第56話 風使いと「マッチ」(2)【七不思議編】
放課後。
風見は国府村を伴って、生徒会室をおとずれた。会長の那名崎が一人、窓の外を見ながらティーカップを傾けていた。
「おや、珍しい取り合わせだな」
入り口に立った風見たちを見ると、那名崎は眼鏡の奥を細めた。
「どうしたのかな、風見くん、国府村書記」
「あー、えっとですね……」
「?」
■ ■ ■
「ほう、これは――」
那名崎は、机に置かれたガラス瓶を物珍しそうに眺めた。瓶の中には、小さな男子生徒が入っている。詰め襟の制服だ。
「化学室のポルターガイストの正体が、彼というわけか。なるほど、人形のようにも見えるが――動いたね」
さして驚いたふうもなく、那名崎は顔を近づけて『こびと』を観察した。
小さな彼は、いかにも不健康な顔つきをしており、首は細く、制服の襟カラーとの間には余分な空間がある。
「この制服からすると、二十年前くらいの生徒かな」
「……つーか会長、冷静っすね」
机を挟んで向かい側に座る風見が、やや呆れ顔でそう言った。
「七不思議の奇怪な報告を聞くのも、これで五度目だからね。あまりご期待に沿えるような反応は見せられないかな」
「そうっすか」
「――しかし、君も似たようなものじゃないかな、風見くん。君は、誰よりも驚いていないようにも思うが」
「いやあ、これでも十分驚いてるんですけどね」
風見は肩をすくめてみせた。
「『彼』を発見した経緯は――国府村書記に聞けばいいのかな?」
那名崎が、風見の隣に座る国府村を見た。彼女は「はい」とうなずいて、
「私、昨日は化学教室の掃除当番だったんですけど……」
彼女の言葉に、二人は興味深そうな視線を送る。
「虫かなあ、と思って指でつまんだら、男の子でした」
うんうん、と二人はうなずく。
――が。
「…………」
「…………」
「…………。で?」
風見が苦笑いしてたずねた。
「で、とは?」
「いやだから、発見するにあたっての苦労だとか、捕獲するとき抵抗されたとか……そーゆーのは?」
「はあ、特にありません」
「ないの? まったく?」
「ええ。まったく」
「…………」
ふたたびの沈黙の中、那名崎がコホンと咳払いをして、
「風見くん。君に、こんな経験はないかな?」
「?」
「ふとデジタル時計の画面を見たら、ちょうど11時11分11秒だった。――あるいは、山積みになったプリントを適当に掴んだら、必要な枚数きっかりを手にしていた――というような、奇跡と呼ぶには生ぬるいが、ささやかな幸福を与えてくれる、そんな出来事を体験したことは?」
「……ああ、ありますね」
那名崎は相好を崩して、
「国府村書記は、そういうことが多々あるのだよ」
「ラッキーガールってことっすか」
「そうだ。ただし、そういう小さな奇跡を起こしたあと、必ず――」
「必ず?」
「トラブルを呼んでしまうんだ」
那名崎は笑顔のまま、そんなことを告げた。
■ ■ ■
「さて、どうするつもりかな、風見くん」
「どうするって、なにがっすか?」
那名崎の問いかけ意味がわからず、風見は首をかしげた。
「だから、この『彼』をどう扱うのかなと思ってね」
「そう言われても――」
「まさかこのまま囲っておくわけにもいくまい。彼が、もとは嵐谷高校の生徒で、何らかの心残りを抱えてこのような状態になっているのであれば、放ってはおけない。彼自身のためという理由もあるが――根本のところで解決を見なければ、結局、化学室にはポルターガイスト現象が起こり続けるのではないかな?」
那名崎は試すような視線で、風見と国府村の顔を交互に見た。
「えっと、じゃあ聞いてみましょうか?」
さも当然のように国府村が答えた。風見は眉をひそめて、
「聞くって――こいつにか? しゃべれんの?」
「ええ。だってこの人も人間ですから」
「ああ、うん? まあそうなんだろうけど」
いまいち釈然としない気持ちで、風見はもう一度ガラス瓶に視線を落とした。
