第67話 風使いと『異世界』【七不思議編】(5)
聖王都をあとにして十四日……
「うん、そーよね。なんかもう人格は最低だけど、実力があるのは認めるし、聖王様からの信頼も勝ち取ったわけだし? そりゃあアンタが魔王退治の中心になるのは分かるわよ、分かったわよ。でも……」
魔王討伐隊。
風見を筆頭に、騎士団の選抜メンバーと、それからヒナタで編成された一団である。
彼らは数々の悪魔を屠り、アラシダニ山脈の麓にまでたどり着いていた。
あたりには荒涼とした大地が広がり、かつて葉を青々と茂らせていた木々は、精気を失って立ち枯れている。
「だから!」
ヒナタは言う。
「前も思ったけど、なんで私まで一緒なの? もうすぐ魔王城でしょ、無理よ無理。私、戦えないから!」
がつっ、がつっと手にした岩塊で悪魔の頭蓋骨をたたき割りながら、ヒナタがぼやく。
「いやいや……」
大猿のような悪魔は、すでに瀕死状態である。
彼女の左腕にがっちりとホールドされ、もはや悲鳴すら上げられないほど消耗している。
ここのところの戦闘で、ヒナタはずいぶんたくましくなっていた。
風見ともども聖王から授かった簡易な――けれど優れた――鎧を身につけている。ただし、『武器なんて野蛮』という彼女のスタンスを尊重して、彼女は素手で旅を続けていた。
「十分戦えると思うけど? 僕、悪魔よりもお前のほうが怖いからな?」
「はぁ!? どこがよ!」
がつっ! がつっ!
――めこっ。
悪魔の頭蓋骨が原型を失った。
「…………」
「なによ?」
「いえ、別に――」
返り血を浴びてなお表情を変えないヒナタに戦慄を覚えつつ、風見はマントの埃をはらい、愛馬の鼻面をひと撫でした。
「こいつらとはここでお別れかな」
この先は道なき道をゆく山岳路である。
悪魔の出現を考えるなら、馬を伴って進むのは難しい。
愛馬のつぶらな瞳を見つめていると、たった二週間ほどの旅ではあったが、胸に込みあげてくるものがった。
「……いやぁ、色々あったな」
「そうね、色々あったわね」
色々あったらしい。
「二人とも、ここからが本番だぞ」
釘を刺すように言う騎士カスパルは、すでに登山の準備を終えている。荷物を整理し、武具と防具のみを携帯していた。
鋭い眼差しで魔の山を見あげ、
「魔王リバイスバールとの決戦……いよいよだ」
「…………」
――そう。
風見にとってはまさにそれこそが本番なのである。
土岐司翔馬――彼がその魔王であるならば。
自身の境遇が――彼に由来するならば。
通学路の途中――だったはずだ。
第5の七不思議『化学室のポルターガイスト』を解決して家路に就き、そこでトラックに轢かれた。
目覚めると美山陽や蕨野雪絵によく似た村娘たちと出会い、さらには教師の花木に瓜二つの王様まで現れた。
「……と、ちょっと!」
「うわっ」
「なによ失礼な。聞いてるの? カザミ」
考えごとをしているあいだに、返り血を拭ったヒナタが風見のすぐ隣に立っていた。
「あー、聞いてなかった。なんの話?」
「もう……。だから、私はここに残るって、そう言ってるんだけど?」
「へ?」
「さすがに魔王とは戦えないし、馬を見張っておく人員も必要だし。だから私、ここに残るからね」
「ええっ!?」
風見が驚いて目を白黒させると――
想定外のリアクションだったらしく、ヒナタも驚いたような表情になっった。
風見は悲鳴をあげる。
「いやだ! ヒナタも一緒じゃないといやだ!」
「そんな駄々っ子みたいな……」
しょんぼりして風見は言う。
「…………。だって、寂しいだろ」
「え」
いつになく神妙な声に、ヒナタは戸惑う。
「そ、それって――」
「だから、ついて来て欲しかったんだよ。お前がいないと……僕はダメなんだ」
「なっ……」
ヒナタの耳が赤くなる。
「そ、そんな急に言われても――困る、んだけど……」
「だってさ」
風見はうしろを振り返って言う。
「だって見ろよ、この連中!」
カスパルを始め、屈強な男たちがそこには並ぶ。
「男、男、男……野郎ばっか! 聖王様も気を利かせてくれってんだよな。ハーレムはどこだよ、ったく。こんな汗臭い男ばっかのパーティーで魔王を倒せとか、テンション上がらないにもほどがあるっつーの。……まぁだからこそ、たとえ暴力的でも、やかましくても、胸と顔はいい線いってるお前を連れて――」
最後まで聞かずにヒナタは、『人類の希望』の横腹を精一杯殴りつけた。風見は悶絶する。
「ぐ、う……死ぬ、魔王に会う前に死ぬ……」
「それが世のため人のため、そして私のためよ!」
実際、悪魔との戦闘でもここまでのダメージを受けたことはない。内臓が破裂くらいしているかもしれない。
