第49話 風使いと「マイク」(2)
僕は知らなかった。女子が居るというだけで、カラオケボックスはこんなにも楽しい空間になるのか。
薄暗く、狭い部屋で今、男子三人、女子三人による、即席の合コンが繰り広げられている――。
■ ■ ■
コの字型に配置されたソファに、それぞれ男女のペアが座る。入口に近いソファに、僕と、黒髪ロングの文化系女子。左側に西野と猫系女子で、右に小山と巨乳女子といった具合だ。
「――うん、いい眺めだ」
僕はつぶやく。この状態に持ち込むまで一時間かかったが、意外にも意外なことに、何だか悪くない雰囲気だった。
猫系女子は、西野の堅物トークを面白がっているし、巨乳女子は、さっぱりした性格で小山の緊張を解きほぐしてくれた。そして、僕の隣で文化系女子ことリカちゃんは――
「風見くんって、バカなんだね」
と楽しそうに笑っている。どうやら、寛容な女の子らしい。ちなみに彼女たちは、近所の高校に通う二年生だ。つまりは同い年。僕らのターゲット選択は大正解だったと言える。
(あれ? もしかして今日って、行くところまで行けちゃうんじゃね?)
僕はカルピスソーダをずずっと啜って、胸の中でほくそ笑む。
しかし、こんなにハッピーでいいのだろうか。死亡フラグか?
この後、カラオケボックスがゾンビの群れに包囲されたり、逃げ惑った挙句、仕舞いには街ごと核ミサイルで焼き払われるとか? そんなバタリアン的なエンドが待っていたりするんだろうか……?
……はっはっは、僕に掛かればそんなもの、恐るるに足らないね。風使いをなめんなよ。女子の笑顔と男共の野望は、僕が全力で守る!
■ ■ ■
「よーし、俺、歌いまーす!」
小山がマイクを手にとって朗らかに言い放った。巻き起こる拍手。
彼は顔面を蒼白にしていた過去を、すっかり振り切ってしまったのだろう。千本柳だか桜だかを、全力の裏声で歌い出した。皆は囃し立てたり、笑ったりして盛り上げる。ふと隣に目をやると、リカちゃんもこちらを見て笑いかけてくる。コスモスみたいに可憐な笑顔だ。
……え、何これ、超楽しい。
唯一、音楽に乗りきれていなかった西野だったが、隣のミイコちゃんに促され、ぎこちなくタンバリンを振る。表情は変わらなくても、明らかに動揺していることが分かる。――だが、心の中は、きっとニコニコ笑顔に違いない。
小山が歌い終えると、あまりの熱気に当てられたのか、それとも、慣れないタンバリンでテンションが上がったのか――西野は興奮気味にまくしたてた。
「今日は素晴らしい日だ。このような素敵な女性に出会い、こうして交歓の場を持てるなど、人生最良の日と言っても過言じゃない」
「あはは! 西野くんって、昭和だね、昭和」
彼のちょっと行き過ぎな発言にも、ミイコちゃんは笑顔で応える。そこへ小山が、
「いやいや、江戸だろ? 武士だよこいつ。今朝なんて、頭から水かぶって来たらしいからな?」
中央のテーブルに身を乗り出しながら言うと、みんな一斉に笑って、西野も、はにかんだように白い歯を見せた。うん、マジでいい雰囲気だ。
■ ■ ■
……まあ、正直、僕らは調子に乗り過ぎていたのだろう。あの西野でさえもハイになってしまうような、異常な空間だったのだから。
そして悲劇は、その西野の手によって引き起こされた。まあ、手というか、口というか……。
「ミイコさん」
隣の彼女に向き直って、西野は、
「僕と大人になりましょう」
「え、なに? どういうこと?」
「言葉どおり、今、ここで」
ずいと顔を寄せる。しまった! と思ったときは既に、彼は、小柄なミイコちゃんに覆い被さりそうな体勢になっていて――
「待て! 西野!!」
僕は慌てて立ち上がった。しかし、すぐ前のテーブルに足をぶつけてしまい、そのまま姿勢を崩し、左前方へ――つまり西野のほうへと倒れ込む。
「っ!?」
振り向いた彼の顔が、目の前にあった。
……目の前っていうか、鼻のすぐ先で、口先だった。
そう。
不意の転倒だったが、そこはさすがに僕。体を支えようと、咄嗟に左手を突き出しており、西野の背後の壁に、その手のひらを突いた。
……壁ドンだ。
通常、壁ドンは、肘を伸ばした格好で行われるものだろう。肘を曲げたっていいけれど、それは、相手に近づこうとする強い意志をもって行われるものだ。
