第80話 風使いと「学校」【七不思議編】(10)
こびと――中身は国府村凜――を肩に乗せ、風見は廊下をひた走った。
その国府村からは、常時、各地点の情報が伝えられてくる。
この『こびとネットワーク』は、こちらの声も届けられるようだった。スマホが使えなくなった閉鎖空間にあっては、なんとも便利な能力だ。
「――みんな、無事みたいだな」
「はい」
「国府村、おまえの本体は化学室か?」
「そうですよ。この悪霊の本体を網であぶりながら、先輩とお話しています」
「……冗談でもこぇえよ」
そんなことを話しながら、渡り廊下へ。
生徒会室。
ふたたびの来訪だ。
まだ中に那名崎は――土岐司の体に取り憑いた彼は、この部屋にいるだろうか?
――いるに決まっている。
彼の居場所は、ここしかないのだから。
彼はまた、風見を拒絶するだろうか?
――するだろう。
そうでなければ、彼は消えてしまうのだから。死んでしまうのだから。
でも。
だからといって、このままでいいとはまったく思えない。風見たちは、帰らなければならないのだ。
あの校舎へ。
もとの嵐谷高校へ。
いつもの学校生活へ。
ときに退屈だったり、苦しかったり、悲しかったり――けれど、ときどきとても楽しい、あの毎日へと。
「……行くぞ」
ドアに手をかけ、ゆっくりと開く。
いた。
窓際に、変わらぬ様子で那名崎は立っていた。こちらを見て、わずかにほほ笑む。
「どうやら、きみは吹っ切れたようだな」
那名崎は静かな声で言う。
「……とうとう、私にも終わりの時がやってきたということか」
彼は、どこか涼やかな表情をしていた。
「そもそも、だ。きみが本気になれば、私のような薄っぺらい存在など――それこそ吹けば飛ぶような存在など、瞬きのあいだに始末してしまえるはずだ。……だからこそ、私はきみの迷いにつけ込んだわけだが……」
那名崎はいったん言葉を区切って、風見の顔を見つめ、そしてまた力なく笑った。
「彼女のおかげで、きみは決心してしまったようだな。彼女をここに招待したつもりはなかったのだが……それを引き寄せたのも、きみの力なのかな? まったく本当に不思議な男だよ」
「…………」
「さあ。決着をつけよう。きみのその力で、私という薄弱な幻を吹き飛ばしてくれたまえ」
穏やかな面持ちで那名崎が言う。
「風見先輩……」
肩で、こびとの国府村が不安げに声をあげる。
が。
「――え、ちょ、先輩? 風見先輩ぃいいいい!?」
「うりゃあああああああああああ!!!!!!!」
風見は床を蹴って突進していた。那名崎へと向かって。
そして殴った。グーで。那名崎の左頬を。
立ち尽くしていた那名崎にクリーンヒット。彼は、わずかなうめき声とともに床に転がる。
『風』を使うこともない、ただただ力任せな拳の一撃だった。
「えっ? えええ? な、なんでいきなり?」
「僕は、頑固な友人のことは、こうして殴って言うこと聞かせるって決めてるんだよ」
「そ、そんな……⁉︎」
国府村はワケがわからず、風見と那名崎を見比べる。那名崎もいきなり殴られるとは考えていなかったようで、意外そうな顔で風見を見あげていた。
「会長!」
風見が言う。
「あんたの敗因は、土岐司の体を乗っ取ったことだ!」
「…………?」
「せ、先輩?」
びしり、と床の那名崎を指さして、
「とっても殴りやすい! 土岐司の顔は、とっても殴りやすかったですよ! はっはっは!」
あっけに取られる二人に構わず、風見は腕組みをして、
「いやぁ、さすがに先輩を殴るのは気が引けるっつーか? 女子は殴りたくないし。空良きゅんを殴ったら、天馬が悲しむだろうし――」
「い、いやあのですね、先輩?」
「土岐司のことは『魔王城』で殴り損ねたし、ちょうど良かったっすよ。そう、僕は『風の騎士』。あの世界では〈光輝なる万迅の風〉と謳われた、最強の勇者なんですからね!」
「……意味、わかんないです」
「国府村。ノリだよ、ノリ」
