①くじ引きと札
周囲はボロ屋と荒れた田畑。
風が荒び吹けば身に纏うボロキレも侘しく靡く。
空にある黒い点はカラスか。
鳴き声がこだまし、肉を啄んでいる。
その童に名前は無かった。
正しくは、名を失っていた。
織田信長が天下布武を目標に据える以前、稲葉山の戦があった。
この戦の後、稲葉山(現、金華山)の城の名が岐阜城へ改められる事となる。
(腹が減った……)
童に食事を与える者は居なかった。
否、童子の周りに生き残った人間が居なかった。
信長による美濃攻略の蹂躙を目の当たりにし、そして家族を失ったこの童は、自分の名を忘れてしまったのだ。
(名前……思い出せねぇよ……おとう、おっかぁ)
戦国の世。
争いは絶えなかった。
信長の妻、濃姫の父親であり、信長の義理の父、また長槍や鉄砲を使った策の師でもある斎藤道三によって、城下町には楽市楽座が開かれ各国から商人が集まり、美濃の国は活気付いていた。
道三が自身の息子である義龍の謀叛に合い、長良川の戦いによって最後を遂げた時も、信長は道三を助けようと美濃へ駆け付けていたが、義龍や美濃の領主達の結託によって、信長の進行は妨げられ、救援が間に合うこと叶わず、尾張へ撤退する。
この斎藤家親子の騒動の結果として城下町にあまり被害は無く、楽市楽座も継続され一部の人間の富は守られた。
だが一部である。
いつの世も富める者は富み。貧しい者は貧しいままだ。
人が、より一層簡単に死ぬ戦国の世では尚更。
数年の後、桶狭間の戦いで今川の軍勢を征した信長は、再び美濃攻略へ動く。
しかし、何度か美濃を攻めているにも関わらず、領主達の結束力の前に中々攻略出来ないでいた。
信長は次の手として木下藤吉郎を暗躍させ、領主達を寝返らせる様動いた。
そんな折、渦中の義龍が病死。
義龍の息子が後を継ぐが、木下藤吉郎の暗躍と信長の経済手腕によって、美濃三人衆と呼ばれる領主の最大勢力が、信長側へ寝返った。
信長はこれを好機とし、一気に美濃へ攻め入る。
義龍の息子の抵抗も虚しく城下町には火が放たれ、行軍によって田畑は荒れる。
割りを喰うのはいつも貧しき者。
用の無くなった戦場に残るのは、不幸の残骸。
(食いもんねぇかな……)
童は食料を求め歩くが、食べ物が見つかる事は無かった。
体力に限界の来た童子はついに倒れる。
地に伏せった衝撃で霞んでいた視界が一瞬明瞭となり、童は、倒れた目の前に木箱が置かれている事に気が付く。
最後の気力を振り絞り、木箱の蓋をを開ける。
中に入っていた物は巻物と、《くじ引きと札》と書かれた札。
「なんだぁ、これ……」
商人の子供であった童は、くじ引きという文字を読み、不思議に見つめる。
「どうしたんだ、坊主」
そこへ、辺りには生き残りは誰も居なかったはずなのに童へ声を掛ける者が現れた。
「坊主も異界に迷い込んじまったのか」
現れたのは三度笠を被り、合羽を纏った飛脚風の青年だった。
「腹が減ってる様だが、まずはその《くじ引きと札》の札を使ってみろ。何処かに貼る想像をするだけで良い」
童は言われたように札を貼るイメージを持って、空中に札を貼るフリをする。
すると、手に掴んでいた札が粒上の淡い光となって、目の前まで上がり、その光が球体となりバチバチと光り始めた。
童はこの怪奇な現象に腰を抜かして尻餅をつく。
「ははっ、驚くだろ。こっから更に驚くぞ」
青年は、尻餅をついている童の肩を掴んで、光をよく見ているように促す。
やがて、光が収まり、光の中から武器が現れた。
「おっ、でかい筆だな。ほら、持ってみろ、坊主の武器じゃ」
青年はその1m程の大きさの筆を拾い、童に渡す。
童は、訳も分からぬという様子で筆を受け取る。
「ほらよ、握り飯。食え、毒は無い」
「あ、ありがとう……」
童は、青年の顔をまじまじと見る。
「あー、儂か。儂の名はカゲロウ。見ての通り風来坊じゃ。坊主、名は何と言う」
「お、覚えて無い……皆死んじまって忘れちまった」
カゲロウと名乗った風来坊は童の境遇を聞き、頬をポリポリ掻く。
「そうか、いらん事を聞いてしまったの。では、そうじゃ。儂が名を付けてやろう。この異界で儂を輝いて助ける、輝助はどうじゃ」
「うん、何でも良い」
輝助は握り飯を食べきり頷いた。
「そうか、輝助。この異界は妖怪の類が大勢おる。そやつらと戦う為に今一度、贈答箱の中を確認せい。青白き薄布の様な物があるじゃろう……」
そこから、カゲロウによる講義が始まった。
輝助が気付かぬ内に異界に迷い込んだ後、織田信長は京へと向かう。
戦乱の世は、異界に何を齎すのだろうか。
カゲロウと輝助の運命や如何に