しかし残念なことに僕の肘は、僕の意思とは無関係に、直角以上に折れ曲がっていて、そのために、西野のごつごつした顔がすぐそこにあって、意外と柔らかい彼の唇が、僕の麗しいそれに重なっていた。絡みあう視線。伝わる体温。
……と、まあ色々と持って回ったような説明をしたところで、残酷なことに、現実は変わらないもので、つまり、初チューである。
「うっ、ぎゃあああああーーー!」
エコーの効いた僕の叫び声が鳴り響く。ナチュラルエコーだ。喉が震える。マジで震える。
「おまっ、馬鹿! なんでこんなっ!」
僕は混乱の極みにあった。パーカーの袖で口元を拭い、体を起こす。しかし、僕の初チューを奪った変態侍は、
「む……。せ、接吻とは……、カルピスの味がするモノなのだな」
とか言いやがって、頬を染める。
「照れてんじゃねえ! ノーカンだ、ノーカン!」
ミイコちゃんはそんな僕らを見比べながら、すっと腰を浮かせて、距離を取る。
僕が首を巡らせると、部屋の空気は固まり、冷え切っていた。キスだけならまだしも(いや、僕的には全然『まだしも』ではないけれど)、西野のリアクションが致命的だった。
「い、いや、違うんだ――」
僕は怯えたように首を振るが、サエちゃんとリカちゃんは顔を見合わせて、
「……そういえば二人って、ペアシートで一晩過ごしたんだよね」
「池袋だっけ……」
などと囁き合う。
そうだ。つい先ほど、例の『脇チラツアー』の顛末を、小山が調子に乗ってペラペラと、面白おかしく話していたのだ。その時は大して意味を持たなかった事柄も、この期に及んでは、ひどくマイナスイメージなわけで。
「違う! 確かに、ひざかけは一枚しかなかったけども……!!」
やべ、僕、失言。
「え、じゃあ、二人で包まって?」
「何があったんだろう……」
「でも、キスは初めてなんだよね? ってことは!?」
はい悪化-。
事態は悪化ー。
ばーか。僕のばーか。
「おい西野、お前も何とか…………」
あ。
駄目だ。
このピュア蝶ネクタイ、初めての接吻に放心状態だ。
やばい、頭が痛くなってきた。
そこへ、場を取りなそうと小山が口を開く。
「ま、まあまあ……。色んな愛の形があったっていいじゃないか」
ただし明後日の方向に。彼は彼で、相当にテンパっているようだった。スーっと、女の子たちの気配が引いていくのが分かった。
……仕方ない。
僕は深く息を吐いて、気持ちを整えると、テーブルにあったマイクを取り、靴を脱ぎ、ソファに上った。マイクを強く握りしめ、片足を背もたれに乗っける。
さあ、戦争を始めよう。
これは、孤独で果敢なカラオケボックスの抵抗戦だ。そして、富嵐剣トリニティの名誉を取り戻す、信念の戦いである。
では。
スイッチ――、オン。
「僕は! 女子が好きだ!」
叫んだ。
「そうさ、女の子が大好きだ! 胸が好きだ、髪が好きだ、おしりが好きだ、顔が好きだ、匂いが好きだ、服が好きだ! ああ、優しく声なんて掛けられたらイチコロだ! 肩を叩かれる? ……惚れるだろう? 惚れない男なんていないだろう! 目が合うだけで気になるね。その子のことを一週間は考え続けるね! 『あれ、もしかして僕、モテ期はじまったんじゃね?』ってしばらく引きずるからね! もはや病気だからね!! そうだ、これだけは言っておこう。女子の皆さん、おっぱいの大きさなんて気にする必要はないんだ! AからZまで、みんな大好きだ!! AtoZ。これが何を意味するか分かるか? そう――、『全て』だ。森羅万象を表す! 世界の始まりと終わりを示唆しているんだ! 僕らはおっぱいに育てられ、おっぱいへと還る! そしてそれは時間軸だけでなく、空間的な広がりさえ見せるのだ! つまり、ビッグバンで宇宙が誕生し、消え去るまでの全てをおっぱいで表せるんだ! おっぱいとは宇宙だ! 僕らの世界そのものだ! ……おっぱいがない? 気にするな! それなら尻がある! ヒップこそフリーダム! 自由の象徴だ! 形はそれこそ千差万別。硬さも、柔らかさもだ。大きいお尻? いいじゃないか。アスリートの筋肉質なお尻? これ以上のご馳走があるだろうか!? ――いやないね! 曲線美があるなら直線美があってもいい! だってにんげんだもの! ただし脚フェチ、おめーは駄目だ! ……ああ、パンチラは最高さ! 