第53話 風使いと「雑誌」(3)
「腰いてぇ……」
僕は縁側にどっかりと腰を下ろす。すると居間の奥から絹子さんが近づいて来て、
「随分と激しかったようですね」
微笑みながら隣に正座した。
「いやホントっすよ。どんな体力してんだか」
そう。いくら非力とはいえ、同時に六人を相手するのは骨が折れた。
「元気っすねえ……」
僕の視線の先――北条家の広い庭では小学生が六人、所狭しとはしゃぎ回っている。
北条は、昨日道場で見せたのと同じ、趣味の悪い忍装束――毒々しいピンクだ――でその相手をしている。さっきまでの僕と同じように、少年少女たちに揉みくちゃにされながら。
ん? あの後のこと? それはもちろん……。
■ ■ ■
北条家の策略により、僕は追い詰められていた。
ひとつの布団に二人の男女。ここで逃げちゃあ男がすたる。分かっている。そんなことは分かっているのだが、とはいえ流されてやっちゃうのも違う気がする。
「あのさ、北条。僕が気を失ってたときに寝かされた部屋あるじゃん。僕、あっちでいいんだけど。いやむしろ、どこでもいいんだけど」
僕がそう言うと彼女は、しれっとした口ぶりで、
「この部屋以外は、とても客人を泊められるような部屋ではないのです」
「いやいや、結構きちんとしてたよ?」
「夜になるとダメなのです。壁は崩れるし、天井には穴が空いて、あちこちからうめき声が聞こえてくるので」
それはもう忍者屋敷じゃなくお化け屋敷だ。
「それに、雨漏りが酷くて」
「降ってねえし。降水確率10パーセントだし」
「1パーセントでも可能性があるうちは諦めてはいけません」
「諦めろや。その姿勢は格好いいけどさ……。ま、だから僕はあっちの部屋で――」
ふすまを開けて、踏み出そうとした僕の、つま先の十五センチ先。板張りの廊下に異変があった。
音でいうならこうだ――ジャキン!
鋭い針が飛び出した。何十本も。一斉に。膝の高さまで。刺さったら痛い。絶対痛い。
「は――?」
凍り付く僕に、北条が解説してくれる。
「それは侵入者や、捕獲した敵兵を牽制するためのものです。毒が塗ってありますので、触れないほうが賢明ですよ。他にも、寝ている不埒者を押しつぶすための釣り天井や、夜中に徘徊する者を咎める指向性のプラスチック爆弾と、それから……」
僕はふすまをそっと閉じた。
■ ■ ■
「つーかさ、何なの。僕に何を求めてんの?」
僕は仕切り直して、改めて問う。
すると北条は、
「跡取りが必要でして」
しれっと言う。
「言ってみればこれは、『妊活』ならぬ『忍活』なのです」
恥じらいもなく、あくまで真顔だ。いやダメだろ。恥じらえ痴女。
「ストレート過ぎて逆に感心するわ。……もしかしてそれも、絹子さんに吹き込まれたのか?」
「それもありますが」
やっぱり。
あの人は僕と北条をどうしたいんだ。おちょくって遊んでるだけじゃないだろうか。
「ですが――」
北条はうつむきがちに、
「風見さんと、もっとお話がしたかったという気持ちもあります」
「え、僕と?」
思わず声が上ずった。
「はい、数少ない忍者仲間ですし」
「そっちかよ」
違うんだけど。何だよ、ほのかな恋の芽生えなのかと思ちゃったじゃん。僕のトキメキを返してくれ。
まあしかし、色々あってゆっくり喋れていないのも事実だし、せっかく家にまで来たんだから、就寝前、少しくらい北条に付き合うのも悪くないか。
「分かったよ」
言って僕は、北条の差し出す座布団に座り、改めて和室を見回した。考えてみれば、家族以外の女子部屋なんて初めてじゃないだろうか。
僕の初めてをあっさり奪ったこの部屋は、ところどころ女子っぽくて、けれども落ち着いたトーンでまとめられていた。
座布団や掛け布団は和柄の淡いピンクだ。壁掛けのカレンダーは、北欧かどこかの森を写したフォトグラフ。整理された書机の上には白い花の一輪挿し。奇抜すぎる部屋着のセンスは、ここには反映されていない。
「ん、これって」
机の脇で、ファッション雑誌が積み重なっていた。
「北条もこういうの見るんだな」
表紙には、女子の間で人気のモデルが大写しになっている。メイクがどうの、モテるテクニックがどうの、愛され女子になるためのステップだとか――まあ僕には縁のない雑誌だ。女子向けだから当然だけど。
