第76話 風使いと「学校」【七不思議編】(6)
「どわあっ――!?」
上下も分からないほどの激しい回転。
そのすえに、風見爽介は教室の床に放り出された。
「…………!」
背中から着地。
直前、『風』をクッションにしてどうにかダメージを軽減する。
その余波を受けて机と椅子が、がらがらと倒れる。
「つぅ――、ここは……『2-B』か?」
自分の教室だ。
見覚えのある壁の張り紙。黒板。向こうの机は、自分の席だろう。
「くそ……」
せっかく合流した美山や、生徒会役員たちともはぐれてしまった。ふりだしに戻った。
あの『異世界』と同じだ。
ただし相手は『大魔王』――会長・那名崎である。
風見は廊下に出て、駆け出す。
校内でさらなる異変が起こっていることを肌で感じ取った。
他の連中も巻き込まれている。
那名崎は、これまでの七不思議が復活していると――別物として、ふたたび校内に現れていると言っていた。そして、自分でも制御が効かない、と。
(片っ端から相手にするしかないか……?)
天川あたりは自分でどうにかするかもしれない。
簡単にやられはしないだろう。
だが他のメンバーはどうだろう……。誰もが風見のように特殊な力を持ってはいないのだ。
そして那名崎は言った。
解決してみせろと。
自分を――『のっぺらぼうの生徒会長』を。
「…………!」
二階の廊下を走り抜け、階段へと向かう。
だがそこで――
渡り廊下のほうからけたたましい物音がした。
そして、誰かの悲鳴。
「なんだ……!?」
あの方向には、『更衣室』がある。
そう、女子更衣室が。
「あの『悪魔』か……!?」
風見たちを過去へと連れ去った、黒い触手。
女子更衣室の悪魔。
あれ自体に害意はなかった。
ただ、過去の思念が、悔やむ心が無意識に他者を引きずり込んだだけだ。
時間を飛び越える能力。
怪奇現象。
巻き込まれたほうはたまったものではなかったが、命を奪おうというたぐいの怪異ではなかった。
しかし。
もしも『女子更衣室の悪魔』が、たとえば先ほど遭遇した『挑む犬』のように凶暴化していたとしたら? あの触手が、殺意をもってその爪を誰かに突き立てたとしたら?
「――――――っ!」
急がねばならない。
風見はまさしく風のような速度で渡り廊下を駆け、躊躇せず、開け放たれたままの更衣室へと飛び込む。
そこでは、
「なっ…………!」
今まさに、触手が襲いかかろうとしていた。床にへたり込むその人へと向かって。
触手はロッカーから伸びている。
無数の、黒い、影のような触手。
するすると床を這い、あるいは天井近くの高さから、覆いかぶさるようにして迫る。
太ももに絡みついて動きを封じ、手を取り、服のあいだから侵入して胸をまさぐり、さらにその奥へと――
苦悶の悲鳴。
体をまさぐられるその感触に、彼はあえぐ。
「う、うおおっ、なんじゃこりゃあ!? おい待て、こんなおっさんを襲っても何も楽しくないぞ? ……あっ、そこは、いや、本当にやば……っ!」
「…………」
「――くっ、殺すなら、殺してみろ! こんなことで俺は屈しな――あああああっ!!!」
「……………………」
心配して損した、というのが風見の気持ちだった。
まあ実際、本人は真剣に抵抗して、恐怖を感じているようではあったが。
彼――
日本史教諭・花木が、女子更衣室の床で、黒い触手に襲われている。
「…………」
あまり、いやまったく、見ていたい光景などではなかった。
花木が、こちらに気づく。
「……か、風見! み、見るな、こんな俺を見るんじゃない!」
「…………誰も」
ふつふつと込みあげてくる、謎の怒りを拳に込めて、風見は叫ぶ。
「誰も! おっさんの! 触手プレイなんか! 見たくもねぇんだよぉおおおおおおおおおお!!!!」
全力の一撃。
突きだした拳から放たれた『風使い』の一撃が、触手の根元であるロッカーに激突する。
それは暴風のかたまり。
アルミ製のロッカーの棚が一列、べごんと重い音を立ててへしゃげて、ねじ曲がる。
本体を叩かれた触手は、のたうち回るようにして、いったん花木から離れていく。
「た、助かった! さんきゅーな、風見!」
「…………。近づかないでもらえます?」
かつてないほど冷たい声と表情で、風見は恩師を突き放す。
「そ、そんな……風見……。汚れてしまった俺のことなんて、もう……!」
教師陣の中ではかなり親しい間柄の花木ではあるし、相手もそのように感じてくれていたようだったが、二人のあいだには深い溝が出来てしまった。理由は、割としょうもないが。
