第73話 風使いと「学校」【七不思議編】(3)
「那名崎会長が、幻って――」
土岐司は、天川の言葉を反芻する。
ここまで異変に巻き込まれておいて何だが、やはり、そんな突拍子もないことは信じられない。
あの会長が。
紅茶が好きで、人望も厚く、いつも沈着冷静。
土岐司が『こうなりたい』と思うあの先輩が――幻?
天川は続けた。
「分岐点、というほどのものでもないが、きっかけは三つ、いや四つある。まず一つ目は、間接的ではあるが、花木教諭の世代が制定したこの嵐谷高校の生徒会役員の制度、そのものだ」
十一月まで生徒会の三年生は引退しないこと。
それが一つ目であると天川は言う。
「そして二つ目。これはかなりの程度、直接的な原因だと言い切っていいだろう。五月、後期生徒会の選挙。この時期の三年生の……神宮院、佐々川、諸君ら全員の精神状態にあった」
「え」
この場にいる三年生は二人。
生徒会副会長の神宮院玲奈と、風見の幼なじみ佐々川千花――。
「諸君らは、進学や就職を控えてのこの時期にまで及ぶ生徒会の業務を、厭わしいと思っていた。煩わしいと考えていた。どうだ?」
「それは……」
神宮院は、当時を思い出すように考え込んでから、
「受験勉強もありますし……。それに、人の上に立つなど、そうそう気の進むものではありませんわ」
「では、なぜきみは生徒会副会長に」
「それは……推薦を断りきれずに」
ちらり、と隣の佐々川を見やる。
だが佐々川は首をかしげて、
「あれ、そうだったっけ?」
「……そうよ。それはもう、あることないこと。推薦される私が恥ずかしくなるくらいに」
「あー! そうだ、そうだったね」
佐々川が、ぽんと手を打つ。
「玲奈ちゃんは、真面目で、スポーツもできて、よく勉強を教えてくれて……一見厳しそうだけど誰にでも優しくって、綺麗で、可愛くて、指も細いし、爪なんてナチュラルにピンクでちっちゃくて、照れると耳たぶがまっ赤になるし、いつもふわ~っていいにおいがして、柔らかくって甘くって――」
「だ、だから!」
と。
五月のホームルームにおいてもそんな調子で、佐々川は神宮院を推薦したのだという。そして神宮院は、なかば強制的に副会長に立候補させられた。
「まあ、任されたからには、中途半端はいやでしたけど……」
「なぜ『会長』ではなかった?」
「ちょっと待てよ」
責めるような口調の天川に、風見が割って入る。
「先輩たちのせいだっつーのかよ?」
「そういう話をしている。……だが、個人を非難するつもりではなかったのだ。すまんな」
「い、いえ、構いませんわ」
戸惑いながらも神宮院は、
「私は、さすがにトップという器ではありませんし」
そういう生真面目なところも玲奈ちゃんぽいよね、と佐々川が相づちを打つ。
「なるほど、それで『副会長』か。他のクラスからはの立候補は?」
「なかった――ですわ。『副会長』は、私一人だけの選挙になりましたし」
「では『生徒会長』の立候補は?」
「ですから、それは……」
そこで言葉に詰まる。
神宮院をはじめ、その場の関係者は皆、当時のことを思い返そうとしていた。
二年生の副会長にみずから立候補した土岐司も、あの選挙のことを思い出そうとしている。
……自分は、確かに演説の壇上にいた。
神宮院玲奈もいた。
他のメンバーも――。
ただ。
会長は。
生徒会長候補、那名崎はその場に――いたか?
