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オクティゥープリット  作者: 四月
第一章
1/4

act.1



鼻に濡れた感触がして目が覚めた。


視界いっぱいに我が家の愛猫の不細工な顔がある。

くたびれた毛玉の様にまんまるなその猫は見たままケダマと名付けられており、汚い灰色の毛並みをサクの胸に横たえ一心不乱に鼻の頭を舐めていたのだ。


「ちょ、いたいいたい、ケダマ、やめて」


サクは自分の鼻の頭を手の平でガードしながら起き上がった。ころん、とケダマが胸の上から落ちる。滅多に鳴かない猫はこんな時でも鳴かないようだ。

布団を二組も敷けば足の踏み場がなくなる様な狭い部屋だった。あるのは勉強机がひとつと衣装箪笥がふたつ、きちんと畳まれた布団が一組。それと、サクが寝床にしている草臥れた煎餅布団。

扉はきちんと閉ざされている。


「ケダマおまえ、ドコから入ってきた?」


部屋を共同で使っている姉は制服に猫の毛が付くことを極端に嫌う。部屋にケダマを入れようものなら烈火の如く怒り狂い、その日一日無視されるなんてざらにあるのだ。

普段から存在を無い者として姉に扱われているサクにはあまり手痛い仕打ちでは無いが、弟たちには効くらしい。無視されたく無い弟たちはケダマを抱いて姉に近寄ることは無くなった。

そんな姉の趣味である壁に掛かったデザイン性が高く、かつ一見しただけでは見辛い時計を見上げ、サクは眉を寄せた。

時刻は一時限目が始まったばかりであろう時間。

普段なら母親が罵声を撒き散らしながらとっくに部屋に殴り込んで来てもいいはずだ。

サクは慌てて制服を引っ張り出した。遅刻は免れないがのんびり支度してさらに遅れるのは避けたい。


「もうこんな時間なんですけど!なに?母さん居ないの?!」


マジかよ!と言いながらサクは急いで制服を着込む。濃灰色の制服に銀糸が目立ち、胸元の赤いリボンをおざなりに結ぶ。乱暴に扉を開けようとしたサクは、そこでやっと異変に気付いた。