風見にもよく分かっていなかった。
「…………」
床の那名崎は、よろめきながら、窓際の壁に背中をもたせかけて、疲れたような顔でため息をついていた。
「――会長。さっきあんたが言ったように、僕はもう吹っ切れましたから。会長も、覚悟を決めてくださいよ」
「――――」
「先輩は、後輩より先に学校を去るもんだ」
「卒業、か」
風見はうなずいて、
「うじうじしてないで、いい加減、後輩に格好いいとこ見せてください。そうじゃないと、何発でも殴ってあげますよ」
「…………そんなもの、意味はない」
ぼそりと、那名崎は言う。
「私は、人間のようにはいかないよ。私の『卒業』は誰にも認識されない。誰の記憶にも残らない。どんな姿を見せたところで、風化するほどのいとますらなく、ただ消え去るんだ――」
いじけている――と言ってしまえば、あまりに冷酷だろうか。
しかし、やはり那名崎は覚悟を決められないのだ。みずから死を選ぶほど彼は世界を悲観できていない。
……きっと、楽しかったのだろう。
たとえうたかたの幻でも、たとえ人間のように振る舞うだけのごっこだったとしても。
彼にとってこの半年間は、学校で、生徒会室で過ごした時間は、文字どおり彼の人生そのものだったのだから。
ただ去るだけではない。卒業するだけではない。彼のことは、『いなかった』ことになるのだから――。
「そんなことありません!」
叫んだのは、国府村だった。
「…………国府村書記」
「そんなこと、ありません……。会長は、みんなのために頑張ってくれたんですよね。私たちが押しつけた役目を、それでも懸命に果たしてくれた」
「私にも、そんな自覚はなかったんだがね。気づいたのは、ごく最近さ」
「それでも――」
国府村は言葉を詰まらせながらも、
「それでも、会長は会長じゃないですか。放課後に生徒会室に集まって、謎の会議をやったり、会長の紅茶セットでお茶を振る舞ってくれたり。みんなでお菓子を持ち寄ったり……こっそりラーメン作ったり」
「――おまえら、生徒会室でそんなことしてたの?」
風見は眉を寄せて、肩の国府村を見る。
「……あ。えっと、土岐司先輩がいないときに、ときどき」
「僕、風紀委員なんだけど。そういうの、取り締まる側なんだけど?」
「い、いいじゃありませんか、今は」
せき払いして、国府村は続ける。
「私、部活とか入ったことなかったから、そういうの意外と楽しくて。生徒会の活動って地味で、みんなは注目してくれなかったけど……でも、別によかったんです。あれはあれで、楽しかったです」
「…………」
那名崎は黙ったままだ。
「そして……七不思議のことも楽しかったです」
国府村は言う。
「風見先輩が引っかき回して、土岐司先輩が怒って。天馬くんが頭をかかえて、ミカちゃん――平先輩がため息ついて。神宮院先輩が冷静にみんなをたしなめて……」
「私は、黙って聞いているだけだったな」
「いいんですよ。会長はそういう人ですもん」
「…………」
「でも会長のおかげで、七不思議の事件なんていう大きなイベントに参加できて、みんな楽しかったんだと思います」
イベントってなんだ、と風見は言いかけたが、とりあえず黙っておいた。
「――――そうか」
那名崎はぽつりと言う。
「どちらにせよ――七不思議の件があったにせよ、なかったにせよ、私の命は十一月までだったわけだからな。最後にきみたちに、刺激を残せたのなら意味があったのかもしれないな。もっとも、刺激を与えたのは私ではなく、風見君のほうだろうが――」
「あんた、まだ――」
「……聞いてください、会長」
国府村が言う。こびとの体を使った、彼女の『端末』が言う。
「みんなの声、聞いてください」
こびとが、両手をかざす。
きぃん、という音が響く。マイクのハウリングのような甲高い音だ。
そして、こびとの体から別の声が響いてくる。
校舎の各地で『七不思議』と戦っている、生徒会役員たちの声だった。