国府村がガラス瓶の蓋を開けて、無防備に耳を近づけた。こびとは、国府村を見あげて小さな口をわずかに動かした。
「――なにか言ってるんですけど、声が小さすぎますね」
「じゃあ、こうしてみるか?」
風見はポケットからスマートフォンを取り出して、
「国府村。お前の電話番号を教えろ」
「え――普通に嫌です」
「……あのな、別に僕は下心からたずねてるわけじゃないんだ」
「あ、それでも嫌です」
「お前やっぱり、虎走の友人なだけはあるな。切り返しの鋭さが半端じゃねえぜ」
風見はうんうんとうなずいて納得した。
「――じゃ、なくてだな。こいつに電話の片方を向けて、もう一方の受話音量を最大にしてみよう、ってことだよ。それなら聞こえるんじゃねえの?」
「なるほど。さすが先輩」
「急にさすがとか言われても、褒められてる気はしねえよな」
「まあ、社交辞令ですから」
「……ですか」
風見はため息をつく。国府村の言葉にはまったく毒気がないのだが、それが余計に胸にこたえる気がした。
とはいえ彼女は風見の提案を飲んだ。互いの電話を通話状態にして、風見のそれをガラス瓶の中へ、国府村のほうは外部スピーカーをオンにして『彼』と会話した。
「もしもし? あなたのお名前は?」
呑気なふうに国府村が問いかけた。
内蔵スピーカーからは、うめき声のような音が響いた。だが、呪詛めいた怨念の声というより――
『……あ、ええ、う…………』
ただ単に、言葉に詰まっているようだった。
『う――女子とおしゃべりしている……うひ、うひひ』
「なんだこいつ」
風見は訝しげな顔で言った。
「女子の声で興奮するとか、変なやつだな――ん?」
那名崎と国府村が、じとっとした目で自分のことを見つめていることに気づき、風見は、
「なんすか? 僕の顔になにか?」
「いや、気にしないでくれたまえ。――国府村書記、続けてみてくれるかな」
「はい」
スマホに向かって国府村は彼に問いかけた。あなたは何が心残りなのか、と。
『う――え、っと……』
煮え切らない態度に、風見がしびれを切らし掛けたとき、彼は言った。
『お! お……、女の子と、デートがしたいです……』
スピーカーからのその言葉に、風見と那名崎は目を見合わせ――ついで国府村の顔を見た。
彼女は自分の顔を指さして、
「わ――私ですか?」
目を丸くした。
■ ■ ■
国府村は生徒会室を出ると、町の図書館へと向かった。それが『彼』の希望のひとつだったからだ。
ポルターガイスト現象の原因であるそのこびとは、国府村の制服の胸ポケットに収まっている。彼の背中にはスマートフォン。そのマイクへ話しかけると、イヤホンを通して国府村の耳に音声が届く仕組みだ。
「なんだか、落ち着かないな……」
図書館の自動ドアをくぐりながら、国府村は小さくつぶやいた。
『あ、……なんか、すみません』
彼は恐縮して、胸ポケットから控えめな視線で見あげた。
「ああ、いえ。先輩はお気になさらず」
『先輩?』
「ええ、だって学校の大先輩に当たるんじゃないですか?」
『……たしかに。う、うひ――いい響きだな……も、もう一回!」
「…………先輩」
『う、うひひ……!』
気持ちが悪い。国府村は胸ポケットを強く叩いてこの生き物(死人?)をつぶしてしまおうかと考えたが、制服の布地が体液で汚れても面倒なので、実行には移さなかった。
――さて。
彼女と彼のデートを、離れた位置からうかがう者があった。その男は書棚の影に隠れ、国府村の背中を盗み見る。
顔はだらしなく、視線はいやらしい。国府村の死角を探しては、するりと身を潜めている。変態だ。こんな男をのさばらせて良いのだろうか。……ほら、今度は別の高校の女子に目が向いた! 気をつけろ! 彼の視線は君の生足に向いているぞ! スカートの裾を押さえて! 図書館のエアコンが、そんなに強い風を吐き出すわけがないだろう!?
はたして、この不埒な男子高生は一体何者なのだろうか……!?
(第56話 風使いと「マッチ」(2)【七不思議編】終わり)