扉が開かないのだ。

棚の様なものが扉の前に置かれているようで、細く扉が開くだけだ。サクが出られるスペースは無い。


「なんなの・・・」


呆然と呟いたサクは、扉の下に四角に千切られたチラシの裏が落ちているのが見えた。それを拾いながら隣に声を掛ける。


「誰か居ないの?!兄さん!シュン!アキ!?誰かー!!」


二階の部屋は壁をブチ抜いて六人用と二人用のスペースを衣装箪笥で区切って居るのだ。箪笥の頭の上は遮光カーテンで仕切られているとはいえ、向こうは男部屋だ。

サクは声を張り上げて兄と弟の名を呼ぶ。

すると不機嫌そうな呻き声が聞こえて、サクはホッとした。


「うっるせぇな・・・」


この声は誰だ。寝起きの頭で必死に思考を巡らせながら、サクは握り締めていたチラシのメモをあらためて見下ろした。よく見ればなにか走り書きされている。


「げっ!もうこんな時間かよ。遅刻じゃねえか。二度寝しよ」

「ダメダメダメダメ!お願い起きて、ナガレ兄さん!」


メモを見て泣き出しそうなりながら、サクはケダマを抱き上げた。


「あ?サクか?泣いてんのかよ」

「分かんない!メモが落ちてて!起きたら学校に避難しなさいって!母さんかまれたって!トイレは絶対開けないでって!ドア開かないし、意味わかんないよっ!」


どなんな!うるせー!と怒鳴りながら、異常事態だと悟ったのか、向こうから手早く着替える音がする。

男部屋の扉も塞がれていたらしく、がたんがたん、と音がして、なにかが壊れる音がした後、女部屋の扉がゆっくりと開かれた。

現れたのは制服を引っ掛けた見慣れた兄の姿だった。

ナガレの手にはサクが握り締めているメモと同じ物が握られている。兄はそのメモをこちらに差し出した。


「こっちの部屋にもメモがあったぞ。そっちのも見せてみろ」


こくりと頷いたサクはおそるおそるメモを渡した。代わりに兄の持つメモを受け取る。ナガレは乱暴にサクの手からメモをむしり取り、素早く目を通して舌打ちした。

踵を返して階段を下りる。


「え、ナガレ兄さん?どこいくの??」

「トイレ」


事もなげに呟きながらナガレは階段を下りていく。

サクはメモを開いて改めて読み返してみた。

兄へのメモの内容は部屋にあったものとそう変わらなかった。



ごめんね。母さん噛まれちゃった。

朝からニュースで暴行事件が多発してて、他の兄弟たちは部活や委員会で日も昇らないうちに学校に呼ばれて行っちゃって、心配で外に出たのがマズかったみたいね。

ごめんね、ナガレ。サクとケダマを守ってあげてね。あなたはお兄ちゃんなのだから。

父さんは昨日から帰って来てないので、父さんを待たず皆んなで学校に避難して下さい。

母さんはトイレに閉じこもります。詳しくはニュースを見てね。襲われたら頭を狙いなさい。トイレは絶対開けないでね。

最後に、わたしの八ツ子たち、愛してます。喧嘩しないで、仲良くね。幸せになってね・・・



違う所と言えば兄あてに書いたメッセージが「兄さんの言うことをきちんと聞いて、気をしっかり持って兄さんを支えてあげてね。」という一文に変わっている点だ。


「なに、なんなの・・・」


メモには皆んなで避難しろと書いている。だが、その皆んなという言葉に母と父は含まれて居ないのだ。

愕然としたサクは階段の下を見た。ここからトイレに通じる扉の前に佇むナガレの姿が見える。兄は血の気の引いた顔で、扉を見つめていた。


「兄さん?」

「来んな!!!」


弾かれた様にこちらを睨み上げるナガレが怖い。だが、それ以上にナガレのほうが怯えているように見えた。そろり、と兄を刺激しない様に音を立てず階段を下りる。

腕に抱いたケダマを抱き直しながら、一歩一歩下りていくたびに、トイレの異常性を突き付けられるはめになった。

トイレの扉は内側からドンドンと激しく殴り付けられているようで、それが絶え間無く続き、うぅううおおぉおうぅ〜、とこの世ならざる低い呻き声が聞こえてくる。サクは直感的に母の声では無いと思った。

けれど兄は違うようだ。悲痛な顔で扉を見つめて動かない。


「兄さん、開けてみる?」


小声で聞いてみる。ナガレは首を横に振った。


「中から鍵が掛かってる。壊さなきゃ、開けらんねーよ」


素手で壊せる訳もなく、ナガレは居間に入っていく。出来るだけトイレから離れて、サクもその後を追った。

居間にはテレビがある。しかしリモコンですべてのチャンネルに合わせても、砂嵐だけでなんの番組もやっていなかった。


「何が起こってるの?暴行事件って、襲われたらって、頭を狙えって・・・」


兄は無視して居間の奥、和室に向かう。

和室には父のデスクトップや、四番目の兄のノートパソコンが置いてあった。ナガレはノートパソコンを立ち上げて手早く操作しだす。その間にサクは台所に向かい手早くケダマのご飯と、オニギリを用意する。

リュックに水と缶詰、日持ちしそうな食料とキャットフードを詰め込んだ。学校に避難するなら必要になるだろうものも押し込む。母のメモは二枚一緒にブレザーの内ポケットに入れた。

キャットフードに顔を突っ込むケダマとリュックを置いてサクは廊下に出た。トイレの中のナニかは未だ暴れている。いずれ鍵を壊すか蝶番が外れて外に出てくるだろう。

居間に顔を向けるとノートパソコンを抱えたナガレがこちらを見ていた。サクはびっくりしてナガレの整った顔を見上げる。ナガレの顔は普段から血色が悪いが、今は更に悪くなっている。青を通り越して白い顔が、口を開いた。


