第6話 風使いと「夏休み」(1)
※「夏休み」編、改稿作業中です。しばらくお待ちください。
七月も半分以上が過ぎ、僕、嵐谷高校に通う風使い、風見爽介も無事に一学期の終業式を迎えた。
昼前には学校から解放され、生徒たちはばらばらと散っていく。
これから夏休み。僕の最も好きな季節がやってくる。
■ ■ ■
「おい風見」
教室を出ようとしたところで担任の高座山先生に呼び止められる。
「何ですか? 先生」
「明日から夏休みだが、君は、大人しくしてろよ。一生に一度の高校二年の夏休みなんだから、思う存分、大人しくしていろ。
何なら宿題なんてそこそこでいいから。いいか、私になら迷惑を掛けてもいいが、親御さんや世間様には迷惑を掛けるなよ」
何だか凄いことを言われている気がする。
「いや先生、冗談ですよね?僕が、この僕が夏休みに大人しくするなんて。毎日女子のお尻を追いかけて回して走り回るに決まってるじゃないですか」
「おい……」
「だってほら、僕、陸上部ですし」
先生の頭部からブチっという音が聞こえる前に、僕はダッシュで教室を後にした。この一学期の中で、僕の危機察知スキルは大きく上がっているのだ。
……次に会う時が怖いな、高座山先生は執念深いからな。
■ ■ ■
廊下で、隣のクラスの女子とすれ違う。
「お、天馬、帰らないのか」
最近出来た僕の友人、天馬 美津姫である。今日も儚げに美しい。パーフェクトクールビューティーだ。
「爽介くん。うん、保健室の代々木先生に挨拶してから帰ろうと思って」
この友人は、ここ最近、僕の事を『風見くん』ではなく、『爽介くん』と呼ぶようになった、おそらく校内で唯一のレアキャラだ。彼女曰く、友達なんだから当たり前、なんだそうだが、僕の方からはそんな風には呼べずにいた。
なので、あだ名で呼んでみた。
「そっか、夏休みはどうすんの、マイラブリーエンジェル」
「私、帰宅部だから。バイトと、受験に向けての長めの助走期間に入るかなってとこだよ、マイスイートフレッシュボーイ」
フレッシュボーイ? 爽やかな男で爽介ってこと? 分かり難いぞそれ。
医学部への進学を見据えている天馬は続ける。
「それじゃ、勉強の合間とか、気が向いたら連絡するかもしれないから。その時はよろしくね。あ、バイト先に遊びに来てくれてもいいよ」
「ああ、頑張れよ」
ひらひらと笑顔で手を振って、友人に別れを告げた。
■ ■ ■
下駄箱で、馬の尻尾が揺れていた。
ポニーテールとキリッとしたツリ目、そして形のいい巨乳がトレードマークのクラスメイト、僕の宿命のライバル美山 陽が友人と下校するところだった。
「げ、風見」
僕を見つけるとあからさまに嫌な顔をする美山。
「何だよ釣れないな。いつものお前なら駆け寄って来て僕の靴を舐めながら、『今日も存在してくれてありがとうございます、風見様』って言うところだろ」
「……せっかく今日くらいは絡まずに帰ろうと思ってたのに。ふざけんなバカ、そんな私は一秒だって存在したことは無いわ」
まったく、敵愾心をむき出しにしやがって。キーキー喚くと小者に見えるぜ。胸はデカいくせに。
「もう帰りか、巨乳」
「違うわよ。練習よ、練習。野球部は今日も平常運転よ」
「ああ、お前、野球部のマネージャーだったな。『もし高校野球の女子マネージャーが巨乳だったら』って本にインスパイアされたんだっけ」
「なによそのドラマ性の無さそうな、煩悩しか刺激されない小説のタイトルは。
普通に野球が好きなだけよ、あんたと違ってみんな健全に青春を満喫してんのよ。で、あんた陸上部は?」