『――――、長。……会長!』
平の声だ。
『話は聞いてましたよ! 意味がないとか、そんな悲しいこと言わないでください!』
まだ複製の『女子更衣室の悪魔』と交戦中らしい。息を切らしながら、それでも彼女は必死に訴えかけてくる。
『会長のおかげで、七不思議に触れたおかげで、私は変わった。もっと前向きにやってみようって……そう思えるようになった!』
叫ぶようなその声に、那名崎が応える。
「きみなら、きっかけがなんであれ変われたさ。それに、直接的にきみを変えたのは、花木教諭と風見くんだ。私じゃない」
『確かに、風見のバカとバカやったことが直接の原因かもしれませんけど――でも、それでも!』
そこで、声が変わる。
こびとが伝えてくる次の声は――空良だ。
『――責任とってください、会長!』
彼も、まだ天川とともに戦闘中のようだった。
『オレたちは、風見先輩に高校生活をむちゃくちゃに掻き回されて、迷惑してるんです! その原因を作ったのは……会長ですよ!?』
「…………」
『意味がない存在? そんなこと言ったら、生徒の誰にも意味なんてありませんよ! 風見先輩みたいな、変でぶっ飛んだバカな生徒なんて、そうそういるもんじゃありませんからね!?』
「いやおまえら、ここぞとばかりに僕の悪口言ってない?」
風見がぼやくが、空良はそれを聞いていないみたいだ。聞こえていても、反応する気がないらしい。
『学校生活に意味なんてないんです! ……ただ、そこに居たことに意味はあります! 誰に気づかれまいと、それでも俺たちは、会長と一緒だったじゃないですか。先輩は――俺たちのことなんて、忘れるつもりですか!?』
声は続く。
次は神宮院だった。
『……責任なら、私のほうが重いですわね』
落ち着いた声。中庭のほうは片付いたらしい。あそこは化学室から近い。国府村の手助けもあったのかもしれない。
『あなたという存在を生んだのは、おもに私たち3年生です。会長職を面倒だと思い、避けた結果があなたという幻を生んだ。あなたに、損な役回りを演じさせてしまった』
「…………」
声が横入りする。
『玲奈ちゃんの言うとーり!!』
同じく3年生の、佐々川だ。
『私たちは、那名崎君のママだね!』
『……佐々川さん。話がややこしくなるから、ちょっと黙っててくれるかしら?』
『えー。しょうがないなぁ』
ごほん、と神宮院がせき払い。
『――まあ、そういうことです。罪なら私たちにもあります。だから……忘れるつもりはありませんわ。忘れるわけもない。この半年間、私たちの学校生活は、あなたとともにあったのですから』
神宮院は、静かな声で続ける。
『あなたは一足早く「卒業」するかもしれませんが――また、遊びに来てくださいな』
「遊びに……生徒会室に、か」
那名崎は、この閉鎖空間を解いてしまえば消えてしまう。それを承知した上での、二人の会話だった。
『そのときには、私も役員を引退してるでしょうけれど――オブザーバーとして、OBとして、後輩たちを指導してあげましょう。偉そうにして、なにもかも分かったような顔をして。もちろん、紅茶を飲みながら、ですわ』
そこで初めて、那名崎は薄く笑った。
「――それも、いいかもしれないな」
叶わない夢。幻である彼が見る夢――。
そんな儚い希望を、救いと呼ぶのだろうか。
「意味なんて、あったに決まってます」
国府村が言葉を継ぐ。那名崎が顔をあげて、彼女を見る。
「刺激的な非日常だろうが、波風立たない日常だろうが、なんでもいいんです。私たちは、この学校で、生徒会室で同じ時間を過ごした。それでいいじゃないですか。私たちは、会長のこと――那名崎先輩のこと、忘れませんから」
「だが……。私が消えれば、諸君らの記憶も――」
消えるかもしれない。
集団催眠ならぬ、集団幻想。
そもそも、生徒と教師の全員の記憶と認識を騙すことで成立している『七不思議』だ。
