act.2
時間は少し遡る。
それはサクとナガレが寝過ごした朝の、まだ日が昇る前の話だ。
学校支給の認証端末が一斉に鳴り出した。
「オハヨウゴザイマス!!!」
突然の端末大合唱にかっと眼を見開いたシュンは、そのままの勢いで上半身を起こした。
部屋は自分の分を含めた6枚の布団でいっぱいいっぱいで相変わらず足の踏み場も無い。のそのそと起き上がった次男と三男が、端末の画面を見て、あ''?、と不機嫌そうな声をあげがりがりと頭を掻きながら起き上がった。
それらは殆ど同時の言動で、ぼくらはやっぱりやつごなのだとシュンはおかしくなった。
ふふふ、と笑っていると次男に睨まれた。慌てて口を手の平で隠す。兄は舌打ちして、扉の近くで丸まるナガレを無造作に踏ん付けながら部屋を出て行った。
シュンは少し落ち込みながら、自分の端末を改めてチェックする。シルバーのシンプルなそれは入学と共に支給され、一般生徒のそれは学園の門を通る為の認証システムがインストールされているだけだが、弓道部部長のシュンのものには認証システムのほかにメッセージシステムがダウンロードされていた。
先ほどの大合唱はそのメッセージシステムが一斉に受信したものであろう。学園から大至急登校するように。全委員会と全部活連で会議があると記されていた。
「なんだろう???」
「いいからとっとと着替えろよシュン」
首を傾げていると三男のルイがこちらを見下ろしていた。ルイは生徒会に所属している。この兄なら何か知っているかもしれないと思い聞いてみようと口を開いた。が、
「何事なのかおれも知らない。いいから早く支度しろ」
先回りされてしまった。はーい、と言いながらポイポイとパジャマを脱いで、制服に着替える。腕をめくって顔を洗おうと下に行こうとすると、背後から、
「布団とパジャマをきちんと畳んで行けシュン!」
と、怒られてしまった。
「んも〜う、うるさいよ〜」
三男の怒声に目を擦りながら起き上がったのは末弟のアキだ。これで長男と四男以外の四人がこんな時間に起きた事になる。カーテンと箪笥で仕切られた向こう部屋では、ごそごそと人が動く気配がするので姉のどちらかも起きたのかもしれない。
そしてそれは、部活に所属する長女のほうであろう。
「シュンに言えよ。端末の音とこいつの声で何っで起きないんだよ。耳ついてんのか。ばっかじゃねぇの」
寝起きの三男は機嫌が悪い。吐き捨てるように言いながら、冷たい目でぴくりとも動かないナガレと長男を見下ろす。
「あはは、ナガレ兄さんはバカじゃないでしょ?最近ずっと学年一位だし。成績次第でどこにも入らなくて良いなんて好待遇、ナガレ兄さんが逃すはず無いし☆」
「勉強できるから何なんだ。毎日毎日遅刻して来やがって。うちは全生徒部活に入らないなら何処かしらの委員会に入らないといけない規則だぞ。こんなぐうたらを特別扱いなんて真面目にやってる生徒を馬鹿にしてるだろ」
「ぼくに言わないでよぉ、ナガレ兄さんの無所属は学園長が決めた事でしょ?自分より先に生徒会と風紀に勧誘されたからって、ナガレ兄さんにきつくあたるのはどーなのさ?」
にやにやと笑いながら上目遣いで三男を煽る末弟。
寝転がって布団から出てこない所を見ると、まだ眠いのだ。結論から言えばアキも機嫌が悪い。このままでは血を見るかも知れない。
シュンは慌てた。
「あ、あのねあのね!??」
「あ''?」
「シュンにいさーん?声もう少し落とそうね?」
「ごめんね。でも遅れちゃうといけないから!!!」