「やばい事になってる。よりにもよって世界中が。ここに居たら危険だ。学校も危険だろうけど、ここで二人きりで居ても危険だ。シュンとアキを探さなきゃ・・・」


弟ふたりの名前を呟きながら、ナガレはふらりとサクを通り越して台所に立った。のそりと包丁を取り出す。その眼は痛いくらいに真剣で、覚悟を決めた男の眼をしていた。


「兄さん?ネットで何をみたの?」


瞬きもせずこちらを凝視するナガレは怖いくらいの真顔である。


「おまえ、母さんからの手紙でかまれたってきいて何を思い浮かべた?」

「え、」

「かまれた。トイレの中にいる母さんがどうなっているのか、想像出来ないか?」

「ナガレ兄さん?良く分かんないけど、トイレにいるナニかはきっと母さんじゃないよ。大丈夫!学校に行ったら母さんもいるよ。みんなきっと避難してるから、わたしたちも早く学校行こうよ。ケダマも連れて行って良いよね?」


ナガレは何故かびっくりした顔でこちらを凝視した。一瞬、居た堪れ無さそうな顔で眼をそらし、包丁をすべて取り出して新聞紙に包む。それらをベルトに差しながら、無言で一本の包丁をサクに握らせた。

その時、廊下の先にある玄関から磨りガラスを割らんばかりに殴打する音が響いた。

びっくりして玄関を振り返ると、ゆらゆら揺れた人影が見える。それが閉め切られた玄関の扉をがたがたと喧しく揺らしているのだ。


「ゾンビだ。」


ナガレが決定的な言葉を放った。

酷く現実離れしたその一言が容赦無くサクの心の柔らかい部分を抉る。

ゾンビは知っている。映画やゲームである程度の知識はある。

噛まれたら死ぬ。そしてゾンビになって起き上がり、生きてる人間を喰らうのだ。

倒すのは頭を、脳みそを壊すしかない。


「かまれたら、死ぬ・・・?」


そう、かまれたら死ぬのだ。では、母さんは?

考えたくない考えたくない考えたくない考えたくない!!ヤダヤダヤダヤダヤダ!!!

目の前にナガレが居なければ叫び出していた事だろう。サクは泣き出しそうになりながら、兄に縋り付いた。

ナガレは怯えきった妹を連れてリュックの口を開け食料と水、キャットフード意外をすべて取り出す。空いたスペースにノートパソコンを突っ込み、オニギリを頬張りながらケダマを妹に押し付けた。


「抱っこしてろ、離すなよ。あと俺から離れんな。いいな?」


こくこくとうなずくサクを確認してからナガレは二階に上がり、生傷の絶えない兄弟たちの為に母が用意していた救急箱を取り出す。新しいリュックに中身を移し変えるようにサクに命じ、ナガレは押し入れの襖を開け、ごそごそと荷物を漁り出した。着替えと下着を何着かリュックに押し込み。サクにも替えの服と下着を用意する様に言う。

隣から姉と自分の着替えを持ってきたサクの視界に、銃のグリップを握るナガレの姿があった。驚くサクに兄は事も無げに言う。


「ヒカル兄さんの改造ガン。ホンモノより殺傷能力ないけど、音はうるさくないはずだ」


ヒカルは一番上の兄の名だ。高校に入ってから素行の悪い連中とつるむ様になり、タバコの臭いを身に付けて帰ってくる事が多くなった。その頃から部活に命を掛ける次男と真面目な三男と衝突することが増えた。自分たち八ツ子は、確かに子供の頃は仲が良かったはずだ。

けれどいつしか互いに距離を置いて接する事が増え、男兄弟は手や足がでる喧嘩に発展する事も増えてきた。殺伐とした家の中で、サクも疲弊して行き学校では友達も作れず他人と話す事も無い。

外の世界の何もかもがどうでも良かった。ただ母が怒るから高校生をしていただけだ。

もう怒る者は誰も居ないのに、サクは今、何の思い入れもない学校に行こうとしている。何とも皮肉な話だ。

サクは目の前で弾の確認をしているナガレを見た。

ナガレはサクの一つ上の兄である。ナガレは五番目でサクは六番目だ。

そしてナガレが兄をしている姿を見るのは遠い昔、まだ保育園に通っていた時代に近所のガキ大将に大事にしていた人形を奪われ、それをボロボロになりながらも取り返してくれた時以来である。

