第45話 風使いと「噴水」(4)【七不思議編】
怒りに震える神宮院を尻目に、佐々川は安堵のため息を漏らした。
「そーちゃん、よかった。私、そーちゃんが居なくなっちゃったかと思って……もう」
声が震えていた。涙こそ流していなかったが、放っておけば泣き出してしまいそうな、そんな声だった。
これには流石に風見も罪悪感を抱いたのか、バツが悪そうに上体を起こして、ポリポリと頬を掻いた。
「あー、えーっと、チカ姉ちゃん。心配かけて悪かったよ」
風見は立ち上がりこちらに歩み寄って来て、佐々川に声を掛け、次に神宮院のほうを向いた。
「副会長も。僕を追って来てくれるなんて光栄です」
「別に貴方のためではありませんわ。佐々川さんが、その……。ごほん。いえ、生徒会役員として、当然のことをしたまでです」
「そっすか。それでもまあ、ありがとうございます」
素直に礼を述べられて、神宮院はどう応えていいか困ってしまった。
「い、いいですわ、お礼など」
話題を逸らすように、
「それよりも、ここからどうやって出ましょうか」
首を巡らせて辺りを窺う。周囲には、どこまでも白い空間が広がっている。床の端まで行って、その先がどうなっているか確かめてみてもいいが――そこが、落ちたら二度と帰ってこれないような場所だったらと思うと躊躇われた。
とすると――上だろうか。
神宮院が見上げる先は、やはり真っ白な空が続くだけだった――しかし、目を凝らしてよく見てみると、微かに光る一点があった。まるで北極星のような輝き。周りが白一色なのでどうにも判別しづらいが――
「もしかしたら、あれが私たちの落ちてきた池なのかもしれませんわね」
他の二人も目を細めて、その一点を見つめた。
「あ、ホントだね! うわあ、あんな高いところから落ちて来たんだ。よく無事だったね、私たち」
真上に視線を向けたまま、佐々川が感嘆の声を上げた。
同じように見上げる風見も、
「つーことは、ここは学校の地下になるのか。こんだけ広いといいよな。……あ、大竹先輩にも教えてやろうかな」
「大竹先輩って、あの大竹くん? 眼鏡かけた」
「そ。昼休みに空き教室でスリッパ卓球やってるんだよ。ここならもっと思う存分やれそうだなって思ってさ」
「へえ、楽しそうだね。今度私も参加してみようかな。でも卓球、あんまり上手くないしなあ」
「いいコーチを紹介しようか? 同級生の女子。少しだけ、命の危険を感じるかもだけど……」
「なにそれ? 卓球で命の危険?」
「ちょっと、貴方たち!」
神宮院は、どんどん横道に逸れていく会話に痺れを切らした。
「そんなことよりも、今はここから出て行くことを考えなさいな。……あれが出口だとしても、しかし、あんな高いところまでどうやって登っていくのか……」
言いながら肩を落とす。
星のように光るあの点までの距離は、どう低く見積もっても二百メートルはあるだろう。この空間には、階段はおろかハシゴの代わりになるようなものさえない。どんなに頭を捻ったところで、脱出方法など思いつけそうになかった。
だが風見は、
「ん。まあ、あのくらいなら大丈夫だよ」
と、あっけらかんに言う。
「大丈夫って、こんなときにおふざけは――」
「あ、そうだ。女神さんも一緒に来るか?」
風見は振り向いて、女神像へと話しかけた。
そうだ。
そもそもはあの女神像が発端であり、元凶だ。仮に脱出方法が見つかったとしても、素直に帰してくれるとは思えない。すっかり頭から抜け落ちていたが、神宮院は今になってようやく、その石像へと警戒の構えを取った。
えんきり女神は立ち上がっていた。右腕には、例の大きな水瓶を抱えている。噴水だったときと同じように、瓶の口をこちらに向けながら、表情の読み取れない顔で三人を見ている。
「危険ですわ――」
神宮院は眉をひそめて言う。
「風見くん。どのようにして脱出する気か知りませんけれど、『アレ』は貴方を、一方的に引きずり込んだんですのよ。声を掛けるなど危険です」
「いやあ、そうは言ってもですねえ……」
膝枕で情が移ったのだろうか。風見は渋い顔をする。
すると、佐々川が二人の手を握った。
「いいじゃん、みんなで一緒に帰ろうよ」
いつものように、邪気のない顔で笑う。
「貴方はだから何でそう――」
神宮院が言い掛けたその時だった。佐々川の喉が、横合いから貫かれた。
■ ■ ■
「――は?」
あまりの光景に、神宮院は悲鳴を上げることすら忘れた。それは風見も同様だった。