会議に間に合わなくなるよ!と続ければルイは舌打ちして部屋を出て行った。
「ルイにいさん生理中のハルカねぇさんみたい。こっわーい☆」
「聞こえてるぞアキ!お前も保健福委員だろうが!とっとと起きろ!ヒカルも起こしてこいよ!?」
どうやら廊下で姉のハルカと出くわしたようだ。がちゃりと半開きだった扉が全開に開いてルイが再び顔を出す。その後ろにハルカの美貌が覗いている。
ルイは今度こそ音を立てて階下に降りて行った。
「ちょっとアキ。あんなヒス野郎とこの私を一緒にしないで」
鈴を転がす声音とはこの事を言うのか、と思い知らされるような可愛らしい声が毒を吐く。目も覚めるような美貌は眉をひそめて散らかった男部屋を見渡した。
「ごめんなさーい☆じゃあ、ぼく着替えるからハルカねぇさんそこ閉めて?あ、見てく??」
ばん!と音を立てて扉は閉められた。
アキはぺろりと舌を出してパジャマを脱ぐ。
ううん、と呻き声を上げたヒカルだが再び動かなくなった。
「シュンにいさんヒカルにいさん起こしてよ」
「えぇ〜、アキも一緒に起こしてよ」
「やだよ。むりやり起こすと殴られるもん。ぼくのかわいい顔が台無しになっちゃうよ?」
「ぼくもやだよ・・・」
「んじゃ、放置だね☆」
あっけらかんと言い放った末弟はさっさと制服に着替えて廊下に出て行く。シュンは慌ててアキの後に続いた。
階段を降りればすぐトイレだ。
その隣がお風呂と洗面台で平日の朝は戦争になる。狭い空間に三人の兄と姉が争奪戦を繰り広げていた。
末弟は鼻唄を歌いながらそれを素通りし台所に入る。シュンも台所に足を踏み入れれば、驚いた顔の母が味噌を持って立っていた。
「なぁにあんたたち、今日は随分早起きなのね?まだ弁当どころかお味噌汁も作ってないわよ?」
「おはよう母さん。なんかねー、メール来て6時から会議があるんだって!うちの保健委員長も呼び出されたみたいだし、福のぼくも遅れないように行かなくちゃなんだー☆」
あらあら副委員長も大変なのね〜と言いながら母は熱した鍋の中に味噌を投入する。ふわりと食欲をそそる香りが台所に充満した。
「お弁当どうする?今から作ると間に合わないわよね?」
「うん。大丈夫だよ。今日は食堂で済ませるから!」
「母さん、ぼくもそうするよ!!!」
シュンがアキの言葉に続くと洗面所から三種三様の同意の言葉が降ってくる。母は苦笑し、それなら今日はヒカルとナガレとサクの三人分用意すれば良いのね?と、卵焼きを作り出した。
「ナガレにいさんとサクねえさんはともかく、ヒカルにいさんも会議に呼ばれてるハズなんだけどな〜。あの人たしか図書委員長でしょ?」
「あら?あの子美化委員長じゃないの?」
「え?緑化委員長じゃなかったっけ???」
「あはは、じゃあそのみっつとも兼任してるってことで☆」
「んなわけあるか!あのばかがそんな面倒くさいことやるわけないだろ!用具委員長だよ?!母さん前に言ったよね?!」
「そうなの、ルイ?忘れちゃったわ。それならあんたたちの朝ご飯を作ったら起こしに行かなきゃならないわね?」
「「「よろしくお願いします」」」
はい卵焼きよ。卵4つ使った卵焼きがどかりとちゃぶ台に置かれる。洗面所争奪戦を終わらせた姉が無表情で包丁を持ってきた。切り分ける側から味噌汁とご飯を持った次男のゴウの口に消えていく。
グダグダ喋っていたらおかずが無くなる。
食卓も戦争なのだ。
シュンはアキと共に洗面所に足を進めた。手早く歯と顔を洗い食卓につく。ゴウは既に食べ終わったようで、食器を下げる次男とすれ違った。
