第58話 風使いと「マッチ」(4)【七不思議編】
駅前の賑わいのなか、国府村はベンチに腰掛け、往来を眺めていた。
「どうですか、体に異変とかあります? そろそろ成仏してもらわないと、家に連れて帰るわけにもいかないんですけど」
ぼやき気味にこびとに訊ねるが、返ってきたのは、
『さあ、どうだろう』
という煮え切らない回答だった。
そもそも、カフェを出たあたりから彼は言葉が少なくなった。なにかを思い詰めている、といったふうにも見える。
胸ポケットから顔だけを出して彼は、道行く人へ、ぼんやりした視線を送っている。駅の近くは、部活帰りらしい学生や、まだ遊び足りなさそうにおしゃべりしながら歩くセーラー服の集団などで人通りが増えつつあった。
そのとき――
駅へと歩きながらスマートフォンを操作していた女子高生の、ブレザーのスカートが、不自然にふわりと揺れた。
■ ■ ■
「おい、どういうことだよ」
国府村を見つけるべく自転車のペダルを早めながら、風見は荷台に座る平に問いかけた。
「国府村が取り込まれるって、あのポルターガイスト野郎にか?」
「そう、会長から急に連絡があって……国府村がやばいって」
「じゃあ直接連絡すれば――あ、そうか。いまは通話中か」
当のポルターガイストと会話するため、国府村の、そして風見の携帯電話も現在通話状態にある。
「でも、なんで会長が?」
「さあ、なんだか古い資料を探してたらとかなんとか……よくわかんないけど、とにかく凜がピンチだって言うから、図書館を探しに行ったんだけど」
「――――」
生徒会室を出る前、行き先を告げただろうか? 風見は記憶をたどってみる。
「そしたらさ、爆発事故でもあったのか、なんか建物がえらいことになってて」
「へ、へえ――」
若干、心当たりのある風見であった。
「……アンタ、なにかやらかした?」
「いや、別に」
「ふうん。ま、いいけどさ」
どうやら彼女は、風見の起こした図書館戦争には興味がなさそうで助かった。
「ともかくさ、凛が連れていったっていうお化けなんだけど、やばい奴みたいなんだよね」
「やばい奴?」
「ストーカーだって」
「は?」
「ちょ、ちょっと!? 前見なって、前!」
運転しながら振り向いた風見に、平は慌てて叫ぶ。
「――ったく」
「どういうことだよ、ストーカーって」
「会長の話によると、そのお化け、クラスの女子に入れ込み過ぎて、付き合ってると思い込んじゃったってんだってさ。そんで、その女子生徒が他の男子と恋愛関係になったのを知って、とうとう『癇癪』を起こしたって」
「癇癪?」
今度は前を見たままで風見は訊いた。
「つまり、暴力的な手段に出たってことか?」
「ん――たぶん。その辺は会長、あまり詳しく話してなかったけど……校内で彼女を追い回していて、つまづいて転倒、打ち所が悪くってそのまま帰らぬ人に――だってさ」
「まじか。しかしまあ、よくそんなことまでわかったよな」
「会長? うん、まあ那名崎会長だからね」
気軽なふうに言う平に、風見は、
「お前らのその、会長への全幅の信頼はなんなんだろうな……」
ふう、とため息をつく。
――しかし。
会長は本当に、どうやって当時のことを調べたのだろうか? たしかに、校内で死者が出たという事故――事件ともいえる――があれば、それなりに資料は残っているのかもしれない。
だが、この短時間でそういった資料を見つけることができるのであれば、そもそも、初めから『化学室のポルターガイスト』は発見できていたのではないか?
あえてそうしなかった? 生徒会役員に、あるいは風見に解決させるため放っておいた?
……いや、あの会長が、あえて仲間を危険にさらすだろうか。
「ちょっと? どうしたの風見?」
「ああ、いや、なんでも――」
「早く凛を見つけないと」
そうだ、考えるのはあとでいい。まずは国府村を探し出すことが先決だ。とはいえ、どこを当たったものか――。
考えていると、駅のほうから悲鳴が聞こえた。
■ ■ ■
国府村は驚いて立ちあがった。
道行く人の――しかも、女子限定で衣服がはぎ取られていく。
女子高生のスカートが逆さに吊られ、スーツのお姉さんのブラウスはボタンが弾け飛ぶ。果ては、ああ、あんな小さな子まで。
いたずらな風のせい?