佐々川の喉には、刃渡り三十センチ程もある短剣が突き刺さっていた。石造りの短剣だ。首の左側から右側へと突き抜け、彼女を串刺しにしている。どうやら投擲されたものらしい。
当の佐々川は――笑顔のまま固まっていた。短剣が突き立てられた首筋の辺りから、順に石になって、まるで石像のように、体が石になって固まった。
「チカ姉ちゃん!」
「佐々川さん!?」
佐々川の全身がすっかり石になってしまってようやく、風見と神宮院は正気を取り戻し、同時に叫んでいた。
さらには、短剣を投げつけたであろう人物へと――いや、石像へと目を向けた。間合いにして十歩くらいの距離だろうか。女神像は相変わらずの無表情で、水瓶を構えて立っている。
「あんたが……あんたがチカ姉ちゃんを!」
風見は今にも飛びかかりそうな剣幕で身構える。
「お待ちなさい!」
神宮院は彼の肩に手を置いて、
「あの得体の知れない相手に、迂闊に向かって行っても仕方ありませんわ。まずは様子見を――」
「先輩は! 副会長は、チカ姉ちゃんの友達じゃねえのかよ!」
風見は神宮院の手を振り払う。
「友達がやられて、なんでそんなに落ち着いていられるんだよ!」
「落ち着いてなんかいません!」
神宮院は負けじと風見の腕を掴む。
「落ち着いてなんかいませんわ。この異常な状況は、到底受け入れられません。けれど! ……それでも、貴方や私が同じようになっては、誰が佐々川さんを助けるんですの?」
「助けるって――」
「ここは『異常』です。あの女神像も、そして石になった佐々川さんも『異常』。まるでお伽話か、それこそファンタジーの世界のようですわ。――であるならば、佐々川さんを元に戻す方法だってあるかもしれないでしょう」
風見を諭すように、または自分に言い聞かせるかのように、努めて冷静に――しかし、力を込めて神宮院は言葉を継ぐ。
「このような状況になったからには正直、貴方のことを頼りにせざるを得ませんのよ。これまで、三つの七不思議を解決してきた貴方に。……ですから、先走って自滅するなど、そんな愚かな真似はおやめなさい」
「…………」
風見はしばらく何かと葛藤していたようだったが、一度大きく息を吐いて、
「そうっすね。すんません。少し頭が冷えました。もう大丈夫っす」
風見の表情と腕から、余計な力が抜けるのを感じて、神宮院は手を離した。
「分かってくださればいいんですのよ。……さあ、それよりも」
言いながら、女神像を睨みつける。
風見も、落ち着きを取り戻した目で、同じく女神像へと顔を向けた。
女神像は――泣いていた。
■ ■ ■
えんきり女神の胸には、はち切れんばかりの怒りが満ちていた。
いつだってそうだ。
中庭に立たされて、常に独りだった。目の前のベンチでは、昼や夕になると、生徒たちが楽しそうに弁当をつついたり、喋り合ったりしている。誰も自分には声を掛けてくれない。
男女のカップルもいれば、友人同士と思しき女子のグループもいた。皆一様に笑顔だ。
しかし彼女には、友人を作ることも、笑顔を浮かべることすら許されない。羨ましかった。目の前で、仲よさげに笑い合う彼女たちが憎らしかった。
ある時、女神象に対して『縁結び』を祈る者まで現れた。どんな噂が伝わっていたのかは知らない。だが恐らく、中庭での出来事がきっかけで結ばれたカップルでもいたのだろう。そこから、『縁結び』の迷信へと繋がったのかもしれない。
何にせよ、女神にとっては迷惑以外の何者でもなかった。
だから、縁を切った。
願う者がもっとも望まない形で、『えんきり』を実行した。ある時は相手を石にし、ある時は池の中へと引きずり込んだ。ひと通り悲しむ様子を見て、いくらか怒りが収まると開放してやった。
今回も同じことをするはずだった。
しかしまさか、引きずり込んだこの『彼女の空間』にまで、二人も追って来るとは思わなかった。
さらにあの男は――自分を捨てて、あの黒髪の女のもとに駆け寄った。手を繋いだ。だから女を石にしてやった。
すると今度はどうだろう。
金髪の女と見つめ合ったり、腕を引き合ったり、仕舞いには見つめ合ったりするではないか。
許せない。
女神は怒りを短剣に込めた。短剣は、水瓶の中で作られる。
一本、二本、三本と――
彼女の怒りを鋭さに変え、短剣は生まれてくる。水瓶から無数の短剣が飛び出す。
その刃は、あの二人の男女を突き刺すために射出された。
(第45話 風使いと「噴水」(4)【七不思議編】 終わり)
次回、噴水編クライマックス!




