桜花の舞 前編
「ありがとうございました」
背後から聞こえる、若い女性店員の声を聴きながらドアに向かう。ガガガガと、音を立てながら立て付けの悪いドアを開くと、ヒュッと春の夜風が頬を掠めた。
気持ちいい
ひんやりとしてした空気はとても心地よく気持ちが良い。遅れて何処からともなく、妖しく美しい紅色の桜が一ひら二ひら、店内に吹き抜けていく。
横目で桜を追いかけていると、不意に一ひらの桜が胸にポスッとぶつかる。
白と薄紅色でコントラストされた花びら、先ほどのものと比べて何だか若々しくて幼い。
他とは違う花びらを、俺は何だか不思議に思いぼーっと眺めてポケットにしまい歩みを進める。
公園に点々と建てられた街灯。電球が切れかかっているのか、それとも古いのか、薄ぼんやりと頼りげなく足元を照らす。その下を、ナイロン袋を片手に通り過ぎていく。中身は先ほどの店で買った団子。
数時間前の事。
ベッドで横になっていたら携帯が鳴った。
シューベルトの魔王。
この着信音で登録しているのはたった一人だ。
俺は、しぶしぶ重い体を起こして机の上に置いていた携帯を取る。
「今暇だろ」
「………」
着信音で誰かは分かっていたが、最初の一言で電話を切りたくなった。
電話の相手は、北野高志。俺と一緒のクラスで、小さい頃から付き合いのある奴だ。……ただ、性格に難がある。まぁ、簡単に説明するなら、自分勝手で人を振り回すトラブルメーカーだ。
正直、俺も何度も高志に振り回されているため、こいつのこのテンションのときは絶対ろくでもないことに巻き込まれるのが予め分かった。
「……暇じゃな――」
「まぁ聞かなくても、どうせベッドでだらけてるんだろ。それより今から花見するぞ。二十分後桜木公園の入り口集合な。何か食べ物持ってこいよ。じゃぁ後でな」
「ちょ、待てよ」
俺の言葉は、プッと切れた電話の中に消えていった。
「……何で分かんだよ」
桜木公園――名前の通り、桜の木が沢山ある公園。俺たちが住んでいる街を一望できる丘の上にある。
来ているときも聞こえていたが、どこからか三味線と小太鼓の音――桜木公園や家の周り、ここら一帯はそういった教室が何件かあるらしい――が聞こえてくる。それらは、春の夜風・桜・花見客の賑わう声が混ざり合い、芸者を連想させるような情緒溢れる調和した空間を形成していた。
時刻は、約束の時間を超えていた。
俺は、何をするでもなく桜木公園に続く階段に座り込み、近くの自動販売機で買った缶コーヒーをチビチビと飲んでいた。
「いつもながら遅いな。折角親も説得してきたのに」
高志が時間を守らないのは分かっていたから気長に待つ。
……今何時だろ
そう思いポケットから携帯を取り出すと、さっきしまった桜が一緒に出てきた。
何でだろう。この桜を見てると不思議な気分になる。懐かしいような。おちつくような。そんな気分
桜を月明かりに照らす様に眺めていると、唐突に魔王の着信音が辺りに響く。俺の携帯だ。
この遅さにこのタイミング、嫌な予感が脳裏を過る。
「ごめん行けなくなった」
電話に出ると、一言そう言ってすぐに切られた。
「………」
何なんだろうな。もはや、怒りを通り越して呆れてきた。何を馬鹿正直に高志の計画に乗ってんだろうとさえ思えてきた。
俺は、頭を掻きながら帰ろうと立ち上がる。
ビュッ
突然だった。突風が俺を襲う。
「あっ」
手に持っていた花びらは空高く舞い上げられた。
名残惜しいように、おもちゃを取り上げられた子供のように、それを目で追いかける。すると、階段の上に一人の少女が居た。桜は、持ち主の元に戻ったように彼女の手の中にすっと落ちていく。
……綺麗だ
その少女は、黒地でたくさんの桜が散りばめられた着物を着ていた。着物の桜は、彼女の元に落ちた桜がその一部だったかのようによく似た若々しい薄紅色。黒地に見事なアクセントを付けていた。
あれ?そういえばさっき、あんなところに人なんか居たっけ
不思議に思いながら階段の上の少女を見ていると、彼女はこちらに向き直り手招きをした。
俺か?
辺りを見回しても俺以外は誰もいない。俺はゆっくりと彼女に近づいた。
「俺に何か用かな」
近づいて気付いたが、その少女は着物に負けず劣らずの綺麗な女の子だった。小柄で整った顔立ち、腰まである黒髪が凛としたイメージを連想させている。しかし、その感想をかき消すような不思議な――どこか浮世離れした雰囲気も持っていた。
「東春樹君だよね」
「え、そうだけどどうして俺の名前を?……あっ、もしかして高志の知り合い?あいつに花見に誘われたの?」
彼女はキョトンとした顔をしながら首を傾げた。
あれっ、違うのか?
