第52話 風使いと「雑誌」(2)
風呂場で気絶して、気づいたらまた布団の上に寝かされていた。今日は倒れては寝かされ、これで二度目だ。僕はいつになったらこの忍者屋敷を抜け出せるのだろうか。外はとっぷりと日が暮れている。障子越しに薄い月明かりが差し込んでいた。
電気を点けて軽く背伸びしていると、ふすまが開き、
「風見さん」
部屋着姿の北条が現れた。
長袖Tシャツにハーフパンツ。無難な服装のはずが、センスの悪さばかりが目立つ格好だった。上はショッキングピンクで、子ども(と一部の大人)に人気の魔法少女がプリントされている。一方で、ハーフパンツは攻撃的なヒョウ柄。
取り合わせは最悪だ。
「顔色が優れませんね?」
「いや、ちょっと、幼女とギャルのギャップに胸焼けが」
「?」
僕は首を振って、体調は良好であることを伝えた。
「夕飯の準備ができましたが、食べられそうですか?」
「いいのか? ご馳走になっちゃって」
「はい。風見さんのお宅には連絡を入れておきましたから」
「え? ウチに? 電話番号なんて――」
そこまで言って気がついた。
そう、こいつは僕の家なんてとっくに突き止めているのだ。電話番号くらい知っていても不思議はない。ヘタをしたら、家族全員の携帯電話まで把握していそうだ。恐ろしい。
まあ、昼から何も食べていないので空腹もピークに近かったし、結局、厚意に甘えることにした。よく聞くと、北条は元から僕に夕食を振る舞うつもりだったらしい。道場破りのお礼だという。
通されたのは大きな居間だった。
忍者屋敷とはいえ、普通に液晶テレビがあったり、電気ポットがあったりと、割と現代的な和室だ。ちゃぶ台――と呼ぶには立派過ぎるローテーブル――には、絹子さんの手によって、次々と和食の皿が並べられていき、みそ汁や豚の角煮のいい臭いが僕の食欲を刺激する。
北条と向い合って座ると、遅れて絹子さんが、お盆に三人分の白米を乗せてやって来た。
「それでは頂きましょうか」
と、北条の隣に座る。
食事は三人分。
「あの、今日って二人しか居ないんですか?」
絹子さんに訊いていみる。
「はい。と、言いますか、元からこのお屋敷には私とお嬢様の二人で住んでおります」
「家族の人は?」
すると彼女は少し困ったような顔をした。
フォローするように、北条が口を開く。
「居ませんよ。兄は遠くへ行ってしまいましたし、両親は既に他界しています」
「他界って」
「おじい様は……あのかたは自由奔放ですから。ですので、絹子さんと二人です」
北条は、特に何ということはない口調で言い放った。
「こんな広い屋敷に二人、か」
そう言えば、庭木の手入れにもなかなか手が回らない、みたいなことを絹子さんが口にしていた気がする。
「週に一回は忍術教室を開いているので、子どもたちで賑やかになるんですよ。――さあ、せっかく絹子さんが作ってくれたお夕飯が冷めてしまいます。いただきましょう」
そう言う北条に従って、僕と絹子さんも手を合わせ、夕食を口へと運ぶ。
「お嬢様、おしょうゆ要りますか?」
「ええ。絹子さん、もしかしてお肉奮発しました?」
「ふふ、分かりますか? 風見さんがいらっしゃるのでちょっと頑張ってみました」
隣り合わせの二人を見ていると、本当の姉妹のようにも見えた。顔の似てない美人姉妹。正直、彼女たちの境遇を、僕は本当の意味で理解は出来ていないのだろうけれど、温かな食卓であることは間違いなかった。
■ ■ ■
「ごちそうさまでした」
僕たちは声を揃えて言うと、各々の食器を台所へと運んだ。絹子さんは「座っていてください」と言ってくれたけど、まあ、いくら客人とはいえそれは気が引けた。
洗い物を終え、居間で三人、食後の緑茶。
僕はふう、と満悦のため息をつきながら、
「いや、美味かったっす。絹子さんって、料理の上手い美人な新妻って感じですね」
「新妻でたとえる必要性は感じませんが……ありがとうございます」
首を傾けて笑った。
ふと、柱時計に目をやると、九時を回ろうかという時刻だった。
「んじゃ僕はそろそろ――」
お暇しようと言うと、絹子さんは、
「あら、もうお休みになられますか?」
と訊いてきた。
「? いや、お休みっていうか、遅くなっちゃったし、そろそろ帰ろうかなと」
「風見さん……」
絹子さんは急に暗い笑みを浮かべて、
「……あなたの帰る家は、もうありませんよ」
「え?」
固まる僕。
どういう意味だ?
