第79話 風使いと「学校」【七不思議編】(9)
――結局。
回復しつつあった風見だったが、美津姫の発言に目まいがして、膝枕を継続中なのであった。
「……勘弁して」
「ふふ」
これを夢だと思い込んでいる美津姫は、ここぞとばかりに、
「爽介くんが照れてくれると……なんだか、勝った気分になるね」
「なんだよ、それ」
不服な気持ちを込めて見あげても、美津姫は嬉しそうに笑うばかりだ。どころか、人差し指で風見のほおや唇をつついてみたりしている。
「……あの」
「ん? どうしたのかな、爽介くん」
「恥ずかしすぎて、死にそうなんだけど」
普段、攻勢に出ている風見だけに、こうして猛烈に攻められるとたじろいでしまう。
しかし――
「死ぬ、か……」
現状を――この保健室の現状ではなく、学校全体の現状を思い出して、風見はつぶやく。
「なあ、天馬。相談に乗って欲しいんだけど……」
「ん? いいよ、何でも言って」
「――知り合いの先輩が、悪事に手を染めてるんだ。目的はともかく、やり方は間違ってる。だから止めようと思ったんだけど……うまくただせないんだ。やろうとすれば――先輩を消し去ることになってしまう」
「消し去るって――」
美津姫は少し困ったように眉をひそめて、
「退学させちゃう、とか?」
「そうじゃないけど……まあ、似たようなもんかな。学校からいなくなっちゃうんだ」
「やっぱり珍しいね、爽介くんが悩むなんて」
「……僕、そんな脳天気に見える?」
「うん、見える」
軽くほほ笑んでから美津姫は、
「その先輩のこと、好きなんだ?」
「……いちおう言っておくけど、男だからな」
「そういう心配は――――うん、ちょっとしてたけど。そうじゃなくて。爽介くんは、その先輩がいなくなるの、寂しいのかな、って」
「寂しい……そうかもな」
「去年とか、仲のいい先輩はいなかったの?」
「去年? ……まあ、そんなに絡みのある先輩はいなかったけど。なんで?」
「『先輩』って、先に卒業しちゃうでしょ」
わずかに、そして儚く、美津姫は眼を細める。
何かを懐かしむかのようなまなざし。
「学校からいなくなっちゃうんだよね。思い出だけ残して……」
「…………。あの、天馬」
「あ。いちおう言っておくけど、いま私が思い浮かべてる『去年の先輩』は、女の人だからね? お世話になった人」
「あ、う、うん……」
男じゃなくてよかった――
とは思ったが、見透かしたようにフォローされると、それはそれで恥ずかしいものだった。
「――爽介くんが言うその先輩も、無事に卒業できるといいけどね。難しいのかな?」
「そうだな……。少なくとも、今月中には決着をつけなきゃいけない、かな」
十一月。
生徒会役員の改選選挙がある月だ。
そのあと、引き継ぎの式典があって――
現在の生徒会役員は、引退する。
それが那名崎にとっての『卒業』になる。
……ただし。
この閉鎖空間を破ってしまえば――『現実の世界』を取りもどしてしまえば、彼は消えてしまうかもしれない。幻が幻でなくなって……消えるしかなくなってしまう。
円満に『卒業』、とはいかないだろう。
すなわちそれは、彼にとっての『死』なのだから。
事態はこんがらがってしまった。
もう、後戻りできないところまで、彼は追い詰められてしまった。
「…………」
追い込んだのは、彼自身と、そして風見だ。
知らずにしたこととはいえ、それに、那名崎から依頼されたこととはいえ――七不思議を解決して回ったのは風見爽介なのだから。
そのとき。
チャイムが鳴った。
ノイズ混じりではない、正常なチャイムだ。
「これ、なんのチャイムだろうね?」
美津姫が首をかしげる。
不思議には思っているようだが、深刻な様子ではない。
壁の時計は、でたらめな時間を指している。
「休み時間の終わり、ってとこかな」
風見は気だるげに体を起こして、ベッドから降り立つ。
体のほうは回復しているようだった。
美津姫の膝枕効果だろうか。
それにしては、すっかり疲労が消え去っている。朝起きてすぐのような、その時間にまで巻き戻ったかのようなすっきり具合だ。
「爽介くん」
ベッドに腰かけたままの美津姫が言う。
「チャイムにね、『終わりのチャイム』はないんだって、知ってる?」
「? どういうこと?」
「だって、ほら」