「そうですね。友人から譲って頂いたものばかりですが。モテたくて」
「モテたい?」
「はい。兄は家を出てしまいましたから、このままでは北条家は――秋鳥流は、跡取りがおらずに潰れてしまいます。そうならないよう、私は素敵なお婿様を迎えねばならないのです」
「覚悟が悲壮すぎるわ」
ファッション雑誌の編集者も、そこまでの覚悟をもって読まれてるだなんて、果たして想像しているだろうか。
よく見ると、たくさんのページにふせんが貼られている。めくってみると、どれも『男を落とすテクニック』みたいな特集ばかりだ。
「……まあ、『落とす』ことに関しちゃあ、お前はプロフェッショナルだと思うぜ。意味は違うけどな」
「?」
「お前、好きな男子とかは?」
「おりませんが……何度かデートに誘われたことはあります」
「行ったのか?」
北条はうなずいて、
「ですが、相手はあまり楽しそうではなくて」
やや肩を落とした。
「たとえば?」
「待ち合わせでまず、相手の表情が曇ります」
「お前の姿を見て?」
こくんと首を縦に振る。
「…………。なあ北条。お前に足りないのは、話術とか上目遣いとか、そんな技術じゃない。まずはもっと違う部分からだ」
「やはり、忍の技術でしょうか」
「それはいらん。お前の忍術も、僕の『風遁の術』も、残念ながら『モテ術』には関係ないんだよ」
僕は遠くを見て悲哀を噛みしめる。
「では一体何が――」
北条は、ずいと身を乗り出してくる。
「それだよ」
僕はそんな彼女の胸元を指さす。
「……? ああ、胸ですか」
言うなり、北条は両手で自分の胸を寄せて、
「もっと大きくなれと、毎晩、揉んではいるのですが」
プリントされた魔法少女の顔がぐにゃりと歪む。
「揉んでんのかよ!? う、うらやましい、じゃなかった、けしからん! でもなくって……ええっと……!」
これ以上僕の平常心を乱さないで欲しい。
くっ……、僕は手のひらになりたい!
「そ、そうじゃなくてだな、北条。お前のファッションセンスだよ――絹子さんのかもしれないけど。せっかくこんだけ資料があるんだからさ、まずは私服のセンスを磨け。手始めにそこからだ」
「服?」
そこで初めて気づいたように、北条は雑誌のページをめくる。
「差が、よく分かりません」
誌面の女子たちを見て、北条が難しい声を出す。『一週間着回しコーデ』のページだ。
まあ気持ちは分かる。僕だって男子向けの雑誌を――自分では買わないけど――眺めても、どこがどう『キマってる』のかよく理解できない。マストバイとか言われてもバイできない。お金もないし。
とはいえ、僕よりも北条のほうがタチが悪そうだ。
彼女の友人も、きっとファッションの勉強をして欲しくて雑誌を供給しているのだろう。まっすぐ言葉にしないだけで、彼女の破滅的なファッションセンスを改善しようという意図が透けて見える。
「取りあえずは、モデルの格好をそのまま真似ればいいんじゃないか」
「そうですね、ありがとうございます。では早速――」
「は、いやおい、ちょっと?」
北条は立ち上がると、せっせとTシャツを脱ぎ始める。
その下は――下着だけだ。
「待てっての!」
慌てて止める僕。
さあ、ここで神様の出番だ。ラブコメの神様が現れるぞ。僕と彼女はもつれて倒れて、そこにあるのは例の布団。ご覧ください。半裸の女子を押し倒す、僕のこの姿! かっこいい! 風見くんちょうサイコー!
いや僕、足腰弱すぎだろ。
引きつった笑顔で見下ろすと、整った顔のくノ一は、澄んだ瞳で見上げてくる。
「なるほど、こういうことですか。自然な流れで私に服を脱がせて、押し倒すとは。お見事です。これで一勝一敗ですね」
「……だから、違うからな?」
自然な流れでもねえし。お前の思考回路、不自然だし。
「あの、風見さん。三戦目はこのまま――」
「北条――」
そうして見つめ合った僕らは…………。
■ ■ ■
庭で走り回る小学生は男子三人と、女子が三人。
学年は二、三年生。
かわいいというより、生意気なやつらだ。
あの子たちは、一夜をともにした僕と北条の愛の結晶である。ああ、憎らしくも愛らしい我が子たちよ! もっと遊べ! 健やかに育て!
