第81話 風使いと「後日談」【七不思議編】
『さあー、いよいよ開票です! 次期生徒会長は、いったいどちらになるのでしょうか!!?』
威勢のいい声が体育館に響いた。
選挙の厳粛なイメージなどなんのその、マイクに向かってテンション高く叫ぶのは、選挙管理委員の女子生徒だ。釣られて、全校生徒の列も手を叩いたりして盛り上がる。
ステージ上には、会長候補である二人の男子生徒。
土岐司翔馬と風見爽介。
二人は顔を見合わせ、敵対的なまなざしを送り合ったあと、
「僕が勝っても、恨みっこなしだぜ」
「――そういうときは、『どちらが勝っても』と言うべきじゃないのか?」
言って、互いに微笑して握手を交わした。
「しかし、まさか君にこんなクリーンな選挙活動が出来るとはね。少しだけ驚いた」
土岐司が言う。風見は軽く肩をすくめてみせて、
「まあね。僕だって、やるときはやるんだよ」
+ + +
嵐谷高校の生徒会長選挙は、少しだけ変わっている。
後期の役員にあたる11月選挙の場合――
まず、2年生の中から生徒会長への立候補者を募り、1週間の選挙活動を行い、投票と同時に開票を行う。
会長が決まれば、その数日後に、次は同じようにして副会長と書記を1~2年生の中から選ぶ。誰が会長になったかを見たあとに、役員として立候補するかを決めることができるのだ。なお、こちらは選挙活動の期間はなく、投票当日の演説のみでアピールする。
どの役職も、投票できるのは1年生と2年生のみ。3年生は、選挙活動などの応援はできるが、投票権はない。
この先、半年間の学校生活を――そのリーダーを、そこで過ごす新しい世代が選ぼうという趣旨だ。
――で。
今回、生徒会長に立候補したのは土岐司と風見の2名のみ。一騎打ちの選挙戦だ。
はじめは、全校生徒のほとんどが、
「げ、風見かよ、どうせロクでもない選挙活動をやるんだろ……」「セクハラまがいの公約を掲げる気よ!」「絶対に当選させちゃダメ!」「女子は転校の準備を……!」
などという感想(悲鳴)で一致していたのだが、蓋を開けてみると、以外と風見はクリーンだった。
公約は、生徒会主導でもっと楽しいイベントを企画するだとか、スリッパ卓球を正式な同好会に認めさせるだとか……基本的には当たり障りのない内容だった。
選挙活動も、賄賂をばらまくでもなく、脅迫まがいのことをするでもなく、3年の神宮院や佐々川、1年生の虎走などの応援を受けての街頭演説など、まっとうなものばかり。
堅実で保守的な土岐司の陣営とは違って、ラフで革新的なイメージの風見陣営。いい意味で、対照的な両候補の戦いだった。
……ただ、その選挙活動の時期。
風見が『組織票を持っている』というウワサが校内に流れた。学校を騒がせた『七不思議』を解決した報酬として、風見が生徒会長の席を約束されているというウワサで、しかもそれは事実だったらしいのだが……。
これも驚くべきことに、彼はその報酬も返上して、土岐司との真っ向勝負を望んだという話だった。
「愛する母校を『魔王』の手から守ってみせるぜ!」
と、ワケのわからないことを叫んでいたらしいが……。
+ + +
――ともかく。
そうして、1週間の選挙活動期間が過ぎ、本日の投票&開票の日を迎えたのである。各候補による最後の演説があり、1・2年生による投票も終わった。
残すところは、開票のみ。
ステージ上では、候補者の二人が互いの激闘をたたえる固い握手を交わし、その背後で、選挙管理委員の数名が開票作業に取りかかっている。
「……正直、君との選挙戦は悪くなかった」
しみじみとして、土岐司が言う。
「君の積極性を見ていると、自分の短所にも気づけたよ」
「僕もさ。やっぱり、正攻法だと強敵だよ、トッキーは」
「……ふん。僕が会長になったら、副会長にでもなってみるかい?」
「まさか」
風見は、にいっと笑う。
「僕が会長、おまえが副会長なら許してやってもいいけど?」
「はは、それこそあり得ないな」
言い合うが、そこに刺々しい空気はない。
短くも熱い選挙戦を戦ってきた2人には、むしろ爽やかな雰囲気すら漂っていた。互いの健闘をたたえ合って、両候補は手を離し、居並ぶ生徒の列へと向き直った。
開票の準備が整ったのだ。
『それでは開票です! 投票用紙を開き、順に読み上げていきます!』
選挙管理委員の女子が、投票用紙を受け取りながらマイクに向かって叫ぶ。投票用紙は、どちらか生徒会長になって欲しい候補者の欄に『○』を書き込む形式だ。
慎重に確認して彼女は、
『土岐司翔馬さん、まず1票!』
投票した1・2年生の総数は、557名。
これらの票をすべて読み上げるのだから、普通なら、うんざりとした空気になりそうなものだが、今年の選挙は過熱していた。1票ずつ候補者の名前が読み上げられるたび、「おお!」といった歓声があがる。