「ああいえ、違いました」
彼女はふふっと笑うと、
「今日は泊まるとお電話で伝えておりますので、帰る必要はありませんよ、という意味です」
「ま、紛らわしいっすね!? 絹子さんに言われると変な迫力が――って、え? 泊まるって、僕が? ここに?」
「はい。ごゆっくりしてらしてください。すみませんがお嬢様、ご案内をお願いできますか?」
戸惑う僕をよそに、北条はうなずき、立ち上がると、
「では行きましょう、風見さん」
「いやいや! 僕、泊まる準備なんてしてないし」
とは言え、男子である僕にお泊りセットなんて不要なんだけれど――別にメイクするわけでもないし、枕が変わったって爆睡できる――しかし、女子の家にお泊りというには、心の準備がまだだった。
だって初めてだもの。
まあ、この忍者屋敷を『女子の家』と呼んでいいのかはともかく。
「問題ありません」
北条が言う。
「風見さんが寝ている間に、ご家族のかたが荷物を届けてくださいました」
「へ?」
「そういえば、ご伝言も預かっております――」
北条は咳払いをすると、声色を変えて、
「『ウチの愚弟がご迷惑をお掛けします』」
まるっきり姉さんの声だった。美鳥姉さんの声に、僕は弟としての悲しい習性で、つい背筋を伸ばしてしまう。
「『え、お風呂でのぼせて気を失った? おほほ、帰って来たら厳しく躾け直さないといけませんね。弟によろしくお伝えください』……と。お美しいお姉さまですね。優しそうで」
「――――!」
戦慄! そして恐怖!
姉さんに借りを作ってしまったこともそうだし、厳しく躾けるって……急に家に帰りたくなくなってきたぞ……。
「それにしても――」
北条がすっと遠い目をして、
「彼女、かなりの手練のようでした。私と絹子さん、二人がかりでも殺せるかどうか」
絹子さんも深刻そうにうなずく。
「ナチュラルに殺す計算すんなや。つーか、姉さんの戦闘力ってそんなに高いの?」
「それはもう。恐らくは――恐るべきは、と言いましょうか。彼女は私のおじい様と同格かと」
「おじい様って」
「秋鳥流史上最強の男と呼ばれております」
「…………」
やっぱ家には帰れねえ。
「ええっと、そんじゃ、お言葉に甘えて泊まらせてもらおっかなー、なんて」
暗い気持ちになりながら、僕はそう言った。
「はい。もちろん喜んで」
柔らかに微笑む北条。
かたや僕は、追い詰められた草食動物の気分だった。
北条の背中に従って廊下を行く。彼女の長い髪で隠れがちだが、その背中では魔法少女が僕に向かってウインクをしている。女子高生のセンスとしてはどうかと思うが、まあ、これはこれで北条の意外な一面として、微笑ましい。
「お前、魔法少女好きなの?」
彼女は歩きながら首だけ振り返って、
「いいえ。これは絹子さんが大きなお友達から頂いたのだとか」
「……そういや、サイズぴったりだよな」
北条の手足はすらりと長い。それなのに、子ども向けアニメキャラがプリントされたTシャツは、彼女にジャストフィットしていた。
「『女子高生に着せると言ったら、喜んでハンドメイドしてくださいました』とか何とか。絹子さんには、素敵なお友達が居るようですね」
「北条」
「はい?」
「いや、やっぱいいや」
彼女の中で絹子さんのお友達はきっと、『裁縫が得意でおしとやかな大人の女性』なのだろう。まあいい。それでいい。本当にそうかもしれないし。僕は、人の夢を壊すような男ではないのだ。
なので、このTシャツを着る絹子さんの妄想をして気を紛らわせた。
はち切れんばかりの胸元で、歪む魔法少女の顔。和風な絹子さんが着るショッキングピンクに、ハーフパンツ、肉感的な太もも……うん、アリ。顔を赤らめて欲しい。一周回って最高。
この素晴らしい妄想とともに、今日はもう寝よう。
「こちらです」
北条が立ち止まり、ふすまを開けた。
……さて。
僕を追い詰める北条家の罠は、まだ終っていなかった。精神を削る刃。心をくじく狂気の舞台。それは、本日の僕の寝室にあった。
っていうか、北条の部屋だった。
案内されて通された彼女の部屋――当然和室だ――には、布団が一式。その一人用の敷き布団の上には、まくらが二つ、隣り合ってセッティングされている。
北条は僕に向き直ると、
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
このあと二人は、滅茶苦茶セ――
「しねーよ!?」
(第52話 風使いと「雑誌」(2)終わり)