「ゴウにいさんはっやーい」
「無言で食べる分はやいんだろ」
鼻で笑いながらルイが米をかきこむ。
ゴウは家での口数が極端に少ない。というか兄弟と話さない。学園では部活仲間と談笑してるのをよく見るのに。
「まだ過疎村と連絡付かないだって・・・」
この時間帯は砂嵐が多い時間でもあるのだが、三日前から続くショッキングな報道によりどこの番組も連日連夜おなじニュースを報じていた。
はじめは過疎化が激しい村と連絡が取れないという一言だけのニュースだった。それが様子を見に行った警官隊が戻らないというニュースになり、遂には村の住民が全滅したというショッキングなものになった。
「あぁ〜、昨日のドラマがつぶれたのは悔しいな〜。このニュースって結局どうなったの?この村ってゼッタイ名前売るためヤラセだよね〜!今時携帯あるのに連絡取れないとか普通に無いもん。電話とかメールで一発!」
「村人全員死んでたら取れるもんも取れないだろ」
「わっはぁー!!!」
「あらあら」
「その発想は無いわー無い」
「怖いよルイその発想」
「いやなんなんだよ!母さんまで?!」
全員から責められてルイが不機嫌に怒鳴る。
その時、同じニュースを繰り返しているだけだったテレビが騒然としだした。
ちゃぶ台を囲む四人が不思議そうにテレビに注目する。皿に山盛りの唐揚げを持った母も居間に顔を出した。唐揚げに吊られたゴウも戻ってくる。
テレビでは例の村に進入したキャスターがカメラの前で村の惨状を報道していた。村には確かに誰も居なかった。人影すら見当たらない。番組は生放送なのだろうか。シュンは画面の端に小さく生という字を見た。
画面はひとつの民家に焦点を絞ったようだ。木の外壁には朝日によって照らされ始めた炎が燻っている。
火事でもあったのでしょうか?!興奮したキャスターが壁伝いに歩き始める。
シュンは気付いた。燃えてない木製の塀に血が飛び散った後があるのだ。使われている木は黒っぽくあまり目立たないがシュンの目にはそれが血だとわかる。
もしかしたら大量に出血したのかも知れない。壁一面にそれはこびりついているように見えた。
どっ、と心臓の音が大きくなった。
キャスターは壁の血糊には気付かない様子で先に進む。居間の住人も誰一人として言及しなかった。みんな無言でテレビに釘付けだ。箸も止まっている。
ーー見て下さい!これは何でしょうか?!
キャスターは砂利の上に黒い水溜りのようなものを見つけて駆け寄った。シュンは分かる。それも血だ。遠く黒くて分かりにくいが、時間が経って変色した血だ。
シュンは言い様の無い不安を感じた。出来ることならこれ以上見たくはなかった。せっかくの母のご飯が不味くなる。
キャスターは血溜まりの向こうの茂みに人影を見つけたようだ。ふらふらしながらこちらに歩みを進めるそれはただの酔っ払いに見える。しかし気づいてしまった。膝まである茂みに隠れて見え辛いが、彼は足首を骨折している様に見える。右足首がありえない方向に折れ曲がっているのだ。普通の人間なら激痛で歩くどころの騒ぎじゃ無いだろう。
では何故あの男は動いている?
シルエットで男だというのはわかった。若い、腰に手錠の様な物と拳銃のような物をぶら下げている。この国では拳銃なんて普通の生活なら一生縁の無い代物だ。ということは彼は住人ではなく未だ帰らない警官隊の一人であろうか。照明が人影にライトを当てる。けれど男の姿は離れていてよく見えない。
キャスターの呼びかけにも警官は答えない。
ーーこちらから近付いてみましょう!