背後では、得点板に票数が集計されていく。得票数を表示するのは、バスケットボール部から借りたデジタルのスコアボードだ。
『土岐司翔馬さん!』
スコアが入る。
『土岐司翔馬さん!』
また入る。
風見は腕組みをして、
「へえ、やるじゃん」
「ふん。まだまださ」
土岐司は表情を崩さずに応える。そう、開票は始まったばかりなのだ。
『土岐司翔馬さん!』
『土岐司翔馬さん!』
『土岐司、土岐司、土岐司、土岐司、土岐司……』
「…………」
「…………」
『土岐司、……風見爽介さん1票!』
「おお!」
『と、土岐司翔馬さん……』
「…………」
「…………」
『えーっと、ちょっとまとめて、土岐司翔馬さん、20票』
ぱぱぱぱぱっ、とスコアボードの表示が動く。
「…………」
「…………」
さすがの風見も、顔が青くなっていた。先ほどまでの健闘ムードはなんだったのか。圧倒的、である……。
『土岐司、土岐司、とき(中略)……土岐司、風見爽介さん! 土岐司、ときつ(中略)……』
半分、早口言葉のような苦行を終えて、選挙管理委員の女子は息を整える。
『……と、いうことで。土岐司翔馬さん260票。風見爽介さん44票。従いまして、次期生徒会長は土岐司翔馬さんに決まりました!』
「ちょっと待てーーーーーーーーーーー!!!!」
そこでとうとう、風見が叫んだ。
「いやおかしいでしょ!? 投票数、557票じゃないの!!?」
『残りは無効票です』
「無効票!?」
混乱する風見に、彼女は落ち着いて答える。
『はい。まずは無記入のものが30票。これはどちらも選べないという意思表示だったり、単に面倒くさい、と思っている人たちでしょうか。とにかく、お二人のうち、どちらの欄にも印がありませんでした。……それから、風見さんのほうに印があるものが28票』
「じゃあそれ、僕の票じゃん!?」
『いやー、それが……』
その投票用紙には、確かに風見の欄に印があった。
ただし――
『◎』や『☆』、花丸だったり……ともかく、『○』以外の印が書かれてあるのだ。今回の選挙では、『○』以外は無効。つまりどちらの候補者の票にもならない。
「い、いや……それでも! まだ200票近く残ってるよね!?」
『えー、あとはですねぇ。風見さんのほうに「×」が書いてあったり』
「バツ!!?」
『余計な……落書きがあったものが15票』
「落書き!? どこの誰が!?」
『たとえばこんな感じです』
〝セクハラさえなければいい先輩です。ファイト!〟
〝爽介くんがんばれ(ハート)〟
〝かざみんがやったら楽しそう〟
「…………」
なんとなーく、支持者が誰か分かりそうな応援メッセージ……という名の落書きである。これもアウト。投票用紙には、『○』以外を書いてはいけない。無効。このパターンが15票。
「え? じゃあ、僕に『×』を書いたのって……」
『そうですね、全体をまとめると、こうなります』
ステージの脇からゴロゴロとホワイトボードが押し出されてくる。選挙管理委員の彼女は、集計結果をさらさらと書き示した。
----------------------------------
◆ 土岐司翔馬 260票
◆ 風見爽介 44票
◆ 無効票 253票
(内訳)無記入 30票
風見支持(○印以外)28票
風見支持(落書き) 15票
風見NG 180票
合計 557票
----------------------------------
「ひゃ、180……!!!?」
驚愕の不支持率である。
風見は、がっくりとうなだれて黙り込む。
『あ、ちなみにこの「風見NG」の中にも落書きのあった票が多数ありまして。……読み上げましょうか?』
「…………いい」
その悲惨な姿に、さすがにライバルの土岐司も憐れに感じたのか、肩に手を置いてなぐさめの言葉をかけようとしたが――その瞬間、風見がばっと顔を上げた。
司会の彼女からマイクを奪い取る。
「え、ちょっと――!?」
『おまえらぁあああああああ!』
会場に向かって、吠えた。
『せっかく僕が、品行方正な選挙活動、クリーンな公約で戦ったっていうのに、この仕打ちはないだろ! ――そんで支持者! なんでルールも守れないんだ!』
正論ではあるが、普段から校則を守らない――というかそれ以前に、セクハラ三昧の風見にだけは、どの生徒も言われたくなかっただろう。
『くそっ! 生徒会長になったら……始めのうちは真面目なフリをしながら、次第にあんなことやこんなことを承認させて、校則をねじ曲げて――夢のような僕の王国をつくりあげるつもりだったのに……!』
やっぱり、と全校生徒が胸の中でつっこんだ。
風見はぼやき続ける。