「来て」
彼女は、短くそう言うと俺の腕を引いて、舗装された階段を上がるのではなく、階段の横――人が通らないであろう、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ獣道に導いていく。
「えっ、どこに行くの」
俺の問いに、答えは返ってこなかった。
彼女に腕を引っ張られながら木々を通り抜けて数分が経った。
もうどこに居るのか分からず、後戻りは出来ない。街明かりは完全に消え、だんだんと薄暗さは増していく。足元すらほとんど見えない。なのになぜだろう、全然怖くない。不安でない。
彼女のおかげか?
名前も知らない彼女が引く手を見つめる。自分より小柄で小さな手。本来、頼りなさげな小さな手なのに暖かくてむしろ安心する。何だか心地いい。
それに、こんな道を通っているのに枝や草が当たる気配が一切しない。むしろ、木々が俺を――いや、彼女を避けているようなそんな気がする。
本当に安心する
「もう、着くよ」
不意に、彼女に声を掛けられた。
顔を上げると木々の先に青白い光が見えた。
木々を抜けると広い空間が広がっていた。
ここは、丘の上?山道を登っている感じはしなかったけど
着いてみればそれなりに高い場所にいた。
「こっち」
彼女が呼んでいる先には、大きな桜の木が一本立っている。
それにしても不思議な場所だ。ここにある一本の木は、今まで見た桜の木で一番立派なのに、花見客は誰もここには来ていない。それに、ここの丘は一本の桜の木を中心に円状に木々が生えていない。まるで人工的に作られた場所のように。それなのに街灯はなく、ただ月明かりだけでしっかり辺りは照らしてくれている。一見よくありそうな場所だが、俺には、幻想的な場所に見えた。
「座って」
桜の木の根元に腰を下ろした彼女は、自分の隣をポンポンと叩いて言う。
「あぁ」
素直に横に腰掛ける。
「………」
「………」
沈黙が続く。
……気まづいな。それもそうか、今日初めて会った上にまだ名前すら知らないわけだし。高志の知り合いって訳でもなさそうだし
「……これ食べる?」
いろいろ考えた結果、来るときに買った団子を差し出しすことにした。
「いいの」
「うん」
彼女は、団子を一串手に取り頬張った。
「……おいしい」
「そうだろ。ここの店の団子は、この近くで一番おいしいんだ」
団子は、三食団子で味がしつこくなくむしろ食べやすい。故に、花見にはもってこいで、特にこの時期は人気だ。
彼女は、本当においしそうに食べている。
「そういえば、名前なんていうの」
俺は、さりげなく名前を聞いてみた。
彼女は、団子を食べる手を一瞬止める。
「………」
あれ、変なこと聞いちゃった?
そう思ったのは、彼女が僅かに寂しそうな顔をしたように見えたからだ。
「……八重」
短く彼女――八重は言うと、また団子を口に運び出した。
「………」
「………」
どう話したものか
どうしても、話しが続かず沈黙がまた続く。
「……桜」
「えっ?」
沈黙を破ったのは以外にも八重だった。
「桜……綺麗でしょ」
言われて改めて見るが、近くで見れば見るほど見事な桜の木だ。一本しかないのにも関わらず、桜の雨は絶えることがない。まるで、散ったそばから新たな花が芽吹いてきているようなそんな感覚。
「確かに、綺麗だ」
何だか、落ち着く。心地よい。なんだか眠ってしまいそうだ。
気が付くと夜の十時を回っていた。
「今日は、ありがとう。お団子おいしかった」
八重は、団子の空き殻を綺麗に集めて、すっと差し出しながら頭を下げる。
しかし、余程うまかったのか、ほとんど一人で食べちまったな
「いや、いいよ。俺も楽しかったし」
八重は、来た時と同じように俺の手を引いて、桜木公園の前に案内した。
「じゃぁね」
そう言って立ち去ろうとすると、八重は俺の服の裾を引いた。
「あの……明日も来てくれる?」
おずおずした態度に、上目遣い。すごい破壊力を感じた。
正直用もないし、まぁいいか。それに、あの場所の空気はなんだか好きだし
自分の中で適当な言い訳をしつつ答える。
「いいよ、明日も同じ時間にここで」
「うん」
何処から来たかも分からない、不思議な雰囲気を持った少女――八重。彼女は、初めて微笑んだように感じた。
みなさんこんにちは、五月憂です。
このたびは、「桜花の舞 前編」を読んでいただきありがとうございました。
今回の作品は、私情により前後編に分けて投稿することにしました。
私情については、活動報告を見てください。
今回の「桜花の舞」は、四月に投稿するということで、新しい出会いの話にしました。
私も、今年大学進学しました。春樹のような素敵な出会いがあったらいいなと思いながら進学しました。まぁ、結果は……あれだったんですけど。
まぁ、それは置いといて、今後の春樹と八重はどうなるのかこうご期待です。
後編につきましては、今月の15日までには投稿できるようにがんばります。