第57話 風使いと「マッチ」(3)【七不思議編】
「ところで、なんであなたは成仏もせず、そんな格好をしてるんですか?」
国府村は、書棚の間に立って本を探すふりをしながら、胸ポケットに向かってたずねてみた。すると彼は、もぞもぞと身じろぎをして、
『う、裏切られたんだ……恋人に』
「恋人――いたんですね」
冴えない雰囲気の男子ではあるが――まあ、蓼食う虫も好き好きだ。
「裏切られたって、どういうふうに?」
『浮気だよ。彼女、僕というものがありながら……将来を誓い合ったのに』
「もしかして……それであなたは、自ら命を?」
『ん? いいや』
ポケットのなかでこびとが首を振る。
『走って転んで頭を打ったんだ』
「はあ?」
『化学室で掃除をしていたら、運悪く、机の角でね……そして、気づいたらこんな姿だった』
■ ■ ■
「恋人……裏切り……?」
書棚で隔てられた隣の通路。
ずらりと並べられた本の列に頬を寄せて、国府村たちの会話に耳をそばだてるのは――そう、風見だ。
彼は、国府村と『こびと』のデートを尾行している。それは単なる興味からではなく、一応、七不思議の解決を試みようという責任感からでもあるし――二人の会話のために、自身のスマートフォンを奪われているという現実的な理由もある。
「あいつら、なに話してんだ?」
国府村の声はともかく、こびとの声はあまりに小さく、風見にはほとんど聞こえない。断片的な情報から、恋愛の恨みのようであることはわかったが……。
「ちょっと、すみません――」
聞き耳を立てる風見の背後で、女性の声がした。彼は振り返らずに、しっしっと手のひらを振って、
「あー、聞こえねえから、静かに」
「あのう……」
声を無視して、棚の向こうへと神経を向ける。
「あの、ですから、あなた……」
肩に手を載せられて、風見は、
「ああもう、うるせえな。なんだよ」
不機嫌な顔で振り向く。そこには、地味な服を着た女性が立っていた。年の頃は三十なかば、といったところだろうか。どうやらこの図書館の司書らしい。
「なんだよ――ではなくてですね」
彼女は頬を引きつらせ、腕を組んで風見をにらむ。
「ここは健全にして神聖な図書館です。先ほどからあなた……チラチラと女の子を覗き見たり、盗み聞きをしたり――」
「ああいや、これには深い事情があってですね」
風見は慌てて否定する。しかし、司書のおばさ――お姉さんは、
「わかりました。では、そのご事情は、別室で聞くことにしましょうか」
「?」
彼女が不敵に笑い、パチンと指を鳴らすと、通路の左右に黒スーツの男があらわれた。図書館には場違いな、やたらと体格のいい、サングラスまでかけた屈強な男たちだ。
彼らは音もなく近づいてくる。
「な、なんすか、こいつら――」
「図書館SP。私が手塩にかけて育てあげた、最強の守護者です。彼らはひと言もしゃべらず、物音ひとつ発さずに獲物を仕留めます」
「獲物って……」
じゅるり、とお姉さんは舌なめずりをする。
「さあ、この子猫ちゃんを捕らえちゃってください」
風見の背後に黒スーツが回り込み、左手を後ろで締め上げ、口を塞ぐ。
「ん――? んぐぐ……!」
その間、わずか0.02秒。風見は反応すらできずに拘束されてしまった。もう一方の男――身長は2メートル以上ありそうだ――は、むっつりした表情のまま、司書のお姉さんを抱き上げ、肩に乗せた。
「ふふふ、これぞ究極合体。名付けて『最上段の本にすら手が届く私』。どう、素敵でしょう、子猫ちゃん?」
『ん~~~!』
風見はじたばたと足掻くが、プロの図書館SPに拘束されてしまってはどうしようもなかった(なんだプロの図書館SPって)。
「では、例の部屋へ。……ふふふ、そう怯えなくても大丈夫ですよ?」
お姉さんは、標高約3メートルの位置から風見を見下ろして、にたりと笑った。
「じっくりたっぷりねっとりと……読み聞かせをしてあげますからね、子猫ちゃん」
風見は恐怖を感じた。
「よくわからないタレントが書いた自己啓発本や、翻訳のひどい物理学評論、私が中学生の頃にしたためた精神が不安定になる素敵な詩集に……言い回しがくどくて主人公が変態で展開の雑な学園コメディ小説……ふふふ、いろいろありますからね。今日は帰しませんよ」
彼女はこれから起こるである素敵なできごとを想像したのか、ぞくぞくっと身震いをして、恍惚の表情を浮かべた。
風見の悲鳴は、図書館SPの分厚い手のひらに遮られて、むなしく響いた。
……だから、図書館SPってなんなんだ。