『……そうさ。たとえば「女子は日焼けあとと白い部分をきちんと分けて、その境目を僕に見せつけるように」とか、「冬場の黒ストッキング着用の努力義務化」とか、「全クラスの日直(女子)は生徒会長の肩と脚を揉むために7限目は公欠」とか……色々と! 色々と!!』
だからダメなんだよ、と全校生徒が胸の中でつっこんだ。
けっきょく。
ほとんどの生徒は風見の性質をしっかりと見抜いており、だからこそ大半の生徒は反対に回った。彼らは土岐司に投票したり、「×」を記入したりして、「風見NG」を突きつけたのだ。
そしてごく一部。
個人的に彼を慕う者や、彼の独裁政権のおこぼれに与ろうとする不届き者などが、賛成の意思を表明した。
……とまあ、今回はそういう選挙だったのだ。
「――――虚しい勝利だな」
土岐司は覇気のない声で言って、肩を落とした。
『ちくしょう! ちくしょう! 覚えてろよ!』
風見は全校生徒の列を指さして罵声を浴びせる。メタル系バンドのボーカルがアリーナ席の客を煽るような仕草で、
『……いつか、いつか僕がこの学校を支配してやる! 僕を敵に回したことを後悔するといい! ふっふっふ、はぁーーーっはっはっは!』
捲土重来を誓い、風のように退場していった。
ていうか、逃走した。
なんだかもう、ただのしょっぱい悪役だった。
■ ■ ■
選挙から3日後。
新旧役員の引継ぎもつつがなく終わり、嵐谷高校の生徒会は、さっそく新体制での活動を開始していた。
新役員は、次のとおりである。
まず、会長・副会長職については、前期メンバーからの立候補が占めた。
------------------------------
会 長:土岐司 翔馬(2年生)
副会長:平 実花穂(2年生)
副会長:天馬 空良(1年生)
------------------------------
次に書記の3人。
こちらは、国府村以外は新メンバーだ。
------------------------------
書 記:高梨 洋香(2年生)
書 記:国府村 凜(1年生)
書 記:林 光吾(1年生)
------------------------------
「では、会議をはじめる」
生徒会長・土岐司の言葉で、その日の会議は始まった。
長机を『コ』の字型に並べた生徒会室。
時刻は16時45分。
11月の陽は傾いて、土岐司が背にする窓からは西日が差し込んでくる。
1年生の林 光吾は、まぶしさに目を細めながら新会長の言葉に耳を傾けた。
「先日も話したように、僕たちは伝統を守りつつも、新しい嵐谷高校をつくっていく必要がある。僕はそう思っている」
林は、黙ってうんうんとうなずく。
彼は土岐司の公約や、演説のときに感じた人となりを信じて書記に立候補した口だ。
これまではまったく生徒会活動になど興味はなかったのだが、しかし、土岐司の演説にちゃんと耳を傾けてみると、実は様々なことが実現できるということに気づかされた。
たとえば学校側への要望。
自動販売機の種類についてだとか、洋式トイレへのウォシュレット設置だとか。生徒会からの意見ということで提出できるし、それが叶うこともある。
たとえば、生徒会主導で新しい行事を始めることもできる。
今期から副会長になった平実花穂が提案したという、『卒業式での告白イベント』などがその最たる例だろうか。生徒会役員がキューピッドになって、一歩を踏み出せない卒業生のために一肌脱ごうという、一風変わった企画だ。
土岐司はなんとなく堅苦しそうな雰囲気を持った先輩だったが、しかし彼もこのイベントには大変乗り気だったし、実際、彼はそれを実現するための堅実なプランも持ち合わせているようだった。
(生徒会活動、なんだか楽しそうだ……)
気づけば、林は書記に立候補し、当選していた。今まで『ことなかれ主義』を通してきた彼にとって、これは記念的な一歩だ。
入ってみると、会長以外のメンバーも頼りがいがありそうだった。
くだんの平副会長。
ちょっとぶっきらぼうで怖い2年女子だが、芯は強くて、本気を出したらぐいぐい引っぱっていってくれそうな雰囲気がある。
そして同級生の副会長、天馬空良。
林は彼とあまり接点を持ってこなかったが、誰からも好かれる人気者だということは知っていた。生徒会役員の中でもその立場は同じようで、ある意味、彼が全体のまとめ役と言っていいかもしれない。
そしてこれも同級生、国府村凜。
彼女も『大人しいグループ』に属するタイプで、自分を出すイメージはなかったのだが、今回の選挙では誰よりも早く立候補の申し出をしたらしく、生徒会活動にはかなりやる気があるようだ。
2年の高梨についてはまだこれからだが、肌が白くてほっそりとした、優しげなまなざしの先輩だ。ぜひお近づきになりたい。
(よし、俺も役員として頑張るぞ……!)