彼が消えれば、皆の記憶から、彼との思い出も消えるかもしれない。
……そう。
彼がもっとも恐れているのは、それなのだろう。自分という存在が、この世界から消えることそれ自体よりも、消えたあと、皆から忘れられることのほうが――
怖い。
どんな七不思議よりも、おそろしい。
『七不思議は、なくなりませんよ』
別の声が言った。国府村による中継音声ではなかった。
声の主は――那名崎本人。
いや、那名崎が取り憑いたその肉体――土岐司が、声を出しているのだ。
まだ那名崎はそこにいる。
だが土岐司は、彼の支配から逃れて、声をあげている。
『ウワサを消すことはできません。「生徒会室には幻の生徒会長がいた」。そのウワサは、嵐谷高校に語り継がれます。僕が、そうします』
「…………」
『風見が次の会長になる、などとうそぶいていましたが――』
那名崎が――いや、土岐司が顔をこちらに向けて、にらむ。
『――それが七不思議を解決した際の報酬でしたが。それは僕がさせません。たとえ組織票で彼を会長に押し上げようとしても、僕が阻止します。あいつにだけは、会長の座は譲りません』
「…………」
土岐司は言う。
『僕が会長になって、会長のことを語り継ぎます。次の会長にもそうさせます。もしも、ある時期だけそのウワサが消えても――怪談というやつは、何度も繰り替えされるのです。終わらない』
「終わらない……」
『そのときどきの生徒が、思いを馳せるのです。顔も知らない、その会長のことを。そして、その会長とともに青春を過ごした、僕ら役員のことを。風見のことは……そうですね、すっぱり忘れてもらうとして』
「ひどくない?」
思わず風見が口を挟むが、土岐司はきっと睨みつけて、そして無視した。
『いいじゃないですか、「のっぺらぼうの生徒会長」。そのほうが、怪談にも箔が付くというものです』
「私は――」
今度は、『那名崎』が口を開く。
「そうだな、正直に言って、私は怖い。消えてしまうのが。忘れられてしまうのが。ここから――居なくなるのが、怖い。卒業などしたくない」
『…………会長』
那名崎は言う。
「だが、わがままばかりは言っていられないか。そうだな、誰でも卒業はするものだ。風見君が言うように……せめて去り際くらいは格好をつけようか」
ゆっくりと腰を上げる。
そして風見へとほほ笑みかけて、
「……彼らはきみのことを、ああいうふうに言うが。しかし、私の最大の功績は、きみを生徒会役員の活動に巻き込んだことかな。彼らを変えるきっかけになった。いい思い出を、彼らに残すことができた」
「会長――」
「そして……私に、自覚を促してくれた。私が、幻であると気づかせてくれた」
「…………それは」
那名崎は笑った。
まさしく憑き物が落ちたような、そんな晴れやかな微笑だった。
「そのおかげで、私は格好つけることができる。彼らに……別れの言葉を、告げることができる」
風見の肩で、国府村がぎゅっと両手を握る。
別れの時が近づいている。
「諸君、半年間だけだったがとても楽しかった。ありがとう。……さようなら」
那名崎が言った。国府村は、その声を校内の皆に届けていることだろう。
そして――
チャイムが鳴った。
那名崎がスピーカーを見あげる。
「…………。いいタイミングだ。これが、私の終わりを告げるチャイムか」
「会長」
風見が言う。
「いいこと教えてあげますよ。チャイムに、終わりを告げるものなんてないんですよ。全部、『始まり』を告げてるんです」
「始まり――。そうか。これは、きみたちの新しい日常を告げるチャイムか」
風見はうなずき、
「新しい『七不思議』の始まりでもありますよ。ねぇ、『のっぺらぼうの生徒会長』?」
と、言った。
「そうか。そうだな――」
那名崎はこちらを見て笑った――そして――消えた。
チャイムは学校中に鳴り響き、鳴り止んだ。
(第80話 風使いと「学校」【七不思議編】(10)終わり)
(『学校』編 了)