■ ■ ■
風見の惨状などつゆ知らず。
国府村たちは図書館デートを堪能したあと、駅近くのカフェへと移動した。出迎えた女性の店員に国府村は、律儀に「二人です」と告げた。
国府村があまりにも真顔であったため、店員は引きつった愛想笑いで、窓ぎわの二人席へと案内してくれた。
「ご注文は……」
おそるおそる訊ねる店員に、
「えっと――あ、ちょっと待ってください」
国府村は視線を胸ポケットへと移し、
「なにがいいですか? ……ああ、それもそうですね。じゃあ、これを二人で……そうしましょうか」
つと顔を上げると、店員はビクリと肩を揺らした。
「は、はい――お決まりでしょうか」
「ええ。カプチーノをひとつと、アップルパイをひとつ。あ、飲み物はぬるめでお願いします」
「か、かしこまりました。少々お待ちくださいませ――」
彼女は小刻みにうなずくと、そそくさと厨房へと引っ込んでいった。
ややあって運ばれてきたアップルパイを細かくして、胸元の彼へと分け与えたあと、国府村はぼやくように言った。
「しかし、本当にこんなことであなたの無念は晴れるんですか? 私、たいしたことしてませんけど」
『いやいや、僕にとっては夢のような時間だよ』
「そうですか?」
『ん、いやしかし、もっとサービスしてくれるというのなら、ここはぜひ、二人っきりになれる場所にでも……』
だらしない顔になりかけた彼に国府村は、
「あ、そういうのは断固拒否です」
すっぱりと言った。
『そ、そうか……』
こびとはしゅんと小さくなる。
「裏切られたっていうその恋人さん、どんな人だったんですか」
『ああ……彼女は学校のマドンナでね。おしとやかで、成績も良くて、優しくて――なにより、僕にぞっこんだった』
「奇特な人もいたものですね」
『……きみ、もうちょっと言葉をオブラートに包んだほうがいいと思うよ?』
彼はため息をついた。
『ともかく、そんな彼女だったから横恋慕をする輩も多くてね。まったく、迷惑な話だ。彼女も困っていたよ』
「そうですか。でもその結果が……」
『気の迷いさ。でも僕は許すつもりだった。それくらい彼女のことを愛していたからね……』
彼は胸ポケットの中で、暗い視線を窓に向けた。
『必ず僕のもとへ帰ってくる。そう確信していたのに――あの女…………』
これといった恋愛経験のない国府村にとって、嫉妬や独占欲といった感情は、理屈では理解できるが、実感はわかない。
彼女はコーヒーカップをかたむけ、気のない相づちを打った。
――厨房のほうで、なにかが割れる音と悲鳴が響いたが、特に気にもとめず、アップルパイを一口ほおばった。
■ ■ ■
「くそ――ひどい目に遭ったぜ……」
風見の顔にはありありと疲労の色が浮かんでいた。
あのあと、屈強な男に抱きかかえられて薄暗い廊下の先にあった『読み聞かせ室』に運びこまれた。
部屋の表札には書き直した跡があり、うっすらと『拷問室』という文字が見えたが――まさか図書館にそんな施設があるわけがない。見間違いだろうと風見は結論づけた。
鉄製のイスに拘束され、膝にバカでかい百科事典を六冊乗せられた状態で、予告通り、お姉さんの地獄の読み聞かせが始まった。これがまあ、面白くない。文章がさっぱり頭に入ってこない。まさに地獄であった。
そこで風見は、風使いの能力を駆使して、司書のお姉さんや図書館SPに抗った。図書館から脱出すべく、派手な戦いを繰り広げた。
それは文字数にして五万字くらいに渡る大脱走劇だったのだが……まあ、今回の本筋とは関係ないのでここでは省く。
自転車を押しながら、国府村たちはどこへ向かったのだろう――と、途方に暮れていたところ、
「いた! 風見!」
後ろから声を浴びせかけられた。「すわ追っ手か!?」と、慌てて振り返ったが、そこに立っていたのは司書のお姉さんではなかった。制服姿で、活発そうなショートカットの少女。
生徒会書記の平実花穂だ。
「探したってーの」
彼女は息を切らして、顔には汗を浮かべている。
「なんだ、おどかすなよ平。どうしたんだ、そんなに慌てて?」
「凛は?」
「凛?」
「国府村! 国府村凛だよ! どこ行った?」
彼女の必死な剣幕にひるみながら風見は、
「それが見失っちまってさ――」
「役立たず!」
急にののしられた。
「だから、なんなんだよ」
眉をひそめる風見に、平は言った。
「まずいんだって――アイツ、このままじゃ化学室のお化けに取り込まれちゃうかもしれない」
(第57話 風使いと「マッチ」(3)【七不思議編】終わり)