ひそかに情熱を燃やし、書記らしく土岐司の一言一句を書き留めてやろう、と身構えていたのだが――
その情熱に風を差すように――もとい、水を差すように、いきなり生徒会室のドアが開かれた。
勢いよく、ばーん! と。
現れたのは……例の『負け犬』先輩だった。
「やっほー、トッキー!」
無駄にほがらかな笑顔で、土岐司に向かって手を振る2年生――風見爽介。
「……邪魔なんだが、風見」
「まあまあ、そう言わずにー。おまえと僕の仲だろ?」
「…………敵同士の間柄だな」
「おっ! 分かってるじゃん」
どれだけ邪険にされても、この先輩は堪えないらしい。
一方、彼が現れると、平はがっくりと肩を落とし、天馬はあからさまに嫌な顔をする。国府村は……特にそちらを見るでもなく、淡々とノートに記録を続けている。
唖然として驚くのは、林と高梨の新メンバーコンビのみ。
風見は言う。
「そう、敵であるトッキーに……そして生徒会役員に宣戦布告をしに来たのさ! 僕ら風紀委員がね!」
すると、風見に続いて2名の女子が生徒会室に入ってきた。
どちらも1年生。
林も、なんとなくは知っていた。
陸上部の虎走あぶみと、演劇部の夏目杏南だ。
二人ともよく似た、にこにことした笑顔で風見に付き従っている。
「風紀委員、だと……?」
土岐司が眉をしかめる。
生徒会役員――生徒会の執行部である6名以外にも、生徒会の役割を担う12の委員会がある。そのうちの1つが風紀委員。
服装検査や持ち物検査、あいさつ運動の推進など……基本的には『嫌われ者』で『楽しくない』委員会として有名だ。
「それで? なぜ風紀委員が『宣戦布告』などを? ……夏目くんまで」
言って、土岐司は困惑の表情を見せる。
……そういえば。
夏目杏南は、2年の土岐司と付き合っている、という噂が1年生のあいだで流れたことがあった。実際に、2人が仲よさそうに歩いているところを目撃した生徒もたくさんいるという話だ。
恋人同士かどうかはともかく、なにかしらの関係はありそうだ。今も、目を合わせる2人のあいだには一種独特の空気が漂っているように見える。
「おっと! うちの夏目ちゃんに色目を使うのはやめてもらおうか?」
2人の視線をさえぎるように、風見が割って入る。
「…………。人聞きの悪いことを」
不機嫌な顔になって土岐司が言う。
「だから、僕が支配する僕の風紀委員は、おまえの敵ってことさ、トッキー!」
「…………?」
「あ、私が説明しますね」
虎走がひょいと挙手をして、通訳を買って出た。
「風紀委員って、不人気じゃないですか。だから風見先輩も懲罰的に委員に選ばれていたわけですけど……先輩は、その人気のなさを逆手に取ったんです。各クラスで委員を決める前に、『自分の言うことを聞きそうな女子』に根回しをして、風紀委員に立候補するように裏工作をしたんです」
彼女は、さらりと不穏なことを口にする。
「そうやってイエスマン……っていうか、イエスウーマンばかりを囲って、風紀委員を私物化したんです」
不穏というか、不正の温床にしかならなそうな話だった。
「その筆頭が私――虎走あぶみと」
「夏目杏南です」
小柄な女子2人が、演技がかった仕草でおじぎをする。
どうやら、陸上部の先輩後輩として、風見は虎走を抱き込んだらしい。だが、一方の夏目はどういうつもりなのだろう? 噂を信じるならば、どちらかといえば『土岐司派』のはずだが。痴話げんかでもあったのだろうか?
