第42話 風使いと「噴水」(1)【七不思議編】
「そ、そーちゃん、……不潔、不潔だよお!」
嵐谷高校の、教室棟と特別棟に挟まれた中庭――その噴水のほとりで、佐々川千花は夕焼けに染まる空を仰いで、そう叫んだ。
【15分前】
「なるほど、これが次の七不思議……ってワケっすね」
ある日の放課後。噴水の中央に据えられた女神像を見上げながら、風見爽介はたずねた。遠くのほうから、運動部の声が響いていた。
「そうよ」
生徒会の副会長である神宮院は、風見の背後で腕を組んだまま、短く応じた。
生まれつき色素の薄い彼女の長い髪は、夕日を受けて金色に輝いて見える。くるくるとカールを巻いている髪型は――いわゆる『縦ロール』と呼ばれる種類のものだ。
彼女には外国の血が混じっているらしく、やや堀の深い顔も、そのメリハリの効いた体型も、同世代の女子生徒の中では、よく目立つ。
「モデルは、イタリアの豪商のお屋敷にある噴水……らしいですわ。この女神像は、『ある質問』を投げかけると動き出す、のだとか」
「それで、質問した人を、泉の中に引きずり込むんだよね。怖いねえ」
神宮院の言葉を継ぐように――彼女の隣に立っていた佐々川千花が、肩をすくめる。
怖い、と言いながらも、彼女の声色に緊張した様子はまったくない。
「うーんでも、こうして改めて見ると……ちょっと露出多いよね、この女神さんって」
「……怖いのなら、別にお手伝いは要りませんのよ? 佐々川さん」
神宮院はため息まじりに佐々川を窺う。
「だいじょーぶ! そーちゃんと玲奈ちゃんのためなら、たとえ火の中、水の中……ってね!」
「いや、あの、だから、むしろ貴方が居ないほうが……」
神宮院は小声でつぶやくが、クラスメイトの耳には届かないようだった。
佐々川千花――ソフトボール部に所属する彼女は、しかし日焼けしない体質らしく、肌は驚くほどに白い。黒髪を二つに束ね、左右の肩から垂らしている。
華奢な体型をしており、一見おしとやかで、体育会系には見えないが――実態は、かなりパワフルな女子だ。
それは彼女の行動にも反映されており、その思い込みと意志の強さを、神宮院はある意味では尊敬している――が、それは一方で、彼女の行動を外から曲げることは難しい、ということも意味しているのだ。
ちなみに、佐々川は風見の幼なじみで、彼の数少ない理解者でもある。
「ねえねえ、そーちゃん。この女神さんって、そーちゃんの好み?」
「そうだなあ……ちょっとぽっちゃり系だけど、好きだよ。この――布で少しだけ体を隠してるとこなんか、逆にエロティシズムを感じていいね」
「ほうほう。そーちゃんは巨乳好きですか。チカ姉ちゃんは残念だよ」
「違うって。ほら、僕はサイズにこだわりないから」
「貴方たち…………」
二人の会話を聞きながら、神宮院はこめかみを押さえて、ため息をついた。
【1日前】
昼休みの生徒会室で、会長の那名崎が紅茶を淹れていると、ドアが開き、入室してくる者があった――副会長の土岐司だ。
「おや、今日は会合の日ではなかったはずだが。どうかしたのかね」
那名崎がたずねると、
「……ええ、会長にお話がありまして」
土岐司は硬い表情を浮かべて、軽く会釈した。
「ふむ……。何やら込み入った話なのかな。まあ、掛け給え」
そう言って、那名崎はティーカップをもう一揃え、棚から引っ張り出した。
紅茶の準備をしながら、椅子に座り背筋を伸ばす土岐司の姿を一瞥して――那名崎は、彼の表情から、ある種の決意を読み取った。
七不思議に関わることなのだろう。
そう直感した。
【3時間前】
「こんなところに呼び出して……何用ですか、土岐司副会長」
教室棟の階段を登り切ったところ――屋上へと続くドアの手前で、土岐司は神宮院を待っていた。
「すみません。神宮院副会長。あまり、人に聞かれて都合のいい話ではありませんので」
「……どうも剣呑ですわね」
神宮院は、慎重に土岐司の表情を確かめる――いつもの仏頂面だが、目には決意の色が見て取れた。
土岐司は神宮院より一学年下の二年生だが、役職は同格の副会長だ。やや硬派な雰囲気を醸し出す、凛々しい顔つきの男子だった。
「貴方がわざわざこのような行動を取るということは、会長がらみのお話でしょうか?」
「有り体に言えば、そうです。那名崎会長と――風見爽介についてです」
そこまで聞いて神宮院は、土岐司の用件に、おおよその予測がついた。
「そうですか。風見君の名が挙がるということは、例の『七不思議』の件かしら」
土岐司はうなずく。
「その通りです。……まず、お互いの立場をはっきりさせておきましょう。僕は、万が一にも彼が次期会長になるなんて――あってはならないと思っています。あんな不真面目な生徒が会長職など、悪影響以外の何者でもない」
嫌悪感を隠そうともせず、土岐司は吐き捨てる。
「まあ、わたくしも同意見ですわ。確かに、彼が関わるようになって、七不思議の解明は加速度的に早まった。けれど、それとこれとは話が別……だと思ってます」
「副会長の慧眼は、七不思議に関してだけは、十二分に発揮されたということですね」
「…………そうね」