……なーんて。まあ、もちろんそんなことはない。昨日の今日で六つ子だなんて――しかも小学生って――人体はそこまで神秘的じゃない。
ただ、我が子ではなくとも北条が施しているのは間違いなく英才教育で、もしかしたらあの中から、明日の忍者界を担う人材が現れるかもしれないのである。
本当かよ。
今日は日曜日。
北条が催す『忍術教室』の日だ。近所の子どもたちが集まって、手裏剣の投げ方だとか、どうやって敵から身を隠すかだとかを教わるのだ(だから敵って誰だよ)。
やつらの元気に、僕も何とか対抗していた。普段なら負ける気はしないけれど――さすがに今日は寝不足だった。
あの後は結局何事もなく、かといって逃がしてももらえず、隣り合って寝ることになった。布団の中でしばらく会話をして――いつの間にか北条は、すぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立て始めた。
僕はすっかりその横顔に見入ってしまって、とても寝付くどころではなかったので、布団からひっそり転がり出て、部屋の隅で震えながら眠った。
もちろん、夜中に他の部屋に移動する勇気もなかった。
「そういえば絹子さん」
縁側で横に座る彼女に声を掛けた。今日も和服だ。
「絹子さんって、何歳なんですか?」
「唐突にえぐい質問ですね。……ふふ、秘密です」
「ですよねえ」
絹子さんは柔らかい笑顔のまま首をかしげて、
「急にどうなさったんですか?」
「ゆうべ北条と話してて――」
「ほう、ピロートークを」
「違う! いや、お互い枕の上ではあったけどっすね……」
なんだろうな、この人なら平気で覗きとかやってそうだな。そういえば、天井に変な気配があった気もするけど。まあ、気にしまい。
「北条があのくらいの頃から――小学生の頃から、絹子さんと二人きりだったんですよね」
庭では、北条がバク宙を決めて、子どもたちから拍手喝采を浴びている。彼女はまんざらでもなさそうな表情だ。
「そうですね」
絹子さんも視線を庭に向けて、どこか哀愁の漂う声で言った。
「僭越ながら、私にとってお嬢様は雇い主以上の存在です。妹であり、娘であり、友人であると思っています」
「恋人、ってのはないっすか?」
「ありません。茶化さないでください」
「はい……」
普通に叱られた。いやつーか、散々からかってくれた絹子さんに言われたくないけど――まあ、ここは僕が悪い。
「とてもからかい甲斐のあるオモチャではありますが」
口元に指を添えて、ふふっと笑う絹子さん。
「芯が強くて、責任感が強すぎるおかたですから、寂しがったり、泣いていじけたりということは、まったくありませんでした。それが逆に心配で。なるべく砕けた雰囲気を作ろうと努力はしてるんですけど」
ほうっ――と、彼女はため息をつく。絹子さんの仕草は、いちいち洗練されている。北条の口調が丁寧なのも、きっと絹子さんの影響なのだろう。まあ、あいつの場合はどこかズレてるんだけど。
「忍術教室も、絹子さんの発案っすか?」
「ええ。去年から始めました。いくら私がおどけて見せても、彼らの天真爛漫さには敵いませんから」
「ですよね」
僕は腰をさすりながら同意する。
絹子さんは僕を見て、
「あなたのことも正解でした」
「僕?」
「ここ最近、お嬢様ははしゃいでいらっしゃって。とても楽しそうでした。ご学友の方々とも仲良くされているようですが……『本気』の忍術は見せられませんからね」
「秘密なんですか」
彼女は首を振る。
「こちらとしては別に隠すつもりはないのですが、受け取る相手が、ですね」
「ああ、まあそうかもしれないっすね」
確かに、世間一般の女子高生が、ハイスペックの忍術を見せつけられて、それでも変わらず友人でいてくれるのかは疑問だ。絶縁とはいかないまでも、距離を置かれるかもしれない。
……いやまあ、嵐谷高校の面々なら大丈夫そうだけど。よく考えたらあいつらの器ってデケえよな。
「風見さんに『道場破り』を頼みに行くときも、お嬢様はルンルン気分でした」
マジか。そんなハッピーなテンションで土下座しやがったのかあいつ。そこだけ切り取ったらブッちぎりのドMだよ。
「ですから」
絹子さんは優しい声で言う。
「たまに遊びにいらしてくださると嬉しいです。お嬢様も、私も」
「そうっすね。ま、その時はトラップを解除してくれてると助かるんですけどね」
「ふふっ」
と笑う彼女。
え、いや、それどっち? 解除すんの? しないの?
