第44話 風使いと「噴水」(3)【七不思議編】
「佐々川さん……」
神宮院は俯く佐々川の隣にかがみ込み、力の抜けきった彼女の肩に、そっと手を置いた。
七不思議に関わるからには、ある程度の覚悟はあった。
実際、大いに驚きはしたものの、すでに女神像が与えたショックからは立ち直りつつある。
……だが。
それよりも神宮院の心を揺らすのは、中庭のタイルに座り込む友人の小さな背中だった。普段は明るい彼女の、見たこともないような悲痛な横顔。
きゅうっと、胸が締め付けられる思いがした。彼女の悲しみが、まるで自分の痛みのように感じられた。
佐々川千花という友人は、いつの間にかとても大きな存在になっていた――それをこの期に及んで、神宮院ははっきりと痛感――文字通り、痛みと共に再認識したのである。
神宮院玲奈。
彼女はこれまで、外見ほどの華やいだ人生を送ってきたわけではない。確かに、生まれ持った美貌のおかげで、思いがけず良い思いをしたことはあるだろう。だがそれ以上に、真っ直ぐに、そして公平であろうとする彼女の性格は、多くの敵も作り出してきた。
小学生の頃から、級友の間違った言動を許すことはできなかったし――それがどれだけ仲の良い友人であっても、なあなあで終わらせることはしなかった。公衆の面前であろうと、一対一であろうと、罪は罪として裁く。
『罪を憎んで人を憎まず』とは言うが――
年端もいかぬ子供たちが、そのような高尚な思想を受け止めるのは、簡単ではなかった。
結果、小学校も高学年になると――
「神宮院さんって、お高くとまってるよね」
「ちょっと可愛いからって勘違いしてるんじゃないの?」
「正義の味方は偉いよねえ……先生に気に入られようって、みえみえだけどさ」
などと、本人にも聞こえるような陰口とともに、彼女の身を刺すような視線が教室中に満ちていた。
その、何とも息苦しい空気は、中学校に進学しても相変わらず彼女の周囲に付き纏った。
それでも屈折することなく成長した神宮院に転機が訪れたのは、この嵐谷高校に入学してからだった。
佐々川千花との出会いだ。
いつもエネルギッシュな彼女は、理屈を屁理屈で打ち負かし、道理を曲げて自由な道を行く――まさに、神宮院とは別の方向で煙たがれる存在だった。
初めは、自由奔放な彼女を一方的に避けていた神宮院だったが――いくら追い払っても付き纏ってくる佐々川に次第に心を許し、気が付けば、本当の意味で友人と呼べる数少ない――いや、恐らく唯一の存在になっていた。
もちろん、那名崎会長を始めとする生徒会のメンバーは信頼できる者ばかりであるし、一緒にいて居心地もいいのだが、友人というよりは同志、同僚といった距離感だった。
――この友人の悲しみを取り除いてあげたい。
いま神宮院は、生徒会役員の使命も忘れ、ただそれだけを思っていた。
すると。
佐々川は急に面を上げ、力強い視線で噴水を睨んだかと思うと、すっくと立ち上がり、
「よし! 行こう、玲奈ちゃん!」
と拳を握った。
「……え? 行く? 貴方、何を」
佐々川とは対照的に、ふらふらと立ち上がる神宮院を右手を、佐々川が握った。
「あの池の中に、そーちゃんを取り戻しに行くの」
そう言って、神宮院の手を引きながら、噴水とは逆の方向に歩き出した。
「だ、だからどこへ向かっているんですの? それに、池に入るって――」
噴水から十メートルほど離れたところで、佐々川は足を止めた。
「助走を付けなきゃね」
真っ直ぐな目をした友人は、踵を返して、噴水の全景を視界に捉えた。
先程までとは明らかに違う友人の横顔に気圧されながらも、神宮院は右手に触れる彼女の手の力強さを感じていた。
決して折れない心――ではない。
折れてもまた立ち上がる強さが、この子にはある――
神宮院は、
「……もしあれが私でも、助けに来てくれたかしら」
と、思いがけず口の中で小さく呟いていた。
「ん? 玲奈ちゃん、何か言った?」
佐々川が顔をこちらに向けるが、神宮院は「いいえ、何でもありませんわ」と言ってごまかした。
「さて、それじゃあ行くよ。ダッシュして、ジャンプして、ドボンだからね!」
「もっとよく考えて、助けを呼んだほうが……」
神宮院は言いかけたが、すぐに首を振った。
「――いいえ。分かりました。行きましょう、佐々川さん」
その言葉に、佐々川は満足そうに微笑み、噴水に向かって勢い良く一歩を踏み出した。
神宮院も置いていかれないように――握った手を離してしまわないように――懸命に走った。
制服姿の二人の少女は、中庭を一直線に走った。夕日の赤光を全身に受け、真っ直ぐに駆ける。池の手前で同時に踏み切り、高く飛び、スカートの裾をはためかせながら――
池の中へと、落ちていった。
■ ■ ■
二階のベランダから、眼下に広がる光景に驚愕で目を見開いていた土岐司だったが、
「……なるほど、不確定だったが、あの噂は本当だったということか」
と、意味ありげにうなずいた。
「えんきり女神は天邪鬼。『切りたくない者』との縁を断ち切る、性根の曲がったイタズラ女」
ぽつりと独りごちた。
「水面に映った鏡像のごとく、人の心を裏返す。ひとり寂しい嫉妬の女神……か。ふん、眉唾ものだったが、下賤な噂話も、案外馬鹿にならないものだな」
そう……
彼が独自に入手した情報によるならば、あの女神像は、質問者の『もっとも望まない形』で『縁切り』を実行してしまうらしいのだ。