しかし、土岐司には心当たりがないらしい。
「なぜ、夏目くんまで……?」
「ふっふっふ、それは僕のアイデアさ! ――と、言いたいところだけど。本当は、僕のクラスにいる妄想大好きな女子に助言をもらってね。夏目ちゃんにはこう吹き込んだのさ!」
オーバーリアクションで両手を広げて、風見は解説する。
「惹かれ合う2人には『障害』が必要! 土岐司との関係を深めたければ、あえて敵になるがいいと! 僕はそう告げた!」
「な――」
土岐司の顔が、変なふうに引きつる。
「な、なにを」
「生徒会と敵対する僕の風紀委員に入れば、それはつまりトッキーとも敵同士ということ! ああ、なんと無情な運命か!」
芝居めいて風見が言うと、虎走と夏目も追従して、胸に手を当て、声を張りあげる。
『ああっ、無情な運命! かわいそうな2人!』
もはや風紀委員というより、ただの劇団員だった。
生徒会は、さながらミュージカルの舞台である。
彼らは続ける。
「引き裂かれた2人。そのとき……まるで2人はロミオとジュリエット!」
『おお、ロミオ! あなたはなぜ生徒会長なの!!?』
「待ち受ける悲惨な結末。それを乗り越えられるのは、2人の愛! ただそれだけ!」
『はかなく強い、オンリーラブ!!!!』
「……ゆえに。あえて僕は道化になろう。2人の愛をはぐくむための、高くて険しい山となろう。君たちを試す! 愛を試す! ……さあ、乗り越えていくがいい、この僕を! そして運命を!」
『美しきかな、男の友情! 義理堅きかな、風見先輩! 自己犠牲の権化!』
「泣く泣く僕は魔王になろう。風紀委員を支配して、嵐谷に漆黒の嵐を巻き起こすのだ! だから僕は風紀委員長になった!」
『風紀を乱す委員長! 嵐を起こすセクハラ野郎!』
「止めてみせよ、愛の力で! 砕いてみせよ、僕の野望を!」
『そして2人は誓い合う! 2人は永遠に手を結び、光の道を歩いていこう!
』
「がんばれトッキー! がんばれ夏目ちゃん!」
『まずは2人でお買い物! できればお手々もつなぎたい!』
(普通に告ったほうが早いんじゃないかなー……)
と林は思ったが、しかし彼らの勢いに口を挟めるほどのパワーは持ち合わせていなかった。……ていうか、この場の誰にもないようだった。
冷静なのは国府村と、そして部屋の隅で腕組みをして傍観している、生徒会顧問の天川教諭ぐらいだろうか。他のメンバーは、怒りに震えるか、頭を抱えるか、呆然とするしかできなかった。
――だが、まあ。
要約すると、風紀委員長になった風見爽介は、風紀委員らしからぬ手段で風紀を乱し、土岐司の行おうとするクリーンな生徒会活動の邪魔をしようとしているらしい。
気にくわなければ戦え、そして勝ってみせろ……そういうことだろうか?
土岐司は怒りに震えながらも、
「……ふん。君に味方する者なんて、他にいるのか? 支持率7パーセント男め」
「――――」
ふと、風見の表情が固まる。
だがすぐに肩を揺らし、謎の笑みを漏らして、
「分かってないなぁ、トッキーは。あの選挙は、僕の勝ちだったと言っても、過言ではないのだよ?」
「……負け惜しみか?」
「ノンノンノン。得票数は覚えているかな?」
「そんなもの――」
「はぁ。ダメだなぁ。そんな記憶力じゃダメだよトッキー。……じゃあここは、書記の国府村にお願いしてみようかな」
突然の指名。
にもかかわらず、国府村は、
「はい」
平然と立ち上がり、黒板にすらすらと書いてみせた。
----------------------------------
◆ 土岐司翔馬 260票
◆ 風見爽介 44票
◆ 無効票 253票
(内訳)無記入 30票
風見支持(○印以外)28票
風見支持(落書き) 15票
風見NG 180票
合計 557票
----------------------------------
「……だから、やっぱり君の完敗じゃないか。たとえ無効に数えられた票を加えても、せいぜい90弱。僕の得票数の3分の1だ」
「ふふん。数字の『裏』を読むことだよ、トッキー」
「裏、だと?」
風見はなぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべて、黒板に歩み寄る。
「いいか? 選挙だろうとなんだろうと、一番怖いのは『無関心』だ。誰にも気づかれない、気にされないってのが最悪さ。それと比べれば……嫌われるのはまだまだマシなんだよ」
「……なにが言いたい?」