いいや、違う。これは――
「ポルターガイストのせいですか、こびとさん?」
国府村の問いに、彼は、
『う、うひ、うひひ』
肩を震わせ笑った。
『女なんて、痛い目に遭わなきゃわからないんだ。馬鹿だ。馬鹿な生きものなんだ――あは、あはは、あはははは』
ぞわりと悪寒が背中を這った。
この怨霊を外に連れ出したのは間違いではなかったのか。彼はとっくに、壊れてしまっているのではないだろうか。
胸ポケットから彼が浮いた。風見のスマートフォンとともに、空を高く舞った。
『なぜ僕を認めない?』
彼のおぞましい声がした。
『なぜ彼女は、僕を変態と呼ぶ? ふざけるなよ、こんなに愛しているのに。きみだって、愛していると言ってくれたじゃないか! ――嫌いだ。彼女と話すお前が嫌いだ。彼女を見るな。それは僕のだ。触れるな、髪の毛一本まで僕のものだ。あは、どけよ、どけよぉ! どいつもこいつも、裏切りやがって!』
惨状は広がる。ついには、国府村にも、その魔の手は伸びた。
「え、きゃあっ」
彼女の体が持ち上がる。
『う、うひ。いいよもう、お前でいい。愛してあげるよ、凛ちゃん。だからほら、ひとつになろう。怖くないよ。僕のこのすばらしい力を、きみにもわけてあげるから』
■ ■ ■
「な――、なんだこれ!?」
風見は駅前の様子に、目を見開き、ペダルを止めた。
「風見! あれ!」
平が夕暮れの空を指さす。そこには風見のスマートフォンを空飛ぶ絨毯のようにして、あのこびとが浮かんでいた。
その直下に、国府村の姿。
「う、浮いてる?」
平が困惑の声をあげる。
いままさに、国府村の小さな体が、こびとに引き寄せられるかのように浮き上がっている。彼女は身をよじるが、まるで透明な巨人の手に掴まれているかのように、その動きが押さえつけられていた。
「嘘――」
一度は七不思議に立ち会った平も、眼前の光景に呆然と立ち尽くすだけだった。
しかし一方で風見は、別のことを考えていた。
なぜ僕は興奮しない――と。
駅前には、女子の下着姿があふれ返っている。毎朝のスカートめくりなんて目じゃないくらいの数だ。恥ずかしがる顔、色とりどりの下着。
だというのに、まったく興奮しない。
どころか、憤りすら感じる。『彼女たち』の、声にならない悲鳴が聞こえるようだった。
そう、『めくられるなら風見さんがいい』――と!
もちろん幻聴だ。しかしその甘い幻想こそが、彼の魂の源泉でもある。風見は多くのスカートをめくるうちに、ある境地にたどり着いていた。
それは、『自己を分離する』という行為だ。
彼のスカートめくりは、自然的なものではなく、もちろん人工的なものだ。しかし、よりその行為を楽しむため、彼は自然を演出する。観客は自分。演出家であり観客であるのだ。
これは、妄想にふけるのとよく似ている。
人はしばしば、ありもしない妄想に浸る。そのとき、心は現実ではないどこかを向いている。しかしその妄想は、まぎれもなく、『現実の自分』が創り出した幻像なのである――
そうと知りつつも、『自ら進んで騙される』ことにより、我々は妄想の世界で精神を解放できるのだ。
風見のスカートめくりは、もはやその域にまで達していた。
突然の風。めくれるスカート。
それらが、まるで自然に起こった現象であるかのように、積極的に思い込むことにした。そうすることで、『スカートめくりをする自分』と、『めくれるスカートを見て楽しむ自分』を分離することに成功したのだ。
――だが、これは違う。
誰かの手によってめくられるスカートなど許せない。妄想は誰かに見せられるものではない。自分で創り出すものなのだ。
「そうだ、世界中のスカートは、僕にめくられるためにあるんだ……」
確信を得た。
激しい怒りは、やがて確固たる意志へと姿を変える――
「スカートをめくっていいのは、僕だけだ」
心はすべて、そのためだけに――
「僕は掴む、スカートの裾を。僕は見る、その下にある布地を」
体はすべて、そのためだけに――
「消えろ……僕の前から、消えろ……!」
スカートをめくる、そのためだけに――
風が巻き起こる。めくれ上がったスカートを押さえつけ、ブラウスの前を閉じ、うずくまる少女の肩に、上着をかける。
彼は叫んだ。
「『逆襲の聖風』!」
たぶん英訳が間違っているが、彼は気にしなかった。
誰だ。
僕以外にスカートをめくるのは。
誰だ。
女の子を泣かせたのは。
誰だ。
国府村を奪おうとするのは。
「――――お前か」
風見は、静かな怒りに燃える目で、こびとを見上げた。
(第58話 風使いと「マッチ」(4)【七不思議編】終わり)