恥ずかしさに顔を赤らめるのは究極だし、見られたことにさえ気づかず、普段通りに振る舞う女子を見るだけで昇天しそうになる! そうだ、僕は女子が好きだ、『好』という文字を見るだけで興奮する! 女子がギュッと凝縮したこの漢字は、ベストオブ漢字だと断言できるね! 人類史上、最高の発明だ! 『0』の概念よりもさらに上だ! 人間は、『車輪』の原理を発見したことでピラミッドを築いたように、『好』を作り出して『愛』という名の絶対不到の塔を建てたんだ! 史上最高にして至上だ! 愛とは自由だ! つまり僕は同性愛者を否定しない! 男を愛する? 人前でキスする? いいじゃないか! 愛は奔放であるべきだ! 僕は誰のことも否定しない――でもだからこそ、誰も僕を否定することはできない! 僕の愛は僕のものだ! 故に僕は女子を愛する! 漂ってきた君の香りがシャンプーのものだって構わない! 僕はそれを君の香りだと断定する! 異論は受け付けない! だって自由だから! 僕は女子が好きだ! 女子が好きだ! 女子が好きだ! 好が好きだ! 女子が、大好きだぁああああああ!」
■ ■ ■
さて、帰り道である。
僕たち負け犬どもだが、電車に揺られてホームグラウンドに帰り着く頃には、すっかり生気を失っており、ゾンビのようなノロノロとした動きで改札を抜けた。夕日がやけに眩しかった。
「すまん、風見……」
そこでようやく、小山が口を開いた。
「うまくフォローできなかったわ……」
「いや、あの状況なら仕方ねえよ」
結局、連絡先も交換できないまま、僕らはほぼ無言でカラオケボックスを退出し、彼女たちの背中を見送った。それからまあ――こういう有様だ。
僕らに続いて改札を出てきたミスター蝶ネクタイは、いつもと変わらぬ様子で、
「しかし、よい勉強になったな」
僕らは振り向き、声を合わせて、
『お前が言うな!!』
叫んだ。
☆ ☆ ☆
時間は少し遡って――。
バス停に三つの影があった。
彼女たちは揃って同じバスに乗り込む。車内は空いていたので、一番後ろの長いシートに肩を並べて座った。
しばらく無言で揺られたあと、リカは黒髪を耳に掛けながら、
「……ヘンな子たちだったね」
ぼそりと言った。隣に座るサエは、長い足を組み替え、
「ほんと、凄かったね……」
ため息を吐き、今日一日を思い返すように、揺れる天井を見上げた。
ナンパをされるのも、合コンめいた空間も――彼女たちには初めての体験だったが、それにしては、いささかレベルが高すぎたと言わざるを得ないだろう。
「でもさ……」
窓際のミイコは、うつむき、ためらいがちに口を開く。
「……ビックリしたけどさ。あの、風見君って……ちょっとカッコ良かったかなあ、って」
「ミイコ、本気で言ってるの?」
サエは驚いて、彼女の横顔に目を向ける。するとミイコは、もじもじしながら、
「だって、あそこまで言い切られると逆に気持ち良くない? それに、私のこと、助けてくれたわけだし……」
唐突であけすけな告白ではあったが、なんとこれには、リカも首を縦に振って同意した。カラオケボックスで風見の隣に座っていた彼女だ。
「まあ私も、ちょっとタイプだったかな。楽しそうで、退屈しなさそうだったし」
「ええ、マジで!?」
「……そう言うけどさ、サエもちょいちょい、こっち見てなかった?」
「う……あはは、バレてた?」
小山の隣に座っていたサエも、本当のところは、風見のことが気になっており――さらには、人より大きな胸にコンプレックスを抱える彼女は、あの演説で、彼の男気に心打たれていたのである。
三人は顔を見合わせると、くすくすと笑った。
――と、このように。
風見にとっても初めてだったナンパと合コンは、彼の知らないところで、実は大成功を収めていたのであった。だがしかし……
「連絡先、聞かなかったよね」
リカはつぶやく。ミイコも、猫のように大きな目を瞬かせ、首をかしげた。
「学校も結局、分からなかったもんね。フランケン? がどうとか言ってたけど……」
三人を乗せたバスは、低いエンジン音を響かせながら夕暮れの街へと消えていった。
(第49話 風使いと「マイク」(2)終わり)
(「マイク」編 了)