「世の中には『おっぱいバレー』っていうメガヒット傑作があってだな。
……ああ、陸上部は今日は休み、明日からまたビシビシ練習だとさ。ミッチーが特別メニューを組むとか燃えてた。
だから今日は帰って映画版『おっぱいバレー』をリピートで三回観たあと、原作もひと通り読む予定だ。何なら布教用のDVDを一枚貸してやろうか」
『おっぱいバレー』のような名作は当然、鑑賞用、布教用、保存用、頬ずり用で四つ所持している。小説とDVD、それぞれ四つずつ。
ちなみに、ミッチーというのは陸上部顧問の道田先生のことだ。先生も『おっぱいバレー』の大ファンであり、いつかの合宿では朝まで語り明かしたものだ。
「はぁ……幸せそうな人生ね。まあせいぜい、私の見えない範囲で好きなように生きていきなさい」
「ふん、僕はお前の瞳に映り続けるぜ、一生な!」
僕の言葉を無視して、クラスメイトはグラウンドへと去っていった。
■ ■ ■
自転車置き場では見たことのある二つの人影。
身長差が随分ある凸凹カップル。小さい方は僕の陸上部の後輩、虎走 あぶみだった。
虎走は僕を見つけると、
「あ、風見先輩。お疲れさまで〜す!」
ぶんぶんと手を振って近寄ってくる。犬みたいだな。
「なんだ虎走、今日は彼氏とデートか。いつもは遅くまで練習だからな。今日くらいは遊んでやれよ」
あちらの背の高い男子は、六月に虎走が付き合い始めた一年生男子、為末くんだ。僕が顔を向けると、ペコリと会釈をしてきた。
直接話したことはないが、虎走を通してお互いの存在を知っているという感じだ。
「えへへ、そうなんです。あ、先輩も一緒にカラオケ行きます??」
「一緒にって三人でってことか?さすがにそれは遠慮するぜ、この僕でも」
「いえ、リエとリエの彼氏も一緒に、五人でですよ。にこっ」
邪気のない笑顔で本当に恐ろしいことを口にする後輩。これが本物の悪か。
「おいお前、先輩を精神的に追い詰めてどうしようってんだ?お前のほぼ平面な胸を完全な平面にしてやろうか。幅跳びの砂場のようにフルフラットにしてやろうか。
そして為末くんの胸は、平均的な日本人男子の手で一番揉みやすいとされるCカップにまで変形させてやる」
「な、なんですかその秘術は?!こわっ」
「秘術ではない。呪術だ」
「余計にこわっっ!」
ズザザっと後ずさる虎走。いちいちリアクションが大げさで面白い後輩だ。
「まぁ、僕の目の届かないところで幸せにやりたまえ」
「いいえ! 私は先輩の視界の隅にカットインし続けますよ! 一生ね! きらんっ☆」
「見切れてんじゃねぇよ、せめて普通に映り込め」
僕は、後輩の言葉を無視なんてしない、器の広い男なのだ。
■ ■ ■
僕の愛機の『疾風丸』(ママチャリ)に乗って校門を出ようとすると、女子生徒の後ろ姿があった。
まっすぐな艶のある髪。夏服のセーラーは、嵐谷のものではなく、隣の、私立校のものだった。
誰かを待っているようで、鼻歌交じりにと空を眺めている。
その後ろ姿に、僕は話しかける。
「よう。待ったか、久しぶり」
僕の声に反応した彼女は振り向き、笑いかけてくる。
その眩しい笑顔に、僕は思わず苦笑いを返す。
「ま、じゃあ行こうか」
彼女は、僕の幼なじみを知る、彼のことを最もよく知る人物だった。
僕の幼なじみ。
去年の夏休み、つまり、僕が風使いになったあの夏休みに、僕の目の前から消えた、僕の幼なじみのことを思い出す。あの熱風の夏休みとともに思い出す。
それはとても、風の強い日のことだった。
(第6話 風使いと「夏休み」(1) 終わり)