「強烈なアンチは、きっかけ次第でひっくり返ることもある、ってことさ。強い意志を持った反対票は、場合によっては『賛成』と同じくらいに貴重なんだよ」
言いながら、風見は右手を差し出す。すると、示し合わせたように国府村がその手に黄色のチョークを乗せた。……まるで、秘書のようなスムーズさだ。
「だからこういうことさ。表には現れない、裏側まで読み尽くした場合の僕の票は……」
そして黒板の表に、☆印を書き加えていった。
----------------------------------
◆ 土岐司翔馬 260票
◆ 風見爽介 44票 ☆
◆ 無効票 253票
(内訳)無記入 30票
風見支持(○印以外)28票 ☆
風見支持(落書き) 15票 ☆
風見NG 180票 ☆
合計 557票
----------------------------------
☆の合計は……267票。
土岐司に対して、『7票』勝ることになる。
「無関心な生徒を除けば、僕の頑張りによっては、反対派は『風見派』に転がりこんでくるって可能性もあるってわけだよ。はっはっは!」
土岐司は頭痛をこらえるように額に手を当ててから、
「……天馬副会長」
「……はい」
指示を受けた天馬が席を立ちあがり、風見の背中を押して生徒会室から追い出そうとする。
「なにをする空良、空良きゅん!」
風見は抵抗する。
「僕は、お兄ちゃんはおまえをそんなふうに育てた覚えはないぞ!」
「俺もそんな覚えはありませんよ……! これからも、ずっとね……!!」
「お姉ちゃんにチクってやる!」
「う……ど、どうぞご勝手に!」
押し合いが膠着状態に入ったのを見て、土岐司は、
「……平副会長」
「へいへい」
面倒くさそうに平が立ちあがる。だだだだだーっと助走を付けて、
「どきな! 天馬!」
「へ? うわぁあああっ!?」
間一髪、天馬が横飛びにかわしたところへ、平が突っ込む。
無防備にさらされた風見の尻に、平実花穂の飛び蹴りがクリーンヒット。
「どわあっ!!?」
風見は前のめりに一回転して、廊下の壁で背中を打ち、ぱったりと倒れた。
ちなみに、風紀委員の女子2人は風見の手助けをするでもなく、にこやかにその様子を眺めているだけだった。
……どうやら、『変な先輩』を近くで観察して楽しむのが、彼女たちの本当の目的らしい。
「あ、あの、大丈夫なんですか?」
林がおそるおそる訊ねると、土岐司は、
「あのくらいでくたばるなら、僕たちも楽なんだが……」
げっそりした顔で言ったとき、廊下の風見ががばりと立ちあがった。
「ふっふっふ。やってくれるじゃんかトッキーめ。しかし! 僕らの壮大で高潔な野望は…………って、あれ?」
「こんなとこでなに油売ってんの、風見」
誰かが風見の襟首をひっつかんだ。
あれは――数学科の高座山史華だ。すらりと背の高い女性教諭。たしか彼女は、風紀委員の顧問だったはず。
「委員会活動すっぽかすんじゃないよ。委員長でしょ?」
「い、いや先生。僕は風紀委員としてまっとうな職務を――」
「ほら、あんたたちも行くよ」
有無を言わせぬ口調で、虎走と夏目にも声をかける。
「はい、先生!」「イエス・マム!」
いい笑顔で2人は素直に従った。どうやら、長いものには巻かれるつもりらしい。
廊下を引きずられるように、連行されていく風見爽介。
「ま、待ってくださいって……! くそっトッキー! これだけは覚えておけよ! 僕はおまえらのような権力には屈しないからな! そう、悪は不滅――」
捨て台詞の途中で、平がぴしゃりとドアを閉めた。
……なんというかもう、凄まじい先輩だった。まさに嵐。
彼の去った生徒会室には、なんとも言えない倦怠感が漂う。林も、つい、
「ああはなりたくないですね……」
と、こぼした。なれるとも思わなかったが。
土岐司は深くうなずいて、ため息まじりに言った。
「まったくだ。見習わないように」
黒板の得票数を見ながら、天馬が言う。
「しかし、変にポジティブですよね」
「あれは屁理屈と言うんだ」
首を振って土岐司が言うが、しかしそこで、黒板のかたわらに立っていた国府村が、ぽつりと、
「――そうでしょうか。風見先輩の理屈にも一理あると思いますよ」
「……どういう意味だ?」
「いえ。表に見えるものだけがすべてではない、という点において、風見先輩は正しいかと」
言いながら、彼女は生徒会役員の名前を黒板に書き連ねていく。