「つーか、こんなところで時間取ってる暇はないんすよ。……っ!?」
風見は、とっさに花木の首根っこを掴んで飛びすさる。
触手はまだ健在だ。
「ちっ。簡単にはいかないか」
さらに襲いかかってくる触手に向かって、風見が身構えたそのとき。
背後から、風見の脇を小さな影が駆け抜けた。
「――――っ?」
その人影は、伸びてきた触手に回し蹴りをお見舞いすると、その勢いのまま、手にしていたモップで横から襲ってきた触手も撃退する。
「……やっと見つけた!」
更衣室に現れた第三の人物は、生徒会書記の平実花穂だった。
風見と同じ二年生。
格闘技の腕は、風見の担任である高座山女史も認めるほどの強者。
ちなみに、彼女も『女子更衣室の悪魔』の関係者だ。
「平、僕を探してたって……」
「そうだよ! ったく。なに? 花木先生と触手プレイ中?」
「その誤解はすぐに解かせて」
「SNSで拡散していい?」
「ダメだっつーの」
この閉鎖空間が発生したあと、天川の指示で、風見のことを探し回っていたはずだ。
「国府村は一緒じゃなかったのか?」
「ん。さっきまではね。でも化学室から『あいつ』が大量に沸いて出るのを見つけて、そっちに」
「あいつ? ……ああ、あの『こびと』か」
ポルターガイストを発生させる怨霊。
その『こびと』が、あろうことか化学室で大量発生しているのだという。
現場が化学室なら……たしかに、パイロキネシスの能力に目覚めた国府村凜が適任だろう。
「んで。あたしはこっちから凄い音がしたから、来てみたんだけど……まさか、うん。女子更衣室で、生徒と教師が……しかも男同士……」
「だから違うっつーの。僕だって困ってたんだ」
「お、おい。おまえら――」
ほとんど無視されていた花木が、ようやく立ち上がって、
「あまり、しゃべってる暇はないみたいだぞ」
触手が増えている。
しかも、その先端――爪がするどく尖り、ぞわぞわと蠢いている。
あきらかに殺傷能力を備えたフォルムだ。
「これは、ちょっとマズい……かな?」
風見が珍しく弱音を吐く。
やはり予想どおり、この複製された七不思議は、風見たちを殺し、あるいは取り込もうとしている。
ここのところ、風見は能力を使いっぱなしだ。
あの『異世界』での出来事は、『あちら』では何日にも渡った出来事だったが、実際には――この『現実世界』では、ほんの数時間のことだったらしい。
どうにも、疲労が抜けない。
『あちらの世界』で、風見は能力をかなり酷使している。
先ほどから、どっと疲れが押し寄せている。
……このペースで、果たしてどこまで保つのだろうか。
「なにやってんの」
ぱこん、と平が後頭部をはたいてきた。
「って!? なにすんだよ?」
しかも握り拳である。小さいが、硬い拳。地味に痛い。
「ここは任せて。あんたは会長のところに」
「は?」
「……たぶん、そのほうがいい気がするから。今の会長には、部外者であるあんたのほうが、冷静に相手取れそうだし」
「…………」
平はそう言って、トイレ掃除用のデッキブラシを、ぽんと花木に放り投げる。
「わっ、たっ、た。な、なんだ? 俺にも戦えってか?」
「当たり前ですよ。あたし一人にやらせる気ですか?」
「おっさんに、こういうことやらせるかねぇ」
ぼやく花木。
だが彼は、押しつけられたデッキブラシを両手で構えると、
「よっ、ほいっ、はっ――と!」
ひゅんひゅんと、その場でデッキブラシを振りまわして見せる。
鮮やかな手つき。
風を切るデッキブラシ。
花木は慣れた様子でブラシを扱って、
「ほわたっ!」
びしっ、とキメポーズ。
「……なんすか、それ。中国武術でもやってたんすか?」
風見が呆れる。
「はっはっは、高校三年間、掃除時間はこんなことばっかやってたからな。まだ腕は鈍ってないようだ!」
「「…………」」
生徒の前で、このおっさんはなにを……。
風見と平の心がひとつになった。
ともかく。
この二人に任せて、会長のところへ向かうのがベターなようだ。
「……んじゃ、無理しないように」
いちおう、風見はそんな風に声をかける。
「だから、任されたってば」
平は言って、握り拳を風見の胸に突きつけた。
「よろしくね、会長のこと」
「――おう」
風見は更衣室をあとに、ふたたび廊下を駆けだした。
(第76話 風使いと「学校」【七不思議編】(6)終わり)