「この攻撃力、魔王退治には絶対必要だと思うけどな」
「ふん、あんたの風魔法があれば十分でしょ」
そう言いながらヒナタは、がっくりうなだれる。
「ホント、私は村で平和に暮らせればそれで良かったんだけど」
「だからそのための魔王退治だろ?」
「か弱い村娘に、重責を押しつけすぎなのよ」
「それを言うなら僕にも――だろ?」
「わりと進んで引き受けていた気もするけど、ね」
「……まあね」
風見にとって、魔王退治は二の次だ。
魔王と会って正体を確かめることが今の目的である。
――とはいえ。
いちおう、この世界に生きる人間にとっては本当に脅威のようだし、たとえ顔見知りが相手であっても打ち倒さねばならないのだろうが。
「……魔王って、マジで強いのかな」
「なによ今さら」
「いや、土岐司のやつ喧嘩って柄じゃないし――」
「??」
ヒナタは首をかしげる。
「それ、自信満々って意味で受け取っていいの?」
「まーね。僕は世界で唯一にして最強の風使いだからね」
「はいはい。私もちゃんとここで馬の番しとくから、ちゃちゃっと片付けてきてよね」
「げ、やっぱりそれ本気なのか?」
登山メンバーは軽装になり、準備運動を始めている。
その袖や裾から覗く筋肉は隆々としており――
「男くさいなぁ……」
唯一の女子であるヒナタを失うのは、モチベーション的にけっこうな大打撃であるのは事実だった。
「――よし!」
気を取りなおして、風見は胸を張る。
「じゃあさっさと魔王を倒して戻ってきたら、約束どおりヒナタの胸にダイブさせてもらうとするかな!」
「いつそんな約束させられたのよ私」
「そのくらいのご褒美は欲しい」
「…………あのねぇ」
ため息をつきつつも、呆れたようにほほ笑んでヒナタは言う。
「いいわよ、ちょっとくらいなら」
「へ……?」
「だから、本当に魔王を倒したら――」
「その胸に挟まれて眠っていい……と!」
「そこまでは言ってない!」
ばしん、と頭をはたかれる。
「もう、せっかくの決心を」
言いにくそうにしながらもヒナタは、
「だって、その……世界を救ってもらうワケでしょ? 私の生まれた村も、ユキエたちも、みんなみんな――もう怯えて暮らさずに済むんでしょ。そのためなら、ちょっとくらいは良いかなって……」
「ひゃっほう!」
ピョンピョンと飛び跳ねる高校二年生男子。
「そ、そこまで喜ばなくても……」
「これが喜ばずにいられようか!」
「はあ……失言したかなぁ……」
「女に二言はないだろ! なあヒナタ!」
「あーもう!」
浮かれる風見の背中を、ヒナタがばしっと叩く。
「いいからさっさと行きなさいよ! これで負けたら承知しないからね!」
こめかみの辺りをひくつかせてヒナタは言う。
「あんたが本当に強いってことは嫌ってほど分かったし、期待もしてるわ。……ただ、テンションが戦力に直結するでしょ、あんたの場合」
「よく分かってらっしゃる!」
「だから――まあ、結構な苦肉の策なのよ、断腸の思いなのよ。私の胸で済むんなら……って、かなり悲壮な覚悟なわけよ。分かる? まあ、世界中の希望をあんたは背負ってるんだし、そのくらいは……花木先生の期待も、裏切るわけにはいかないでしょ」
と、ヒナタは言った。
花木先生――と、言った。
「……え? 今、なんて?」
「はぁ? だから花木先生に任されてるんだから――」
言って、彼女自身も違和感に気づく。
「あ、あれ?」
口元を両手で押さえてうつむいたその顔が、次第に青くなっていく。
「ハナキ? ハナキ――?」
「…………」
過呼吸気味のヒナタの肩に手を置き風見は、
「なにか思い出したのか?」
「お、思い出す……って?」
その目には狼狽の色が浮かんでいる。
顔つき、体つき、性格まですべて『彼女』そのままの少女――美山陽そのままの少女。
「ヒナタ――いや、美山」
風見は言う。
「やっぱり一緒に行こうぜ」
「え――」
「そのほうがいい気がする。お前も魔王に……土岐司に会ったほうがいい」
「土岐司……くん?」
風見は左腕で美山の肩を抱き、もう一方の腕で彼女の足をかかえる。お姫様だっこである。
その体勢のまま、風見は風に乗って宙に浮かぶ。
「えっ、ちょっ、なに!?」
「何をしている、カザミ?」
美山のみならず、カスパルたちも風見の態度に動揺する。
「悪いカスパル。やっぱ世界は――僕らだけで救ってみるわ」
「な、何を」
「どうもこれは、僕らの問題みたいだ」
風見の足下に風が集まる。
「カ、カザミ……!」
強風に煽られる騎士たちを尻目に、風見は風をまとい、遙か上方へと舞い上がっていった。