まあいいか。僕だって、本当に本気を出せばあの程度、風使い――もとい風遁使いの能力で強硬突破できるんだからな。その後が怖いからやらないけど。
■ ■ ■
よし――と立ち上がって庭へと戻る。
僕も『忍術教室』に復帰だ。
つーかそろそろ北条がやばい。体力が――ではなくて、小学生の毒牙に掛かろうとしているのだ。
きわどい忍装束の北条。
その胸元を狙って、小学生男子がタッチしようとしたり、チラ見したりしている。気をつけろ北条。男は0歳から男だ。大人おっぱいを狙うハンターなのだ。
北条の胸は、僕が守らねば!
「そこのガキ! それは僕のだ!」
ダッシュで彼の前に立ちはだかり、がしっと両手で掴み上げる。
「う、うわわ! 離せよ!」
ジタバタする小学生男子を、僕は『高い高い』してやる。上空へ放り投げる。30kg弱の彼は上空20メートルへと舞い上がる。風遁の術を使った、ガチの『高い高い』だ。うわ、マジ高え。
「うひぃ! ぎゃああああああ!」
男児の絶叫がこだまする。
「はっはっは、思い知ったか! 北条のBだけじゃねえ、絹子さんのFも――世の中のすべてのバストは、ひとつ残らず僕のものだ!」
僕は声高らかに宣言する。
「うっぎゃあああ!」
絶叫が近づいてきて、僕は彼をキャッチする。もちろん衝撃は全部キャンセルだ。風遁使いの絶妙なコントロールによって。
「ひ、ひぃい、去年死んだポチに会ってきた……」
涙ながらに彼は言う。ヘコませ過ぎたかな、と思ったが、
「もう一回!」
じきに目を輝かせてそう言った。
「そーすけ! もう一回!」
「お前、こりねえのな。……つーか、呼び捨てやめろ」
すると他の子どもたちも、わらわらと僕を取り囲む。
「私も飛びたい!」
「私も! そーすけ、私も!」
「待てよ、おれが先だろ」
「そーすけは私の彼氏なんだから、私が一番でしょ!」
「ふっ、見せてもらおうか。そーすけが演出するショウってやつをな」
後半は不穏な台詞が交じっていたような気もするが――まあともかく、こうなったら収集がつかない。
「よっしゃ、全員まとめてぶっ飛ばしてやる!」
僕はそう叫んで、周囲に上昇気流を巻き起こす。
「『星になった子どもたち』!」
猛烈な風の音。子どもたちの絶叫。
「すばらしい――」
その光景を眺めて北条が言う。見上げるその瞳が、子どものようにキラキラ輝いていた。
「北条も飛ぶか?」
「いいのですか!?」
満面の笑みだ。
「もち。んじゃ行くぜ――!」
そうして、六人の子どもと、一人の大きなお友達は秋空に舞った。
■ ■ ■
さて。
色々あった忍者屋敷での出来事は、概ねこんな感じだ。
僕的にはこれらよりも、帰宅して待ち構えていた、姉による『かわいがり』のほうがよほどキツかったわけだが――それは語るまい(思い出したくない)。
僕のストーカーであり、天敵であり、友人であるくノ一は、その後も変わらず僕の通学路に付きまとっている。
ただし制服姿ではなく、忍装束でもなく――自分で選んだらしい私服姿で街中を駆け回り、自転車で悪行を働く僕を、離れたところから観察している。
今日はやたらガーリーな格好だ。白いニットに、ひらひらしたワインレッドのスカート。短いブーツにニーハイソックスを履いて、民家のコンクリート塀を風のように疾走している。
動きは全然『少女っぽい』じゃない――あえて言うなら『軍隊っぽい』だ――けれど、そのファッションは、雑誌の『一週間着回しコーデ』を参考にしたらしい。
その姿にコメントを付けるならば、
『今日は朝から忍びのお稽古。チェックスカートで彼の視線も独り占め?』
だろうか。
何じゃそら。
(第53話 風使いと「雑誌」(3)終わり)
(「雑誌」編 了)