------------------------------
会 長:土岐司 翔馬
副会長:平 実花穂
副会長:天馬 空良
書 記:高梨 洋香
書 記:国府村 凜
書 記:林 光吾
------------------------------
「たとえば。役員も一枚岩ではないという話です」
「?」
「土岐司派と風見派。校内をこの対立軸で分けるとすると……」
かつかつ、とチョークを鳴らしながら、国府村は書き加えていく。
------------------------------
会 長:土岐司 翔馬(土岐司派)
副会長:平 実花穂(中立)
副会長:天馬 空良(土岐司派)
書 記:高梨 洋香(土岐司派)
書 記:国府村 凜(風見派)
書 記:林 光吾(土岐司派)
------------------------------
「あ。ミカちゃん――平副会長が『中立』なのは、あくまで例のイベントを実行するために役員になったのであって、どちらの派閥にも積極的には属さない、という意味ですね」
と、国府村は付け加えた。
「…………?」
土岐司は首をかしげて、国府村に問う。
「……君は、『風見派』?」
「はい。スパイです。こちらの有用な情報を風見先輩に流すつもりで生徒会役員に立候補しました」
土岐司がずっこけそうになる。
「な、そんなことを……! というか、バラしていいのか?」
「セルフスパイですから。風見先輩も、私が『風見派』だとは……正確には認識していないでしょうね」
「まさか、君は……!」
「ええ。実は夏目さんをスカウトするシーンを目撃しまして。……『愛は障害があるほど燃える』そうなので。あえて風見先輩の敵に回って、いいところでこちらを裏切り、先輩の胸の中に飛び込んでいこうかと」
「…………!」
絶句。
「そ、そうだとしても――やっぱり、僕の派閥がほとんどじゃないか」
土岐司が反論するが、国府村は落ち着いた様子で、
「たとえば、新メンバーの高梨先輩」
「え、私?」
急に水を向けられて、高梨がびくりとする。
「スパイじゃありませんよ?」
「知っています。ただ、あなたは天馬君をお目当てに、立候補したんですよね?」
「お、俺!?」
これまた急なことに、天馬が驚く。
当の高梨は、白い頬を赤く染めて、
「そ、そんなこと! ……ただ、天馬君って男の子なのに可愛くて、おうちで飼って、しつけてあげたらきっと楽しいだろうなぁ、なんて、ほんのちょっぴり思っただけですから!」
両手で顔をおおって、いやいやと首を振る。
「……へ、へぇ」
天馬は引く。あからさまに引く。
そこでなぜか、生徒会顧問の天川が口を開く。
「うむ。空良は一度、そちら側に立ってプレイに興じてみるべきだと思う。そういう経験値は必要だ。何事も挑戦あるのみ」
なにやら、うんうんと頷く。……この人はこの人で、不思議な人だ。ぱっと見、ダンディで近寄りがたい雰囲気なのだが、ときに変なことを言い出す。
「つまり、です」
国府村が本題(?)に話を戻す。
「天馬君さえ離反すれば、高梨先輩はそちらに寝返る、ちょろい女というわけです」
ひどい言いようである。
「そして天馬君の弱点はわかっています。……あの女。男を保健室に連れ込むようなハレンチ悪魔……じゃなかった、天馬君のお姉さんさえ押さえればオッケーです」
「俺の姉さんになにする気!?」
「安心してください。体には指一本触れませんから。体には、ね……」
「だからなにする気!!?」
しかしです、と国府村は天馬を無視して話を続ける。
「脅迫という手段に訴えずとも、この天馬君は、風見先輩とべったりなところもありますからね。あれだけ『風見先輩なんて』と言っていたにもかかわらず。今では彼の犬も同然。……ほんと、体は正直なんですよね」
「だから言い方! そして俺は振りまわされてるだけだから!」
天馬の抗議は、またも無視される。
国府村は続ける。
「ともかく風見先輩の言うように、『嫌い』という感情は別の面から見ると『強い関心』を示しているとも言えるのです。アンチも、やりようによっては取り込むことができる。……逆に、『好き』が転じて強い憎しみになることもあります。私を選ばなかったら、風見先輩は火あぶりの刑になることが決まってますしね」
……実は彼女が一番の危険人物なんじゃないかと、一連のやり取りを聞きながら林は思った。
「ちなみに、『アンチ風見』では同様だった役員OBの神宮院先輩も、今では風見先輩サイドに取り込まれてますからね。おもに、友人の佐々川先輩の手腕ではありますが――」