時計を指さしながら美津姫は言う。
「チャイムって、授業の始まりにも終わりにも、一回ずつしか鳴らないでしょ?」
「まあね」
「じゃあ、授業の終わりに鳴るチャイムは――何かの始まりも、同時に告げているはずなんだよね」
「始まり……」
「授業の終わりは、休み時間の始まり。昼休みの終わりは、五限目の始まり。下校のチャイムは――」
「放課後のはじまり、か」
「そう」
ベッドの美津姫はほほ笑んでいる。
「私たちが、来年になって聞く最後のチャイムも……終わりじゃなくて、新しい生活の始まりになるはずなんだよね」
「…………」
風見たちは高校二年生。
まだ実感はまったくないのだが、残る高校生活も一年と少し。もう折り返し地点は過ぎているのだ。
来年の――三年生の慌ただしさを考えたら、もっと短く感じるかもしれない。
「私にとって、ここ半年は……爽介くんと知り合ってからは濃い時間だったけど……。でも、その時間も、もう帰ってこない。チャイムが鳴るたびにそれまでの時間は終わって、同時に新しい何かが始まっちゃうんだよね。卒業したら……私たち、離ればなれになっちゃうかもね」
「天馬……」
以前、美津姫は、将来について話していた。看護師になりたいのだと。
そうすると――
彼女の進学先と、風見の進路は別のものになるかもしれないのだ。
風見にはまだ将来の展望はない。
美津姫は、そのへんも見透かしたうえで、今の、風見との高校生活を送っているのかもしれなかった。
「でもね」
美津姫は言う。
「今の時間が、なかったことにはならないよ。今があるから、明日があるんだもん。思い出を持って、卒業するんだよ。だから……爽介くんとの時間も、絶対、終わりになんかさせない」
「……終わりに、させない」
「そうだよ。新しい私たちの『始まり』だから。そのためには――卒業だって、必要なことなんだよ」
「…………」
那名崎には『将来』などないだろう。
どのみち、消え去るしか未来はない。
生き残るには、この閉鎖空間を永遠に続けるしか方法はないのだ。
でもそれは、けっして終わることのない時間だ。
なにも始まらない。
終わらなければ――始まれない。
風見も。
他の生徒会役員たちも。
天馬とも――。
「…………ずっとここには、いられないんだよな」
「うん」
しみじみとあたりを見まわす。
保健室。
窓の外の校舎。
いつかは終わる、限られた時間――。
「さんきゅー、天馬」
「あー……うん。相談っていうより、ただの雑談になっちゃったけどね」
「でも気分は晴れたよ。ありがとう。やっぱ天馬は、僕にとっての女神さまだね」
「…………。そーいうこと言うから……」
「引かれちゃうのかな?」
「それもだし。勘違いもしちゃうんだよ」
美津姫はむくれてみせる。
「……あれ? 爽介くん、それ」
ふと、美津姫が風見の肩口に視線をやる。
「なに、その……『こびと』?」
「え?」
見ると、風見の肩に、例の化学室のこびとが立っていた。
詰め襟姿の男子生徒。
ポルターガイストの悪霊。
「――――っ!」
おどろいて振り払おうとするが、こびとは、
「待ってください、風見先輩!」
と、少女の声で叫んだ。
「…………? その声、まさか国府村か?」
「はい。私です」
「どうして……」
「化学室を制圧するついでに――本体の『こびと』を脅して、乗っ取っちゃいました」
「乗っ取るって――」
「正確には、デバイス、って感じですかね」
こびとの仕草も、なんだが女子っぽい。
「私が自由に扱える端末として、校内にバラまきました」
国府村の声で、こびとが言う。
「先輩。みんな無事です。七不思議を相手に、負けてませんよ」
「そっか……よかった」
「どうしますか、先輩」
「決まってる」
風見は決心していた。
那名崎に、引導をわたす。
卒業を告げる。
そうしなければ――明日に進めない。
「生徒会室に、もう一度乗り込んでみるよ。会長を説得する」
「わかりました。では――――と、その前に」
肩のこびとが、ベッドに腰かけたままの美津姫に向き直る。
美津姫は、静かにこちらを観察していた。
「あ、天馬。これは――」
『こびと』について説明をしようとしたが、
「うん。爽介くんは黙ってて」
微笑とともに、さえぎられてしまった。
……なんだろう、笑顔が……怖い?