シルエットだけが浮かび上がってくる。
だが、そこに顔はない。
記憶の中で、顔のない『生徒会長』が立っている――。
「そ、そうだ!」
ふいに大声をあげた土岐司に、驚いた全員の注目が集まった。
「ぼ、僕は、あの『異世界』に行く前、そんなことを考えていた……。那名崎会長は何者なのかと。なぜ、僕らはあの人のことを、知っているのになぜ知らないのか……と!」
「そうだ。彼こそが引き金であり、結果であったのだ」
きっぱりとした口調で、天川は言う。
「五月。土岐司のように進んで立候補した者を除き、大多数の生徒は選挙に積極的ではなかった。おそらくは投票する側の一般生徒も、な」
と、天川は『一般生徒代表』の風見に視線を送る。
「ん? んー、そうだな。候補者に知り合いも居なかったし……。演説とか、かったるいじゃんか。前に座ってる女子のブラひもを、ずっと想像してた」
「この変態!」
美山の握り拳が飛ぶ。
「痛って! 頭を殴るな、頭を!」
「なんでいつもそーなのよ、ド変態!」
「いいじゃん、見てたわけじゃないんだから。夏服になったら見えるかなぁ、とか、淡い希望を胸にだなぐふぅっ――?!」
風見は、美山のボディーブローを食らってまた静かになった。
それを見届けてから天川は、
「――と、だいたいの生徒はそういう調子だったわけだ」
風見と一緒くたにされるのは、ほとんどの男子生徒にとっては不本意ではあろうが――ともかく、関心のない者にしてみれば、選挙など退屈な学校行事のひとつでしかなかっただろう。
「かつて、花木教諭が望んだ『楽しい生徒会』とは縁遠かったわけだ。近年は……ことさら今年度は、ただの退屈な、不必要な恒例行事に成り下がっていた」
天川は言う。
「生徒会の活動といっても地味なものが多い。生徒からの興味が薄いということは、なおさらその活動は注目されない。皆が関心を持つような……たとえば、部活動の予算を割り振るなど、そんな派手な権限は一切持っていない」
「うーん、その辺は大人の事情も絡むからな。保護者から集めた大事な予算なわけだし――」
話を聞いていた花木教諭が腕組みをしながら、
「っと、いかんいかん。俺もそっち側に染まりつつあるなぁ……」
などと、哀愁のため息をこぼす。
「その通りだ。生徒にそこまでの権限を与えるわけにもいかない。現実は、漫画やアニメとは違うのだから」
確かに地味、なのである。
生徒会役員と名はついていても、やることと言えば地域のボランティアへの参加だったり、学校行事の裏方だったり、全校集会の世話役だったり。とにかく目立たない。知名度が低い。
――だから、生徒会はこう自称していた。
自嘲を込めて、
『表のない黒幕』
――と。
記憶の中の、のっぺらぼうの生徒会長。
目立たず、陰でひっそりと活動する生徒会役員。
「だからこそ」
天川が言葉を継ぐ。
「だからこそ、『七不思議』の解決に乗り出した。風紀委員の風見をその解決役に指名して――」
「あ、ああ。そうだけど。全部解決したら、何でもしてくれるって」
「何でもとは言ってませんわ」
すぐさま神宮院が釘を刺す。
天川は、めいめいの顔を見わたすようにしながら、
「生徒会は、七不思議を解明して生徒たちにアピールすることで、その存在感を示そうとした。風見は、次期生徒会長のイスを要求した……それが今回の『七不思議』の騒動の始まりだ。そして諸君らは、七不思議と出会った――」
天川の言葉で、この場に居合わせた者たちの脳裏に、ここ二ヶ月ほどの出来事が浮かんでいった。
『挑む犬』――天馬空良は不本意ながらも巻き込まれ、しかし怪異を打ち倒し、天川銀牙という生徒会顧問が誕生した。
『女子更衣室の悪魔』――平実花穂は、日本史教諭の花木との因縁を知り、退屈だった高校生活に楽しさを見いだした。
『音感牢獄』――美山と蕨野、そして穂々乃木は、本物の天才に出会い、狂おしいほどの執着に触れた。
『えんきり女神』――孤独な女神の心を癒やし、神宮院と佐々川は友情を再確認した。中庭は、すべて生徒の憩いの場となった。
『化学室のポルターガイスト』――正真正銘の悪霊を退治した国府村凜は、その心に秘かな炎を宿した。不思議は解決し、そして増えた。