足元が悪いのでカメラさん気をつけて下さい!言いながらキャスターが歩き出す。シュンは激しい拒絶反応が込み上げてきた。
「行っちゃダメだ!!!」
「きゃあ!」
唐突な叫び声にその場の全員が驚いた。
中でも末弟は女の様な悲鳴を上げ箸を放り出してリモコンを握り締める。アキはいつでもテレビを消せる体制を取りながら、シュンを恨めしげに見上げた。
「なに?シュンにいさん!びっくりするからいきなり大きな声出さないでよねっ!?」
涙目の弟を横目で見ながら、次男が行ってくると母だけに言って席を立った。最後に一個唐揚げを口に放り込む。ゴウは玄関に消えていった。母がその背中を追っていく。気付くと唐揚げの山は半分にまで減っていた。兄弟の分を残して置くと言う発想は無い様だ。
まぁ、この家の家訓は早い者勝ち。鈍い奴が悪いのだ。子供の頃からそれで回っているので今さら誰も文句は言わない。
テレビの中では人影がゆっくりと近づいてきていた。
地を這うような呻き声が聞こえて来る。
はっと末弟は息をのんだ。握り締めるリモコンがみしみし言っている。
キャスターが男に話しかける。ライトが足元を照らす。足首はやはり折れているように見えた。
怪我をしたんですか?!と驚きの声を上げるキャスターは呑気だ。ライトはゆっくりと上に移動する。腰。警察官の青い制服が赤黒く染まっていた。膝に泥も付いている。ホルスターの中には銃が無いように見えた。手錠はどうしたのか鎖が千切れている。凄惨な戦闘の後が見て取れた。
「無理無理無理無理無理!」
ライトが胸を照らした瞬間、ひどい出血の跡とえぐれた首筋が映し出された。その瞬間、弟の絶叫とともに画面はブラックアウトした。
リモコンを握り締めたアキは、血みどろの光景に耐えられなかったらしい。末弟はスプラッタがすこぶる苦手なのだ。
長女と三男が平らげた食器を持って台所に移動する。
すこしテレビに夢中になりすぎたようだ。シュンも慌ててご飯をかき込んだ。アキのお碗の中身はあまり減っていない。末弟は箸を置いてため息を吐いた。
「ぼくもういいや・・・。食欲無くなっちゃった・・・」
顔色悪く呟く。ごちそうさま、と項垂れながらアキは食器を台所に運んでいった。シュンも手早く朝食を終わらせて席を立つ。
「ゴチソウサマデシタ!!!」
米粒ひとつ付いてないお茶碗を台所に戻す。兄と姉は二人連れだって出て行ったようだ。シュンは遅れないよう急いで玄関に向かう。
見送りの母と弟が立っていた。
「シュンにいさーん、のっせてー」
顔を真っ青にしていたアキは先程のことがまるで嘘のようにあっけらかんとした顔でにこにことしている。
「ではでは!いってきまーす!」
「イッテキマス!!!」
「気をつけて行ってらっしゃい」
自転車のカゴに鞄をふたつ放り込んで弟を後ろに乗せて、母に挨拶をする。母はいつも通り穏やかな笑顔で見送ってくれた。
バランスを取りながらペダルを漕ぐ。スピードに乗った自転車は快調に走り出した。
「ねぇ!シュンにいさーん!」
「なにー?」
「来週さー、母さんたちの結婚記念日でしょ?高級レストランにぼくたちも連れて行ってって一緒に頼んでよ!」
「だめだよ。二人きりにしてあげなきゃ。邪魔しちゃダメ!!!」
「でもでも!そうしたらその日の晩御飯地獄だよ?僕らで用意しなくちゃなんだから!ルイにいさんの小言でマズイご飯がますますマズくなっちゃう!」
「じゃあみんなで外に食べに行く?」
「それもヤダ!!行くなら二人で行こうよ!ぼく新しいお店知ってるよ?パスタが美味しいんだって!」
「アキとぼくの二人で行くの???」
「いや?じゃあじゃあ、した四人で行く?ナガレにいさんとサクねえさんも仲間に入れてあげてさ、徒党を組もう!」
「トトウ???」
「うん!そう!徒党!そしたら三人でヒカルにいさんたちの横暴政権からぼくを護ってね?」
「良いよ!!!ぼくがアキを護るよ!!!」
「嬉しいなー☆ぼく、シュンにいさんの弟に生まれて来れてよかったー☆」
「えへへー」
弟の言葉が心底嬉しかった。
自分は兄なのだからアキを護らなければと強く思った。ゆえにテレビの中の出来事がひどく気にかかった。学校に着いて会議が終わったらすこし深く調べて見よう。
シュンは二人分の体重がかかるペダルを平然とした顔で漕いで行く。
ーーちょろすぎるよ、シュンにいさん・・・
軽いとは言え坂道を登って行く自転車の後ろに身を預け、アキはほくそ笑みながらひとつ上の兄の背中にしがみついた。
自転車は学校に向かって行く。
この数時間後、シュンは後悔することになる。
会議をサボってでも情報収集に徹するべきだったのだ。
そうすれば弟を保健室にひとり残す事も、学校に足止めを食らい家の様子を見に帰る事も出来ただろう。
そうすれば、毎日八つもの弁当を作ってくれる大好きな母を失わずに済んだかも知れない。
だがそれは、言っても栓無き事だろう。
失ってしまったものは、もう取り戻せないのだ。