかな。
「このギルドにいる一級冒険者は、ゲンタさんとサユミさんだけです! どうか討伐してください!」
うん? 俺たちでエンシェントドラゴンを倒して来いと?
出来ると思ってるの? 思ってるから言ってるんだね!
たしかにサユミなら一撃必殺のスキルがあるから、どんなモンスターも倒せるかもしれないけど!
俺は弱いんだ! 二度とドラゴン退治なんて行かないって決めたんだ!
だからみんなして、期待の眼差しはやめてくれよ!
「ゲンタ、諦めなさい。これはもう行くしかないわ……」
エリナが諭してくる。
行きたくないよー!
「う、うう……わかった」
俺は声を絞り出して、クエストを受けた。
「ありがとうございます!」
フローラが感謝の意を伝えてくる。
わかったよ! 行けばいいんだろ、行けば!
残っていたお茶を勢いよく飲み干し、俺は椅子から立ち上がる。
苦難はいつまで続くのか。
女神様は俺の幸運を祈ってくれているようだが、幸運を授けてくれるわけではない。
「行こう」
仲間に声を掛ける。
そうして、俺は一歩踏み出したのだった。
【女神が見守る転生野郎の異世界冒険録:終】




