第77話 風使いと「学校」【七不思議編】(7)
『女子更衣室の悪魔』は平実花穂と花木教諭に任せて、風見は生徒会室へと向かった。
そこは始まりの場所。
『のっぺらぼうの生徒会長』――集団幻想である那名崎が誕生するきっかけになった場所。
彼からの依頼を受け、風見爽介が七不思議に関わることになった場所だ。
生徒会室は、校舎の反対側、教室棟と管理棟をつなぐ渡り廊下の中程にある。
そこへと走りながら風見は、
「…………!」
ひどい頭痛を感じていた。
無限に使用可能な便利な能力――それが風見の『風』の能力だったが、今回ばかりは勝手が違うようだった。能力の連続使用が風見に負荷を与えているという以上に、彼自身が疲労しているせいなのかもしれない。肉体的にも、精神的にも、疲労はピークだった。
(……とか、言ってる場合じゃねぇよな)
親玉を倒す。
那名崎さえ倒すことができれば、この閉鎖空間――怪異の力によって閉ざされた嵐谷高校も開放されるはずだ。
他の場所では、仲間たちが奮戦して、なんとか持ちこたえている。今のうちに決着をつけねばならない。
「――――」
着いた。生徒会室だ。
ドアを開け、踏み入る。
そこには。
「土岐司?」
生徒会副会長にして、風見を敵視する同級生。
土岐司翔馬が、こちらに背を向け、赤い窓辺にたたずんでいた。
「――――」
ゆっくりと彼が振り返る。
生真面目そうな顔。見知っている土岐司の顔そのものだ。
だが、違う。
中身が――違う。
「…………乗っ取ったのか?」
風見が言うと、土岐司は――彼の体に取り憑いた『のっぺらぼうの生徒会長』は、静かにうなずいた。
「土岐司が生徒会室に飛び込んできたのでね。少々、相乗りさせてもらっているよ」
「…………」
「おかげで、『第6の七不思議』もそろそろ十全に使いこなすことができそうだ。――この調子で他の『七不思議』も取り込んでいけば、この『嵐谷高校』は完成する。終わることのない世界が」
那名崎が、消えることのない世界。
「決して終わらない青春、というわけだ。どうだ、ワクワクしないか?」
「……さあね」
風見は、顔をしかめながら応える。
頭痛はひどくなる一方だった。
「そう睨まないでくれるか、風見君。私はただ生きていたいのだよ。自分がただの幻だと知ってから――ひどく、恐怖を覚えるようになってしまった。きみたちの前から消えて、この世界からも消え去ってしまう。私のことなど、誰も覚えていない。……そんな世界が、私のすぐ目の前に広がっているのだ」
那名崎は淡々と言う。
「そんな恐怖にさいなまれる私が、もっと生きたいと願うのは、罪か?」
「――止めてみせろって、言ったじゃないですか」
「言ったさ。止められるものならば、ね。だが抵抗はする。私とて、生きていたいからね。だから、私を止めたければ、きみが私を殺すことだ」
「殺すって――」
「この閉鎖空間を解くということは、私がただの幻に戻るということだ。そしてそれは、最後の七不思議である『のっぺらぼうの生徒会長』が、解決されることを意味する。 解き明かされた『不思議』は――」
白日のもとにさらされた影は――
「ただ消えるのみだよ」
那名崎は、薄く笑った。
土岐司の顔だが、やはり表情は那名崎のものだ。
『殺す』――
殺せるだろうか?
風見は自問自答する。
相手はおそろしい怪異だ。学校をまるごと呑み込むなど。
だが、儚い幻だ。
『風使い』の能力ならば、その気になれば、そんな蜃気楼のような幻などずたずたに切り裂いて、吹き飛ばしてしまえるだろう。
しかし。
……出来るか?
それで『彼』は死んでしまうのだ。消えてしまうのだ。
この世界から――もとの世界からも、跡形もなく。
居なかったことになる。あの生徒会室にも。あの校舎にも。
実体を伴わない那名崎悠一朗は、もちろん学籍もない。どのクラスにも属していない。
彼に、多面性はない。
三年のどのクラスでもないし、どの部活動のメンバーでもない。
ただの、生徒会長だ。
それしかない。
……なのに。
風見が彼を打倒すれば、その『たったひとつ』すら失う。
存在理由の消滅どころではない。
存在そのものが消えて無くなる。
果たして、自分に彼が殺せるか?
「…………」
答えは出なかった。出せなかった。
「不合格だな」
那名崎は冷徹な声で言って、右手を横薙ぎに振るった。
「っ!?」
ぐにゃりと空間が歪む。
壁が、風見のことを殴りつけた。
生徒会室の壁がせり出して、そばに立っていた風見を横殴りにしたのだ。
「ぐっ……!?」
とっさに右腕でガード。
ほぼ反射的に『風』も発動。
それでも、風見の体は生徒会室の反対側まで殴り飛ばされた。床にバウンドして、壁に激突。途中にあった長机をなぎ倒して。
「…………!」
頭がぐらぐらする。
腕がしびれる。
背中を叩きつけた拍子に、肺の中の空気をすべて吐きだしてしまったかのような息苦しさ。目まい。
「その程度か、『風使い』」
那名崎は一歩も動きはしない。
ただ冷然と、床であがく風見を見て、
「土岐司副会長と同じだな。覚悟もなく、この私の、この生徒会室に踏み入るなど。……残念だよ」
「……あんたは」
息を切らしながらも、かろうじて風見は言葉をつむぐ。
「あんたは、どっちなんだ? 止めて欲しいのか、それとも――」
「どちらもさ」
那名崎は即答する。
「私とて、公職にあった身。学校の、きみたちの平穏を願うのが本来だ」
「じゃあ――」
「だが自分でもどうしようもないのだ。……他の『七不思議』たちを、まだうまく制御できないと言っただろう? それと同じさ。私は、私自身すら制御できない。生きていたい。しかし、もうどうしようもない私のことを止めて欲しい――とも思っている。……矛盾だな」
だから、と那名崎は言う。
「きみには期待していたのさ。有無を言わさず、この私を退治してくれるのではないか、とな。数々の七不思議と渡り合ってきたきみならば、やってくれるかもしれないと思ったが」
「…………」
「期待外れだったようだ。きみは――『失格』だ!」
ぐわん、と床が揺れる。
例の『空間裁断』だ。
「くっ!?」
床が裂ける。
体は落ちていく。
落下しているはずなのに、浮き上がっているような感覚がする。
「くそっ――!!」
はるか上方へと遠ざかる那名崎へと、風見は悪態をつくことすらできずに落ちていった。
意識も、風も、すべてが暗闇に呑み込まれる――。
そして。
そして、目を開けると――。
「……ん?」
ほのかな明かり。
かすかな、薬品の香り。
風見は、どこかで仰向けに寝かされているようだった。
やわらかなベッドだ。
しかし、なにかが違う。
そうか、枕だ。
自分のベッドの枕ではない。
もう少し高くて、不思議な感触で。
それでいて、どこか懐かしいような……。
「おはよ。目が覚めた?」
染みいるような優しい声。
家族のものとも違う。
これは――
「…………天馬?」
風見がつぶやくと、「寝ぼけてるの?」と言って彼女はほほ笑んだ。
天馬美津姫。
彼女と出会った保健室で、そして彼女の膝枕で、風見は目覚めた。
(第77話 風使いと「学校」【七不思議編】(7)終わり)