「あなたは?」
美津姫はこびとにたずねる。
「挨拶が遅れました。生徒会書記の国府村凜です。一年です」
こびと――国府村は、慇懃に頭をさげる。
「私は――」
「あ、先輩のことは知ってます」
美津姫の言葉をさえぎって、国府村は言う。
「風見先輩の、クラスメイトでもなんでもない、ただの同級生ですよね? 天馬美津姫さん」
「…………」
「保健室で膝枕ですか。下心でもあるんですか? ボディタッチで迫るとか、わりと旧時代的ですね。さすが、年上はちがいますね」
「…………」
「え、あの?」
謎の殺伐とした空気に、風見はうろたえる。
だがそれには構わず、美津姫は、
「武器になるものなら、なんだって使うよ」
「へぇ。必死ですね。そんなにしてまで風見先輩に気に入られたいですか?」
なぜか挑発するような国府村の言葉。
しかし美津姫は動じることなく返答する。
「うん。……そっか。一年の女の子には、色気で迫るなんて、まだまだ無理だもんね。ごめんね、武器を見せびらかすみたいな真似をしちゃって」
言いながら、ベッドの上で、黒ストッキングの脚を組み替える。
当然、風見は注視する。
「…………卑怯です」
「貪欲って言って欲しいかな」
「え、えーっと?」
よくわからないが、この空気はまずい。
この空間は――早くどうにかしないと、まずいことになる。
風見の背中に嫌な汗が伝う。
「…………。国府村。ちょっと、先に行ってて。すぐに追いつくから」
「え、どうしてですか」
刺すような返答。
「……いや、ほんと。頼むから」
「…………。わかりましたよ」
不承不承、こびとが肩から飛び降りる。
こびとにとっては巨大すぎる保健室の引き戸を、テレキネシスを使ってわずかに開き、退室する。
その直前、
「…………」
美津姫に好戦的なまなざしを投げかけて――
ようやく、出て行った。
「…………なんだったんだ」
また、どっと疲れた気がする。
「爽介くん」
「は、はいっ!?」
思わず背筋が伸びる。
ベッドで脚を組み、さらに腕も組んでいる美津姫に向かって、気をつけの姿勢だ。
「いってらっしゃい」
「は、はい。いってきます……」
「変な妖怪に惑わされないように」
「い、イエス、マム――」
美津姫は閉められたドアのほうに顔を向け、
「あの子とは、長い付き合いになりそうだな……」
独り言をつぶやいた。
しかし、そこでようやく美津姫の表情が緩められて、
「じゃあ爽介くん。事情はよくわからないけど、がんばって来たら……ご褒美あげるから」
「ご、ご褒美?」
「なんでも好きなこと、してあげる」
「!!」
「なにがいい?」
「じゃあお姫さま抱っこして校内一周!」
即答である。
「……なんだ。そんなのでいいんだ」
「へ?」
美津姫は妖艶に笑って、言う。
「卒業、しなくていいんだ……」
これもまた……見たことのない表情だった。
「うん、いいよ。じゃあお姫さま抱っこね。はい、がんばって来てね」
「あの、ちょっと、天馬さん……?」
「いってらっしゃい」
「やっぱさっきのナシで……」
「いってらっしゃい」
「…………いってきます」
混乱したまま風見は、保健室をあとにした。
…………なにか、とても重要な選択肢を間違ったような気がしながら。
(第79話 風使いと「学校」【七不思議編】(9)終わり)