神宮院が風見を、七不思議の特任として推薦したことを指して、土岐司は言っているのだろう――やや皮肉めいた言い振りではあったが、神宮院は咎めることなく受け流した。
「それで? 次期会長の件は、風見君と那名崎会長との間で交わされた約定でしょう。わたくしたちが、とやかく言える立場ではない――というのが、統一の見解ではありませんでしたか?」
「確かに。横槍を入れるのは筋違いでしょう。……だからこそ僕はまず、筋を通して来ました」
「筋を?」
「昨日、会長に直談判してきました。彼の素行を僕たち生徒会役員が調査し、明らかな欠陥が認められれば、彼への選挙支援は行わないように――と」
「それは――」
神宮院は、やや困惑した顔をした。
「そんなこと、会長が了承するとでも? どのような理由があろうと、結局は約束を反故にすることに変わりない。それを会長が……」
あの那名崎が簡単に約束を破るとは、とても思えなかった。
しかし土岐司は、
「会長は、了承してくださいました」
と言うのだ。
「まさか――なぜ? 貴方は、どんな交渉を持ちかけたと言うのです?」
「僕の、首です」
「首?」
「少々おおげさに言えば――ですけどね。もし、彼が七不思議を解く間に、こちらの調査が思うような成果を上げられなければ……僕は、次の選挙で会長には立候補しない、と誓ったのです」
「…………」
土岐司が次の会長の座を狙っている――というのは、役員なら誰もが知っている事実である。折にふれて、彼自身が公言しているからだ。
嵐谷高校の生徒会は、全校生徒の選挙で選ばれる。立候補の条件はなく、学年に関わらず、全ての役職への立候補が可能だ。
先の選挙では、土岐司も、本来は会長に立候補したいと思っていたらしいが――かねてから尊敬していた那名崎と競うことを、土岐司は良しとしなかったらしい。
那名崎に対しては、勝てるとも、また、勝ちたいとも思っていなかったのだろう。
もはや、崇拝といっていい感情が土岐司の中にあった――
それは、神宮院たち、他の役員も多かれ少なかれ抱いている感情なので、土岐司の行動はよく理解できた。
だが、生徒会長の座に就こうという土岐司の野望は、決して消え去ったわけではなく――最後のチャンスを目前にして、彼の胸中で未だ燃え盛っていることもまた――神宮院は知っている。
「貴方の決意を……那名崎会長は重く受け取った、ということなのですね」
土岐司は、自らの野望を天秤にかけてまで、風見が次期会長に収まることを阻止しようとしている。
その思いを、那名崎は汲んだのだろう。
しかし、風見が七不思議を解明すれば、どの道、土岐司の野望は潰えるのではないか――と神宮院が問うてみると、土岐司は、
「もし、風見が途中で、七不思議の解明に失敗したとしても――僕たちが風見の重大な瑕疵を見つけられなければ、僕は立候補しない心積もりだ……と、会長には伝えました」
と言って、一段と厳しい顔をした。
「それに、悪影響を与えるような人間は選挙で支援しない、というのは道理でしょう」
「……先程から、『たち』とおっしゃっていますけど、それは、わたくしたちも調査に加われ、ということでしょうか?」
「ご推察通りです。だから、僕は貴方を説得するために呼び出したのです」
語気を強めて、土岐司は言った。
「天馬書記は、『挑む犬』の一件以来、どうにも風見に懐いているようですし……、平書記も先日の会議で分かった通り、風見に強く影響を受け始めているようです。……残るは、貴方と、国府村書記。まあ、彼女は那名崎会長に心酔していますし、風見の行動を快く思っていない節があるので――きっと、容易に説得が可能でしょう」
「それでまず、わたくしを味方につけよう……ということですのね」
土岐司はゆっくりとうなずく。
それを見て神宮院は、指で毛先をくるくると弄りながら、しばし黙考した。
土岐司と神宮院――
二人の副会長は、似通った信念のもとに職務を果たしており、ほとんど意見が衝突することはない。
ごく稀に意見が違うことがあるが――よほど逸脱していない限りは、土岐司のほうが折れる。それは、相手が上級生だからと気を遣っている面もあるのだろう。
しかし今回は、もし神宮院が風見の側に付けば、土岐司の策略は実行が困難になる。引いて譲る気はない……だからこそ、こうして説得に現れたのだろう。
風見爽介。
神宮院は、彼の人間的な爆発力に期待して推薦したものの、まさか次期会長を狙うと言い出すなど――想像もしていなかった。
このような事態を招いたのは自身の落ち度も大きいと、神宮院は思っている。このままではマズいと考えている。だからこそ、土岐司の提案は、彼女にとっても魅力的なものだった。
神宮院は本来、計略を巡らせるタイプの人間ではないが――トップである那名崎の了承を得ているのであれば、話は別だ。
神宮院は顔を上げ、土岐司に向かって、
「いいでしょう、貴方の提案に乗りましょう」
と言った。
「彼を推薦した者として、わたくしも責任を感じていますから。……引退する前に、後顧の憂いは取り除いておきたいですしね」
「そうですか、ありがとうございます」
土岐司は満足そうに口の端を吊り上げ、
「それでは早速――」
と、切り出した。
(第42話 風使いと「噴水」(1)【七不思議編】 終わり)