『異世界転移』――土岐司は、那名崎に対する疑念を深めたために、それは不完全な形で発動し、そして閉じた。
――これで六つ。
「まさか、七つ目の『七不思議』が、那名崎会長だとでも……」
おそるおそる、土岐司はそう口にした。
「そんな! 自分を解決して欲しいからって、だから会長はこの役目を僕たちに!?」
天川は首を振って否定する。
「先にも言ったとおり、彼は妖怪でも幽霊でもない。ただの幻だ。『生徒会長になどなりたくない』という思いが結集した――幻なのだ。そして、その三年生全員の思念と、全校生徒による、生徒会役員への諦観。生徒会長など必要ない、役に立たない、という諦めの心。それらが生みだした、不可思議な存在――」
天川の声が、職員室に静かに響く。
「あるいは、過去にも同じようなことがあったのかもしれない。生徒会役員への立候補者がいなかったタイミングで、『のっぺらぼうの生徒会長』はこの嵐谷高校に幾度となく現れた――のかもしれない」
「で、ですが!」
土岐司は食い下がる。
「僕らだけでなく、先生たちも幻を生徒会長だと思い込むだなんて、そんなことが……」
誰もが彼の存在を、その実在を疑っていなかったのだ。
不思議なことに。
「集団催眠。いや、共同幻想よりも大規模な、そして異質な――『集団幻想』とでも名づけようか」
皆が天川の言葉に聞き入っていた。
彼は続けた。
「諸君らは、教員も含めて、この嵐谷高校という閉じた世界の中で幻想を見せられていたのだよ。『理想的な生徒会長』という幻想を。……面倒ごとはすべて引き受けてくれて、役員たちからは慕われて、教師の手も煩わせない。毒にも――薬にもならず、ただただ、過ぎ去る時を無事に過ごすための生け贄の幻を、諸君らは信じ続けていたわけだ」
土岐司は絶句した。
あの佐々川ですら、ぎゅっと手を握って、ただただ天川の言葉を聞いていた。
神宮院に至っては、青ざめている。
彼らは皆――押しつけたのだ。
あの那名崎に――みずからが生みだした幻に、都合の悪いことを全部。
「先の土岐司副会長の疑問に答えよう」
天川は、変わらぬ調子で言う。
「彼は知らなかった」
「な、なにを――」
問いかける土岐司に、天川は告げる。
「自身が幻であることを、だ。彼は知らなかった。自分も七不思議のひとつであることを。知らず――その解決を依頼してしまった」
「そんな……」
「これがきっかけの『三つ目』、決め手になった出来事だ。これで事態は動き出してしまった。本当ならば、任期さえ終われば何事もなく消え去る運命にあった哀れな幻に、別のルートを歩ませてしまった」
那名崎の運命を、変えてしまった――。
「七不思議の解決。それは、彼にとって緩やかな自殺に等しい。なにしろ、すべてを解決するということは、自分自身も消えてしまうということなのだから。しかも、自覚のない自殺であるところが余計に哀れだ。……ただ」
そこで天川は言葉をいったん句切る。
そして。
「本来であれば、解決などできないのだ。解明などできない。偶然、ひとつやふたつの真実が明らかになることはあるかもしれなが、しかし七つすべてを、など――無理に決まっている。だからこそ七不思議だなどと呼ばれる」
そう。
あんな奇妙な出来事など、本当ならば誰にも解決できないのだ。
「……しかし、ここで不幸な邂逅があった。あってはならない出会いがあった――不思議が、あった」
天川が、ゆっくりと視線を移す。
皆がその視線を追う。
天川のまなざしは、ある人物のところで止まった。
彼、だ。
「人選を誤ったのだ、那名崎は、そして役員の生徒諸君は。不幸なことに、解決できる人物を選んでしまった。この嵐谷高校を引っかき回す……おまえこそが『四つ目』、最後の要因だ。集団幻想の中心である那名崎にとって、致命的な要素になった――」
天川は言った。
彼のほうを見て。
彼の名を呼んで。
彼のことを――指して。
「おまえが『不思議』を殺すのだ――嵐谷高校二年B組、風見爽介」
(第73話 風使いと「学校」【七不思議編】(3)終わり)