「……わかったわかった」
そこで土岐司が、諦めたようにため息をついた。
「つまり君は、選挙で勝ったからと油断するなと、風見との戦いはまだ続いているんだぞと、そう言いたいのか? ……君もいつ寝首をかくか分からないし、やつの勢力は今後も僕たちを脅かすと?」
「まあ、おおむねそのとおりです」
しれっとうなずいて、国府村はもとの席に戻った。
立ったままだった天馬と平も、それぞれ土岐司の左右の席に着席しなおした。
「…………」
林は、やや緊張して土岐司の顔をうかがう。こんな話をされて、怒り出すのではないだろうかと。
夕陽の逆光のために土岐司の表情は読み取りづらかったが、しかし憤慨している様子はなく、
「――いいさ。彼が僕たちに敵対するなら、それで。せいぜい利用させてもらうさ。ああいう『分かりやすい悪党』を敵に回したほうが、僕ら生徒会の活動も目立つというものだろう。……前期(、、)のように、埋もれるわけにはいかないからな」
あれ? と、林はふいに思った。
そういえば、つい先日、この新体制の役員は、旧体制からその業務を引き継いだばかりだ。
例の選挙の翌日には、新旧の会長同士による『引継ぎ式』も体育館で行われた。
だと言うのに。
前の役員の顔が思い出せない。先ほど話しにのぼった神宮院玲奈のことは思い出せる。美人で華やかな雰囲気の先輩だ。
だが、あと1人、会長職を務めた3年生のことが……思い出せない?
よほど印象の薄い人だったのだろうか。
旧役員の口からも、『彼』の話題は一切出てこない。
そのとき。
かちゃり、と小さな音がした。
「…………?」
土岐司の座る方向からだ。より正確に言えば、その背後から。
小さいが、やけにはっきりとした音。
――――。
もう一度、聞こえた。
高梨にもそれは聞こえていたようで、彼女は小首をかしげながら、
「……陶器の音?」
と、漏らした。
すると、部屋の隅に立っていた天川が、
「ティーカップの音だ」
と補足した。
視線は土岐司の背後、夕陽の差し込む窓に向けられている。風もないのに、そこにあったカーテンが揺れた――気がした。
「…………」
なぜか、あたりが急に静まり返ったような気がする。
グラウンドのほうから聞こえていた野球部のかけ声も、廊下を走る生徒の足音も。人の気配がすべて消えてしまったかのように――まるでこの部屋だけが切り離されてしまったように。
チャイムが鳴った。
びくりとして壁の時計を見る。17時30分。本日の委員会活動の、終わりを告げるチャイムだ。
「ああ、そうだ――」
土岐司が言った。
両肘を机に突いて、顔の前で指を組み、そこへ顎を乗せて、
「今日の活動を終える前に、そして諸君らの放課後が始まる前に、言っておくことがある。特に、新役員の2人は、よく聞いておいてくれたまえ」
静かだが、妙に通る声だった。
……『諸君』? 『くれたまえ』?
いつもの土岐司の口調とは違う。やたら時代がかった、形式張った口調だ。
ふと見ると――
「っ!!?」
旧役員の3人、そして顧問の天川が、じっとこちらを見ている。逆光のせいで表情がうかがい知れない。だが、見ている。こちらを見定めるように、見透かすように。
4人の眼。赤い眼。
林は、ごくりと喉を鳴らす。
「聞く、って、なにを」
「なに。簡単なことさ」
土岐司が言う。
「この生徒会に伝わる、ある不思議な話を覚えておいてもらいたいんだ」
「不思議な……?」
「ああ。わが嵐谷高校の生徒会役員は、もう1人いる。『彼』に顔はない」
「か、顔?」
「眼のない顔で、こちらを見ている。口のない顔で、ティーカップを傾けながら」
「…………」
「諸君らは彼のことを思い出せない。顔も浮かばない。なにをしたかも、どこから来て、どこへ去って行ったかを知ることもできない。彼は卒業してしまったからね」
「せ、先輩だったんですか?」
かろうじてたずねたが、土岐司は答えなかった。
しかし、ほんのわずか、笑ったように見えた。
「ただ――彼には名がある。諸君らには、それだけ覚えておいてもらいたい」
笑っている。
夕陽のせいで、顔は見えない。
だが、笑っている。
彼は笑っている。
土岐司は言った。
不敵に笑って――
そう、きっと、不敵に笑って、彼は言った。
「その名は『のっぺらぼうの生徒会長』。諸君。絶対に忘れないように」
どこかで、チャイムが鳴った気がした。
(「後日談」 了)
(【七不思議編】 了)