おそらくあの怪異は、佐々川にとって『切りたくない者』のうち、一番近くにいた風見に手を掛けた。神宮院との差は、ただの物理的な距離だったのだろう――
土岐司はそのように推察した。
「風見の醜態を拝めないのは残念だが――せいぜい足掻くといいさ、甘い誘惑の海でな……ふふふ」
口の端を歪めて、土岐司は不敵に笑った。
ひとりで。
寂しく。
……本人は黒幕的な雰囲気に酔いしれていたが――周りから見れば、夕暮れのベランダで誰もいない中庭を見下ろし、ひとりぼっちの高校生がブツブツと呟いているだけだったので、かなり寂しい絵面ではあった。
いちおう、土岐司がイメージするのは『フルクトース撲滅作戦 ~果糖と加藤の下等なミッション~』に登場する佐藤将軍のたたずまいだったのだが――仮にその小説の読者が今の彼を見たとしても、決して「格好いい!」とは言えないシチュエーションであろう。
なお、このような小説作品は現実世界には存在しないので、読者の皆さんは検索などの手間を掛ける必要はない。この物語はフィクションです。
■ ■ ■
さて。
悲壮な決意を胸に池に飛び込んだ二人が目にしたのは、思いのほか明るく、開けた空間だった。
テニスコート二面分くらいの、四角い床面。
壁はない。どこまでも白い――ただの『空白』が四方を、そして天井を覆い尽くしている。
しっかりと存在を確認できるのは、足元の床だけ。灰色の、石造りの床だ。
息は出来る。
水に飛び込んだはずだったが、この空間は水中ということではなさそうだ。
だから二人は、揃って息を呑んで、そして同時に、
「「……はい?」」
と、間の抜けた声を漏らした。
不可思議なこの空間の中央、四角形のど真ん中に、ヨーロッパの豪邸にありそうな――貴族が座っていそうな――豪奢なソファが鎮座していた。
布張りの座面や背もたれは、高級そうな赤。
その縁や肘掛け、四本の足などは、きらびやかに光る金色の装飾が施されてあった。
三人は楽に座れそうなそのソファに……。
石造りの女神がゆったりと腰掛けており、なんと、彼女の膝の上には風見の頭があった。
それは生首――
みたいな残酷な話ではなく、胴体もしっかりと繋がった『風見爽介フルバージョン』が、ソファに横たわり、うっとりとした顔で膝枕を堪能していたのだ。
「お、チカ姉ちゃんに副会長。いらっしゃい」
そのままの体勢で、能天気な声とともに風見はひょいと左手を挙げ、ひらひらと振ってみせる。
「あ、貴方は……」
神宮院の声が震える。
「台無し! 色々と、台無しですわ---!」
頭を抱え、普段出さない大声で、神宮院はめいっぱい叫んだ。
(第44話 風使いと「噴水」(3)【七不思議編】 終わり)
《あとがき》
「噴水」編の途中ですが、ここでお知らせです。
私事――というか、作品事ではあるのですが――『風使い』の連載開始から半年が経ちました。ノリだけで書いている作者がここまで連載を続けられたのは、偏に読者の皆さまのおかげです。
この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます。
……なーんて、真面目なことを言うとふざけたくなるのが性分でして、それはまあ、この「噴水」編の中でも顕著だったりします。『フルクトース~』とか、思いついたから書きました、以上の何物でもありませんからね。
シリアスなことを書くと気恥ずかしくなり、コメディに走るというのはもう、作者の深いところに根を張っていて、それでいてその根っこが腐り切っているので取り返しがつきません。残念。諦めてください。
さて、せっかくの半年記念なので「噴水」編のラストを持ってくるとか、特別回を差し込むとか……そんなことを試みればよかったのですが、作者に計画性がないので無理でした。ノープラン。
代わりにといってはなんですが、今日は同時に、外伝の新章・虎走が主役の『シューティングスターターあぶみ!』を更新しています。
『風使い』のキャラ名は、まず音感で決めて、後から漢字を当てはめているのがほとんどで、神宮院や佐々川はまさにその典型なのですが――虎走については一応、名前に意味というか由来があったりします。
物語のトップバッターならぬトップランナーだったので、作者も少しは張り切っていたんでしょうね。いや、それほど労力を掛けた覚えはないんですけど。
陸上部の後輩という設定は事前にあったので、
・速い →チーター →虎
・走る →走
・走る →馬 →あぶみ
で、『虎走あぶみ』です。
あぶみとは乗馬用の鞍から両側にぶらさがっている、騎手の足を乗せる馬装具です。可愛らしさを重視して、漢字を当てずに平仮名で突っ走ってます。
チーターっていう案も結構無茶苦茶ですけど……、採用しなくて良かったですね。某演歌歌手みたいになっちゃいますし(古い)
彼女は作中でほぼ唯一、メタ視点での発言を許している貴重なキャラです。変に使うと寒くなっちゃうメタネタに、あえて挑戦するという、作者の強い志を受け継いだ不憫な少女です。がんばれ。
閑話休題。
今回の「噴水」が終わったら、引き続き別の七不思議に進むか、日常回で『富嵐剣トリニティ』あたりを活躍させるか……迷っているところです。
ともあれ、こんな風にこんな感じで物語は続いていく予定ですので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
以上、お知らせでした!