その頃、ナガレはサクのヒーローであった。何をするにもナガレのあとをついて回り、七番目の弟シュンと幼馴染の男の子と四人で山の中を駆けずり回って遊んだ記憶がある。

あの頃は本当に楽しかった。昔の事を現実逃避気味に思い出していたサクは、部屋を出て行ったナガレの後を慌ててついて行く。

ナガレは玄関で、ローファーでは無く走り易いスニーカーを履いていた。いよいよ学校に行くらしい。ゴクリと唾を飲み込みながら、サクもナガレに習って学校指定の革靴を避けて動き易い運動靴を引っ張り出した。

玄関の外にはけたたましくノックする人影が変わらずある。開けるぞ。と一言呟いたナガレは、一拍置いて扉を開け放った。

雪崩れ込んで来たのは血に濡れた男だった。首筋に酷い裂傷を受けていてそこから大量の血液を失ったのだろう。痛みの激しい衣服が胸元あたりで黒ずんでいる。地を這う呻き声を上げて、男は目の前のナガレにのし掛かった。兄と男は揉み合って玄関に倒れ込む。

濁った眼で男はナガレの首に噛み付こうと体重を掛け、ナガレはそれを阻止しようと男の首を腕でガードした。

側で硬直していたサクの眼には、ナガレは失敗したように見えた。確かに扉を開ける前のナガレは油断無く包丁を構えており、玄関の男を殺そうとしているように見えた。しかし、現れた男の濁った眼を見たナガレは固まったのだ。

狙っていた頭を刺せなかった。

このままではナガレは噛まれる。

母と同じ様に。

トイレの中の母は、この男と同じ存在になったのだろうか。

扉を開いたら、母は自分と兄を殺すのだろうか。

元に戻す方法は無いのか。

そもそも、彼らは人間なのか。

人なのだとしたら、この男を殺した自分はヒトゴロシだ。


「はぁはぁはぁはぁっ」


気付いたら制服は血にまみれていた。

傍らの兄は胃の中のオニギリを吐き出しており、ケダマはへたり込んだサクの足元で動かない男を不思議そうに眺めている。

男の頭はめちゃくちゃだ。兄に手渡された包丁でサクがやったのだ。握り締めていた包丁は刃こぼれしており、赤黒い肉片がこびり付いていた。

口元を乱暴に拭ったナガレが起き上がる。ナガレの制服も血で汚れていた。兄は流れる様な動作でヒカルの改造銃を取り出すと構え、引き金を引いた。

パン、と軽い音がしてサクの背後に迫っていたモノが崩れ落ちる。

ゆっくり振り返ったサクが見たのは、男と同じ濁った眼でこちらを見詰める女だった。その額には弾痕。すぐ後ろまで迫っていた様だ。まったく気付かなかった。

ナガレは肩で息をしながらサクの腕を掴んで妹を立たせた。ケダマを鷲掴んで胸に押し付ける。ナガレはサクの肩を抱いて耳に唇を近付けた。


「さっきは助かった。アリガト」


カタコトのお礼を聞きながら兄の体温を身近に感じ、サクはこくこくと頷いた。助けられたのはナガレだけではない。サクもナガレに助けられた。

感謝の意を返したかったが喉が張り付いて声にならなかった。息に乗せた感謝だったが、しかしナガレには伝わった様だ。頭を撫でられた。


「行けるな?」


本当はこのまま座り込んでしまいたい。けれどそんなこと出来はしない。


「うん。いけるよ。ナガレ兄さんは?」


今度はきちんと音になった。

ナガレはにやりと笑う。


「当たり前だろ。誰に向かって言ってんだ。俺はお前の兄貴だぞ」


二人で額を突き合わせてにやりと笑う。

お互いの存在が無ければ崩折れてしまいそうになりながら、それでも互いを奮い立たせて行かねばならない。

目指すは学校。

弟たちの安否が、何よりも心配だった。



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